アンナ編 その3
次の日、火曜日の朝。
施設の二階にある、アンナの部屋。
六畳の和室で、アンナは布団で眠っていた。
大きな窓は、元々は障子が取り付けられていたが、今はカーテンに付け替えられている。そのカーテンの隙間から、朝日が差し込む。
その光に照らされて、アンナはゆっくりと目を覚ました。
布団の上で上体を起こし、目をこすりながら、部屋を見渡す。
壁際に、ハンガーで制服が吊るされていた。
一昨日届いた、新しい制服。
白いブラウスに紺色のジャンパースカート、赤いリボン。
アンナは立ち上がり、制服の前に立つ。
やがて、まだ体温の残るパジャマが、ふわりと床に落ちた。
ハンガーから制服を外す。
布のこすれる音がしばらく続く。
最後にジャンパースカートのファスナーを上げ、ベルトを止めると、リボンを結び、姿見の前に立つ。
そこには、慣れない制服姿のアンナがいた。
アンナは食堂に入っていった。他の子どもたちはすでに起きており、一斉に視線が集まる。
「おはよう……ございます」
アンナははにかみながら言った。
「お、アンナ、新しい制服か? 似合ってるな」
高校三年生のツバサが笑顔を浮かべながら言った。
「アンナ……、可愛い」
サユキも微笑む。
アンナは迷ったように視線を左右に動かした後、その場でくるりと回った。スカートの裾がふわりと舞い上がる。
「えへへ~、いいでしょ」
そう言って、笑ってみせた。
登校すると、仲の良いクラスメイト達が集まってきた。
「え~、アンナ、制服新しくしたの? なんでなんで? すぐに前の学校戻るから、制服はそのままでいいって言ってたのに」
仲の良い女子生徒の一人は、興奮した様子でそう言った。
「うん。色々と事情が変わって」
アンナは苦笑いを浮かべる。
「でも、こっちの制服も似合ってるよ」
友人はアンナに抱き着いた。
「うん、うん。ありがと。褒めてくれたお礼に、頭を撫でてあげよう」
アンナは友人の頭を撫でた。
投稿直後こそ、注目を集めていたアンナの新しい制服だが、半日も経たないうちに慣れていった。クラスメイトも、そして、アンナ自身も。
帰りの会が終わり、アンナが荷物をリュックサックに教科書やノートなどを詰め込んでいたときのことだ。
「堀井さん」
担任の先生はアンナに声をかけた。
「あ、はい」
「保健室に来てほしいって」
アンナは不思議そうに首を傾げる。
「保健室? 何かありましたっけ?」
だが、先生もよくわかっていないような表情。
「なんでだろ。私もよくわからないんだけど、とりあえず、放課後、堀井さんを保健室に呼んでほしいって、保険の先生に言われたから」
アンナは戸惑いながら、小さく「はい」と答えた。
理由もわからないまま、アンナは保健室の扉を開いた。
「失礼しまーす」
すると、室内には養護教員ともう一人、車いすに座った少女がいた。制服姿のサユキだった。
「サユキちゃん、なんで? 今日は学校来ない日だったんじゃ……」
アンナは驚きの声を上げた。
サユキは穏やかな笑みを浮かべる。
「えっとね、アンナのこと心配だったから、迎えに来ちゃた。一緒に帰ろ」
施設へ帰り道。
サユキは車いすを自力で漕ぐ。アンナは歩調を合わせ、ゆっくりと歩く。
「サユキちゃん、大丈夫? 押そうか?」
アンナは心配そうに尋ねる。サユキの額には汗がにじんでいる。
「ううん、大丈夫だよ」
そのときだ。目の前を数人の女子中学生が追い越していった。薄いベージュの半袖セーラー服に、チェック柄のスカート。
アンナは立ち止まり、その女子生徒たちをジッと目で追った。
「アンナ、どうしたの?」
サユキが不思議そうにアンナの顔を見上げる。
「あの制服、私の前の学校の……」
アンナはポツリとつぶやいた。
「あ、確かに、前までアンナが着ていた制服……」
サユキはアンナと、女子生徒を交互に見た。
女子生徒の背中が見えなくなると、アンナはサユキに不器用な笑みをむけた。
「考えてみれば、勘違いかも。この辺りって、古墳とか史跡多いから、校外学習で遠くの学校の人がいることも多いし、きっと、違う学校だよ」
アンナは再び歩きはじめる。サユキもアンナの横についていった。
駅前広場にやってきた。そこには先ほどの制服の生徒たちが整列している。
「やっぱり、校外学習みたいだね」
サユキが言うと、アンナは小さくうなずき、視線を中学生たちにむける。
その時だ、強い風が吹いた。
一人の女子生徒の持っていた紙が飛ばされ、アンナの足元に落ちる。
「あっ」
アンナは紙を拾い上げる。
見てみると、それは社会見学のしおりだった。表紙に書かれた学校名は、アンナが通っていた中学校の名前。
「これ……」
アンナがしおりから目を離すことができずにいると、
「すみませーん」
しおりの持ち主らしき女子生徒が小走りでやってきた。
「あの、それ、私のです。ありがとうございます」
アンナはしおりを女子生徒に返そうとして、動きを止めた。
「……ミナミちゃん?」
アンナは確かめるように、ゆっくりと尋ねた。
女子生徒はなぜ自分の名前が呼ばれたのかわからず、キョトンとした表情を浮かべる。
だが、やがて気付いた。
「アンナ……ちゃん?」
そう。この女子生徒こそ、アンナの幼馴染、倉上ミナミだった。
「うん。アンナだよ。堀井……アンナだよ」
アンナは絞り出すように言った。
「えっと……なんで、ここにいるの? お父さん、大変なことになったって聞いたけど、大丈夫なの?」
ミナミはどこか気まずそうに尋ねる。
「えっと……今は、施設で暮らしてて……。ごめんね、急にいなくなって」
アンナも少し気まずそうに答えた。
「何も言わずに急にいなくなるから、心配してた」
二人の間に、沈黙が流れる。
「あ、そうだ。私ね、スマホ買ってもらったんだ」
ミナミは思い出したように、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「連絡先、交換しよ。あ、もしかしてアンナちゃんが暮らしてるとこって、スマホ駄目だったりする?」
「え、あ、ううん、大丈夫。使っていい時間決まってるから、すぐに返信はできないかもだけど」
アンナもスマートフォンを取り出した。取り付けていたイルカのストラップが揺れた。
そしてお互いに画面を操作し、連絡先を交換する。
「そのストラップ、かわいいね」
ミナミが言うと、アンナはうなずく。
「うん。お気に入りなんだ」
そのとき、引率の先生がミナミに列に戻るように促した。
「もう行かなきゃ。また連絡するね」
ミナミは駆け足で、整列してるクラスメイトの元へ戻っていった。
アンナの知らない友人たちが、ミナミに声をかける。きっと、アンナとの関係を訊いているのだろう。
アンナはチラリとサユキを見る。
サユキは不思議そうにアンナも見上げた。
「帰ろっか、サユキちゃん」
サユキはうなずく。
そして、二人は再び施設へむけて歩き始めた。
山のふもと。田園風景の中を真っすぐに貫く道を、アンナとサユキはゆっくりと進む。
足取りは軽く、上機嫌な様子。
「アンナ、さっきからにやけてる」
サユキは笑いながら指摘する。
「えへへ~。だって、嬉しいんだもん」
アンナは歩きながらスマートフォンを取り出し、チラリと画面を見る。登録している連絡先の一覧の中には『倉上 美波』の文字。
スマートフォンをポケットに入れると、アンナは歌を歌いはじめた。
施設にむけて、アンナとサユキ、二人の背中は小さくなっていく。
アンナの口ずさむカーペンターズの楽曲『Sing』が夕暮れの帰り道に響いていた。
数日後の夕方。
アンナが自室で勉強机にむかい、ファッション雑誌を読んでいた。
そのとき、机の端に置いたスマートフォンがピロリと音を立てる。画面を確認すると、メッセージアプリの通知だった。
アプリを起動する。ミナミからの画像付きのメッセージがあった。
画像には、八歳になるミナミの妹が写っていた。満面の笑みで、大きなイルカのぬいぐるみを抱えている。
メッセージには、こんな文章が。
『見て。今日さ、うちの妹がリサイクルショップで一目惚れしたって、買ってきたよ。私がアンナちゃんにクマのぬいぐるみプレゼントしたの覚えてる? あれとそっくりだよね』
その途端、アンナの表情が一気に険しくなった。鼓動がはやくなる。
アンナは意を決した表情になると、震える指でゆっくりとメッセージを入力していく。
『ごめんね。あのぬいぐるみ、家を整理したときに売っちゃった。物を減らさないといけなったから。本当にごめん』
アンナは三度文章を読み返してから、送信ボタンを押した。
それからしばらく、ソワソワと落ち着かない様子で返信を待つ。
やがて、通知音がした。深呼吸してから、恐る恐る画面を見た。
『気にしないで。アンナちゃんも色々大変だったの、わかってるから。ところでさ、夏休み、一緒にどこか遊びに行かない?』
アンナは安堵の表情をうかべ、長く息をはいた。
『うん、行きたい。どこ行く?』
素早い操作でメッセージを入力し、送信。
そのとき、部屋の外からサユキの声がした。
「アンナー、ご飯だよ」
アンナはスマートフォンを机に置くと、慌てて立ち上がる。
「うん、ごめん。すぐ行く!」
そして、部屋を飛び出していった。
机に置かれたスマートフォン。そこに映し出されたミナミの妹。彼女が抱えているイルカのぬいぐるみの胸びれには、言われないと気づかないほど小さな黒い染みがあった。




