8、求婚者たちの正体
皆、「美の女神」といえばヴィーナスだと思いがちだ。しかし、「美の女神」は何もこの世に一柱というわけではない。オリバー氏がそう力説するのに対し、エズメは慈母のような笑みを浮かべつつ、相槌を打った。オリバー氏がフレイヤへの思慕を滔々と語れば、彼女はそれを全て肯定してみせもした。
「ええ、フレイヤは決して世の人々が言うような毒婦などではありませんとも。彼の御方は、ただ魅力的過ぎただけですわ」
オリバー氏が蕩けるような笑顔になった。
「教授もそうお考えなのですね。いやはや、実に嬉しいことです」
彼がすっかり上機嫌になったところで、エズメは頼み込んだ。
「しばらくこのお部屋にいても、構いませんこと?」
静かにじっくりこの部屋の展示品を鑑賞したいから、とエズメが言うと、オリバー氏は勿論ですとも、と頷いた。
「どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。貴女は我が友ですからな」
オリバー氏が立ち去ると、パットがすかさず部屋全体に魔法をかけた。それから彼は、感心したようにエズメを見た。
「君は女性には珍しく、女神フレイヤを悪く言わないよね」
エズメは肩を竦めた。
「仮にも、私のたった一人の親友の大切なご夫君で貴方の義兄弟でもある御方と、私の名付け親の親友で私が子どもの頃に家庭教師をしてくださったご婦人の遠祖でいらっしゃる御方なのですもの。失礼なことは言えないでしょう」
パットは、知っていたのか、と呟き、腑に落ちたという顔で言った。
「とにかく、ありがとうエズメ。君がオリバー氏の機嫌を取ってくれたおかげで、彼の精神に上手く干渉出来たよ。ここなら安心して内緒話が出来る。魔女に勘付かれるから、大きな魔法障壁は張りたくないしね」
やはり裏に魔女がいるのか、とメグが尋ねると、パットは不思議そうな顔をした。
「君たち二人はそれに気付いたから、あの魔女の祭壇と化しているフォリーに近付こうとしたんじゃないのかい?」
エズメが苦笑した。
「パット。その二人はまだ守護者としては新人なのよ、今回初めて魔女の祭壇を目にしたはずだわ。でも、二人が迂闊に近付かなくて良かったこと。もしもそれで魔女に勘付かれていたら、少し厄介なことになったでしょうからね」
「僕が二人を引き留めたんだよ」
明らかに褒めてほしそうなパットの額を、エズメが軽く指で弾いた。
「ええ、貴方は本当にお利口さんですこと」
かくして情報交換が始まった。目立つことなく情報を収集することに長けているというパットは、オリバー氏とアヴリル嬢、オーガスト氏、三人の求婚者たちそれぞれの事情に詳しかった。
「オリバー氏は、富裕層の集まるこの地区でも随一の資産家でね。妻のモニカ夫人を十年前に亡くしてからは再婚もせずに娘のアヴリル嬢と、オーガスト氏、そして男性使用人二人と暮らしているんだ。再婚しないのは一人娘に全ての財産を相続させたいからだろうという噂だし、僕もそれが正解なんだろうと思う」
それから、オーガスト氏はその利発さを見込んだオリバー氏によって少年時代に孤児院から引き取られて来たが、学費を出して貰って大学まで出た後、秘書となったらしい。
「彼はこの国の大多数の人間とは違って、古大陸に起源を持つらしい色合いの肌や髪の持ち主だ。だからこの国では珍しいその外見を意味もなく見下してくる愚か者たちも多いのに、腐ることなく努力を重ねている誠実な青年だよ。娘の夫として最も相応しいのは彼だと思うんだけど、人間というのは実におかしな生き物だよね」
パットは少し肩を竦めて見せると、話を続けた。
曰く。三人の求婚者たちは皆曲者だ。まず、エイブラハム・コール氏は大きな銀行の副頭取だが、実は横領に手を染めている。だから、それが露見する前にアヴリル嬢を娶ることでウィルキンソン家の資産を手に入れ、横領分の補填をしたいと考えているのだろう。
メグの口から溜め息が漏れた。
「やはり、あの方は不誠実な、偸盗のような方なのですね。アヴリル嬢への言葉も、全てロマンス小説の剽窃でしたもの」
美術商のボニファス・ジャクソン氏は、ウィルキンソン家所有の美術品、或いはウィルキンソン家の私設美術館である西アーケイディア美術館の収蔵品のいずれかに並々ならぬ執着を抱いているのではないかと思われる。というのも、この屋敷に出入りする以前、彼は私的な目的でかなり熱心に買い取ろうとしていた美術品を、所有者から「自分の死後はこの美術館に寄付するから」と断られたことがあるからだ。
とはいえ求婚者たちの中では最も地位が低く、裕福さは及第点というところ。そのため、求婚者たちの中では一番熱心にアヴリル嬢本人にアピールすることで、彼女の夫の座を得ようとしている。
「でも、あの方は棘の付いたままの薔薇を花束にしてアヴリル嬢に手渡そうとなさっていました」
その時のことを思い出してメグがそう言うと、パットは頷いた。
「彼からもアヴリル嬢への愛は感じられないよね。僕の義兄弟なら、最愛の奥さんが万が一にも怪我をしないように、必ず棘は全て自分の目で確かめながら丁寧に取るのに」
ブレア・モローは連合帝国の貴族リンドウォーム侯爵の三男だ。母方の大叔父から受け継いだ資産を元に行った投資が成功しており、三人の求婚者の中では、血統も財産も一等。しかし――。
「メグとリューも気付いているだろう、あの男の本性に。あの男はね、既に連合帝国で二人、州連合で八人の女性を毒牙にかけているんだ。だのに連合帝国では実家の権威を盾に、州連合ではその莫大な富を武器に、逮捕を免れている。そして今度は、この北部連邦に入り込んで、プラチナブロンドの麗しきアヴリル嬢に目を付けたわけだ」
メグは内心で首を傾げた。アヴリル嬢は麗しかっただろうか、と。
「メグ、思ったことが顔に出ているね。だけど君はちょっと目が肥え過ぎているんだよ。確かに、ここにいるエズメもリューも、この僕も、普通一般の美貌とは次元が違うけどさ。……リュー、君もだよ。大概目が肥え過ぎ。うん、わかってる。君のメグも勿論美人だとも。僕のエズメと同じくらいにね」
リューが顔を赤くして固まり、エズメが咳払いをした。
「パット、余計なことは言わないで頂戴。リュー、メグ、気にすることはありませんよ。彼はこういう人なのですから」
「美人に目を付けたと言えば、あの男はリュー君にも嫌らしい目を向けていました」
メグがそう言うと、エズメの言葉に少し落ち込んだ様子だったパットは、すぐに元に戻った。
「そうだろうね。この格好のリューは僕の目にも飛び切りの美少女に見える。しかも肌の色が北部連邦の大多数の人間とは違うから、あの男にとっては、好き勝手に扱っても良い獲物に見えていることだろう。実を言えば、あの男の被害者の過半数は国籍や肌の色が違う女性たちなんだ。リューは、あの男の目をメグから逸らす囮役を見事に務めているわけだ」
それを聞いたリューが、にこりと微笑んだ。誇らしげなその笑みがとても頼もしく思えて、メグの心臓が大きく跳ねた。愛らしい少女にしか見えなくとも、守護者としての任務を受けることの方が多くても、彼はやはり騎士なのだ――。
「あの男については、今夜排除する方向で策を立てています。それというのも先程――」
リューがここで明かしたのは、リビングでブレア・モローの被害者と思われる女性の亡霊を浄化した際、必ずあの男に罰を受けさせると約束したことと、彼が立てた策の内容だった。
それを聞いたエズメが、満足そうに言った。
「ええ、概ねそれで良いと思いますよ。もし一つ付け加えることがあるとすれば……」
その晩。アヴリル嬢の部屋から、ブレア・モローの醜い叫び声が響いた。
どう考えてもエズメのことが大好きなのだろうな、と思われるパットと、そんなパットを雑に扱うエズメ。「……本当に、恋人とか実質夫婦とかではないんだよね?」と聞きたくなります。
オシアンと、彼の妹のミュリエルはフレイヤの血を引いています。だから見た目が北欧系で、魅了能力が他のケット・シーたちとは段違いなのです。ちなみに、オシアンが一番言われたくない言葉は「人間形態がオーディンに似ている」です。




