7、教授とその「助手」の到着
メグは、慌てて自分に言い聞かせた。ブレア氏への不快感と怒りに任せて思い違いをしてはならない、神罰を下す権能は女神のものであって、自分のものではないのだ、と。
「リュー、メグ、庭に行きましょう」
アヴリル嬢が機嫌良くそう言った。ウィルキンソン邸の庭には、古代神殿の遺跡を模したフォリーの他にも、古代帝国風の噴水や、ブランコがあるから、と。
きっと、リューの歌と舞いが気に入ったのだろう。先程とはうって変わったもてなしぶりだった。
「お茶はガゼボに運んでもらえば良いわ」
メグとリューの返事も聞かずにそう決めた彼女は、次に求婚者たちの方を向いた。
「殿方は付いていらしては駄目よ。女同士の内緒話の時間がほしいの」
彼女はオーガスト氏に三人の求婚者たちの相手をするように頼むと、メグとリューを連れ、お気に入りの詩集を携えて庭に出た。
そして、ガゼボに二人を連れて来るなり、こう切り出した。
「ねえ、あの三人の内、まず最初に誰を切れば良いと思う?」
アヴリル嬢の酷薄な言葉に怯みもせず、リューはあっさりと答えた。
「それはブレア・モローですわね。あれは悍ましい欲を満たすためだけに美しい婦人に近付く、青髭公のような男ですもの」
「どうやって切れば良いかしら」
「それなら、わけないことですわ――」
リューがアヴリル嬢にあることを提案した。彼の計画は聖騎士団の守護者としては少々逸脱していたが、多分、先程の亡霊との約束にも関わることなのだろう。そう察したメグは、リューの計画自体には口を挟まなかった。けれども、ずっと気になっていることもあった。
「アヴリルさん。貴女にとっては、ブレア・モロー以外の求婚者たちも敵なのですね」
アヴリル嬢は鼻を鳴らした。
「当然でしょう。彼らが狙っているのは私ではなく、父の財産と美術品よ。そんな人たちのどちらかに手と心を差し出さなければならないなんて、冗談じゃないわ」
メグは頷いた。
「お気持ちはわかります。でも、そのことについて、お父様とお話し合いにはならないのですか?」
「父はね、私の意見なんて、取るに足りない、くだらないものだと考えているの。だから、無駄」
彼女は、お気に入りの詩集を、それだけが拠り所だとでも言うように強く抱きしめた。
「この詩集を譲ってくれた人だけよ、私の気持ちを解ってくれたのは」
「その方は、今どちらに?」
メグの問いに、アヴリル嬢は顔を曇らせた。
「先週、この屋敷を去ったわ。父が解雇したのよ。間もなく結婚する娘に音楽の教師など必要ないからって。だから今は、先生とは手紙でやり取りするだけ」
アヴリル嬢が初対面から敵意剥き出しだったのは、孤独感の裏返しもあるのだろうか、とメグは思った。
三人は噴水の周りを巡り、ブランコに乗り、再びガゼボに戻って来た。そこへ、通いで昼間だけ働いているというメイドが、紅茶とフルーツケーキを運んで来た。
「お嬢様、旦那様のご友人方がいらっしゃいましたが、ご挨拶なさらずともよろしいのですか?」
通いで昼間だけ来ているというメイドが、アヴリル嬢にそう尋ねた。しかし、アヴリル嬢は傲然と言い放った。
「お父様に会いにいらした方々なのでしょう。必要ないわ。それよりもフルーツケーキを切って頂戴」
「……私は、フルーツケーキはご遠慮いたしますわ」
リューはメイドにそう告げて立ち上がり、メグに声をかけた。
「あの古代神殿風のフォリーをもっと近くで見てみたくて。メグも一緒にどうかしら?」
「ええ、私も行くわ。それでは、アヴリルさんはどうぞ、ごゆっくり」
どうしても、そのフォリーが気になっていたのだ。何か、良くない気配がするので。
しかし二人がフォリーまであとほんの十五歩という地点まで近付いたところで、背後から知っている声に呼び止められた。
「二人とも、それ以上そのフォリーに近付かない方が良いよ。少なくとも今はまだ、ね」
二人が振り返ると、そこにはエズメの使い魔、風精霊のパットがいた。
「パットさん、エズメ先生とご一緒に?」
メグがそう尋ねると、パットは茶目っ気のある笑顔を浮かべ、少し気取って挨拶をした。
「御機嫌よう、淑女方。僕はエズメ・ロイド教授の助手で、パトリック・オニールと申します。どうぞパットとお呼びください」
彼は二人にこう説明した。エズメの秘書のホプキンス嬢は荒事が苦手だから、代わりに自分が付いて来たのだ、と。
「ここに来る前に魔力を調整して来たから存分に暴れられるよ。求婚者たちについて調べても来たから、あとで情報交換しよう」
「魔力を調整しなければならなかったのですか?」
リューが愛らしく首を傾げると、パットは頷いた。
「そうなんだよ。エズメとの魔力の通路が何故だか不具合を起こしていたんだ。彼女とは、ほんの十年しか離れていなかったのにね」
「十年は、長いと思います。十年前なら、私たちは二人とも八歳の子どもでしたよ」
リューがそう答えると、パットは目を丸くし、少し寂しそうな顔になった。
「そう言われてみれば、確かにそうだ。……道理でエズメが怒るはずだよ」
彼には、エズメを怒らせるつもりなどなかったのだろう。
ただ、長い時を生きる風精霊と人間とでは感覚が違い過ぎただけで。
メグは何故かそのことを悲しいと感じた。
三人は、ガゼボに寄ってアヴリル嬢に声をかけ、共にリビングに戻って来た。
そこでは、エズメが上品な笑みを浮かべながら、ブレア氏とボニファス氏による芸術談義を聞いていた。
「――ですから私は、まだ誰も見たことのない繊細な色彩を自分の手で生み出したいのですよ。貴方はそうは思いませんか?」
ボニファス氏の熱っぽい発言に、ブレア氏は頷かなかった。
「いや。僕はモデルの美しさを、なるべく早く絵の中に描き留めたいのでね。色彩よりスケッチに重点を置くべきだと思う」
ブレア氏は、アヴリル嬢とリューが戻って来たことに気付くと議論を中断して、どろりとした視線を二人に向けた。一方のボニファス氏は、今度はオリバー氏に向かい、画家たる者は絵の具の原料からこだわるべきだと持論を展開し始めた。
オリバー氏の秘書のオーガスト氏は戻って来たアヴリル嬢に優しい眼差しを向けたが、求婚者の一人であるエイブラハ厶氏は、恋敵であるはずのボニファス氏とブレア氏の談義も、求婚相手のアヴリル嬢がリビングに戻って来たことも、どうでも良いと考えていそうな顔で紅茶を飲んでいた。
四半刻が過ぎた頃、エズメはオリバー氏に頼んだ。二百年前の著名な彫刻家の作品と言われている美の女神像を是非とも拝見したい、と。
「分かりました、それなら収集品展示室にご案内いたしましょう。アヴリル、お前は求婚者の皆さんときちんとお話をしておきなさい」
オリバー氏がそう言った時、アヴリル嬢は何かを探しているような素振りをしていた。よほど焦っているのか、その顔色が悪かったので、メグは小さな声で、もし何かを探しているなら手伝うと申し出たのだが……。
「いいえ、結構よ。……そうね、母の形見のブローチをどこかに落としてしまったようなの。夜露に濡れてはいけないから、庭に戻って探してみるわ」
彼女は再び、オーガスト氏にリビングで求婚者たちの相手をするように頼むと、庭に出て行った。
「お若い方々もご一緒に如何?」
エズメから声をかけられたメグとリューは、彼女とその「助手」に付いて行くことにした。
収集品展示室で女神像を鑑賞したエズメが言った。
「胸元を飾る繊細な首飾りに、足元の猫。これはフレイヤの像なのですね」
オリバー氏が我が意を得たりと頷いた。
「教授には改めて恐れ入ります。すぐにお解りになる方は少ないのですよ」
北欧の美の女神フレイヤは、二匹のノルウェージャンフォレストキャットに馬車を引かせていたそうですが、このシリーズでは、その内の一匹がフレイヤの血を取り込み、更にその子孫が猫型妖精と結婚して、とある兄妹の先祖となったという設定があります。
魅了能力が強すぎるのも、名前はケルト系なのに見た目が北欧系なのもそのせいです。




