9、真夜中の戦争
エズメと同じ部屋で仮眠を取っていたメグは、ブレアの悲鳴を聞いて跳ね起きた。
「リュー君の策は成功したの?」
――今、リューがブレアを拘束した。ブレアが持っていた嫌な感じのする小瓶も、パトリック兄貴が回収したよ。アヴリル嬢も無事だ。
エズメが満足そうに微笑んだ。
「さあメグ、私たちもこれから戦闘開始ですよ」
「はい、ロイド教授」
メグは、両手首に鈴のブレスレットを付け、肩から斜めにバッグを掛けた。
廊下に蠢く、嫌な気配。きっとまた、あの青い汚れによって良からぬモノが屋敷の中に呼び込まれたのだろう。しかも、その数は昼間とは比べ物にならないほど多い。
「貴女の側にはロビンとリューの火焔狐が付いているけれど、なるべく私から離れないように。……久しぶりの実戦だから、楽しみだわ」
淑女らしい穏やかな笑みを浮かべるエズメ。しかし、その手には、軍警察が持つようなタクティカルバトンが握られていた。
「それでは、ドアを開けるわよ」
エズメがドアを開けると、既に廊下には複数の悪霊がいた。一見普通の人間に見えるが、真っ黒に炭化した顔の「焦げた顔」。邪視で人間の動きを封じる「灰色の少女」。
それから、両手にナイフを括り付けた呪術人形……。
「あら、予想外に物騒なモノもいたのね」
楽しげにそう言いながら、エズメは部屋を飛び出し、歌うようにこう唱えた。
「葡萄の蔓に、藤の蔓、蔦に葛に、蔓薔薇に、最後のおまけは犬型妖精の尻尾」
すると悪霊たちが本当に様々な蔓性の植物に絡め取られ、締め上げられていくではないか。いや、蔓性植物だけではない。呪術人形を縛っていたのは信じられないほど長い犬の尻尾だった。
「……二体の使い魔持ちでいらしたのですね」
メグが小声で驚嘆すると、エズメが苦笑した。
「おかげでヒルダと一緒に任務を受けられなくなってしまったけれどね」
片方はヒルダの使い魔とは魔力属性の相性が良すぎて危険で、もう片方はヒルダの使い魔とは種族的に険悪な仲なので。
――ヒルダと言えば、ヒルダたちも今、魔女と交戦を始めたよ。
肩の上のロビンがそう言った。
「それなら、もう魔女に気付かれることを心配する必要はないわね。メグ、破魔の歌を」
植物の蔓や犬型妖精の尻尾に絡め取られなかった悪霊たちにバトンを振り下ろしながら、エズメがそう指示した。苛烈に打擲された悪霊たちは跡形もなく霧散したが、植物の蔓や犬型妖精の尾で捕らえられた悪霊たちは、それだけでは消滅しないのだ。
メグは両手首の鈴を鳴らしながら破魔の歌を歌い始めた。
植物の蔓や犬型妖精の尾に締め上げられた悪霊たちが、メグの破魔の歌によって、淡雪のように消えていく。呪術人形は中に入っていた悪霊が抜けてくったりとしたところで、犬型妖精の尾が、麻布で出来た呪術人形の腹部を割いて、中から血の付いた布を引っ張り出した。
クークーと仔犬が鳴くような声に、エズメが返しているのが聞こえた。
「魔力の痕跡はなし。あらまあ、髪ではなく血の付いた布を中に詰めていたのね。……如何にも素人の浅知恵だわ」
「お助けください、聖騎士団の皆様!」
ブレアの叫び声や廊下の物音に気付いて自室のドアを開けたオリバー氏が、開いた隙間から部屋に入って来ようとする悪霊たち相手に抵抗しながら、屋敷中に響くような大声でそう叫んだ。
――なるほど、タレイアの予知の通りとなったわけじゃな。
女神がそう呟いた。
「それよりも、今回は何処が汚されているのでしょうか?」
メグがそう尋ねると、女神は答えた。
――ブレアの部屋の前にある、ゴムの木の鉢じゃ。屋敷を汚して回った犯人じゃが、此度は、あまり動き回れなかったのじゃろう。
「求婚者たちの部屋が集まっている区画が汚染されているのですね……」
メグは頭上を見上げた。浄化のためには、上の階に行かなければならないということだ。
「メグ、絶対に一人で行ってはいけませんよ。危険なのは悪霊ばかりではないのだから。それに、上にいるのは多少怖くて痛い目に遭うべき人たちですもの」
エズメの言葉に、メグは頷いた。優先すべきは、オリバー氏とアヴリル嬢の安全確保だ。
犬型妖精の魔法と、エズメが的確に振り下ろすタクティカルバトンが、あっと言う間に悪霊たちを制圧していく。間もなく、アヴリル嬢の部屋から出て来たリューも、短剣を鞘から抜いて加勢し始めた。
「リューはアヴリル嬢とオリバー氏の安全確保を優先なさい、歌うのはメグに任せて!」
「承知しました!」
リューの若者らしい凛々しい声。それを聞いて、メグは、何故か嬉しくなった。可愛らしい作り声ではなくて、いつもの声の方がやはり耳に馴染む。
「アヴリル嬢、お変わりありませんか?」
リューが本来メグに割り当てられていた部屋のドアに向かって声をかけると、中からアヴリル嬢がドアを少し開けた。
「私は平気よ」
「すぐに終わりますから、ドアを閉めていてくださいね」
リューはそう言うと、短剣を構えた。
「ロイド教授の仰る通り、短剣をガーターベルトに仕込んでおいて良かったです。火焔狐だけでは武器が足りないところでした」
彼が次々と現れる悪霊を相手に剣を振るう様子は、どう見ても舞踊にしか見えなかった。軽く結っただけの黒絹の髪がふわりとなびき、スカートの裾がはらりと翻る。それでいて、甘さも弱さも感じられない。
出来ればずっと見ていたいところだけれど、とメグは植物の蔓と犬型妖精の尾に次々と絡め取られていく悪霊たちに目を向けた。彼女は鈴を鳴らし、破魔の歌を歌い続けて、それらの悪霊たちを消滅させていった。
あらかた悪霊たちが数を減らしたところで、エズメが言った。
「メグ、そろそろ上に向かいましょう。先導するから付いて来て」
「はい!」
エズメが、上階から下りて来る悪霊たちを打ち払いながら階段を駆け上がった。その強さと速さは、メグの生母よりも十歳も上だとはとても思えない。
メグは歌いながら、その後を必死で付いて行った。こういうことがあるから、守護者は毎朝走りながら、或いは剣を振り回しながら歌う練習が欠かせないのだ。
上の階に辿り着くと、廊下の奥にゴムの木の鉢があった。
――あれが、そうじゃ。
女神にそう教えられたメグは、ゴムの木の鉢まで走った。
ゴムの木の大きな葉の裏や、鉢がべっとりと青く汚れていた。
――これはまた随分と酷いのう。下手人も焦っておるのじゃろうな。されど何ということもない。
メグは、ゴムの木に手をかざして汚れを洗い落とし、小声で浄化の歌を歌った。
それが済むと、エズメたちとあらかじめ決めておいた通り、大声で叫んだ。しかも、ロビンの拡声魔法を使った上で。
「どなたか、警察を呼んでくださいませ。ブレア・モローがとんでもないことを!」
それだけ叫ぶと、彼女とエズメは求婚者たちが寝間着姿で出て来る前に、速やかに下の階に下りた。
何故なら、二人とも慎み深い未婚女性なのだから。
下の階では、オリバー氏がリューに詰め寄っていた。
「一体何故、貴方が私の娘の部屋から出て来たのですか!」
「それは、アヴリル嬢の部屋に良からぬ者が忍んで来るとわかっていたからですよ」
リューの簡潔な答えは、オリバー氏の混乱を更に深めただけだった。
「何故、娘の身にそのようなことが起こるのです?」
「何故なら、アヴリル嬢がディナーの際に、ご自分の部屋の鍵をうっかりと落としてしまわれたからですよ」
クー・シーの尻尾は、ものすごく長いそうですね。




