4、ウィルキンソン邸とアヴリル嬢
メグとリューは、オリバー氏とは別に、聖騎士団の乗用自動車でウィルキンソン邸に赴くことになった。その少し前に、リューは本部の玄関でハワード卿と二人、小声で話をした後に何かを渡され、何故か不敵な笑みを浮かべた。
車に乗り込むと、リューはそれを身に付けた。それは蘭の香りのするペンダントで、彼はそのチャームの部分を摘んで、メグにも見せてくれた。
「軽い魅了効果を持つ香水の入ったペンダントです。ベッキー様の特製だとか。……私は今回、メグさんの護衛兼、囮ですから」
メグが首を傾げると、リューは俯きながら、こう言った。
求婚者は三人、アヴリル嬢は一人、アヴリル嬢と結婚出来るのも一人。そうなると、あぶれた求婚者がメグに目を付けないとも限らない。そうでなくても、打算や欲望に満ちた者なら、単なる資産家令嬢であるアヴリル嬢から、聖騎士団の一級守護者であるメグに乗り換えようと考える可能性もある。タレイアの予知によれば、途中で聖騎士団員であることを誤魔化せなくなるというのだ。
「それから、魔女が関わっているかもしれないので、タレイア殿でも、これ以上の予知は出来ないそうです」
以前、メグもタレイア本人から聞いていた。タレイアは魔女に関わることを予知しようとすると、一族が魔女に狩り尽くされたことを思い出し、体調を崩してしまうのだ、と。
「魔女については、魔女を狩り尽くすと決めている御方が対処なさるとのことでしたから、私たちはウィルキンソン邸の件に集中すれば良いそうですよ」
普段は温厚で、メグとリューにも慈父のように接してくれる猫型妖精の王オシアンだが、魔女には一切容赦しない。それは、長い歴史の中で多くの魔女が「愛の秘薬」と称する危険な薬物の材料として、魅了能力の高い猫型妖精を狩ってきたからだ。
「魔女が猫型妖精を狙うのは、『解けない愛の魔法』という売り言葉に釣られて、『愛の秘薬』を手に入れようとする人間が後を絶たないから……」
メグがそう呟くと、リューが肩を竦めた。
「オシアン公によれば、魅了とは本来、捕食者が獲物を捕らえるための能力で、強い魅了持ちの種族ほど、むしろ魅了が効かない相手を伴侶に選ぶことが多いそうですから、皮肉なものですよね」
メグは頷き、それから思いついたことを口にした。
「今回、もし魔女が絡んでいるとしたら、求婚者のうちの一人がアヴリル嬢に選ばれるために『愛の秘薬』を入手したということでしょうか?」
メグの言葉に、リューも頷いた。
「その可能性も考えられますね。これは、護衛としても囮としても腕の振るい甲斐がありそうです」
彼の好戦的な微笑みがとても妖艶に思えて、メグの心臓が大きく跳ねた。
* *
ウィルキンソン邸は、瀟洒な建物の多いその区画でも、最も美しい屋敷だった。周囲の屋敷に比べて装飾は少なく、シンプルに見える白い石造りの建物なのだが、壁には硝子を張った大きな出窓が規則的に並び、色とりどりの花の中に古代神殿の廃墟を模したフォリーを配置した大きな庭園もある。
しかし、ひとたび中に入ると、そこはまるで死体置き場だった。大きな窓を全て明け放していてもなお、澱んだ空気、日当たりは申し分ないはずなのに薄暗く感じられる屋内。そして、死の気配……。
――この家の玄関から先に入りたくない。
メグは、自分の中の女神が緊張しているのを感じた。彼女は死体置き場が苦手なのだ。そして、それはメグも同じだった。
「大丈夫?」
リューからさり気なく差し出された手を取り、メグはゆっくりと息を吐いた。メグよりも高い体温と案外と力強い手の感触が、心を落ち着けてくれる。彼女は悪霊に気付かれない程度に、自分とリューのそれぞれの身体の周りに薄く保護膜を張った。これなら気分が悪くなることはない。
「ありがとう、リュー」
女友達同士らしく、いつもよりもずっと気安い言葉遣いでそういうと、リューが茶目っ気のある笑顔を見せた。
「貴女にそう言って貰えて、嬉しいわ」
その、如何にも年頃の少女らしい声色と口調に、メグはふふっと笑った。
リビングに通されると、プラチナブロンドの若い女性がそこにいた。
「はじめまして、聖騎士団本部からいらした聖女様方。私がアヴリル・ウィルキンソンです」
彼女は一度立ち上がって挨拶をしたが、目が笑っていなかった。それ自体はさして珍しいことではない。家の中に他人が入って来ることに不安と不快感を覚える人間は多いものだから。
メグとリューはそれぞれ挨拶をした後、自分たちのことはそれぞれ「メグ」「リュー」と呼んでくれるようにと言った。全くの偽名では何かあった際の反応が遅れるからだ。
「私たちと貴女とは、読書会で知り合ったお友達ということでよろしいですね?」
「ええ、それが良さそうですわね」
アヴリル嬢が、手に持っていた本を撫でた。旧黒鷲帝国の詩人の作品集だ。
「私、この詩集の中の、妻を喪った老王のことを詠った詩が好きなの。貴女方はお読みになったことはあって?」
「北の果てにあるという、伝説の島の王の純愛を詠った詩ですよね。勿論、素晴らしい詩だと思います」
メグがそう答えると、アヴリル嬢が、まあまあね、と言いたげに眉を上げた。
……正直なところ、メグはその詩があまり好きではなかった。何しろ彼女の身近に、深く一途に愛し合う王とその妻がいるのだ。だからその詩を読むと、どうしてもその二人の面影がちらついて悲しくなってしまう。
リューの方は正直だった。
「私にはその詩人の作品よりも、故国の詩の方が好ましく思われますわ」
リューが帝国共通語で華夏の春の夜の美しさを称える詩を暗誦すると、花が香り、宴の音楽の余韻の残る夜の庭園が、瞬く間にその場に立ち現れた。
「素晴らしい訳ね……誰の訳なの?」
メグがそう尋ねると、リューがふふっと笑った。
「これまでの帝国共通語訳では満足出来なかったから、自分で訳してみたの」
アヴリル嬢も、リューの暗誦に聞き惚れていたのだろう。須臾の間、ぼうっとしていたが、またすぐに硬い表情に戻った。
「まあ、良いですわ。貴女方のお仕事は、この家で起こる怪異の原因を突き止めて、私たちが静かに暮らせるようにすることですもの。どうか、よろしくお願いしますね」
アヴリル嬢の前を辞した二人は、男性使用人に屋敷の中を案内して貰った。
何というか、彼女からは妙に敵意が感じられたな、とメグは思ったが、その理由は全く分からなかった。
それよりも先に、屋敷中に蔓延する濃厚な死の気配をどうにかしたかった。
「まずは、怪異の起こった絵画から拝見したいのですが」
メグがそう頼むと、男性使用人は恭しく二人を絵画の飾られている廊下に案内してくれた。
「アヴリルお嬢さんは、疑っておいでなのです。聖騎士団に相談しても何も解決しないのではないかと。しかし、私共には、聖女様方だけが頼りです」
男性使用人は、本気で怪異を恐れているようだった。
「このお屋敷には昔から、先代の旦那様と今の旦那様が収集された絵画や彫刻が多くございます。しかし、これまでは、怪しいことなぞございませんでした」
「ウィルキンソン氏からは、夜中に部屋の中が荒らされたり、いないはずの子どもの声が聞こえたり、絵の中の人物が増えたりすると伺っていますが、もしや他にも?」
メグが尋ねると、男性使用人は言いにくそうに答えた。
「……その、昨夜は、美の女神の像が……、動いて話しかけてきたのです」
「淑やかさや慎ましさとは、対極にある態度で、かしら?」
リューが男性使用人にそう訊くと、彼はぎょっとした顔をしながらも頷いた。
作中、アヴリル嬢が好きだと言っていた詩はゲーテの『昔トゥーレに王ありき』、リューが帝国共通語に訳した詩は蘇軾の『春夜』をイメージしています。
猫型妖精の強さは個体差が大きいので、弱い個体はどうしても魔女に狙われ易いのです。人間界に出て来るのは上位10%の強者だと思って頂ければ、と思います。




