3、藤の花の揺れる、その下で
せっかくの食事会に気を滅入らせるものではない。そう考えたメグは、近頃何か面白い話を聞いていないかとリューに尋ねた。
リューは軽く頬を染め、しばし考え込んだが、すぐに顔を上げて微笑んだ。
「昨日、技術開発部医療班のオルグレン氏から、血液に関する興味深い話を伺いました。つい二十年ほど前に解ったことなのだそうですが……」
リューの話を聞いているうちに、メグは気持ちが浮き立ってきた。彼女も最新の科学についての話題が大好きなのだ。
メグが気になった点を質問し、それに対してリューが答える。二人はそのうち血液繋がりで、古代華夏で行われていた「滴血」(二人の人間が一つの皿に互いの血を注ぐことで、肉親か否かを判別する方法)の話を始めた。彼らはすっかり会話に夢中になっていたのだが、不意に周りの人々が微笑ましげに自分たちを見ているのに気付き、口を噤んだ。
ヒルダが慌てたように言った。
「……いや、二人とも、すごく難しい話で盛り上がっているな、と思ってさ」
「メグもリューも、読書や博物館巡りが好きだものね。二人とも何でも知っているから、いつもすごいと思うわ」
モリーが必死な様子で言い繕った。
「せっかくお代わりしたアイスクリームのブラックカラントソースが、段々と人間の血液に見えてきて、ちょっと困ったけれどね」
ベッキーがそう言って肩を竦めたのは、その場の雰囲気を変えたかったのに違いない。
「あら、私は全く気になりませんでしたけれどね」
エズメがそう言うと、ヒルダが顔を顰めた。
「エズメはそういうの全く平気だもんな。昔、グリードル屋敷でケルピーの幼体にとどめを刺しながら、『フィッシュ・アンド・チップスが食べたい』とか言ってたし」
そこから年長者たちは、彼らが旧大陸にいた頃のことを話し始めた。こちらはこちらで話をしているから、そちらも若い人同士でどうぞご自由に、と。
メグは紅茶を手に、藤の花が揺れるのをぼんやりと眺めた。
リューと話している間はとても楽しかった。それなのに周囲の目に気付いた途端、急に恥ずかしくなってしまったのは何故だろう。近頃、ずっとこの調子なのだ。気持ちが揺ら揺らとして、全く落ち着かない。
「……まるで藤の花にでも、なってしまったみたい」
そんなメグに気付いたモリーが、そっと囁いた。
「後でゆっくり、話を聞かせてね」
向かいの席では、リューがシェーンとハワード卿からほぼ同じことを言われていたのだが、その時のメグには気に留める余裕もなかった。
* *
「私たちとロイド教授の三人での任務、ですか?」
リューが信じられない、という顔で聞き返した。
週明けにハワード卿がメグとリューに課した任務は、アーケイディア西部の屋敷で起こる怪異の原因を究明した上で解決することだった。
しかし、その屋敷に入れる聖騎士関係者はメグとリュー、そして現役の団員ではないエズメ・ロイド教授だけだという。
「屋敷の主は、先週メグが赴いた美術館の館長、オリバー・ウィルキンソン氏だ。彼には間もなく二十歳になる娘がいて、今度の週末が誕生日であることから、求婚者たちが全員集まることになっているという」
それは怪異抜きでも何か不吉なことが起きそうだと思ったが、メグは黙って話の続きを聞いた。
「しかし先々週辺りから、屋敷で奇妙なことが起こるようになり、今では一日に数回は何かが起こるのだそうだ。求婚者たちが集まっている時に怪異が起これば、娘の結婚に差し支えるのではないかとオリバー氏は危惧している。屋敷の中に聖騎士団員がいることも、なるべく客人たちには伏せたいようだ」
「どのような怪異が起こるのでしょうか?」
リューの問いにハワード卿が答えた。
「夜間にリビングが荒らされ、家族と使用人二人の他には誰もいない夕食時に知らない子どものはしゃぐ声が響き、廊下に飾られた静物画や風景画の中に、いつの間にか、本来は描かれていないはずの人物が描かれているとのことだ」
「それは、ポルターガイストや『額縁の中の悪魔』の類でしょうか?」
美術館の館長ともあろう人間が、「額縁の中の悪魔」に対する警戒を怠るとは思えないのに、とメグは首を傾げた。
「その可能性は高いと思うが、現場を見ない内から決めつけるのは危険だ。特にメグ。君は知識こそ豊富だが、実戦の経験が少ない。今回の任務は経験を積む絶好の機会になると思う」
さっそく翌日から、リューとメグはオリバー氏の娘であるアヴリル嬢の友人、エズメはオリバー氏の友人、ということで館長の屋敷に滞在することになった。
その夜。寮にある自室のベッドに腰掛けて髪を梳いていたメグは、ふと、いつかのリューとのやり取りを思い出した。
その日、リューの髪を纏めていた結い紐が切れてしまった。そこでメグが彼の髪を直そうとしたのだが、リューはひどく狼狽した様子でそれを拒否した。それは幼い子ども相手か、深い関係にある男女の間でしか許されないことだから、と。
――貴女が私とそういう関係を結びたいなどと思うはずがないことは分かっています。きっと貴女は、弟か……妹でしょうか、幼い相手にそうするような気持ちで仰ったのでしょう。しかし、それは私にとっては大いに屈辱的なことです。これでも私は、貴女と同い年の男ですから。
メグはその時、しまったと思った。リューが普段から、少女に間違われることや、年齢よりも幼く見られがちなことをどれほど不満に思っているか、解っていたはずなのに、と。
それと同時に、少し後ろめたくもあった。リューの髪を直そうとしたのは親切心からで間違いないのだが、実はほんの少しだけ、彼の黒絹のような髪に触れてみたいという思いもあったからだ。それに密かに思い上がってもいた。髪に触れてもきっとリューは許してくれるはずだと。だからあの日、慢心を針で突かれた気がした。
(幾ら綺麗でも、リュー君は女の子ではないのだもの。馴れ馴れしく触れられたくはないよね)
思えばその日からのような気がするのだ、気持ちが落ち着かないのは。
ベッドの中に入ってからも、メグは考え続けた。
リューは人形のように整い過ぎた顔をしているので一見冷たい感じがする。ところが、彼がひとたび微笑めば、とても可愛らしくて懐っこい印象に変わるのだ。それに彼もメグと同じように好奇心旺盛だからか、ぴったりと話が合って、笑いどころも同じなので、一緒にいるととても楽しい。
(……それなのに、時々――)
何かを掴みかけたような気がしたのに、メグはそのまま眠りの中に落ちてしまった。
ベッド脇に置いた藤の花の、甘い香りのせいだろうか。その夜、メグは春風に揺れる藤の花の下にいる夢を見た。
* *
翌日。メグは友人宅を訪問するのに相応しい藤色の服を選び、背の半ばまで伸びた髪をハーフアップにして、モリーからお土産に貰ったリボンを結んでみた。鏡の中の自分がいつもより可愛らしくなったように思えて、彼女はくすりと笑った。
聖騎士団本部に着いたメグは、リューが少女の恰好をしていたので驚いた。
不貞腐れ気味のリューに向かい、オリバー・ウィルキンソン氏が頭を下げていた。
「申し訳ありません、娘の求婚者たちを下手に刺激したくないものですから」
リューは鼻を鳴らした。
「知りませんからね、お嬢さんに求婚するために来る方々が、私に一目惚れしても」
不機嫌にそう言い放つ姿さえ愛らしい。
やがて彼はメグに気付いて目を輝かせたが、すぐ頬を染めて俯いた。その姿が、海棠の花のようで――。
「リュー君、とても綺麗です」
メグが感嘆すると、リューは顔を上げ、微笑みながら首を振った。
「メグさんの方が、もっとずっと綺麗ですよ」




