11、証拠は語る
途中、貝母を口に押し込む場面がありますが、現実世界の貝母は医師や薬剤師でなければ扱えない生薬です。絶対に真似をしないでください。
エイブラハム氏は、喚きながら近くの病院に運ばれていった。運んで行ったのは、午前中にメグとリューを美の女神像の元に案内してくれた男性使用人と、もう一人の使用人だった。
「彼の心配など、するだけ無駄ですよ、ウィルキンソンさん。あれだけ悪態がつけるなら大したことはないでしょうから」
エズメが涼しい顔でそう言った。
その時ちょうど、リューが呪術人形を壁に縫い留め、人形を動かしていた悪霊を祓った。彼は剣を抜くと、呪術人形の腹部を割いて血の付いた布を取り出し、やはり術者の魔力の痕跡は残っていないと告げた。
「いや、実に恐ろしい出来事でしたね」
ボニファス氏がオリバー氏の肩に手を置いた。
「しかし、私だけは貴方とアヴリル嬢を見捨てはしませんよ」
「ありがとう、ボニファス。娘を任せられるのは君だけだ」
それは大きな間違いだ、とメグは思った。そこで、前に出て口を開こうとしたのだが。
「メグさん。お話したいことがあるなら、私が代わりに彼らに話しますから、お話したいことを小さな声で教えてくださいね」
リューがメグの隣りに来て、そう囁いた。彼はメグの代わりに矢面に立つつもりなのだ。
メグは少し躊躇ったが、エズメが温かな声で耳打ちした。
――彼に任務を全うさせておあげなさいな。
そこで、メグが自分の考えをリューに伝え、リューが代わってそれを話すことになった。
よく通る声でリューが説明した。
「このお屋敷に怪異が起こった原因のほとんどは、額縁や壁、彫像に付着していた青い顔料による汚れでした。その顔料はブルーオーカーといいます。ブルーオーカーは二百年ほど前までは最も安価な青い顔料としてよく使われていましたが、大きな欠陥が二つありました」
一つは、日光によって黄褐色に変色すること。もう一つは、原料が生き物の死体に含まれるリンと鉄の反応によって形成される藍鉄鉱という鉱物であるため、悪霊を呼び寄せやすいことだった。故に、現在では呪術に用いられることはあっても、絵画に用いられることは、ほとんどない。
「さて、問題なのは、誰がこの屋敷の中を執拗にブルーオーカーで汚したのかということです。まず、この家の住人とは考えられません。呼び寄せられた悪霊は全く制御されておらず、危険な状態でした。リビングは悪霊によって荒らされ、フレイヤ像に取り憑いた悪霊がこちらの男性使用人を誘惑して捕食しようとしたくらいです。自分たちの生活の場を危険な場所に変えようと幾度も試みるはずがない」
リューはメグの考えを自分の見解で補足しながら、説明を続けた。
「次にエイブラハム氏。彼にも、この屋敷の壁や美術品を汚して悪霊を集める利点は何もありません。そのようなことをすれば、この屋敷に関する全てに悪評が付きまとうでしょうから」
銀行の副頭取ともあろう人間が、将来自分が所有するかもしれない屋敷や美術品といった財産の価値を下げるような真似をするはずがない。
「そういう訳ですから、ブレア・モローかボニファスさんのどちらかが犯人ということになりますが――」
ここでパットが隣りのブレア・モローの部屋に行き、再び戻って来た。
「あの画家気取りの男の荷物を改めて来たよ。衣類とハンカチ、香水と歯ブラシ、それから既製品の高価な油絵の具と筆、油とパレットと小さなキャンバス、それから鉛筆とスケッチブック、イーゼルだけだった」
勝手にそのようなことをして良いのか、とメグは思ったが、エズメはふふっと笑うばかり。もしかすると、先程の銀髪の彼との間に既に取り引きが成立しているのかもしれなかった。
「あの男は昼間、絵画は色彩よりもスケッチこそが重要だと言っていましたもの。自分で絵の具を調合するために顔料を持ち歩くことなど、なかったでしょうね」
エズメの言葉に、パットも付け加えた。
「それに、アヴリル嬢の部屋に忍びこもうとした奴に、わざわざ悪霊を呼び出して廊下を大戦争にする必要なんてなかっただろう。ああいうことは、皆が寝静まっている間にやることだものね」
「一方、美術商であり、画材商でもある貴方なら、当然ブルーオーカーのこともご存じでしょうし、実際に手にする機会もあったことでしょう。それに、他の求婚者と違い、貴方にはこの屋敷とアヴリル嬢の価値を下げる動機があります。何故なら、地位と財産という点で、貴方は三人の求婚者の中では最も不利な立場でしたから」
ボニファスは冷笑した。
「憶測だ。証拠などないだろう?」
リューが首を振った。
「その手の包帯ですが、爪の間に顔料が入り込んで、取れなくなったのを隠しているのではありませんか。もしそうなら、今すぐに浄めた方が良いですよ。現在、この屋敷は他の場所よりもずっと悪霊が寄って来やすいのです。このまま放置すると、貴方の手にも厄介なモノが取り憑きかねませんから」
ボニファス氏が左手を見た。包帯の下で、明らかに何かが身じろぎし、そして嗄れた呻き声を上げた。
「こちらにお見せなさい、手遅れにならないうちに」
エズメがそう言ったが、ボニファス氏は呆然としていて、返事もしなかった。
――こいつがやったんだよ、こいつが呼んだんだよ。
包帯の下から、くぐもった声がした。
――ジャケットの裏の左のポケットに顔料が入っているんだよ。見てみなよ。動かぬ証拠だよ。
硬直しているボニファス氏の左手を取ったリューは、強引に包帯をむしり取った。その手の甲には、人間の顔に似た腫瘍が出来ていた。目の部分はまだ開いていなかったが、鼻は息が通い、口はケラケラと笑い声を上げていた。
「人面瘡ですね。放っておけば、早くても明日、遅くとも数日以内には貴方の身体を乗っ取ることでしょう」
リューの言葉を聞いて、人面瘡が嘲笑った。
――俺が乗っ取ってやった方がこいつのためじゃないのか。たかが一枚の絵のために、愛してもいない女に求婚し、女の家に悪霊を呼び込んだ男だぞ。
リューは人面瘡を見据えた。
「そうはさせない。『罪を悔い改めし者よ、汝は我らの友。罪を悔い改めぬ者よ、汝の肉は犬型妖精の食、汝の魂は猫型妖精の糧』どのみち、お前如き悪霊の出る幕ではない」
彼はそう言うと、エズメの方を見た。
「ロイド教授、貝母(アミガサユリを生薬に加工したもの)はお持ちですか?」
「ええ、勿論あるわよ」
突然、ボニファスがリューに向かって拳を振り上げた。
しかし彼は的確にボニファスの鳩尾を拳で突き、そのまま床に押さえつけた。
「ボニファスさん、人面瘡に乗っ取られないように心を強く持っていてくださいね」
そう言いつつエズメが何やら包みを取り出し、人面瘡の口に押し込んだ。
人面瘡は醜い顔に苦悶の表情を浮かべ、口から血を吐いてすぐに消えた。
オリバー氏が尋ねた。
「どうして、あのような危険な真似をしたんだ」
生気の抜けた顔で、ボニファス氏が答えた。
「……オデット・レイクの絵。他の絵にはない鮮烈な赤。……どうしても、あの絵が欲しかった」
「説明しただろう。あれは危険な絵だ、赤い顔料の毒性が強過ぎて専門機関でなければ管理出来ないと」
メグも言い添えた。
「間違いありません。あの絵を鑑定したのは、聖騎士団でも優秀な鑑定士たちですから」
「現に、あの絵に深く関わった者は、この数年以内に全員亡くなっている。だから所有者の遺族は君には売らず、あの絵を私の美術館に寄贈することを決めたのだよ」
オリバー氏の言葉を聞いたボニファス氏は、狂ったように泣き叫んだ。
「……これで全て解決ですね」
気を抜いたオリバー氏に向かい、メグは首を振った。
「いいえ。まだです」
という訳で、エピソードタイトルに嘘はないはずです。




