表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大臣の娘は「物語」だけを武器に、千の夜を生き延びてみせる――娘を殺し続ける狂王の心を、少女の声が溶かしていく砂漠の千夜一夜  作者: 宵先誠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/9

第七夜:石になった王と、魚になった民の話

今夜は、老漁師ハリームが四色の魚を携え、王宮へ向かうお話です。


見たことのない四匹の魚が運んできたのは、褒美だけではありませんでした。


壁の中から現れる黒衣の女。


魚たちが繰り返す、不思議な約束。


そして、山の奥に浮かぶ一つの灯り。


王とハリームは、魚たちに隠された秘密を追い、静かな湖へ向かいます。


それでは、第七夜をお楽しみください。


夜が来た


今夜も砂漠の空は星で満ちていた


シャハラザードはドゥニヤザードと並んで、王の寝所へ通された


灯籠に火が灯り、お香の煙が細く天井へ昇っていく


篝火が壁を静かに照らしていた


やがて王が姿を現す


いつものように寝台の端へ腰を下ろす


その動きは変わらない


けれど、その目だけが少し違っていた


シャハラザードへ向けられる時間が、昨夜よりほんの少し長くなっていた


「お姉様」


ドゥニヤザードが嬉しそうに身を乗り出す


「昨日のお話の続きを聞かせてください」


「もちろん」


シャハラザードは妹へ微笑み、それから王へ静かに頭を下げた


「王様も、どうぞお聞きください」


王は答えない


だが、席を立つこともしなかった


シャハラザードは静かに息を吸う


「では、お話しいたします」


炎が小さく揺れた


---


老漁師ハリームは、夜明けとともに王都へ着いた


高い城壁の前では、兵士たちが忙しく行き交っている


市場とは違う空気だった


声は少ない


代わりに、鎧の鳴る音だけが朝の冷えた空気を震わせていた


「漁師ハリームにございます」


門番へ名を告げると、兵士はすぐに頷いた


「待っていた。こちらへ」


魚籠には、朝の海で獲れた四色の魚






四匹とも、不思議なほど静かだった


壺を抱え直すと、中から小さな声がした


「ここが王宮か」


「ええ」


「人が多い」


「町とは違う賑わいです」


魔神はしばらく黙り、それからぽつりと漏らした


「……息が詰まりそうだな」


ハリームは少しだけ笑う


「わたしも同じですよ」


兵士に案内され、石畳の廊下を歩いていく


やがて、大きな扉の前で足が止まった


「王がお待ちだ」


兵士が静かに扉を開く


ハリームは魚籠を抱え直し、大広間へ足を踏み入れた


そこで初めて、この国の王と顔を合わせることになる


---


大広間へ通されると、ハリームは玉座の前で膝をついた


高い天井を支える石柱が、左右へ長く並んでいる


玉座には王がいた


白い髭を胸まで垂らし、黙って漁師を見下ろしている


しばらく誰も口を開かなかった


やがて王が言った


「そなたが漁師か」


「ハリームにございます」


「顔を上げよ」


ハリームは頭を上げた


王の視線は、背負ってきた魚籠へ移る


「魚を見せよ」


「はい」


魚籠の蓋を開ける


四匹の魚が姿を現した


朝の光を受けて、鱗が静かに光る


家臣の一人が息をのんだ


別の者は思わず一歩前へ出る


誰も魚から目を離さない


王はゆっくり身を乗り出した


「……このような魚は見たことがない」


誰へ言うでもない独り言だった


料理長が呼ばれた


年老いた男は魚を一匹ずつ見回し、何度も首を傾げる


「陛下」


「申せ」


「私も初めて見る魚でございます」


王は短く頷いた


「焼いてみよ」


「はっ」


料理長は魚籠を抱え、厨房へ向かっていった


魚が運ばれるのを見届けると、王は再びハリームを見る


「どこで獲った」


「王都より南の浜でございます」


「毎日あの海へ出るのか」


「はい」


「これまでにも獲れたことは」


「ございません」


王は指先で肘掛けを二度叩いた


「そなた一人で獲ったのだな」


「はい」


「よい」


王はそれだけ言うと、近くの家臣へ目を向けた


「この漁師は城へ留めておけ」


「御意」


ハリームは深く頭を下げた


その時だった


廊下の向こうから足音が響く


一人の兵が、息を切らして大広間へ駆け込んできた


「陛下!」


膝をつく間もなく叫ぶ


「厨房で……妙なことが起こりました!」


広間にいた者たちが、一斉に兵へ振り向いた


王は静かに立ち上がる


「案内せよ」


兵は大きく頷き、厨房へ駆け出した


王も、そのあとに続いた


ハリームは壺を抱え直し、黙ってその背を追った


---


王は料理長を連れて厨房へ入った


ハリームも、その後ろから続く


銅の鍋には油が熱せられ、四色の魚が並べられていた


料理長は魚の焼け具合を見て、小さく頷く


「頃合いでございます。」


長い箸を鍋へ伸ばした


その刹那


ごう、と低い音が響いた


音は壁の奥から聞こえてくる


石壁の中央に細い筋が走った


筋はゆっくり左右へ開いていく


石が砕ける音はしない


静かなまま、壁だけが割れた


裂け目の向こうは暗かった


その闇から、一人の女が姿を現す


黒い衣をまとい、長い黒髪を背に流している


白い肌だけが灯火を受けていた


女はまっすぐ鍋の前まで歩く


手には細い杖があった


女は鍋を見下ろし、静かに言う


「魚たちよ。」


少し間を置く


「魚たちよ。」


杖の先が鍋を指した


「約束を、覚えているか。」


鍋の中の魚が身を震わせる


四匹が揃って頭を持ち上げた


そして声をそろえた


「覚えております。」


「あなたがお忘れにならぬ限り。」


「わたくしたちも忘れません。」


女は何も言わない


杖を持ち上げる


鍋をひとつ打った


鍋が返る


四色の魚は火の中へ落ちた


炎が高く立つ


女は来た時と同じように踵を返した


壁の裂け目へ歩いていく


その姿が闇へ消えると、壁も元の石壁へ戻っていた


料理長が鍋を起こす


魚は四匹とも黒く焼け焦げていた


王はしばらく鍋を見つめたまま動かなかった


やがて静かに言う


「もう一度だ。」


王は料理長から目を離さなかった


「同じ魚を、もう一度焼いてみよ。」


料理長は戸惑ったように顔を上げる


「陛下……魚は、もうございません。」


王はゆっくりとハリームを見た


「漁師。」


「はい。」


「同じ魚を、もう一度獲ってまいれ。」


「承知いたしました。」


「獲れぬなら、それでもよい。」


王は短く言った


「だが、もう一度この目で確かめたい。」


ハリームは深く頭を下げた


「では、明日の朝、海へ出ます。」


王は小さく頷いた


「褒美を取らせよ。」


家臣が革袋を運んでくる


中には金貨が入っていた


ハリームは両手で受け取り、静かに頭を下げる


「ありがたく頂戴いたします。」


王は、それきり口を閉ざした。


ハリームは深く一礼し、魚籠を背負い直して大広間を辞した。


城門を出るころには、西日が城壁を赤く染めていた。


帰り道は、朝よりも静かだった


しばらく歩くと、壺の中から声がした


「漁師。」


「はい。」


「明日も海へ出るのか。」


「出ます。」


「同じ魚がいると思うのか。」


「分かりません。」


ハリームは歩きながら答えた


「海は、こちらの思うようにはなりませんから。」


「それでも行く。」


「ええ。」


魔神は少し黙った


「変わらんな。」


「変わらないこともあります。」


それだけ言って、ハリームは歩き続けた


翌朝


まだ陽も昇りきらないうちに、ハリームは浜へ立った


壺を砂の上へ置く


網を肩から下ろす


「今日も四度です。」


「好きにしろ。」


魔神の声が返る


ハリームは笑って網を振った


一度目


砂だけだった


二度目


小さな貝がいくつか入る


三度目


綱を引く手が重くなった


「これは……。」


ゆっくりと網をたぐり寄せる


水面が揺れた


朝日に照らされ、四色の光が浮かび上がる


昨日と同じ魚だった


ハリームは思わず息を吐く


「また、お会いしましたね。」


四匹は静かに網の中に横たわっていた


壺の中から魔神が低く言う


「やはり妙だ。」


「ええ。」


ハリームは頷いた


「海は広いものですね。」


四匹を魚籠へ移す


四度目の網は空だった


ハリームは網を畳み、海へ向かって一礼する


「今日も、ありがとうございました。」


それから魚籠を背負い、壺を抱えて王都への道を歩き始めた


---


その日のうちに、ハリームは再び王宮へ呼ばれた。


王は玉座ではなく、大広間の中央に立って待っていた


「持ってきたか。」


「はい。」


魚籠を開く


四色の魚が静かに並んでいた


王は頷く


「料理長。」


「はっ。」


「焼け。」


料理長は魚籠を抱え、厨房へ向かった。


王も歩き出す


誰一人として、その場に残ろうとはしなかった


料理長は鍋へ油を引き、四色の魚を並べる


火が入る


しばらくして、箸を手に取った


その時だった


低い音が響く


石壁が静かに裂けた


昨日と同じように、黒い衣の女が姿を現す


女は鍋の前まで歩く


杖を魚へ向けた


「魚たちよ。」


少し間を置く


「約束を覚えているか。」


四匹が頭を上げる


「覚えております。」


「あなたがお忘れにならぬ限り。」


「わたくしたちも忘れません。」


女は杖で鍋を打つ


鍋が返る


魚は火の中へ落ちた


炎が立ち上る


女は来た時と同じように壁の奥へ消える


裂け目も、静かに閉じた


料理長は鍋を起こす


魚は四匹とも黒く焦げていた


王は何も言わない


焦げた魚を見つめたまま立っていた


やがて、ハリームへ向き直る


「漁師。」


「はい。」


「この魚を獲った場所まで案内せよ。」


「承知いたしました。」


「いつ出られる。」


「夜明けには。」


王は家臣を見る


「供を選べ。」


家臣たちは頭を下げた


「明朝、出立する。」


その一言で話は終わった


ハリームも深く一礼する


壺を抱え、静かに大広間をあとにした


翌朝


空が白み始めるころ、一行は王都を発った


王が先に立つ


その後ろに家臣と兵たちが続く


ハリームは壺を抱え、列の後ろを歩いた


城門を出ると、石畳はやがて土の道へ変わる


朝露に濡れた草が、馬の足もとをかすめていった


日は高くなり、一行は山道へ入る


道は細く、ところどころ岩がむき出しになっていた


馬を降りて歩く場所もある


誰も無駄口をきかなかった


谷を越える


水の流れる音だけが耳に残る


さらに歩く


山を一つ越えると、景色が変わった


木々が深くなり、昼なお薄暗い


風が枝を鳴らす


兵の一人が足を止めた


「陛下。」


王も立ち止まる


兵は前を指さした


木立の向こうが明るい


一行は再び歩き出す


森を抜けると、視界がひらけた


そこに湖があった


山々に囲まれた、静かな湖だった


風はない


水は鏡のように空を映している


王は岸辺まで歩いた


水の中を見下ろす


魚がいた


四色の魚が、水の底をゆっくりと巡っている


王は長く湖を眺めていた


やがて、小さく言う


「……ここか。」


その日は湖のほとりで休むことになった


兵たちは天幕を張り、火を起こす


日は沈み、山の稜線に月がのぼった


夜が更けた。


見張りの兵の足音だけが、ときおり静けさを破る。


王は天幕の外へ出た。


湖は月を映していた。


王は岸辺を歩く。


しばらくすると、山の中腹に小さな灯が見えた。


人の住むような場所ではない。


それでも灯は消えず、闇の中に浮かんでいる。


王はしばらく、その灯を見つめていた。


やがて天幕へ戻る。


「起きよ」


静かな声だった。


控えていた近衛兵がすぐに身を起こす。


「陛下」


「山に灯が見える」


兵は灯の方へ目を向け、小さく息をのんだ。


「夜明けを待つ」


王は短く言った。


「護衛を選べ。漁師も連れて行く」


「はっ」


兵は深く頭を下げた。


ハリームも物音に気づいて外へ出てくる。


腕には、いつもの銅の壺が抱えられていた。


「陛下、何かございましたか」


王は山の灯を指さした。


「あそこへ行く」


ハリームは灯を見つめた。


壺の中から、小さく声がする。


「……嫌な気配がする」


ハリームは壺を抱き直した。


「魔神様でも、そう思われますか」


「ああ。古い魔法の匂いだ」


夜風だけが、湖を渡った。


誰も、それ以上は口を開かなかった。


夜明けを待って、一行は山へ向かう。


---


シャハラザードは、そこで口を閉じた。


寝所に静寂が戻る。


篝火の中で、薪が小さく弾けた。


「お姉様」


ドゥニヤザードが、待ちきれないように口を開く。


「王様たちは、あの灯りまで行くの?」


「ええ」


シャハラザードは静かに頷いた


「その目で確かめずには、いられなかったのでしょう。」


「その先には、何があるの?」


「それは、まだ話していないわ。」


妹は少しだけ口を尖らせた


「明日?」


「明日の夜に。」


その時だった


王が低く言う


「……続きを話せ。」


シャハラザードは深く頭を下げた


「王が湖へ着き、そこで何を見たのか。続きは、次の夜にお話しいたします。」


長い沈黙が流れた。


やがて王は、小さく頷く。


「……よかろう。」


夜明けが近づいていた。


王は立ち上がった。


奥の間へ向かい、扉の前で足を止める。


振り返ることはなかった。


それでも、しばらくその場を動かなかった。


東の空が、わずかに白み始めていた。


その夜もまた、一つの物語が終わった。


---


第八夜へ続く


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


今回は、四色の魚をきっかけに、物語の舞台が王宮から山奥の湖へと広がっていきました。


少しでも面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価をしていただけると、今後の執筆の励みになります。


第八夜もお楽しみいただけましたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ