#25
――夢を見た。
顔のない女神が僕を誘い、誘いに応じた僕は異世界を救うために自分の世界を破滅させる。
あの女神は一体誰なんだろう。
とても懐かしく、大事な人のように思えるのに、顔も名前も思い出せない――。
「――ト?ユート?」
「……ん……メリーアン?どうしたんだい?」
「そりゃこっちの台詞だよ。アンタ、寝ながら泣いてたよ?」
「僕が?」
メリーアンに揺り起こされた僕は、自分の顔に手をやった。確かに……涙が流れていた形跡がある。けど、どうして?
何か夢を見たような気もするけど、何も思い出せない。思い出せないのに……何故か、心の奥底が痛む気がする。
「別に痛いところとか無いならいいけどね。それよりアタシ達2人とも熟睡してたみたいだよ。もうすっかり陽が落ちちまってる」
「……そうか、じゃあ僕はマナバンクへ行かないと」
「アタシも一緒に行こうか?もう身体もマシになったし、アタシはアンタの護衛だし」
「大丈夫だよ。それにましになっただけで体調はまだ完全じゃないんだろ?この部屋は明日まで使えるから、メリーアンはここで休んでおいたらいいさ」
「独り寝は寂しいんだけどねぇ……」
そう軽口を叩きながらもメリーアンは自分のベッドに戻る。やはりまだ毒によるダメージは抜けきっていないのだろう。そんな状態ならポーションを飲めば良いのに。
……いや、メリーアンが拒絶しているのが志織のポーションなら、ナンサイバで売っているシーカー向けの治癒ポーションを買ってくればいいのか。
僕は自分がそんな簡単な事に気付かなかったことに苦笑しながら、もう一眠りするというメリーアンを部屋に残して宿を後にした。
さすがに3夜目ともなると極彩色のネオンで彩られたナンサイバの街にも違和感を感じないようになった。短期間でこうも慣れるということは、おそらくここで暮らしている人達にとってはこの派手な光の氾濫も日常の光景でしかないのだろう。
そんな事を考えながら街外れのマナバンクへ向かっていた僕は、通りに薬瓶を形取ったネオンを掲げている店があることに気が付いた。
「看板と違って遠くからでも視認できるのはメリット、か」
ついそんな事を呟きながら、メリーアンの事を思い出した僕は薬師の店へと足を踏み入れる。対応に出たのは薬師とおぼしき若い男性店主だったけど、やはり派手好きなナンサイバらしく彼の服装もどうみても成金趣味で、街の薬屋という風体ではなかった。
そんな彼にシーカー向けの回復アイテムは無いかと問うと、いくつかの品を紹介された。
「薬草は未処理のものが金貨5枚で乾燥させたものは金貨9枚、軟膏は金貨25枚でポーションは金貨100枚から、か……」
価格設定も消耗品の価格が高止まりしているナンサイバらしいもので、僕の知るグレイランスのレートの100倍近い価格であるように思えた。おそらくポーション類やその材料となる薬草は大迷宮からドロップしないのだろう。
僕はため息をつくと中級と表示されていたポーション――価格は金貨260枚だった――と軟膏を1つずつ買い求めた。奇しくもそのポーションの値段は僕がナンサイバを訪れた初日に出会ったシーカーから11個の未鑑定マジックリングを買いとった値段と同じだった。
つまりこの価格は大迷宮で戦い負傷したシーカーはその稼ぎの大半をポーションや結晶といった消耗品の補充に充てることになるということを示している。そんな自転車操業の様相はまさにサキが言っていたラットレースであり、彼女からすれば自らを危険に晒してラットレースに参加しているシーカー達は侮蔑の対象でしかないのだろう。
「……あれ?今日は休業日なのか……?」
そんな事を考えながらたどり着いたマナバンクは何故かネオンサインが点灯しておらず、周囲にはマナの買い取りを希望する人の姿も、周辺警備に当たっている傭兵シーカーの姿も見当たらなかった。
たしか昨夜、サキに今日も訪問すると言ったときには休業ともなんとも言っていなかった気がするけど……?
マナバンクの入口に掲げられたプレートには臨時休業の文字。街のインフラを担う店が臨時休業すれば普通は混乱を巻き起こしそうなものだけど、周囲に困惑した人々の姿が見えないところから察するに、臨時休業は良くあることなのかもしれない。まぁあのサキの事だ。毎日勤勉に定時営業していると考える方が不自然だろうしね。
しかしサキに用事がある僕はこのまま諦めて帰る訳にもいかない。ここが彼女の住居を兼ねているなら、サキは中にいるかもしれない。そう考えながら、ダメ元でマナバンクの扉に手を掛ける。
「……開いてる?」
マナバンクの扉には鍵が掛かっていなかった。これはどういった状況だろう……?
僕は念のためメリーアンと別れてからも「警戒」の魔法は発動させたままにしているけど、警戒の魔法には何も反応がない。
けどこの魔法は一種のパッシブセンサー的なものだから、僕に注意を払っていたり、敵意を持っていたりする相手以外を感知することはできない。つまり、現在マナバンクの中に「僕に注意を払っている人間」はいないことは確実だけど、それはがすなわち無人ということを意味する訳ではない。
僕が使うことが出来る他の探知系魔法だと「人物探索」と言うのもあるけど、こちらは対象となる人物の事を良く知っている必要がある。例えば一昨日から行動を共にしているメリーアンであれば「人物探索」で居場所を探すことは出来るけど、関係性の薄いイコックやサキのような相手はこの魔法で見つけることは難しく、また見知らぬ相手はそもそも探索のしようもない。
「なら、『生命感知』、か」
「生命感知」はその名の通り範囲内にいる生命あるものを全て探知する魔法で、生命力の大小によってそれがネズミなんかの小動物か、それとも人間か、あるいは巨大な魔物か……という程度の区別を付けることが出来る。
ただ、もちろんその反応が敵対的か友好的かを知ることは出来ないので、あくまでもこの建物に人がいるかどうかの確認にしか使えないけど――。
「……11、いや12人?ずいぶんと多いな……」
僕の使った「生命感知」の魔法は、3階建ての建物の中には12個の人間とおぼしき反応を発見した。全員が1階にいるようだけど、そのうちの一つがサキである事は間違いないとして、残り11人は……護衛の傭兵シーカーだろうか?
反応があった場所は昨日僕がサキと対面したマナバンクのオフィスを中心に比較的広範囲に展開している。何者かの侵入を警戒しているように思えなくもないけど、もしそうだとしたら扉の鍵が開いていることと整合性がとれない……。
これはきな臭いことになったと思いながら、僕はマナバンクの扉を押し開く。
マントの下に隠した精霊銃は未明の戦闘でチャージを使い切った事もあり、まだ十分なエネルギーが補充できていない。内部にいる12名が全て敵だと仮定すると、場合によってはストレージに確保している結晶に頼る必要があるだろう。
そんな事を考えつつも、僕が最初に行ったのは入口に最も近い位置にいる「生命反応」に接触することだった。おそらく相手は護衛の傭兵シーカーだろうし、こそこそと侵入して賊だと思われるぐらいなら、最初から姿をさらして反応を見た方が良いと思ったんだ。
「おい、今日は臨時休業だぞ」
「ええ、知ってますよ。ですがオーナーに話があって。今日来ることは昨夜のうちに直接お伝えしているのですが」
「昨夜?アンタ、確か昨日も来てたトレーダーか?」
「はい、覚えていて頂けたようでなによりです」
「……そうか」
幸いな事にというか何というか、扉を空けた先にいたのは昨日僕が会話した護衛の傭兵シーカーだった、まぁ彼がサキに雇われている門番的な立場なのだとすれば、再度接触する可能性が高いのは当然なのだろうけど。ともあれ彼は昨夜もここを訪れた僕の事を覚えていてくれていたようだ。
けど、気になるのは僕が姿を現して以降、「警戒」の魔法に彼が敵対者判定され続けている……という事実だ。表面上は穏やかな対応だし、いきなり斬りかかってきそうな気配は感じられないけど、警戒しておいた方がいいだろう。
言葉を交わしながら僕は傭兵シーカーの様子を観察する。彼とは昨日少し立ち話をしただけだから、微妙な変化というものはさすがにわからない。武装は昨日同様、タンク未満の中装戦士で現在の迷宮攻略に特化したパーティからはあぶれた物理アタッカー型のシーカーに見える。
革鎧の上から鉄の胸当てをつけ、小ぶりな盾と剣を装備しているけど……盾?確か昨日はそんなものは身につけていなかったし、護衛にしては少々物々しい気もする。
「今日は随分と重装備なんですね?」
「いや、いつも通りだが。それより『おーなー』なら奥のオフィスにいるぞ」
「そうですか?では用件を済ませてくることにします」
僕の指摘にシーカーは動揺した様子も見せず、奥の扉を指さしてみせる。けど、その指にはめられている指輪が……今朝方に対峙した女暗殺者が身につけていた障壁の指輪ど似た類いのマジックアイテムであることは、「鑑定眼」を使うまでもなく明らかだった。
おそらくサキはよからぬ事を考えているのだろう。僕がサキを殺すことはほぼ確定したと言えるけど……それでも、だ。僕は未だ最終的な答えをまだサキから貰ってはいない。
これが商談であれば信用できないと切り捨てて取引中止にすることも出来るのだろうけど、僕の判断は相手の命を奪うという、重く、そして取り返しの付かない結果をもたらすものになる。
それ故に僕はサキの裏切りをこの目で確認するまで、彼女を殺すことは出来ない。それが甘い考えだと言う事は理解しているし、その甘さがフリーダを死なせることになったことも事実だ。
けど、それでも……世界を救うために同胞を殺す僕が踏み越えてはならない最後の一線がこの「甘さ」なんだ。そんな事を考えながら、僕はサキのオフィスの扉を開け放った。




