#9
「泊まりかい?素泊まりなら金貨25枚。2食付きなら金貨30枚だよ」
「……はぁ」
「なんだい、覇気の無い返事をして。泊まるのかい?泊まらないのかい?」
「ではとりあえず一泊、食事抜きで」
「はいよ、前金で金貨25枚貰うよ!」
僕が宿泊場所に選んだ「夜空のオウル亭」という看板が掲げられた安宿はどうみても繁盛している様子ではなかった。しかしそれにも関わらず、提示された金額はあまりのぼったくり料金で、僕は目が点になった。
金貨は日本で換金すると1枚当たり10万円相当だけど、異世界グレイランスの物価レートに照らし合わせれば実質的には1枚1万円程度の価値だと僕は理解している。
そして先ほどのザナックさんの露天に持ち込まれたマジックリングは未鑑定とは言え1つ10ギルダ……つまり金貨10枚での買い取り査定だった。
なのにこの、どこからどう見ても安宿でしかない「夜空のオウル亭」は1泊2食付きでマジックリング3個――グレイランスのレートで言えば30万円だ――に相当するという。
僕が旅人だから足下を見ているのかと思ったけど、隣で宿泊の手続きをしているシーカーらしき男性も同じ額を提示され、ため息を付きながらも素直に支払っているところを見ると……おそらくこの価格は少なくともこの周辺では妥当な値段なのだろう。
ちなみにグレイランスでこのクラスの宿に泊まる時に必要な金額は2食付きで銀貨5枚程度。日本円でいえば5千円程度の感覚だ。それを思えばナンサイバの宿はあり得ない程高価だということになる。
もちろん僕のストレージの中には大量の金貨が蓄えられているから、この値段でも数年は泊まり続けることは出来る。けど、どうせ30万円も出して宿泊するなら、日本で豪華なホテルに麗奈と……と思ってしまうのは仕方が無いことだろう。
そんな事を考えながら、僕はジャケットの内ポケットから革袋を採りだした。そう。Tシャツ姿だとみすぼらしいと言われたので、ザナックさんの露天を離れた後にストレージから適当なジャケットを引っ張り出して羽織っていたんだ。
僕がカウンターに積み上げた25枚の金貨を見た宿の女将さんは器用に片方の眉を上げて見せると一番上の金貨を手に取り、秤のようなもの――ザナックさんのところでも見た、ナンサイバ標準の比重計というやつだ――に載せた。しばらく目盛りを見ていた女将さんは、僕の方に視線を向けて言う。
「この金貨、結構な値打ちモノだね。これじゃ貰いすぎだから……そうさね、23枚で2食付きってのはどうだい?」
「……ありがとうございます」
「部屋は3階の突き当たりを使っておくれ。食事はもう食べるかい?」
「そうですね。部屋を確認したら食べに来ます」
「はいよ」
……確か僕の金貨はこのナンサイバの金貨より1.3倍の価値があるんだっけ。その差額をちゃんと計算して端数分とは言え値引きしてくれるところを見れば、この「夜空のオウル亭」は良心的な宿なのかもしれない。
となると、この宿がぼったくりなんじゃなくて、ナンサイバの経済自体が僕の知っている他の世界と随分と違う物価レートということになる、か。
宝石の値付けの話を聞いた際に感じた、歪な価格設定はやはり生活コストにも大きく影響しているのだろう……。そんな事を思いながら僕はあてがわれた部屋へと向かう。
上階へと続く階段の脇で、肌を露出した扇情的な服装の若い女性が壁にもたれかかりならがキセルを吹かしていた。
肩より少し長い程度で少し癖のある赤毛が目に留まる。僕は一瞬、彼女がそんなところで何をしているのか判らなかったけど、彼女が発した言葉で全てを理解した。
「お兄さん、20ギルダでどうだい?」
「悪いね、間に合ってるよ」
「……そうかい。ちっ、今日はシケたヤツばっかだね……」
そう言って煙を盛大に吐き出した彼女を見て、僕は自分の想像が当たっていたことを確認する。彼女は……いわゆる娼婦の類いなのだ。
男性宿泊客に声を掛け、性的なサービスを提供することで対価を得る。売春は太古から存在する女性の「商売」だとは聞くし、ファンタジー風の異世界ではごくありふれた日常的な風景の一つでしかない。
……現代日本では考えられないことだ……と考えかけて、僕は頭を振る。そうだ、これは現代日本でも起こりうることだ。現に町田サキは日本でパパ活と言う名の街娼を行うことで生計を立てていたと聞く。
なら……宿屋の中で公然と客引きが出来る異世界と、ドブネズミと罵られながら身体を売って生き延びる現代日本。どちらの方が過酷な世界なのだろう。
「それにしても20ギルダ、か。一泊の宿泊費より安いじゃないか……」
先ほどの彼女がどの程度生活に行き詰まっているのかは判らない。けど提示した金額の安さが、僕にこの世界の歪みを突きつけているように思えて仕方なかった。
僕にあてがわれた部屋は可もなく不可もなくというところの、いわゆる普通の安宿の一室だった。室内を仄かに照らす光源は夜を彩るネオンと同じような魔法由来の灯りだろうか。
薄暗い室内にぽつんと置かれたベッドと椅子を見ていると、つい先日ゾル=カタンで最後に泊まった宿での出来事を思い出してしまう。
頭を振って過去の後悔を追いやり、僕はストレージを開いた。
今の格好はTシャツの上からジャケットという僕的にはいささかアンバランスな服装だ。ここで町田サキの情報を集めるのなら、街の人々から侮られない服装をしておく必要があるだろう。
しかし……どういうポジションで人々と接すれば良いだろうか?
僕が持っている武器防具の類いを身につければ探宮士を偽ることは用意だろう。けど、先ほど出会ったシーカー、バルドレイの様子を見ていると彼等は食い詰め者の集団であるようにも思えた。
そんな人物が異世界からの来訪者について聞いて回るのは、ナンサイバの人々から見れば不自然だと思われる可能性はないだろうか。
となると……ザナックさんが言っていたトレーダーを装うのが妥当か。この街が迷宮からの資源による富を生み出せるなら、それを目当てに外部から買い付けに訪れる交易商人が来ることは自然だろうし、初訪問であるということにすればナンサイバの事情に詳しくなくても不思議ではないはず。
そう考えた僕はストレージ内のワードローブからトレーダーに見える服を選び出す。と言ってもザナックさんの様子や街の人達の服装からすれば、普通に上質な服というよりも派手な服装の方がトレーダーらしいと受け止められる可能性がある。
なら……少し派手だけど、グレイランスで王宮の式典に参加する際に押しつけられた派手な礼服でも着てみようか。
モブ顔の僕が着るには少々……いやかなり気恥ずかしい、金色い近い黄色の生地に赤糸で龍殺しの紋章が刺繍されたブリオーと、黒いブレーの組み合わせに赤いマントを羽織り、腰には宝石のはめ込まれた短剣を差す。僕の感覚では仮装行列かコメディアンの格好だけど、少なくともグレイランスではこれが「龍殺し」の正装だった。
まぁ、これで階下の食堂へ降りて誰かに笑われたら再度着替えてシーカーのフリをすれば良いかと考え、着替えを終えた僕は再び階下の食堂へと向かった。
「おや、お兄さん……トレーダーだったのかい?」
酒場兼食堂になった階下でテーブルに着いた僕に食事を持ってきてくれたのは、最前階段の前で出会った娼婦の女性だった。服装は先ほどと同じだけど、今はその上からエプロンを身につけている。
……もっともエプロン一枚では扇情的な身体も服装も、隠せているとは言えないけど。
「そういう君こそ、給仕だったのかい?」
「あはは。アタシはメリーアン、本業は知っての通り夜の蝶さ。ただ客が取れないときはここで女給の真似事をさせてもらってるのさ」
「そうなんだ。僕の名前はユートだ。よろしく、メリーアン」
「なんだい?気が変わって『よろしく』してくれる気になったのかい?」
「そっちの意味じゃないさ。なにせ僕には大事な人がいるからね」
「ちぇ、羽振りが良さそうだから玉の輿を狙えるかと思ったのにさ」
そう言うとメリーアンは一旦僕の席を離れ、給仕の仕事へと戻っていった。今のメリーアンの言葉は、ここの価値観から見れば僕が身に付けている派手な服装はトレーダー……それもそこそこ成功した商人のものと認識されることを示していた。いや、ここの成功したトレーダー達は一体どんな格好をしているのやら……。
周囲の席に腰掛けて食事や酒を楽しむ人々の様子を改めて確認する。ここが安宿であることを考えれば客層は下層か中層の下位あたりといったところか。
見たところシーカーらしき人が殆どで、身なりの派手なトレーダーらしき人は僕の他には中年の男性が1人だけ。つまり本来ここはトレーダーが泊まるような宿ではないということだ。




