#1
「なぁユート?ウチはアンタの事、結構気に入っとるんやで?」
「それは光栄だね、サキ」
「……別にウチを抱きたいなら、いくらでも抱かしたるで?」
「悪いけど、それは遠慮しておくよ」
豪華ではあるけど悪趣味で扇情的な衣装を身に纏ったこの街の支配者、サキはそう言って僕を誘惑する。けどあいにくと僕には麗奈と志織という大切な人が2人もいるんだ。僕はサキの事を否定するつもりも、蔑むつもりもないけど、それでも彼女の誘惑に屈するわけにはいかなかった。
……交渉中だから絶対に口が裂けても言えないけど、そもそもサキは僕の好みのタイプでもないからね。
「はぁ……どうせアンタもウチのことをドブネズミやって思うとるんやろ?」
「君が現実世界でそう称されていたことは知っているけど、僕は別に君がドブネズミだとは思ってないよ」
「まぁ、口でなら何とでも言えるわな」
そう言うと彼女は気だるげにキセルを吹かすと、三白眼で僕を睨み付けるように見やりながら傍らに積み重ねられていた紫色に輝く立方体にもたれ掛かかる。そして……しばらく僕を見つめた後、言った。
「でもユート?ウチの身体には興味のうても、こっちには興味あるんやろ?」
「……まぁ、それは否定しないよ」
「なら、ウチと一緒にこいつで大儲けすんのはどうや?あくせく働くより、何倍もええ生活させちゃるで?なにせうちはBやからな?」
「それ、僕がヒモになる未来しか見えないんだけど」
「はぁ?何いうてんねん、ヒモは男の夢やろ?」
どういう価値観なのかは判らない……いや、彼女の境遇を思えば、おそらくサキがこれまでに交際していた男はみなヒモ崩れのロクデナシだったのだろう。けど、少なくとも僕は麗奈や志織に養って貰いたいとは思っていない。もちろん、サキにも。
それに彼女は自分のことをBと言ったが、それは正確な表現ではないのだから。
「悪いけどそれもお断りさせて貰うよ」
「なら、交渉決裂……ってことやん?」
「僕は君に現実世界へ戻って貰いたい。だから安易に決裂を選びたくはないんだけどね。今回はもう遅いし一旦出直すよ。明日までに帰還の事を前向きに考えておいて欲しい」
「ならもっと熱烈に口説いてみぃや」
冗談なのか本気なのか判らない口調でそういうサキをその場に残し……僕は彼女の「マナバンク」を後にした。
本来なら彼女が帰還を拒んだ時点で僕はサキを殺すべきなのだとは思う。けど……僕にはサキを殺したくないという、個人的な理由があったんだ――。
「頼む、ユート!一生の頼みだ!」
「なんだよ、いきなり」
「もうお前にしか頼めないんだ……な?いいだろ?」
「だから何のことだって聞いてるんだけど」
「カネ……カネ貸してくれ!」
僕の前で土下座せんばかりの勢いでそんな事を言っているのは……言わずと知れた僕の友人、太郎だ。しかし借金の申し込みというのは穏やかではない。
「なぁ太郎?そもそも僕は下宿生だし、友人同士での金の貸し借りは友情を壊すことになるぞ?」
「そうは言ってもカネがないと昼飯も食えないだろ!」
「……そういう類いのカネなんだ……」
僕達が今いるのはいつもの学食で、僕と左右に座っている麗奈、志織はそれぞれランチを食べているところなんだけど……言われてみると太郎の前には水の入ったコップしか置かれていない。
「でも太郎って実家暮らしだよね?両親に掛け合って……」
「いやいやいや、親にバレたら不味いんだって!」
「一体なにに使ったんだよ……ギャンブル?それともなんとかって言うネットアイドルへの投げ銭かい?」
「違うって!そんなんじゃねぇよ!投資、投資に使ったけど焦げ付いたんだよ!」
僕も太郎も商学部の学生だから、もちろん日頃の講義で投資のなんたるかについても学んでいる。受講している科目を担当している教員の中には僕達学生にやたらと投資を勧めてくる先生もいるけど……。
「で、何に投資したんだい?チューリップの球根?それとも情報商材?」
「オレを馬鹿にしてるのか、ユート!そんな怪しいものじゃないよ、新しい草コインだよ!」
「……得体の知れない暗号通貨も十二分に怪しいと思うけど。で、暴落でもしたのかい?」
「いや、それがだな!聞いてくれよ!あのクソ運営、資金もってトンズラしやがったんだ!」
「それ、投資じゃなくて投資詐欺じゃないか」
「ほんと、草も生えないですね。草コインだけに」
志織の辛辣な言葉に太郎は半泣きになっている。けど僕的には太郎と今後も友人関係は続けていきたいので、借金の申し出は断らざるを得ない。
おそらく太郎が親に投資詐欺にあったと言えない理由は、彼の実家が小さいとは言え会社を経営していることにも関係するのだろう。次期社長である太郎が詐欺に引っかかっているようでは会社の先行きは怪しいからね。
ともあれ僕が金は貸せないと伝えると、絶望の表情を浮かべた太郎は……僕の隣にいた麗奈に頭を下げた。
「弓月さん、後生だから……」
「太郎。ユートが貸さないなら私も貸さない」
「最後まで言わせてもくれない……ひでぇ。なら、志織ちゃん!」
「タローさん?女子高生にお金借りようとするとか、プライド無いんですか?」
「くぅ……全く反論できねぇ……!」
そう言えば麗奈や志織と同居するようになって半月ほど経つけど、お金の話はあまりした事が無かったっけ。同棲生活で生活費の扱いが問題になる、と言う話も聞いたことがあるし……あとで二人にそれとなく聞いてみようか。
「太郎、そういうことだから諦めてくれ。これまでの恩があるから昼飯はおごるけど」
「ありがとう、ユート!心の友よ!それで、B定食食っていいか?」
「太郎は欲張り。安いうどんで我慢するべき」
志織だけでなく麗奈もまた太郎には辛辣だ。けど、もうすぐ夏休みだ。死ぬ気でバイトすれば損をした分を取り戻すことは出来るんじゃないかと僕は思った。
太郎には貧乏な下宿生を装ったけど、実のところ僕は結構な資産家だったりする。と言うのも、かつて異世界で冒険していた頃に溜めた金貨や宝石がストレージの中に大量に保存されているからだ。
今は世界情勢が不安定なこともあってーーその理由にはリソースの流出による活力の衰えも関係しているらしい-ー金相場が高騰しているそうだから、全部換金すれば数億……十数億はくだらないんじゃないだろうかとは思うけど、いまいちそういう実感は湧かない。
僕が大金を持っていることは榊会長だけには報告してあるけど、それはいつか異世界の金貨を換金する必要が生じたときに融通して貰うためだ。うん、我ながら実に打算的だ。
「はぁ……こんな事ならもっと真面目に金融論の勉強しておくんだったぜ」
「期末試験も近いし、どっちにせよ勉強はしないといけないんじゃないか?」
「この前先生が言ってた本……なんだっけ?金持ちがどうとかって」
「『金持ち父さん、貧乏父さん』かい?」
「ああ、それ。ってなんで講義休んでるユートが知ってるんだよ」
「いや、休む機会が多いから配付資料を見てちゃんと勉強してるんじゃないか」
そんな話をしている僕達の横で、麗奈も志織もしらんぷりして食事を続けてる。表向き麗奈は総合学部の、志織は附属高校に所属する学生、生徒ということになっている。けど実体としては二人とも職員の扱いで、講義の類いは受けていないからね。
だから僕が欠席の話や試験の話をすると麗奈はきまって「総合学部に転部しろ」と言ってくる。けど僕はあそこで優秀なスタッフに混じって常時働けると思えるほど自信家じゃないから……当面は商学部と総合学部の二足のわらじをはき続ける予定だ。
「ユートさん、金持ち父さんって何ですか?」
そんな事を考えていると、志織が小首をかしげてそう聞いてきた。確かにキャッチーなタイトルだから気になるのも理解出来る。
「ああ、それは20世紀に出版された古典的なビジネス本だよ」
「昔のビジネス本ですか……。もしかしてそれを読むとお金持ちになれるとか?」
「そうなれるなら、世界中が金持ちであふれかえるぐらい売れた本だって聞いたけどね」
「なーんだ。じゃあ読む価値ないですね」
どこかドライなところがある志織はばっさりと切り捨てたけど、ベストセラーになっている上に今でも教授が講義で紹介する本だから、現代にも通じる教えは含まれているのだと思う。僕もちらっと読んだだけだから、細かい内容までは良く覚えていないけど。
そんな事を言っていると3限目の始業ベルがなった。講義があるらしい太郎は慌てて――結局昼食は抜きのようだ――教室へ走って行った。




