#17
僕がタラスクを倒した事で街道は再び通行できるようになったけど、その知らせがこの宿場町にもたらされたのは陽が落ちた後の事だ。当然、今から宿場町を出発すると夜間行軍になるため、宿に滞留していたキャラバンや駅馬車――いや駅獣車――の殆どは翌日早朝に出発するのだという。
となると当然、通行止めで混雑した宿に十分な空き部屋なんてあるわけもなく、僕達が確保できたのは夜間行軍を辞さない急ぎの伝令が泊まっていた、シングルの部屋1つだけだった。
狭い個室にはベッドと椅子が1つずつ。フリーダと僕が泊まるには狭すぎるけど、小雪が舞い始めた屋外で野営するわけにもいかない。
ランプの明かりに照らされた薄暗い室内の様子を目にした時に思ったのは、出会った初日にフリーダが僕をからかいベッドに誘った時のことだ。まぁ、ベッドはフリーダに譲り、僕は床にコートでも敷いて寝れば良いか。
……そんな事を考えていると、ベッドに腰掛けていたフリーダがぽつりと呟いた。
「ユートは……強いんだね」
「……まぁ、色々あったからね」
「そうか、色々あったんだね。アタシも色々あったけど……強くはなれなかったよ」
ランプの灯りを見つめながらそう言うフリーダの表情は、陰になって良く見えない。けど、その声色には哀愁が滲んでいるようにも思えた。
「……たぶん、気付いてると思うけどさ」
「うん?」
「アタシは……ハインリヒの情婦だったんだ」
フリーダの告白は、僕にとって意外でもなんでもなかった。フリーダは僕に須藤……ハインリヒとの関係は幼なじみだと言っていたけど、彼の事を語る言葉の端々にはおそらくそういう関係だったのだろうと思わせるような情が潜んでいたからだ。
「初めて抱かれたのはアイツが14、アタシが12の時だったよ。それまでは幼なじみ。それからは恋人同士だったんだ」
「なんとなく、そうだとは思ってたよ」
「……なら、アタシもドラゴンレイジの一員だった……って聞いたら驚いてくれるかい?」
感情の抜け落ちた声でフリーダはそう告白する。だけど、それも予想の範疇だった。ドラゴンレイジの頭目であるハインリヒの恋人がクリーンな立場であるとは考えづらかったし、それ以上にフリーダは軍事物資である魔法銃に詳しすぎたからだ。
軍と取り引きのある大店以外は知らないはずの。魔法銃の構造や使用法、威力に射撃音まで知っているのは……彼女が魔法銃に何らかの関わりを持っていたからに他ならない。
辺境の街に住む一般人が本来知るはずの無い知識を得る機会としては、武器密売に手を染めているドラゴンレイジ以外のルートは考えられなかった。
けど、あえてそんな事を指摘する必要もないと思い、何も言わなかった僕の態度を肯定だと捉えたのだろう。フリーダは再び口を開いた。
「ドラゴンレイジもさ、最初は子供のギャング遊びみたいなものだったんだ。けど、いつからかあのバカがヤバい薬に手を出して、武器の密売なんかもやりだして……気付いたら人身売買だ。さすがにそこまで行くとアタシも止めたけど、アイツはアタシの話なんて聞きやしなかった」
「……」
「アタシに子供でもできたら、アイツが真人間になるんじゃないかって期待してたのさ。けど、子供はできなくて、アタシじゃアイツを止められなかったんだ」
フリーダはそう言うけど、転生してまで生前と同じような悪事に手を染める人間が、子供の誕生程度で犯罪から足を洗うとは到底思えなかった。現にハインリヒの前世である須藤礼治の仲間達は、家族を持っているであろう壮年に達してもなお犯罪を続けていた訳だし。
「……結局、アタシは誰の役にも立たない、意味のない人間なのさ」
「そんな事はないだろ?君は出会って間もない僕に親切にしてくれたし、故郷でも人身売買を止めようとしたじゃないか」
「……故郷にアタシの居場所がないって話をしただろ?あの理由はハインリヒとの関係だけじゃないのさ」
「……?」
「アタシは火事からハインリヒを助けるときに背中に大やけどしちまってね。今でも酷い痕が残ってるのさ。悪党の仲間で頭目の情婦。おまけに傷持ちと来たら……誰も相手にしないのは当然さ」
「でも、フリーダ……」
「気休めはよしとくれ。アンタだって、アタシの傷を見たら、きっとひくに決まってるさね」
フリーダは自嘲気味にそう言う。けど背中の傷という言葉を聞いた僕が真っ先に思ったのは、眼前のフリーダの事ではなく、麗奈の事だった。僕は一瞬だけ躊躇してから、口を開いた。
「……フリーダ。僕には大切な人がいる」
「まぁ、アンタみたいな良い男なら当然さね」
「彼女……麗奈も背中に大きな傷があるんだ。その傷は僕のために、彼女が自分の世界を裏切ったことで刻まれた烙印だ。けど……僕は、そんな麗奈の傷が愛おしい」
自分の生まれた世界を捨て、僕に謝罪するためだけに長い刻を生き続けた麗奈の事を思うと、僕はあの背中の魔方陣こそが麗奈の僕に対する愛情の証なのだと思えてならなかったから。けど、僕の言葉にフリーダはこちらを振り向き、睨むような表情で言う。
「……それは、アンタ達が愛し合ってるから言えることさね。この醜い傷を見ても……ただの他人であるアタシに、同じ事を言えるのかい?」
そう言うとフリーダは服を脱ぎ……僕に背中を晒した。フリーダの白い肌にはケロイド状に引き攣れ、変色した酷い火傷の痕が生々しく残っている。確かに事情を知らなければ……いや、事情を知ってもなお、この傷を受け入れると言える男は少ないだろう。
「アタシがこの傷を負った後、ハインリヒがなんて言ったかわかるかい?アイツ、『お前から見た目の良さを取ったら何も残らねぇな』……って言ったんだよ」
僕は須藤礼治……そして転生体であるレイジことハインリヒを悪党だとは思っていたけど、どうやら彼は悪党以前に人間の屑だったらしい。こんな大きな負傷をしてまで自分を庇ったフリーダに、そのような暴言を吐くなんて。
「だから、アタシにはもう何の価値もないのさ」
「……そんな事はないさ」
「なら、アンタはこんなアタシを抱けるのかい?」
そう言って僕を見たフリーダの表情は……まるで泣き出しそうな有り様だった。姉御気質の彼女がそんな表情をするほど、傷とハインリヒの裏切りは彼女の心を傷付けていたのだろう。そう思うと……僕は自然とフリーダに歩み寄り、彼女を抱きしめていた。
「ユート……」
「抱けるさ。君は綺麗だから」
……恋愛感情でも、肉欲でも、ましてや憐憫でもない。
そうすることが、フリーダの存在を認める事だと思い……僕は彼女を、抱いた。
「ユートは強いだけじゃなくて、優しいんだね」
「……そんな事はないさ」
「アタシも、アンタみたいな男を好きになれれば良かったのに」
静かな、けど激しい情事の後、僕の手に指を絡めながらフリーダがそう言う。その言葉が意味することは……。おそらく裏切られ、傷付けられてなお、フリーダは今でもハインリヒの事を愛しているのだと、なぜかそう思えた。
まるで赤子が抱きつくかのように僕の体に頬を埋めたフリーダを見やりながら、僕は思う。
――強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。
それは映画か何かの台詞だったと思う。女神から与えられた借り物の力とは言え、僕には大魔法使いとしての強い力がある。けど、僕は決して優しくなんてない。
現にフリーダを抱いた今この瞬間でさえ……僕が考えていたのは、フリーダの傷を通じて同じ傷を持つ麗奈の存在を肯定したいという、僕の身勝手なエゴだったからだ。
なら、強くなった僕は生きていく事はできたとしても、本当の意味で生きる資格なんてないのだろう。
そう、それは贖罪のために罪を重ねる僕には…お似合いの言葉なのだ。心の中でそう、僕は自嘲した。




