侵入者の正体
サキチは部屋番号を四桁分押し、呼び出しボタンを押した。数回のコール後に、コールは切れ、無言のままオートロックのガラスドアが開いた。
――何も言われてないけど、開いたってことは入っていいってことだよな。
サキチは、ドアが自動的に閉じる前に中へ入った。
郵便受けが集まる一角を曲がると、階段とエレベーターがあった。サキチは迷わずエレベーターを選んだ。すでにエレベーターは一階で待機していたのですぐに乗り込んだ。
博文の部屋を飛び出たサキチは、二駅離れた駅から侵入者が住んでいるこのマンションまでは迷わず来ることができた。しかし、サキチは、はやる気持ちで博文の部屋を出てきてしまったため、侵入者がどの部屋に住んでいるのかという情報を聞いてくるのを忘れていた。気を利かせてくれた博文が、詳細の地図と部屋番をサキチにメールしてくれていた。
サキチはその部屋番のある階で、エレベーターを降りた。
どの部屋の入り口もマンションの内側を向いており、外の様子がわからない。そのためサキチはエレベーターで上がってきた感覚をすぐに失った。廊下を進むとすぐに侵入者の住む部屋があった。
壁に『久那崎』と苗字だけが表示されている。
迷わずサキチは、インターホンを鳴らす。
「開いているわ」
すぐに返答がされた。
――やっぱり女性の声だ。
夢の世界で見た侵入者がピナの格好をしていたため、なんとく侵入者は女性だと思い込んでいたので、サキチはあまり驚くことはなかった。
ドアを開けると外光が入ってこないせいか玄関は暗い。サキチが一歩足を踏み入れると、パッと玄関の電気が点いた。
――何? 金持ちなのか? うちにはこんな機能はない。……マンションの大きさを考えればそれもそうだな。
自己完結したサキチは、靴を脱ぐ。脱いだ靴の隣には、サンダルが一組だけあった。他には靴らしいものは何もない。靴箱の棚にも女性らしい小物など一切置かれていなく、裕福な女性が住んでいるには質素な玄関だった。
「お邪魔します」
玄関からすぐの部屋のドアが開いていた。サキチは、その薄暗い部屋の前に立つと、体がギュッと縮まった。
「寒っ!」
部屋から漏れだす冷房の冷気が、通常より冷えていた。
「エアコンの設定温度、低すぎじゃない? 凍死するって」
と、言いながら薄暗い部屋の中に入った。女性の部屋の印象はまったくない。床には握りつぶされた流動食のパックやお菓子の箱、ペットボトルが転がっていて、乱雑に積み上げられた本の山がいくつもある。その本はどれもプログラミングに関するようなものばかりで、分厚い。机にはモニターが三つ、別々の画面が表示されている。机の周りには、カリカリと静かな音を発し、チカチカと小さなランプが点滅を繰り返すパソコン本体が並んでいた。
機械の冷却としても、寒すぎる。
部屋の奥のシンプルなベッドに女性―久那崎が腰掛けていた。頭を下げ、毛布で体をくるむように。
そして、顔を上げた。
「意外。てっきり警察が来るのかと思ったけど。まさか、同じ高校生とは」
久那崎はサキチの来ている学生服から判断して答え、そして、呆れるように首を振った。
――警察か。確かにこういう場合、高校生の出る場面じゃないけど、流れというか。そもそも侵入者を捕まえるシステム作ったのも高校生だぜ。
「じゃぁ、君も高校生?」
「年齢は十八。学生をしていれば、高校生」
久那崎の顔は、部屋にこもっているせいか、冷房が効きすぎているのか薄暗い部屋でも白く見える。
「高校には通っていないってこと?」
「言葉の通り」
久那崎はだるそうに答えた。
「そ、そう。……それより、体調は平気?」
「いらない心配よ。私もエアコンも通常運転。……ただ、誰かさんのせいで、目覚めが悪いだけ」
その誰かさんとは、自分のことだろうと思った。
しかし、サキチは安心した。体調の悪い彼女を見て、まさか自分が放った吹き矢に体の毒になるようなプログラムでも入っていたのではと不安に感じていたが、それは杞憂に終わった。博文がこれを聞いていたら、嫌味を交えて自分がいかにそんな悪巧みをしないかを説明し始めるだろう。
彼女の枕元にはヘッドホンが転がっている。ケーブルをたどって行くとパソコンに繋がれていた。
「本当に君が、久那崎さんがダイブしていたんだね」
「えぇ。だから、あなたがここにいるんでしょう。私を捕まえに」
「そうだけど。てっきり、逃げた後かと思ってたんだけど」
「逃げる? 私が?」
久那崎の表情が曇り、
「どこへ逃げればいいのよ。この部屋の他に私が自ら行く場所なんてないわ。これで、新しい世界に無理矢理連れ出してもらえると思ってた……のに」
キッと、サキチを睨む久那崎。
「無理矢理連れ出すって……。俺はそんなつもりでは。どうして許可されていない人間があの世界にいたのかが知りたかっただけで……」
二人の会話に間が空く。
――捕まえるような流れではあったけど、実際どうしていいのかわからないんだけど。
サキチは、次の言葉が出てこない。
「……たまたまよ」
先に口を開いた久那崎は、毛布をかけたままベッドから立ち上がった。膝から下が見え、裸足だった。
机の椅子に座った久那崎は、キーボードに手を伸ばす。すると、肩にかけていた毛布が落ち、白いTシャツ一枚で細い腕が現れた。
「やっぱりダメか。すでにブロック済みか」
博文が久那崎の居場所を特定すると同時に、3Dシステムのアクセスを遮断したのだろうと、サキチは推測した。
「パソコンとネット環境のあるこの部屋に放り込まれてから、ずっとプログラムやシステムやらをいじっていた。ある時、たまたま不思議な入口を見つけたの」
「入口?」
「夢乃調査室がシステムを介して記憶を復旧させる夢の世界のね。侵入しても向こうのシステムでは感知できないようにしていたから楽しかったわ。暇つぶしで私も侵入していただけ。結局は、あなたたちが気づかないフリをして私は裏を取られて、この通り」
久那崎は座っていた椅子ごとくるりと回り、サキチの前でお手上げのポーズをとってみせた。
「なぜ、ピナの潜入ミッションばかりを狙ってダイブしていた?」
「ダイブしやすかったからよ。ハル・レゾナンツだっけ? 他のダイバーより彼女の波長が一番わかりやすかったからよ。それを解読することで侵入は可能。そうでなければ、彼女が夢乃調査室に採用されることもなかったんじゃないのかな。適正としては、逸材に近いダイバーだったのかも。それに発想力も豊か。というより面白い。一緒にダイブ出来て楽しませてもらったよ」
悪気なく喋って、笑っている久那崎を見て、サキチは怒りを覚え始めていた。
――ピナだって、必死に自分の役目を果たそうとしているだけなのに。
「箱の鍵を開けておいた時の彼女の反応は、見ていて楽しかった。すごい驚いていたし。初めてお互いに面と向き合った時は、彼女はあまりの衝撃で気絶しちゃうんだから、あれほどの快感は味わったことはなかったな。人の記憶をいじるよりも彼女をいじめていた方がずっと楽しいと思ったよ。でも、そこで彼女ばかりいじめていても、人類が不幸になるわけじゃないから、これからはまじめに記憶のピースをすげ替えて行かないと思った矢先にこれよ」
「記憶をすげ替える? どういうことだ?」
「あら、気づいてないの? ピースに余計な情報を付け加えて、忘れておきたい嫌な記憶も呼び覚ますようにおいたわ。目が覚めてすっきりするはずの目覚めが悪くなるようにね。私の味わった不幸を少し分け与えるの」
久那崎は笑顔で話しているが、目にその明るさがまるで感じられない。冷たい視線がサキチを見ている。
「それだけで人が不幸になるとは思えない。一時的に問題は起こるかもしれないけど、人類が一生ダメになるほど、人だって馬鹿じゃない」
「だから、そっくり別の記憶になるピースにすげ替えようと思っていたのよ。今までは様子見」
「いや、久那崎さんに人の記憶を変える権利はない。まるで自分の不幸を人に押し付けているように聞こえない」
すると、久那崎は椅子から立ちあがって、細い腕でサキチの両肩を掴み壁際へ押し付けようとした。
が、サキチは一歩足を下げただけで、それ以上は動かなかった。
ぐぅーっと、声を上げながら久那崎が力いっぱいサキチを押そうともびくともしない。
「押し付ける他ないでしょっ! だれも私の不幸を受け入れてくれるわけじゃないんだから! 新しい自分になれるなら過去なんて消し忘れたい。ずっと、こんな部屋で過ごすなんて、もう……」
久那崎は叫び終えると力が抜け、その場にしゃがみ込んでしまった。肩を上下させるほどに息が上がっている。
サキチは、久那崎を見ていると、昔の記憶が蘇る。
物心ついた頃、夜布団の中で泣いていたこと。何が悲しくて泣いていたのか、今思えば、誰かに守られていたいという潜在的な欲求かもしれない。
――もしかしたら、久那崎さんもそうなのかもしれない。どんな過去があったのかはわからない。けど、彼女言うようにこんな部屋にいたら、もっとダメになる。
そして、久那崎は涙を浮かべながら、サキチを笑顔で見上げた。
「あなたもダイバーなら、私の記憶を書き換えてくれない? できるなら自分で自分の記憶をすげ替えたい……」
パ――――――ン!
サキチは、久那崎をひっぱたいた。
――過去は否定するものじゃない。
――どんな過去だろうと、それは変えられない。
サキチの脳裏に、自分の部屋にあった写真が浮かんだ。幼少時代にみんなと一緒に撮った写真だ。
「――ッ!」
「今のを許せとは言わない。これが俺の答えだ。人の記憶は変えさせない。それがどんなに辛いものでも」
「フフフ……、何えらそうなこと言ってるの? 記憶を変えさせないって? もうすでに記憶をすげ替えてあることを知ってて言ってるの?」
「えっ! もう誰かに行ったのか?」
サキチもしゃがみ、久那崎の顔をのぞき込んだ。
「成功したのは一度だけ。私が適当にネットで拾ってきた人物画像を記憶に残る適当な人間の顔と差し替えておいたわ。確か、テニスコートにあった黒い箱のピースだった……か……し……ら」
「テニスコートって……」
――十年前の深い記憶で、志磨社長の知り合いの……。
サキチは背筋を凍らせた。寒いはずなのに、額から汗が浮き出る。
「ふふっ、困ってる困ってる。あの子と一緒。いいよ、そういう顔。私、嫌いじゃな……」
久那崎は言い終える前に、力なくその場に寝転んでしまった。
「お、おい。大丈夫か?」
サキチは軽く肩を揺すったが、起きる様子はない。
――眠ってしまった?
――まさか、俺が彼女を叩いたから……
「だ、大丈夫か?」
サキチはもう一度肩を揺すったが反応がない。呼吸は弱いがゆっくりしている。それに彼女の肩はとても冷たかった。肩だけじゃなく全身が、まるで冷凍漬けにされているかのように。
久那崎が言い残した記憶のすげ替えと、人が倒れるのを目の当たりにしたことがサキチの思考を狂わせる。
サキチはとにかく今できることを考え、震える手で救急車を呼んだ。




