第4話 朝食のパンと、庭に生えた謎の巨大キノコ
毎日18時更新・全10話で第1章完結します。
翌朝。
鳥のさえずりと共に目を覚ました俺の視界に飛び込んできたのは、見慣れた煙突屋敷の天井……ではなく、不気味に脈動する赤紫色のブツブツだった。
「……ん?」
目をこする。天井の板と板の隙間から、巨大な笠のようなものが突き破って生えていた。
しかも、部屋中が生ぬるい湿気と、香ばしいキノコの出汁のような異様な匂いで満ち満ちている。
「おい、なんだこれ……」
嫌な予感を抱きながら窓を開けた瞬間、俺は息を呑んだ。
昨日までただの雑草だらけだった煙突屋敷の庭が、完全に『異界のキノコ樹海』へと変貌していた。
二階建ての屋敷の屋根を軽々と越える、傘の直径五メートルはあろうかという巨大な極彩色キノコが、庭の中央にドスンとそびえ立っている。その周囲には、大根サイズのエリンギや、人間の頭ほどもあるシイタケのような物体が群生していた。
「おはようございます、レンさん! 朝の空気は清々しいですね♪」
庭の真ん中で、ステラが白衣の袖をまくり、満面の笑みでジョウロを振っていた。
「ステラ。一言だけ聞く。あれはなんだ」
「はい! 昨日、超濃縮ポーションを作った際に出た廃液が勿体無かったので、お庭の枯れ木に撒いておいたんです! 名付けて『超濃縮・植物活性オーガニック堆肥』です♪」
「キノコは植物じゃなくて菌類だろ!!」
「細かいことは気にしてはいけません♪」
その時、二階の窓からオリヴィアが、寝癖だらけの銀髪を揺らしながら顔を出した。
「騒々しいですわね……朝から何の騒ぎですの……って、なんですのあの怪異はァァァッ!?」
「オリヴィア、ちょうどいい。朝飯の調達だ」
「馬鹿をお言いなさい! 名門貴族たるわたくしが、そんな庭に生えた正体不明の胞子まみれの菌類など口にできるわけ……」
ぐううううううううううううっ。
静かな朝の庭に、オリヴィアの腹の虫が盛大な雷鳴を響かせた。
「……っ! い、今の音は空間の歪みですわ!」
「はいはい。ベルカ、チュウちゃんは起きてるか?」
「起きてる」
巨大キノコの根元から、ベルカがひょっこり顔を出した。その横で、チュウちゃんが巨大キノコの軸をバリバリと齧っている。
「チュウちゃん、もう傘の半分食べた。毒耐性あるからまだ生きてる」
「人体実験の代わりに巨大ネズミを使うな。……まあ、あいつが生きてるなら毒はないか」
俺は台所へ向かった。
パン箱の中には、昨日の残りのカチカチに干からびた黒パンの切れ端が四切れ。塩の壺にわずかな粗塩。棚の奥に、以前の住人が残していった干しエビと乾燥ハーブの小瓶。
食材はこれだけだ。金貨三百枚をツケ払いで消滅させた俺たちの全財産は、現在『銅貨二枚』。街のパン屋に行く金すらない。
「……やるしかないか」
俺は腰から、昨日オリハルコン原石で研ぎ上げた万能包丁を抜いた。
庭に出て、巨大キノコの前に立つ。
「レンさん、切れるんですか? それ、鉄の斧でも刃こぼれするくらい硬質化してますよ?」
「倉庫番を舐めるな。どんな硬い木箱にも、繊維の【目】がある」
俺はキノコの表面に手を当て、目分量で密度を測った。傘の裏側のヒダに向かって、包丁の切っ先をスーッと滑らせる。
スパァンッ!
心地よい音とともに、神話級のオリハルコンで研がれた刃が、巨大キノコの傘を豆腐のように両断した。
「おおおっ……!」
ステラとオリヴィアが歓声を上げる。
俺は落ちてきたキノコの肉を、手ばかりの感覚で厚さ五ミリの薄切りにサクサクとスライスしていった。
ここからが倉庫番の生活の知恵だ。
山育ちの祖父から教わった、野草とキノコのアク抜き技術。
巨大キノコのスライスに粗塩を揉み込み、余分な水分とエグみを一気に絞り出す。井戸水でさっと洗い流した後、熱した大鍋に放り込み、干しエビと乾燥ハーブと一緒に強火で炒める。
ジュウウウウッ!
香ばしい、濃厚な森のバターのような香りが立ち昇った。
そこへ井戸水を注ぎ、蓋をして弱火でコトコトと煮込む。目分量で塩をひとつまみ。
仕上げに、カチカチの黒パンを薄く切り、鍋の蒸気で蒸して柔らかく戻した後、フライパンでキノコから出た油を吸わせながらカリッと焼き上げる。
「はい、朝飯だ」
庭の木製テーブルに、湯気を立てる四つの木椀と、カリカリに焼けたトーストが並べられた。
透き通った琥珀色のキノコスープ。表面には上質な油がキラキラと浮かび、ハーブの爽やかな香りが食欲を猛烈に刺激する。
「こ、これが……あの不気味な巨大キノコからできた料理ですの……?」
オリヴィアが恐る恐るスプーンを口に運んだ。
一秒後。
オリヴィアの琥珀色の瞳が、カッと見開かれた。
「な、何ですのこれぇぇぇぇっ!? 濃厚なのに後味がすっきりしていて、噛むたびにキノコの旨味が爆発しますわ! 王宮の三ツ星シェフのコンソメスープより遥かに美味しいですわよ!?」
「おいしい……! レンさん、パンに浸して食べると天国が見えます♪」
ステラがトーストをスープに浸し、ハフハフと言いながら頬張る。
「ウチ、これ好き。チュウちゃんのお肉より美味しい」
ベルカが無言のまま、ものすごいスピードで木椀を空にし、テーブルに差し出してきた。
「レン、おかわり」
「わたくしにもおかわりを注ぎなさい! 三杯……いえ、五杯はいけますわ!」
「ちょっとオリヴィアさん、ずるいです! わたしの堆肥なんですからわたしが先です♪」
「喧嘩すんな、鍋にまだまだあるから順番に並べ!」
三人の少女(と、足元でスープの出汁ガラを美味そうに舐める体長五メートルの巨大ネズミ)が、争うように朝飯を平らげていく。
俺は自分の分のスープを啜り、ふぅと息をついた。
……まあ、悪くない朝だ。
だが、木椀を置き、空になった鍋の底を見た瞬間、俺の現実は再び冷酷に引き戻された。
「よし、お前ら。美味かったか?」
「「「はいっ!」」」
「結構。だが、これで塩もパンも完全に底をついた」
俺は懐の銅貨二枚をテーブルの上にカランと置いた。
「手持ちの金はこれだけだ。今日の晩飯、そして明日の朝飯を食いたければ……全員、今すぐ冒険者ギルドへ出稼ぎに行くぞ」
「「「えええええええええええっ!?」」」
煙突屋敷に、三人の絶叫が響き渡った。
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【幕間:王立薬草研究所の騒然】
その日の午前。王都の一角にある『王立薬草学研究所』。
「所長! 大変です! 今朝、東区の上空から採取された浮遊胞子の解析結果が出ました!」
若手研究員が、青ざめた顔で羊皮紙の鑑定書を持って駆け込んできた。
老所長が老眼鏡を直しながら書類を受け取る。
「慌てるな。ただの春の胞子だろう。……ん? な、何だこの魔力含有量は……!?」
所長の目が点になった。
「この超高密度の活性エネルギー……三百年間絶滅したとされていた幻の神聖菌類【世界樹の涙】の完全変異種ではないか! 一欠片で不老不死の薬が作れる伝説の霊薬だぞ! どこで採取されたのだ!?」
「そ、それが……東区の貧民街の外れにある、あの『煙突屋敷』の庭から飛散した形跡が……!」
「な、何だと……!? あの恐るべき闇の組織、庭先で神話級の霊薬を雑草のように自生させているというのか……!?」
所長はガタガタと震えながら、天を仰いだ。
「王都中枢に急報を! 煙突屋敷は、世界の薬草市場の均衡すら指先一つで崩壊させ得る恐るべきバイオ兵器の製造拠点であると!!」
研究所の学者たちが国家転覆の危機に怯えていたその頃。
当のレンは、「キノコの残りは干して非常食にするか」と物干し竿に吊るしていた。
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次回「初めてのパーティ登録と、ギルド受付嬢の胃痛」は【明日18時】に更新します!
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