第36話 雪原を翔ける超音速荷馬車と、空腹の山賊団
第36話です。山賊団との遭遇と一瞬の決着!
標高千八百メートル。
気温はマイナス二十五度を下回り、吐く息が瞬時に凍りついてまつ毛に白い霜がついた。
過酷な寒冷地帯特有の『ホワイトアウト』。見渡す限り全方位が真っ白で、天地の境すら見失いそうになる。
「レンさん……手足の感覚がなくなってきました……」
ステラが寒さでガタガタと震えている。
「弱音を吐くな、眠ったら死ぬぞ! ステラ、お前が持ってきた発熱ポーションの出番だ!」
「あっ、そうでした! 生姜と火竜の鱗を濃縮した【瞬間発熱ホッカイロ液】です!」
ステラがガラス瓶を割ってそりの座席シートに振り撒いた瞬間、モワッと猛烈な暖気が立ち上った。
」
吹き荒れる猛吹雪の中、視界が急激に悪化していた。
俺は橇の荷台で、麻紐と荷締めロープのテンションを目分量で確認しながら、叫び声を上げた。
「オリヴィア、左前方三十メートル! 雪煙の中に黒い人影の集団が見えるぞ!」
棍棒や斧を手にした粗野な男たちが、奇声を上げながら獲物を待ち受けるように街道を塞いでいた。
「へへっ、カモが来たぜ!」という下卑た笑い声が風に乗って聞こえた気がした。
だが、時速八十キロで突進する五トンの巨大橇に、ブレーキという概念は存在しない。
「オリヴィア、進路クリアだ! 構わず前方の雪原へショート跳躍しろ!」
空間が割れ、体長五メートルの巨大チュウちゃんを先頭にした巨大荷橇が、突如として山賊団の眼前至近距離に出現した。
跳躍の余波で巻き起こった巨大な雪煙の突風と衝撃波が、街道を塞いでいた三十人の山賊を一瞬で吹き飛ばした。
雪だるまのように男たちが空を舞い、崖下の雪だまりに頭から突き刺さっていくのが一瞬視界をかすめた。
「お、オリヴィア! 今なんか足元でポコポコ音がしなかったか!?」
「あら、ただの雪の吹きだまりを踏み越えただけですわ♪」
「ならいいか。急ぐぞ、日没までにバルカンに着く!」
五トンの積載荷物は、俺が組んだ南京結びの頑丈なロープワークのおかげで、一ミリたりともズレることはなかった。
橇は雪煙を豪快に巻き上げながら、白銀の峠を猛スピードで飛び去っていった。
俺は真鍮の計算尺を取り出し、スライド尺をカチカチと動かして瞬時に数値を弾き出した。
「オリヴィア、ステラ、ベルカ! ボーッとしてる暇はないぞ、直ちに現場配置につけ!」
「ええっ!? わたくし、まだ朝のお茶を一口も飲んでおりませんのに!」
「文句は後だ! 現場の保安管理は一秒の遅れが致命傷になる! 倉庫番の資材応用技術――『重心分散パレット工法』と『流体誘導カーテン』を展開するぞ!」
俺は納屋から即座に必要な資材を選別した。規格寸法の杉板パレット四枚、耐荷重五トンの麻ロープ三束、そして予備のトタン板。
現場にある資材を、物理法則に従って最も効率的な形に組み上げる。それが倉庫番の真骨頂だ。
「ステラ、その調合液を右舷のスリットに流し込め! 急激な気化熱で流速を三倍に引き上げる!」
「はいっ! 急速冷却反応、点火します♪」
「オリヴィア、空間ゲートの開口角度を三十度に固定! ベルカとチュウちゃんはアンカーロープを『南京結び』で二重固定しろ!」
「ん。チュウちゃん、踏ん張って。ご飯のため!」
ドズゥゥゥゥッ!!
それぞれの能力が、俺の指示した物理ラインに沿って完璧に噛み合った。
暴走しかけていた魔力とエネルギーが、無理なく整流され、美しいピタゴラスイッチのように次々と課題をクリアしていく。
ガタガタと軋んでいた屋敷の梁がピタリと収まり、現場は静寂を取り戻した。
「ふう……っ! やれやれ、心臓が三回くらい止まるかと思ったぞ」
俺は作業着の袖で額の汗を拭い、床に散らばった工具を道具袋へ戻した。
資材を点検し、破損がないことを確認して元の棚へ収める。作業後の清掃と点検こそが、次の事故を防ぐ最善の予防策だ。
「……まったく、レンの指示は相変わらず無茶苦茶ですわ。名門公爵令嬢たるわたくしが、朝からこんな力仕事をさせられるなんて」
オリヴィアが文句を言いながらも、手際よくテーブルの上を片付けて布巾で拭いている。
「でもでも、レンさんの計算通りに全部ぴったり解決しましたよ! やっぱりレンさんは現場の天才ですね♪」
「天才じゃねえ、ただの現場の経験則だ」
「ん。お腹ぺこぺこ。力出ない。倒れそう」
ベルカがテーブルに突っ伏し、チュウちゃんも横で行儀よくお座りして待っている。
「よしよし、待たせたな。朝飯にするぞ」
俺は大鍋の蓋を開けた。
立ち上る湯気とともに、野菜と干し肉の濃厚で香ばしい香りが居間いっぱいに広がる。
裏庭で採れた新鮮な野菜をたっぷり使い、素材の旨味をじっくりと引き出した特製ポトフだ。
「「「わあああああっ!!」」」
木のお椀によそい、焼きたての黒パンを添えて並べる。
「いただきます!」
熱々のスープを一口すする。野菜の甘みと塩蔵肉の深いコクが、疲れた身体の隅々にまでじんわりと染み渡っていく。
「美味しいですわ……! 疲れた後のこの温かさ、どんな高級ホテルの朝食よりも心に染みます!」
「ん。スープ、お肉、最高。今日も生きててよかった」
チュウちゃんも鼻を鳴らしながら、特大の木桶に入った野菜をごくごくと平らげた。
窓から差し込む朝の光の中、賑やかな笑い声がボロ屋敷を満たしていく。
外の世界がどれほど大騒ぎになっていようと、俺たちの現場には、今日も確かな日常と温かい食卓があった。
【幕間:北部山賊ギルドの壊滅通達】
北部裏社会。
山賊頭領からの緊急報告を受けた元締めが、青ざめて筆を執った。
『緊急通達:白嶺峠に神話級の漆黒戦車が出現。触れた者は突風で吹き飛ばされ、一合も交えずに粉砕される。絶対に峠に近づくな。遭難者狩りは全面中止とする』。
悪名高い北部の山賊網が、荷橇の通過によって一夜にして完全壊滅した。
一方その頃、王都中枢の諜報機関では、緊急の特別機密文書が机の上に叩きつけられていた。
「報告します! 煙突屋敷周辺の魔力潮流および物資移動の解析が完了しました!」
「……どうだったのだ? あの『在庫管理者』レンの真の狙いは……!」
「驚くべきことに、敵のあらゆる行動、自然環境の変動、そして王都の経済網の隙間まで、すべてが彼の計算尺の上で完璧にコントロールされておりました……!」
司令官の背筋に、氷のような冷たい汗が流れ落ちた。
「馬鹿な……天候や魔獣の習性、果ては王宮の動きまでを自らの『在庫』として管理し、意のままに動かしているというのか……!?」
「はい! 彼にとって、この王都そのものが巨大な倉庫に過ぎないのです! 逆らう者は、帳簿の赤字として処理され、痕跡すら残さず抹消されるでしょう……!」
「恐ろしい男だ……! 全部隊に厳命せよ! 煙突屋敷の領域には絶対に足を踏み入れるな! あの男の日常を乱した瞬間、王国は滅びるぞ……!」
ボロ屋敷でレンがスープのおかわりを配っていることなど露知らず、王都の闇は底知れぬ怪物の影に怯え続けるのだった。




