第35話 五十メートル短距離跳躍と、荷台からのリズム合図
第35話です。超音速連続ジャンプの開幕!
そり車が空間ゲートを突き抜けた瞬間――
ズドォォォォンッ!
強烈な慣性Gが車体を襲った。
時速百キロを超える突進スピードのまま、急激な空間の歪みを抜けたのだ。
ギシギシと車体の樫の木が悲鳴を上げ、積載した食糧コンテナが大きく軋む。
「荷崩れを起こすな! ワイヤーのテンションを保て!」
俺は身を乗り出し、荷台の南京結びのロープを締め直した。
重心がわずか十センチでもズレれば、そり車ごと雪山を転落して木っ端微塵だ。
「ベルカ、左舷のバラストを踏み込め! 遠心力を打ち消すぞ!」
「ん。全体重、左足にかける!」
」
目の前には、人の背丈を遥かに超える巨大な雪壁が立ちはだかっていた。
「長距離は絶対に飛ぶな! 視界に見える範囲――あの赤い大岩、枯れ木、雪の尾根を目指して、五十メートル刻みで跳べ!」
「了解いたしましたわ! 【短距離連続跳躍】行きますわよ!」
視界が歪んだ瞬間、橇ごと空間を飛び越え、五十メートル先の雪壁の上に一瞬で出現した。
チュウちゃんが着地と同時に力強く地を蹴る。
「いいぞ! チュウちゃんの走るテンポに合わせろ! ワン、ツー、ホップ!」
まるでコマ送りのように、橇が雪山を信じられない速度で登っていく。
風圧が顔を叩くが、完璧な重心設計のおかげで荷台は平穏そのもの。
「す、すごいですレンさん! 山道なのにまるで平地を走ってるみたいです♪」
「オリヴィア、右に五度ズレてる! あの二本松を狙え!」
荷台からの的確なナビゲーションと、巨獣の瞬発力、そして空間跳躍が完璧に噛み合い、前人未到の雪嶺を音速で突き進んでいった。
俺は真鍮の計算尺を取り出し、スライド尺をカチカチと動かして瞬時に数値を弾き出した。
「オリヴィア、ステラ、ベルカ! ボーッとしてる暇はないぞ、直ちに現場配置につけ!」
「ええっ!? わたくし、まだ朝のお茶を一口も飲んでおりませんのに!」
「文句は後だ! 現場の保安管理は一秒の遅れが致命傷になる! 倉庫番の資材応用技術――『重心分散パレット工法』と『流体誘導カーテン』を展開するぞ!」
俺は納屋から即座に必要な資材を選別した。規格寸法の杉板パレット四枚、耐荷重五トンの麻ロープ三束、そして予備のトタン板。
現場にある資材を、物理法則に従って最も効率的な形に組み上げる。それが倉庫番の真骨頂だ。
「ステラ、その調合液を右舷のスリットに流し込め! 急激な気化熱で流速を三倍に引き上げる!」
「はいっ! 急速冷却反応、点火します♪」
「オリヴィア、空間ゲートの開口角度を三十度に固定! ベルカとチュウちゃんはアンカーロープを『南京結び』で二重固定しろ!」
「ん。チュウちゃん、踏ん張って。ご飯のため!」
ドズゥゥゥゥッ!!
それぞれの能力が、俺の指示した物理ラインに沿って完璧に噛み合った。
暴走しかけていた魔力とエネルギーが、無理なく整流され、美しいピタゴラスイッチのように次々と課題をクリアしていく。
ガタガタと軋んでいた屋敷の梁がピタリと収まり、現場は静寂を取り戻した。
「ふう……っ! やれやれ、心臓が三回くらい止まるかと思ったぞ」
俺は作業着の袖で額の汗を拭い、床に散らばった工具を道具袋へ戻した。
資材を点検し、破損がないことを確認して元の棚へ収める。作業後の清掃と点検こそが、次の事故を防ぐ最善の予防策だ。
「……まったく、レンの指示は相変わらず無茶苦茶ですわ。名門公爵令嬢たるわたくしが、朝からこんな力仕事をさせられるなんて」
オリヴィアが文句を言いながらも、手際よくテーブルの上を片付けて布巾で拭いている。
「でもでも、レンさんの計算通りに全部ぴったり解決しましたよ! やっぱりレンさんは現場の天才ですね♪」
「天才じゃねえ、ただの現場の経験則だ」
「ん。お腹ぺこぺこ。力出ない。倒れそう」
ベルカがテーブルに突っ伏し、チュウちゃんも横で行儀よくお座りして待っている。
「よしよし、待たせたな。朝飯にするぞ」
俺は大鍋の蓋を開けた。
立ち上る湯気とともに、野菜と干し肉の濃厚で香ばしい香りが居間いっぱいに広がる。
裏庭で採れた新鮮な野菜をたっぷり使い、素材の旨味をじっくりと引き出した特製ポトフだ。
「「「わあああああっ!!」」」
木のお椀によそい、焼きたての黒パンを添えて並べる。
「いただきます!」
熱々のスープを一口すする。野菜の甘みと塩蔵肉の深いコクが、疲れた身体の隅々にまでじんわりと染み渡っていく。
「美味しいですわ……! 疲れた後のこの温かさ、どんな高級ホテルの朝食よりも心に染みます!」
「ん。スープ、お肉、最高。今日も生きててよかった」
チュウちゃんも鼻を鳴らしながら、特大の木桶に入った野菜をごくごくと平らげた。
窓から差し込む朝の光の中、賑やかな笑い声がボロ屋敷を満たしていく。
外の世界がどれほど大騒ぎになっていようと、俺たちの現場には、今日も確かな日常と温かい食卓があった。
【幕間:山岳警備隊の目撃証言】
山頂の観測小屋に籠もっていた山岳警備隊員が、温かいスープを吹きこぼした。
「な、なんだあれはァァァッ!?」
猛吹雪の雪壁を、巨大な黒い影が連続テレポートしながら猛烈な速度で駆け上がっていく。
「巨獣橇が……山を登っている……!? 時速百キロを超えているぞ!」
「あの上に乗っている青年……微動だにせずロープを握り、空間の歪みを支配している……!」
「神だ……雪山の神が駆け抜けていかれた……!」
隊員たちは震えながら敬礼で見送った。
一方その頃、王都中枢の諜報機関では、緊急の特別機密文書が机の上に叩きつけられていた。
「報告します! 煙突屋敷周辺の魔力潮流および物資移動の解析が完了しました!」
「……どうだったのだ? あの『在庫管理者』レンの真の狙いは……!」
「驚くべきことに、敵のあらゆる行動、自然環境の変動、そして王都の経済網の隙間まで、すべてが彼の計算尺の上で完璧にコントロールされておりました……!」
司令官の背筋に、氷のような冷たい汗が流れ落ちた。
「馬鹿な……天候や魔獣の習性、果ては王宮の動きまでを自らの『在庫』として管理し、意のままに動かしているというのか……!?」
「はい! 彼にとって、この王都そのものが巨大な倉庫に過ぎないのです! 逆らう者は、帳簿の赤字として処理され、痕跡すら残さず抹消されるでしょう……!」
「恐ろしい男だ……! 全部隊に厳命せよ! 煙突屋敷の領域には絶対に足を踏み入れるな! あの男の日常を乱した瞬間、王国は滅びるぞ……!」
ボロ屋敷でレンがスープのおかわりを配っていることなど露知らず、王都の闇は底知れぬ怪物の影に怯え続けるのだった。




