第24話 裏山のオオグモ糸と、粘着トラップの罠
第24話です。ベルカの防犯グッズと蜘蛛糸!
朝露に濡れた裏山の雑木林。
鳥たちの警戒する鳴き声が梢の向こうから響いていた。
俺とベルカ、そしてチュウちゃんは、長靴を履いて深い藪をかき分けていた。
「ベルカ、足元に気をつけろよ。朝露で岩肌が滑るからな」
「ん。チュウちゃん、前歩いて。蜘蛛の巣、払って」
「キュイッ!」
俺たちの目的は、裏山の奥に生息する巨大魔獣『オオツチグモ』の巣から、頑丈な粘着糸を採取することだった。
昨夜の防犯会議で、便所周辺の死角に侵入者防止ネットを張ることが決まったのだ。
木々の間に張られた、銀色に光る直径十メートルの巨大な蜘蛛の巣。
俺は道具袋から竹べらと油紙を取り出し、粘着糸の採取にかかった。
」
ベルカが裏山から引きずってきたのは、巨大な糸玉だった。
白くネバネバとした、直径一メートルの巨大な塊。
「……ベルカ。これ、裏山に生息する猛毒オオグモの巣じゃねえか?」
「うん。毒は抜いた。粘着力すごい。泥棒、捕まえられる」
ステラのワックス油でスケートリンクと化した廊下。
そして天井からは、一度触れたら二度と剥がれない超粘着オオグモの糸が垂れ下がっている。
「…………これ、ただの生活防犯じゃなくて、致死迷宮になってないか?」
「まぁ、確かに最近物騒だからな。あの悪ガキの脅迫状もあったし」
俺は納屋から倉庫番御用達の『滑り止め荒縄』を取り出した。
倉庫の雨天作業で、濡れた鉄板の上を歩くための伝統技法だ。
作業足袋の底に、荒縄を八の字に巻き付けてしっかりと縛り上げる。
ワックス油の上でも、荒縄の繊維がしっかりと床板を噛み、滑らずに歩くことができた。
「お前たちも部屋から出るなよ。夜中にトイレ行こうとしたら死ぬぞ」
俺は三人に厳重に注意し、道具の手入れを終えて床に就いた。
俺は真鍮の計算尺を取り出し、スライド尺をカチカチと動かして瞬時に数値を弾き出した。
「オリヴィア、ステラ、ベルカ! ボーッとしてる暇はないぞ、直ちに現場配置につけ!」
「ええっ!? わたくし、まだ朝のお茶を一口も飲んでおりませんのに!」
「文句は後だ! 現場の保安管理は一秒の遅れが致命傷になる! 倉庫番の資材応用技術――『重心分散パレット工法』と『流体誘導カーテン』を展開するぞ!」
俺は納屋から即座に必要な資材を選別した。規格寸法の杉板パレット四枚、耐荷重五トンの麻ロープ三束、そして予備のトタン板。
現場にある資材を、物理法則に従って最も効率的な形に組み上げる。それが倉庫番の真骨頂だ。
「ステラ、その調合液を右舷のスリットに流し込め! 急激な気化熱で流速を三倍に引き上げる!」
「はいっ! 急速冷却反応、点火します♪」
「オリヴィア、空間ゲートの開口角度を三十度に固定! ベルカとチュウちゃんはアンカーロープを『南京結び』で二重固定しろ!」
「ん。チュウちゃん、踏ん張って。ご飯のため!」
ドズゥゥゥゥッ!!
それぞれの能力が、俺の指示した物理ラインに沿って完璧に噛み合った。
暴走しかけていた魔力とエネルギーが、無理なく整流され、美しいピタゴラスイッチのように次々と課題をクリアしていく。
ガタガタと軋んでいた屋敷の梁がピタリと収まり、現場は静寂を取り戻した。
「ふう……っ! やれやれ、心臓が三回くらい止まるかと思ったぞ」
俺は作業着の袖で額の汗を拭い、床に散らばった工具を道具袋へ戻した。
資材を点検し、破損がないことを確認して元の棚へ収める。作業後の清掃と点検こそが、次の事故を防ぐ最善の予防策だ。
「……まったく、レンの指示は相変わらず無茶苦茶ですわ。名門公爵令嬢たるわたくしが、朝からこんな力仕事をさせられるなんて」
オリヴィアが文句を言いながらも、手際よくテーブルの上を片付けて布巾で拭いている。
「でもでも、レンさんの計算通りに全部ぴったり解決しましたよ! やっぱりレンさんは現場の天才ですね♪」
「天才じゃねえ、ただの現場の経験則だ」
「ん。お腹ぺこぺこ。力出ない。倒れそう」
ベルカがテーブルに突っ伏し、チュウちゃんも横で行儀よくお座りして待っている。
「よしよし、待たせたな。朝飯にするぞ」
俺は大鍋の蓋を開けた。
立ち上る湯気とともに、野菜と干し肉の濃厚で香ばしい香りが居間いっぱいに広がる。
裏庭で採れた新鮮な野菜をたっぷり使い、素材の旨味をじっくりと引き出した特製ポトフだ。
「「「わあああああっ!!」」」
木のお椀によそい、焼きたての黒パンを添えて並べる。
「いただきます!」
熱々のスープを一口すする。野菜の甘みと塩蔵肉の深いコクが、疲れた身体の隅々にまでじんわりと染み渡っていく。
「美味しいですわ……! 疲れた後のこの温かさ、どんな高級ホテルの朝食よりも心に染みます!」
「ん。スープ、お肉、最高。今日も生きててよかった」
チュウちゃんも鼻を鳴らしながら、特大の木桶に入った野菜をごくごくと平らげた。
窓から差し込む朝の光の中、賑やかな笑い声がボロ屋敷を満たしていく。
外の世界がどれほど大騒ぎになっていようと、俺たちの現場には、今日も確かな日常と温かい食卓があった。
【幕間:夜襲のカウントダウン】
深夜二時。
新月の闇に包まれた煙突屋敷。
黒装束に身を包んだ三十名の暗殺者たちが、足音一つ立てずに庭へと忍び寄っていた。
「首領、屋敷の灯りはすべて消えております。全員熟睡している模様」
「フッ……無防備な田舎者め。いくぞ、音もなく侵入し、三秒で息の根を止めろ」
「「ハッ!」」
凄腕の殺し屋たちが、死神の足取りで屋敷の扉へと手をかけた。
一方その頃、王都中枢の諜報機関では、緊急の特別機密文書が机の上に叩きつけられていた。
「報告します! 煙突屋敷周辺の魔力潮流および物資移動の解析が完了しました!」
「……どうだったのだ? あの『在庫管理者』レンの真の狙いは……!」
「驚くべきことに、敵のあらゆる行動、自然環境の変動、そして王都の経済網の隙間まで、すべてが彼の計算尺の上で完璧にコントロールされておりました……!」
司令官の背筋に、氷のような冷たい汗が流れ落ちた。
「馬鹿な……天候や魔獣の習性、果ては王宮の動きまでを自らの『在庫』として管理し、意のままに動かしているというのか……!?」
「はい! 彼にとって、この王都そのものが巨大な倉庫に過ぎないのです! 逆らう者は、帳簿の赤字として処理され、痕跡すら残さず抹消されるでしょう……!」
「恐ろしい男だ……! 全部隊に厳命せよ! 煙突屋敷の領域には絶対に足を踏み入れるな! あの男の日常を乱した瞬間、王国は滅びるぞ……!」
ボロ屋敷でレンがスープのおかわりを配っていることなど露知らず、王都の闇は底知れぬ怪物の影に怯え続けるのだった。




