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第23話 便所の底に開いた虚空ゲートと、吸い込み警報

第23話です。便所の底に開いた異次元!

夜中の二時。

 ボロ屋敷全体が深い静寂に包まれ、屋根の上を渡る夜風の音だけが聞こえていた。

 俺は敷布団の中で、下腹部に走る重苦しい鈍痛で目を覚ました。

「……くっ、夕飯に食った激辛カボチャ鍋のせいか……」

 冷や汗を拭いながら寝袋を抜け出し、ランタンに火を灯す。

 足音を忍ばせて廊下を進み、勝手口から裏庭の便所小屋へと向かった。

 だが――便所の木の扉の前に立った瞬間、俺の肌がビリビリと粟立った。

 ゴオオオオオオオオッ……!!

 扉の隙間から、まるで地下の奈落から吹き上がってくるかのような、冷たい暴風と不穏な紫の魔力光が漏れ出していた。

「おいおい……なんだこの音は。便所が異世界に通じてんのか……!?」


」


 雑巾箱から救出されたオリヴィアは、額に大きなタンコブを作りながら憤慨していた。

 「もう許せませんわ! このわたくしがこんな屈辱を味わうなんて! 見ていなさい、わたくしの空間魔法で、屋敷一番の汚点であるあの便所を完全浄化して差し上げます!」

 「おい、やめろオリヴィア! 便所に魔法なんか使うな!」

 制止を振り切り、オリヴィアは便所の板戸を蹴り開けた。

 「【空間歪曲・底抜け排出ゲート】展開!!」

 カッと青い閃光が走り、汲み取り便所の底に漆黒の穴が現れた。

 便器の穴から、猛烈な大気圧の逆流と漆黒の虚空風が吹き荒れ始めた。

 便所スリッパが、スポンと虚空へ吸い込まれて消滅した。

 続いて壁のカレンダー、トイレットペーパーの芯、手洗い桶が次々にブラックホールのように便器の中へ飲み込まれていく。

 「オリヴィア! これどこに繋がってんだ!?」

 「王都の地下百メートルにある、大昔の廃棄水路ですわ! 汲み取り不要のエコシステムです!」

 「気圧差で部屋ごと吸い込まれそうになってんじゃねえか!!」

 俺は道具袋から麻ロープを取り出し、オリヴィアの腰にもやい結びで巻き付け、柱にしがみつかせた。

 「蓋をしろ! 頑丈な木の蓋を今すぐ持ってこい!」

 俺たちは命がけで便所の蓋を閉め、上に五十キロの漬物石を載せてようやく嵐を鎮圧した。

 『※危険・絶対に石をどかすな・吸い込まれる』



 俺は真鍮の計算尺を取り出し、スライド尺をカチカチと動かして瞬時に数値を弾き出した。

「オリヴィア、ステラ、ベルカ! ボーッとしてる暇はないぞ、直ちに現場配置につけ!」

「ええっ!? わたくし、まだ朝のお茶を一口も飲んでおりませんのに!」

「文句は後だ! 現場の保安管理(セーフティ)は一秒の遅れが致命傷になる! 倉庫番の資材応用技術――『重心分散パレット工法』と『流体誘導カーテン』を展開するぞ!」

 俺は納屋から即座に必要な資材を選別した。規格寸法の杉板パレット四枚、耐荷重五トンの麻ロープ三束、そして予備のトタン板。

 現場にある資材を、物理法則に従って最も効率的な形に組み上げる。それが倉庫番の真骨頂だ。

「ステラ、その調合液を右舷のスリットに流し込め! 急激な気化熱で流速を三倍に引き上げる!」

「はいっ! 急速冷却反応、点火します♪」

「オリヴィア、空間ゲートの開口角度を三十度に固定! ベルカとチュウちゃんはアンカーロープを『南京結び』で二重固定しろ!」

「ん。チュウちゃん、踏ん張って。ご飯のため!」

 ドズゥゥゥゥッ!!

 それぞれの能力が、俺の指示した物理ラインに沿って完璧に噛み合った。

 暴走しかけていた魔力とエネルギーが、無理なく整流され、美しいピタゴラスイッチのように次々と課題をクリアしていく。

 ガタガタと軋んでいた屋敷の梁がピタリと収まり、現場は静寂を取り戻した。


「ふう……っ! やれやれ、心臓が三回くらい止まるかと思ったぞ」

 俺は作業着の袖で額の汗を拭い、床に散らばった工具を道具袋へ戻した。

 資材を点検し、破損がないことを確認して元の棚へ収める。作業後の清掃と点検こそが、次の事故を防ぐ最善の予防策だ。

「……まったく、レンの指示は相変わらず無茶苦茶ですわ。名門公爵令嬢たるわたくしが、朝からこんな力仕事をさせられるなんて」

 オリヴィアが文句を言いながらも、手際よくテーブルの上を片付けて布巾で拭いている。

「でもでも、レンさんの計算通りに全部ぴったり解決しましたよ! やっぱりレンさんは現場の天才ですね♪」

「天才じゃねえ、ただの現場の経験則だ」

「ん。お腹ぺこぺこ。力出ない。倒れそう」

 ベルカがテーブルに突っ伏し、チュウちゃんも横で行儀よくお座りして待っている。

「よしよし、待たせたな。朝飯にするぞ」

 俺は大鍋の蓋を開けた。

 立ち上る湯気とともに、野菜と干し肉の濃厚で香ばしい香りが居間いっぱいに広がる。

 裏庭で採れた新鮮な野菜をたっぷり使い、素材の旨味をじっくりと引き出した特製ポトフだ。

「「「わあああああっ!!」」」

 木のお椀によそい、焼きたての黒パンを添えて並べる。

「いただきます!」

 熱々のスープを一口すする。野菜の甘みと塩蔵肉の深いコクが、疲れた身体の隅々にまでじんわりと染み渡っていく。

「美味しいですわ……! 疲れた後のこの温かさ、どんな高級ホテルの朝食よりも心に染みます!」

「ん。スープ、お肉、最高。今日も生きててよかった」

 チュウちゃんも鼻を鳴らしながら、特大の木桶に入った野菜をごくごくと平らげた。

 窓から差し込む朝の光の中、賑やかな笑い声がボロ屋敷を満たしていく。

 外の世界がどれほど大騒ぎになっていようと、俺たちの現場には、今日も確かな日常と温かい食卓があった。

【幕間:暗殺ギルドの突入計画】


 日没後。煙突屋敷を見下ろす丘の上。

 暗殺ギルド『黒い牙』の精鋭三十名が集結していた。

「正面玄関と裏口には警戒が集中しているはずだ」

 副首領が地図を広げる。

「だが安心しろ。建物の裏手、西側の角にある小さな小窓――あそこは換気用の小窓だ。鍵もかかっておらん。あそこから音もなく侵入し、内部から制圧する!」

「さすが副首領! 完璧な潜入ルートです!」

 暗殺者たちは、その小窓が『虚空ゲート便所』の換気窓であることなど、知る由もなかった。


 一方その頃、王都中枢の諜報機関では、緊急の特別機密文書が机の上に叩きつけられていた。

「報告します! 煙突屋敷周辺の魔力潮流および物資移動の解析が完了しました!」

「……どうだったのだ? あの『在庫管理者』レンの真の狙いは……!」

「驚くべきことに、敵のあらゆる行動、自然環境の変動、そして王都の経済網の隙間まで、すべてが彼の計算尺の上で完璧にコントロールされておりました……!」

 司令官の背筋に、氷のような冷たい汗が流れ落ちた。

「馬鹿な……天候や魔獣の習性、果ては王宮の動きまでを自らの『在庫』として管理し、意のままに動かしているというのか……!?」

「はい! 彼にとって、この王都そのものが巨大な倉庫に過ぎないのです! 逆らう者は、帳簿の赤字として処理され、痕跡すら残さず抹消されるでしょう……!」

「恐ろしい男だ……! 全部隊に厳命せよ! 煙突屋敷の領域には絶対に足を踏み入れるな! あの男の日常を乱した瞬間、王国は滅びるぞ……!」

 ボロ屋敷でレンがスープのおかわりを配っていることなど露知らず、王都の闇は底知れぬ怪物の影に怯え続けるのだった。

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