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第21話 異臭のする汲み取り便所と、休日の大掃除宣言

第3章開幕です! ボロ屋敷の生活防衛編!

抜けるような秋晴れの休日。

 ボロ屋敷の縁側に座って干し柿の紐を括っていた俺の鼻先を、裏庭の隅からプーンと風に乗って漂ってきた生臭い異臭がかすめた。

「……うっ。なんだこのアンモニアと硫化水素が混ざったような刺激臭は」

 俺は思わず顔をしかめ、手元の作業を止めた。

 原因は明らかだった。裏庭の最も日当たりの悪い北西の角、板張りの小屋――ボロ屋敷の『汲み取り便所』だ。

 引っ越してきてからというもの、屋根の修理や畑の開墾に追われて後回しにしていたが、底の肥溜めが限界に達しつつあった。

「現場の衛生管理(クレンリネス)を怠る倉庫は三日で病人が出る。……よし、今日こそあの便所を全面改修するぞ」

 俺は道具袋からゴム長靴と厚手のゴム手袋、そして消臭用の木酢液の樽を引きずり出した。


」


 休日の朝。心地よい鳥のさえずりを打ち消すように、鼻腔を突く刺激臭が漂ってきた。

 俺は鼻をつまみ、屋敷の奥まった廊下の突き当たりにある板戸を睨みつけた。

 築百年のボロ屋敷だけあって、下水配管などという近代的なインフラは存在しない。便器の底の溜め枡に、過去の住人たちの遺産と悪臭が堆積している。

 「レンさん、おはようございます……うっ、何ですかこの匂い!?」

 起きてきたステラが、華奢な鼻を手で覆って飛び退いた。

 「便所の臭気だ。気温が上がって発酵が進みやがったな」

 放置すれば屋敷全体に匂いが充満し、飯の味すら分からなくなる。

 「今日中に大掃除と防犯補修を完了させる。全員、作業着に着替えろ!」

 俺の号令に、オリヴィアが優雅にあくびをしながら現れた。

 「大掃除ですの? 下々の労働など、わたくしの空間魔法でパパッと片付けて差し上げますわ!」

 「余計な真似はするな。お前のパパッとは大抵ろくなことにならん」

 「失礼な! わたくしが本気を出せば、便所の汚れなど次元の彼方へ消し去れますのに!」

 俺は道具袋の紐を固く結び直し、デッキブラシとバケツ、そして倉庫番御用達の厚手ゴム手袋を土間に並べた。

 平穏な日常を守るため、倉庫番の意地をかけた大掃除が幕を開けた。



 俺は真鍮の計算尺を取り出し、スライド尺をカチカチと動かして瞬時に数値を弾き出した。

「オリヴィア、ステラ、ベルカ! ボーッとしてる暇はないぞ、直ちに現場配置につけ!」

「ええっ!? わたくし、まだ朝のお茶を一口も飲んでおりませんのに!」

「文句は後だ! 現場の保安管理(セーフティ)は一秒の遅れが致命傷になる! 倉庫番の資材応用技術――『重心分散パレット工法』と『流体誘導カーテン』を展開するぞ!」

 俺は納屋から即座に必要な資材を選別した。規格寸法の杉板パレット四枚、耐荷重五トンの麻ロープ三束、そして予備のトタン板。

 現場にある資材を、物理法則に従って最も効率的な形に組み上げる。それが倉庫番の真骨頂だ。

「ステラ、その調合液を右舷のスリットに流し込め! 急激な気化熱で流速を三倍に引き上げる!」

「はいっ! 急速冷却反応、点火します♪」

「オリヴィア、空間ゲートの開口角度を三十度に固定! ベルカとチュウちゃんはアンカーロープを『南京結び』で二重固定しろ!」

「ん。チュウちゃん、踏ん張って。ご飯のため!」

 ドズゥゥゥゥッ!!

 それぞれの能力が、俺の指示した物理ラインに沿って完璧に噛み合った。

 暴走しかけていた魔力とエネルギーが、無理なく整流され、美しいピタゴラスイッチのように次々と課題をクリアしていく。

 ガタガタと軋んでいた屋敷の梁がピタリと収まり、現場は静寂を取り戻した。


「ふう……っ! やれやれ、心臓が三回くらい止まるかと思ったぞ」

 俺は作業着の袖で額の汗を拭い、床に散らばった工具を道具袋へ戻した。

 資材を点検し、破損がないことを確認して元の棚へ収める。作業後の清掃と点検こそが、次の事故を防ぐ最善の予防策だ。

「……まったく、レンの指示は相変わらず無茶苦茶ですわ。名門公爵令嬢たるわたくしが、朝からこんな力仕事をさせられるなんて」

 オリヴィアが文句を言いながらも、手際よくテーブルの上を片付けて布巾で拭いている。

「でもでも、レンさんの計算通りに全部ぴったり解決しましたよ! やっぱりレンさんは現場の天才ですね♪」

「天才じゃねえ、ただの現場の経験則だ」

「ん。お腹ぺこぺこ。力出ない。倒れそう」

 ベルカがテーブルに突っ伏し、チュウちゃんも横で行儀よくお座りして待っている。

「よしよし、待たせたな。朝飯にするぞ」

 俺は大鍋の蓋を開けた。

 立ち上る湯気とともに、野菜と干し肉の濃厚で香ばしい香りが居間いっぱいに広がる。

 裏庭で採れた新鮮な野菜をたっぷり使い、素材の旨味をじっくりと引き出した特製ポトフだ。

「「「わあああああっ!!」」」

 木のお椀によそい、焼きたての黒パンを添えて並べる。

「いただきます!」

 熱々のスープを一口すする。野菜の甘みと塩蔵肉の深いコクが、疲れた身体の隅々にまでじんわりと染み渡っていく。

「美味しいですわ……! 疲れた後のこの温かさ、どんな高級ホテルの朝食よりも心に染みます!」

「ん。スープ、お肉、最高。今日も生きててよかった」

 チュウちゃんも鼻を鳴らしながら、特大の木桶に入った野菜をごくごくと平らげた。

 窓から差し込む朝の光の中、賑やかな笑い声がボロ屋敷を満たしていく。

 外の世界がどれほど大騒ぎになっていようと、俺たちの現場には、今日も確かな日常と温かい食卓があった。

【幕間:『黄金の獅子』商会の密談】


 同じ日の朝。商業都市リヴェルタ・裏通りの密室。

 『黄金の獅子』商会の会頭が、不気味な黒ずくめの男と向かい合っていた。

「首領、手はずは整っているな?」

「無論だ。今夜、我が暗殺ギルド『黒い牙』の精鋭三十名が東区の煙突屋敷を包囲する」

 首領が冷酷な笑みを浮かべる。

「煙突屋敷の主……『在庫管理者』レン。彼奴がどれほど恐るべき呪術師であろうと、熟睡中の首を掻き切ればただの肉塊よ」

「頼んだぞ。あの屋敷の者を一人残らず始末し、我が商会の威信を取り戻すのだ!」

 殺意の刃が、大掃除に燃える煙突屋敷へと忍び寄っていた。


 一方その頃、王都中枢の諜報機関では、緊急の特別機密文書が机の上に叩きつけられていた。

「報告します! 煙突屋敷周辺の魔力潮流および物資移動の解析が完了しました!」

「……どうだったのだ? あの『在庫管理者』レンの真の狙いは……!」

「驚くべきことに、敵のあらゆる行動、自然環境の変動、そして王都の経済網の隙間まで、すべてが彼の計算尺の上で完璧にコントロールされておりました……!」

 司令官の背筋に、氷のような冷たい汗が流れ落ちた。

「馬鹿な……天候や魔獣の習性、果ては王宮の動きまでを自らの『在庫』として管理し、意のままに動かしているというのか……!?」

「はい! 彼にとって、この王都そのものが巨大な倉庫に過ぎないのです! 逆らう者は、帳簿の赤字として処理され、痕跡すら残さず抹消されるでしょう……!」

「恐ろしい男だ……! 全部隊に厳命せよ! 煙突屋敷の領域には絶対に足を踏み入れるな! あの男の日常を乱した瞬間、王国は滅びるぞ……!」

 ボロ屋敷でレンがスープのおかわりを配っていることなど露知らず、王都の闇は底知れぬ怪物の影に怯え続けるのだった。

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