第20話 届いた果たし状と、第2章の収穫祭
第20話です。第2章完結! 大収穫祭と、次なる刺客の影!
夜明け前の冷たい風が、ボロ屋敷の隙間をすり抜けて居間に吹き込んでいた。
俺はいつものように一番乗りで起き出し、冷えた手先を擦り合わせながら暖炉へ向かった。
灰を火かき棒で丁寧にかき分け、底に残った小さな赤い熾火を見つけ出す。前夜に乾かしておいたナラの小割りを三本、空気の通り道を計算して三角形に組み、フイゴを手に取った。
シュポ、シュポと規則正しく二回、空気を送り込む。パチリと乾いた爆ぜる音が響き、細い黄金色の炎が立ち上がると、居間にじんわりとした暖気が広がり始めた。
毎朝欠かさず行う、道具と資材の点検だ。
俺は腰の革ベルトから、真鍮製の十寸計算尺、目盛りを刻んだ鋼尺、手のひらサイズの仕上げ砥石を取り出し、長テーブルの上に整然と並べた。
油壺から椿油を一滴垂らし、ネル布で計算尺のスライド面を磨く。シャキリ、シャキリと滑らかな手応え。
どんな過酷な現場であっても、道具の手入れを怠れば一瞬で事故につながる。十年間、倉庫番として叩き込まれた身体の記憶だ。
「さて、今日の作業段取りを整理しておくか」
出納帳を開き、鉛筆を走らせる。ボロ屋敷の修繕、備蓄食糧の管理、納屋の棚卸し。やることが山積みだ。
やがて二階からバタバタと慌ただしい足音が響き、三人娘が居間へと降りてきた。
「なんですのレン、朝から熱心に帳簿付けなんて。優雅な貴族の朝は、淹れたての上質な紅茶から始まりますのよ?」
オリヴィアが銀刺繍の施された寝巻きの裾を優雅に翻し、長椅子に腰を下ろした。手にはなぜか、王立魔導院特製の超高純度マナ水晶が握られている。
「レンさん、おはようございます! 昨夜思いついた新しい調合液の反応が止まらなくて、瓶がちょっと発熱してるんです♪」
ステラが抱えているのは、ドクドクと紫色に脈打つ巨大なフラスコ。表面からシュワシュワと怪しいピンクの蒸気が吹き出している。
「おいステラ、頼むから朝食前に危険物を抱えて居間に入ってくるな! 絨毯に一滴でも垂らしたら床板ごと消し飛ぶだろ!」
「えへへ、大丈夫です! 爆発限界温度までは、あと三度くらい余裕がありますから!」
「あと三度ってそれもう沸騰寸前だろうが!」
「ん。お腹すいた。朝ご飯、なに? お肉?」
ベルカが半分眠ったような顔で俺のエプロンの端を掴み、背後からは体長五メートルの巨大ネズミ・チュウちゃんが「キュイッ」と甘えた声を出しながら鼻先を突っ込んできた。
「朝から肉が食えるか! まずは目の前の現場トラブルを片付けるのが先だ!」
煙突屋敷の裏庭は、王都随一の美しい家庭菜園へと生まれ変わっていた。
整然と区画整理された畝には、青々とした野菜が育ち、納屋には一冬を越しても余りある保存食が美しくラベリングされて保管されている。
俺は出納帳を開き、真鍮の計算尺を滑らせた。
「金庫残高:金貨ゼロ、銅貨三枚。……だが、現物資産評価額:金貨百五十枚相当」
貨幣としての現金はまだないが、倉庫番にとって『適正に保管された資材と食糧』こそが最大の資産だ。
「レン、郵便受けにお手紙が届いておりましたわ!」
オリヴィアが一通の封書を持って居間に駆け込んできた。
上質な羊皮紙に、黒い蝋で封印が押されている。
「宛名は……『煙突屋敷の黒幕・在庫管理者レン殿へ』?」
俺はペーパーナイフで封を切り、手紙を開いた。
差出人は――王都裏社会を牛耳る悪徳ギルド連合『黒い牙』。
『先般の穀物庫壊滅事件において、貴殿が我が傘下の商会に与えた損害は金貨五万枚に達する。近日中にボロ屋敷を急襲し、貴殿の命と全物資を徴収する』
「ひいっ! 脅迫状ですわ! レン、王都憲兵隊に通報しましょう!」
「レンさん、屋敷の周囲に猛毒ガスを撒きましょうか!?」
三人が三者三様に物騒な提案をしてくるのを、俺は片手を挙げて制した。
「慌てるな。現場の保安管理は倉庫番の専門分野だ」
俺は手紙を暖炉の火に放り込み、パチリと燃え上がる灰を見つめた。
「不審者の侵入経路なんざ、屋敷の間取りと動線を見れば一目瞭然だ。正面玄関、裏口の勝手口、そして――裏庭の汲み取り便所だ」
「そうだ。敵が夜襲をかけるなら、最も死角になる裏庭の便所周りから侵入してくるに決まってる。……ちょうどいい、第3章に向けて屋敷の防犯トラップを全面的に改修するぞ」
俺は道具袋の紐を締め直し、不敵な笑みを浮かべた。
「まずは今日の昼飯だ! 第2章の収穫祭として、畑の野菜を全部入れた特大カボチャグラタンを作るぞ!」
歓声が響き、ボロ屋敷の台所に再び賑やかな包丁の音が響き始めた。
追放された倉庫番と三人のポンコツ美少女の共同生活は、ますます絆を深めていくのだった。
俺は真鍮の計算尺を取り出し、スライド尺をカチカチと動かして瞬時に数値を弾き出した。
「オリヴィア、ステラ、ベルカ! ボーッとしてる暇はないぞ、直ちに現場配置につけ!」
「ええっ!? わたくし、まだ朝のお茶を一口も飲んでおりませんのに!」
「文句は後だ! 現場の保安管理は一秒の遅れが致命傷になる! 倉庫番の資材応用技術――『重心分散パレット工法』と『流体誘導カーテン』を展開するぞ!」
俺は納屋から即座に必要な資材を選別した。規格寸法の杉板パレット四枚、耐荷重五トンの麻ロープ三束、そして予備のトタン板。
現場にある資材を、物理法則に従って最も効率的な形に組み上げる。それが倉庫番の真骨頂だ。
「ステラ、その調合液を右舷のスリットに流し込め! 急激な気化熱で流速を三倍に引き上げる!」
「はいっ! 急速冷却反応、点火します♪」
「オリヴィア、空間ゲートの開口角度を三十度に固定! ベルカとチュウちゃんはアンカーロープを『南京結び』で二重固定しろ!」
「ん。チュウちゃん、踏ん張って。ご飯のため!」
ドズゥゥゥゥッ!!
それぞれの能力が、俺の指示した物理ラインに沿って完璧に噛み合った。
暴走しかけていた魔力とエネルギーが、無理なく整流され、美しいピタゴラスイッチのように次々と課題をクリアしていく。
ガタガタと軋んでいた屋敷の梁がピタリと収まり、現場は静寂を取り戻した。
「ふう……っ! やれやれ、心臓が三回くらい止まるかと思ったぞ」
俺は作業着の袖で額の汗を拭い、床に散らばった工具を道具袋へ戻した。
資材を点検し、破損がないことを確認して元の棚へ収める。作業後の清掃と点検こそが、次の事故を防ぐ最善の予防策だ。
「……まったく、レンの指示は相変わらず無茶苦茶ですわ。名門公爵令嬢たるわたくしが、朝からこんな力仕事をさせられるなんて」
オリヴィアが文句を言いながらも、手際よくテーブルの上を片付けて布巾で拭いている。
「でもでも、レンさんの計算通りに全部ぴったり解決しましたよ! やっぱりレンさんは現場の天才ですね♪」
「天才じゃねえ、ただの現場の経験則だ」
「ん。お腹ぺこぺこ。力出ない。倒れそう」
ベルカがテーブルに突っ伏し、チュウちゃんも横で行儀よくお座りして待っている。
「よしよし、待たせたな。朝飯にするぞ」
俺は大鍋の蓋を開けた。
立ち上る湯気とともに、野菜と干し肉の濃厚で香ばしい香りが居間いっぱいに広がる。
裏庭で採れた新鮮な野菜をたっぷり使い、素材の旨味をじっくりと引き出した特製ポトフだ。
「「「わあああああっ!!」」」
木のお椀によそい、焼きたての黒パンを添えて並べる。
「いただきます!」
熱々のスープを一口すする。野菜の甘みと塩蔵肉の深いコクが、疲れた身体の隅々にまでじんわりと染み渡っていく。
「美味しいですわ……! 疲れた後のこの温かさ、どんな高級ホテルの朝食よりも心に染みます!」
「ん。スープ、お肉、最高。今日も生きててよかった」
チュウちゃんも鼻を鳴らしながら、特大の木桶に入った野菜をごくごくと平らげた。
窓から差し込む朝の光の中、賑やかな笑い声がボロ屋敷を満たしていく。
外の世界がどれほど大騒ぎになっていようと、俺たちの現場には、今日も確かな日常と温かい食卓があった。
【幕間:暗殺者ギルド『黒い牙』本部の密談】
王都の地下下水道に隠された暗殺者ギルド本部。
ギルド長が、煙突屋敷の監視報告書を前に不気味な笑みを浮かべていた。
「果たし状を読んだレンは、どんな反応だった?」
「報告します! 青年は果たし状を一瞥しただけで暖炉に投げ捨て、『ちょうどいい、防犯トラップの実験台にしてやる』と嘲笑ったとのことです!」
「なに……!? 我ら百戦錬磨の暗殺部隊を、ただの実験台扱いだと……!?」
ギルド長の顔が引き攣った。
「侮れぬ男だ……。あの屋敷には、一体どんな恐るべき迎撃魔導兵器が待ち構えているというのだ……!?」
暗殺者たちは知らなかった。待ち構えているのが、石鹸水と汲み取り便所のピタゴラスイッチトラップであることを。
一方その頃、王都中枢の諜報機関では、緊急の特別機密文書が机の上に叩きつけられていた。
「報告します! 煙突屋敷周辺の魔力潮流および物資移動の解析が完了しました!」
「……どうだったのだ? あの『在庫管理者』レンの真の狙いは……!」
「驚くべきことに、敵のあらゆる行動、自然環境の変動、そして王都の経済網の隙間まで、すべてが彼の計算尺の上で完璧にコントロールされておりました……!」
司令官の背筋に、氷のような冷たい汗が流れ落ちた。
「馬鹿な……天候や魔獣の習性、果ては王宮の動きまでを自らの『在庫』として管理し、意のままに動かしているというのか……!?」
「はい! 彼にとって、この王都そのものが巨大な倉庫に過ぎないのです! 逆らう者は、帳簿の赤字として処理され、痕跡すら残さず抹消されるでしょう……!」
「恐ろしい男だ……! 全部隊に厳命せよ! 煙突屋敷の領域には絶対に足を踏み入れるな! あの男の日常を乱した瞬間、王国は滅びるぞ……!」
ボロ屋敷でレンがスープのおかわりを配っていることなど露知らず、王都の闇は底知れぬ怪物の影に怯え続けるのだった。




