第18話 荷車いっぱいの保存食と、近隣農村の感謝祭
第18話です。余った大豊作野菜を近隣農村へお裾分け!
夜明け前の冷たい風が、ボロ屋敷の隙間をすり抜けて居間に吹き込んでいた。
俺はいつものように一番乗りで起き出し、冷えた手先を擦り合わせながら暖炉へ向かった。
灰を火かき棒で丁寧にかき分け、底に残った小さな赤い熾火を見つけ出す。前夜に乾かしておいたナラの小割りを三本、空気の通り道を計算して三角形に組み、フイゴを手に取った。
シュポ、シュポと規則正しく二回、空気を送り込む。パチリと乾いた爆ぜる音が響き、細い黄金色の炎が立ち上がると、居間にじんわりとした暖気が広がり始めた。
毎朝欠かさず行う、道具と資材の点検だ。
俺は腰の革ベルトから、真鍮製の十寸計算尺、目盛りを刻んだ鋼尺、手のひらサイズの仕上げ砥石を取り出し、長テーブルの上に整然と並べた。
油壺から椿油を一滴垂らし、ネル布で計算尺のスライド面を磨く。シャキリ、シャキリと滑らかな手応え。
どんな過酷な現場であっても、道具の手入れを怠れば一瞬で事故につながる。十年間、倉庫番として叩き込まれた身体の記憶だ。
「さて、今日の作業段取りを整理しておくか」
出納帳を開き、鉛筆を走らせる。ボロ屋敷の修繕、備蓄食糧の管理、納屋の棚卸し。やることが山積みだ。
やがて二階からバタバタと慌ただしい足音が響き、三人娘が居間へと降りてきた。
「なんですのレン、朝から熱心に帳簿付けなんて。優雅な貴族の朝は、淹れたての上質な紅茶から始まりますのよ?」
オリヴィアが銀刺繍の施された寝巻きの裾を優雅に翻し、長椅子に腰を下ろした。手にはなぜか、王立魔導院特製の超高純度マナ水晶が握られている。
「レンさん、おはようございます! 昨夜思いついた新しい調合液の反応が止まらなくて、瓶がちょっと発熱してるんです♪」
ステラが抱えているのは、ドクドクと紫色に脈打つ巨大なフラスコ。表面からシュワシュワと怪しいピンクの蒸気が吹き出している。
「おいステラ、頼むから朝食前に危険物を抱えて居間に入ってくるな! 絨毯に一滴でも垂らしたら床板ごと消し飛ぶだろ!」
「えへへ、大丈夫です! 爆発限界温度までは、あと三度くらい余裕がありますから!」
「あと三度ってそれもう沸騰寸前だろうが!」
「ん。お腹すいた。朝ご飯、なに? お肉?」
ベルカが半分眠ったような顔で俺のエプロンの端を掴み、背後からは体長五メートルの巨大ネズミ・チュウちゃんが「キュイッ」と甘えた声を出しながら鼻先を突っ込んできた。
「朝から肉が食えるか! まずは目の前の現場トラブルを片付けるのが先だ!」
鋼鉄猪たちの猛烈な突進耕作と、ステラの適量肥料のおかげで、裏庭の畑は驚異的なスピードで次々と作物を実らせた。
ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、キャベツ。
どれも通常の一・五倍ほどの大ぶりで、みずみずしく詰まっている。
「レン、納屋の保管ラックがもう限界ですわ! お野菜が溢れて居間にまで侵食してまいりました!」
納屋には塩蔵カボチャの大樽が二十個、乾燥大根の束が百本、そして山のような根菜類。
四人と一匹の胃袋では、一年かけても消費しきれない量だった。
「在庫の滞留はキャッシュフローの悪化と同じだ。余剰資材は市場に流して有効活用する」
俺は大型の二八式大八車を引っ張り出し、野菜の木箱を整然と積み上げた。
重心を中心軸の真上に合わせ、重い根菜を下、葉物を上にパレット積みする。
麻紐で『南京結び』をかけ、ガタつく街道でも荷崩れしないよう完璧に固定した。
「近隣の農村だ。先日のイナゴの飛来で、東区外れの農村は作物が全滅して困窮してると聞いた」
困っている現場を見過ごすのは、物流屋の名折れだ。
俺たちはチュウちゃんに大八車を引かせ、煙突屋敷から街道を下った。
三十分ほどで到着した村は、静まり返っていた。
イナゴに食い荒らされた畑を前に、村人たちが力なく座り込んでいる。
俺が声をかけると、白髪の老人が弱々しく立ち上がった。
「わしが村長だが……旅の商人さんかね? すまねえが、売るものも買う金も、この村には残っておらんのじゃ……」
「買いに来たんじゃない。これを引き取ってもらいたいんだ」
山積みにされた、黄金色に輝くカボチャのブロック、みずみずしい巨大大根、土付きのジャガイモ。
「う、嘘だろ……!? こんな極上の野菜が、荷車いっぱいに……!?」
「うちの裏庭で採れすぎて倉庫に入り切らんのだ。村の冬越しの備蓄にしてくれ。代金は要らん。代わりに、余ってる藁と堆肥の原料を譲ってくれればいい」
「代金が要らんじゃと……!? 神様じゃ……! 畑の守り神様じゃああっ!」
村長がその場に泣き崩れ、村人たちが歓声を上げて駆け寄ってきた。
「ありがとう、お兄ちゃん!」「これで子供たちを飢えさせずに済む!」
オリヴィアとステラ、ベルカも村人たちに囲まれ、手際よく野菜を配り始めた。
「あらあら、お行儀よく並んでくださいまし! 名門貴族の配給ですわよ!」
「乾燥大根の戻し汁はすごく甘くて美味しいですからね♪」
感謝の涙と笑顔に包まれながら、俺は村人から受け取った良質な藁の束を大八車に積み込み、満足そうに鼻を鳴らした。
俺は真鍮の計算尺を取り出し、スライド尺をカチカチと動かして瞬時に数値を弾き出した。
「オリヴィア、ステラ、ベルカ! ボーッとしてる暇はないぞ、直ちに現場配置につけ!」
「ええっ!? わたくし、まだ朝のお茶を一口も飲んでおりませんのに!」
「文句は後だ! 現場の保安管理は一秒の遅れが致命傷になる! 倉庫番の資材応用技術――『重心分散パレット工法』と『流体誘導カーテン』を展開するぞ!」
俺は納屋から即座に必要な資材を選別した。規格寸法の杉板パレット四枚、耐荷重五トンの麻ロープ三束、そして予備のトタン板。
現場にある資材を、物理法則に従って最も効率的な形に組み上げる。それが倉庫番の真骨頂だ。
「ステラ、その調合液を右舷のスリットに流し込め! 急激な気化熱で流速を三倍に引き上げる!」
「はいっ! 急速冷却反応、点火します♪」
「オリヴィア、空間ゲートの開口角度を三十度に固定! ベルカとチュウちゃんはアンカーロープを『南京結び』で二重固定しろ!」
「ん。チュウちゃん、踏ん張って。ご飯のため!」
ドズゥゥゥゥッ!!
それぞれの能力が、俺の指示した物理ラインに沿って完璧に噛み合った。
暴走しかけていた魔力とエネルギーが、無理なく整流され、美しいピタゴラスイッチのように次々と課題をクリアしていく。
ガタガタと軋んでいた屋敷の梁がピタリと収まり、現場は静寂を取り戻した。
「ふう……っ! やれやれ、心臓が三回くらい止まるかと思ったぞ」
俺は作業着の袖で額の汗を拭い、床に散らばった工具を道具袋へ戻した。
資材を点検し、破損がないことを確認して元の棚へ収める。作業後の清掃と点検こそが、次の事故を防ぐ最善の予防策だ。
「……まったく、レンの指示は相変わらず無茶苦茶ですわ。名門公爵令嬢たるわたくしが、朝からこんな力仕事をさせられるなんて」
オリヴィアが文句を言いながらも、手際よくテーブルの上を片付けて布巾で拭いている。
「でもでも、レンさんの計算通りに全部ぴったり解決しましたよ! やっぱりレンさんは現場の天才ですね♪」
「天才じゃねえ、ただの現場の経験則だ」
「ん。お腹ぺこぺこ。力出ない。倒れそう」
ベルカがテーブルに突っ伏し、チュウちゃんも横で行儀よくお座りして待っている。
「よしよし、待たせたな。朝飯にするぞ」
俺は大鍋の蓋を開けた。
立ち上る湯気とともに、野菜と干し肉の濃厚で香ばしい香りが居間いっぱいに広がる。
裏庭で採れた新鮮な野菜をたっぷり使い、素材の旨味をじっくりと引き出した特製ポトフだ。
「「「わあああああっ!!」」」
木のお椀によそい、焼きたての黒パンを添えて並べる。
「いただきます!」
熱々のスープを一口すする。野菜の甘みと塩蔵肉の深いコクが、疲れた身体の隅々にまでじんわりと染み渡っていく。
「美味しいですわ……! 疲れた後のこの温かさ、どんな高級ホテルの朝食よりも心に染みます!」
「ん。スープ、お肉、最高。今日も生きててよかった」
チュウちゃんも鼻を鳴らしながら、特大の木桶に入った野菜をごくごくと平らげた。
窓から差し込む朝の光の中、賑やかな笑い声がボロ屋敷を満たしていく。
外の世界がどれほど大騒ぎになっていようと、俺たちの現場には、今日も確かな日常と温かい食卓があった。
【幕間:王都教会の聖女報告】
王都大聖堂・最高評議室。
慈善事業を担当する大司教が、東区の巡回司祭からの報告に目を見開いていた。
「東区の被災農村に、奇跡の施しが行われた……?」
「はい! 飢餓に苦しむ農民たちへ、極上の神聖野菜が山のように無償配給されました! 村人たちは彼らを『慈悲の救世主』と崇めております!」
「無償で食糧を配るなど、教会の聖騎士団ですら予算不足で不可能な事業だぞ……! 一体どこの大富豪が私財を投げ打ったのだ!?」
「煙突屋敷の主……『在庫管理者』レン殿です!」
大司教は胸の前で十字を切った。
「神よ……! 彼こそは民を救うために天から遣わされた、真の聖者なのかもしれぬ……!」
レンの知らぬところで、彼の名声は聖人レベルにまで跳ね上がっていた。
一方その頃、王都中枢の諜報機関では、緊急の特別機密文書が机の上に叩きつけられていた。
「報告します! 煙突屋敷周辺の魔力潮流および物資移動の解析が完了しました!」
「……どうだったのだ? あの『在庫管理者』レンの真の狙いは……!」
「驚くべきことに、敵のあらゆる行動、自然環境の変動、そして王都の経済網の隙間まで、すべてが彼の計算尺の上で完璧にコントロールされておりました……!」
司令官の背筋に、氷のような冷たい汗が流れ落ちた。
「馬鹿な……天候や魔獣の習性、果ては王宮の動きまでを自らの『在庫』として管理し、意のままに動かしているというのか……!?」
「はい! 彼にとって、この王都そのものが巨大な倉庫に過ぎないのです! 逆らう者は、帳簿の赤字として処理され、痕跡すら残さず抹消されるでしょう……!」
「恐ろしい男だ……! 全部隊に厳命せよ! 煙突屋敷の領域には絶対に足を踏み入れるな! あの男の日常を乱した瞬間、王国は滅びるぞ……!」
ボロ屋敷でレンがスープのおかわりを配っていることなど露知らず、王都の闇は底知れぬ怪物の影に怯え続けるのだった。




