第17話 土が硬すぎる問題と、暴走猪の直線耕作
第17話です。畑の拡張と、暴走猪のピタゴラスイッチ耕作!
夜明け前の冷たい風が、ボロ屋敷の隙間をすり抜けて居間に吹き込んでいた。
俺はいつものように一番乗りで起き出し、冷えた手先を擦り合わせながら暖炉へ向かった。
灰を火かき棒で丁寧にかき分け、底に残った小さな赤い熾火を見つけ出す。前夜に乾かしておいたナラの小割りを三本、空気の通り道を計算して三角形に組み、フイゴを手に取った。
シュポ、シュポと規則正しく二回、空気を送り込む。パチリと乾いた爆ぜる音が響き、細い黄金色の炎が立ち上がると、居間にじんわりとした暖気が広がり始めた。
毎朝欠かさず行う、道具と資材の点検だ。
俺は腰の革ベルトから、真鍮製の十寸計算尺、目盛りを刻んだ鋼尺、手のひらサイズの仕上げ砥石を取り出し、長テーブルの上に整然と並べた。
油壺から椿油を一滴垂らし、ネル布で計算尺のスライド面を磨く。シャキリ、シャキリと滑らかな手応え。
どんな過酷な現場であっても、道具の手入れを怠れば一瞬で事故につながる。十年間、倉庫番として叩き込まれた身体の記憶だ。
「さて、今日の作業段取りを整理しておくか」
出納帳を開き、鉛筆を走らせる。ボロ屋敷の修繕、備蓄食糧の管理、納屋の棚卸し。やることが山積みだ。
やがて二階からバタバタと慌ただしい足音が響き、三人娘が居間へと降りてきた。
「なんですのレン、朝から熱心に帳簿付けなんて。優雅な貴族の朝は、淹れたての上質な紅茶から始まりますのよ?」
オリヴィアが銀刺繍の施された寝巻きの裾を優雅に翻し、長椅子に腰を下ろした。手にはなぜか、王立魔導院特製の超高純度マナ水晶が握られている。
「レンさん、おはようございます! 昨夜思いついた新しい調合液の反応が止まらなくて、瓶がちょっと発熱してるんです♪」
ステラが抱えているのは、ドクドクと紫色に脈打つ巨大なフラスコ。表面からシュワシュワと怪しいピンクの蒸気が吹き出している。
「おいステラ、頼むから朝食前に危険物を抱えて居間に入ってくるな! 絨毯に一滴でも垂らしたら床板ごと消し飛ぶだろ!」
「えへへ、大丈夫です! 爆発限界温度までは、あと三度くらい余裕がありますから!」
「あと三度ってそれもう沸騰寸前だろうが!」
「ん。お腹すいた。朝ご飯、なに? お肉?」
ベルカが半分眠ったような顔で俺のエプロンの端を掴み、背後からは体長五メートルの巨大ネズミ・チュウちゃんが「キュイッ」と甘えた声を出しながら鼻先を突っ込んできた。
「朝から肉が食えるか! まずは目の前の現場トラブルを片付けるのが先だ!」
カボチャと大根の収穫と保存に成功した俺たちは、さらなる食糧自給率向上のため、裏庭の残り二百坪の開墾に着手していた。
俺が振り下ろしたツルハシが、火花を散らして跳ね返された。
裏庭の奥の土壌は、長年の雨風で締め固められた粘土質の硬質層だった。
ツルハシの先端が数ミリめり込む程度で、人間の腕力で耕すには途方もない時間がかかる。
「レン、わたくしの空間魔法で土ごと消し飛ばしましょうか?」
「土ごと消したら作物が育たねえだろアホ。必要なのは『反転耕起(天地返し)』だ。深さ五十センチまで掘り起こして空気を混ぜなきゃならん」
「うーん、私の濃縮溶解ポーションで土を溶かしますか?」
「農地を薬品漬けにしてどうすんだ! 必要なのは純粋な牽引力だ」
俺が真鍮の計算尺で必要な牽引トルクを計算していた、その時だった。
見れば、裏山の茂みから、体長三メートルを超える巨大な魔獣『アイアンボア(鋼鉄猪)』が三頭、目を血走らせて突進してきていた。
「カボチャの匂いを追って山から降りてきたんだな!」
鋼鉄猪は、その名の通り鋼鉄のように硬い頭骨を持ち、時速六十キロで一直線に突進してあらゆる障害物を粉砕する厄災級の害獣だ。
普通なら冒険者ギルドに討伐依頼を出すレベルの危険物。
だが――俺の目には、それが『最高の重機』に見えた。
「オリヴィア、ステラ、ベルカ! 持ち場につけ!」
「戦うんじゃない、働いてもらうんだよ! 倉庫番の誘導土木技術――『突進トラップ耕作システム』の起動だ!」
俺は納屋から、余っていた巨大カボチャの果肉ブロックを三つ抱えて走り出た。
「ステラ、カボチャのブロックに濃縮フェロモン油を吹き付けろ! 猪の嗅覚を一点に集中させる!」
「ベルカ、チュウちゃんと一緒に裏庭の端にロープを張れ! 高さ三十センチ、足払いの『トリップワイヤー』だ!」
俺は硬い土壌の端にカボチャブロックを等間隔で並べ、自らその前に立った。
甘い匂いに狂乱した三頭の鋼鉄猪が、地響きを立てて一直線に突っ込んでくる。
五十メートル、三十メートル、十メートル……!
「今だ、オリヴィア! カボチャの手前に深さ一メートルの空間スリットを開け!」
時速六十キロで突進してきた鋼鉄猪の前足が、空間の溝にスッポリとハマった。
勢い余った巨大な猪の頭部――鋼鉄のスコップのような鋭い鼻先が、ものすごい運動エネルギーのまま硬質な粘土層へと深々と突き刺さった。
凄まじい轟音とともに、鋼鉄猪がそのまま地面を数十メートルにわたって綺麗に掘り返しながら滑走していった。
ガチガチだった硬質粘土層が、見事なまでにフカフカに耕され、美しい畝が三本一直線に出来上がった。
「よーし、ナイス耕作! ベルカ、ロープで回収!」
突進のエネルギーを使い果たして目を回した猪たちを、ベルカとチュウちゃんが手際よく麻ロープで梱包した。
「……信じられませんわ。厄災級の凶悪魔獣を、ただの耕運機代わりに使うなんて……」
「現場のエネルギーは有効活用するのが倉庫番の鉄則だ。よし、最高の豚肉と耕された畑が同時に手に入ったぞ!」
俺は計算尺をカチリと鳴らし、満足げに畑を見渡した。
俺は真鍮の計算尺を取り出し、スライド尺をカチカチと動かして瞬時に数値を弾き出した。
「オリヴィア、ステラ、ベルカ! ボーッとしてる暇はないぞ、直ちに現場配置につけ!」
「ええっ!? わたくし、まだ朝のお茶を一口も飲んでおりませんのに!」
「文句は後だ! 現場の保安管理は一秒の遅れが致命傷になる! 倉庫番の資材応用技術――『重心分散パレット工法』と『流体誘導カーテン』を展開するぞ!」
俺は納屋から即座に必要な資材を選別した。規格寸法の杉板パレット四枚、耐荷重五トンの麻ロープ三束、そして予備のトタン板。
現場にある資材を、物理法則に従って最も効率的な形に組み上げる。それが倉庫番の真骨頂だ。
「ステラ、その調合液を右舷のスリットに流し込め! 急激な気化熱で流速を三倍に引き上げる!」
「はいっ! 急速冷却反応、点火します♪」
「オリヴィア、空間ゲートの開口角度を三十度に固定! ベルカとチュウちゃんはアンカーロープを『南京結び』で二重固定しろ!」
「ん。チュウちゃん、踏ん張って。ご飯のため!」
ドズゥゥゥゥッ!!
それぞれの能力が、俺の指示した物理ラインに沿って完璧に噛み合った。
暴走しかけていた魔力とエネルギーが、無理なく整流され、美しいピタゴラスイッチのように次々と課題をクリアしていく。
ガタガタと軋んでいた屋敷の梁がピタリと収まり、現場は静寂を取り戻した。
「ふう……っ! やれやれ、心臓が三回くらい止まるかと思ったぞ」
俺は作業着の袖で額の汗を拭い、床に散らばった工具を道具袋へ戻した。
資材を点検し、破損がないことを確認して元の棚へ収める。作業後の清掃と点検こそが、次の事故を防ぐ最善の予防策だ。
「……まったく、レンの指示は相変わらず無茶苦茶ですわ。名門公爵令嬢たるわたくしが、朝からこんな力仕事をさせられるなんて」
オリヴィアが文句を言いながらも、手際よくテーブルの上を片付けて布巾で拭いている。
「でもでも、レンさんの計算通りに全部ぴったり解決しましたよ! やっぱりレンさんは現場の天才ですね♪」
「天才じゃねえ、ただの現場の経験則だ」
「ん。お腹ぺこぺこ。力出ない。倒れそう」
ベルカがテーブルに突っ伏し、チュウちゃんも横で行儀よくお座りして待っている。
「よしよし、待たせたな。朝飯にするぞ」
俺は大鍋の蓋を開けた。
立ち上る湯気とともに、野菜と干し肉の濃厚で香ばしい香りが居間いっぱいに広がる。
裏庭で採れた新鮮な野菜をたっぷり使い、素材の旨味をじっくりと引き出した特製ポトフだ。
「「「わあああああっ!!」」」
木のお椀によそい、焼きたての黒パンを添えて並べる。
「いただきます!」
熱々のスープを一口すする。野菜の甘みと塩蔵肉の深いコクが、疲れた身体の隅々にまでじんわりと染み渡っていく。
「美味しいですわ……! 疲れた後のこの温かさ、どんな高級ホテルの朝食よりも心に染みます!」
「ん。スープ、お肉、最高。今日も生きててよかった」
チュウちゃんも鼻を鳴らしながら、特大の木桶に入った野菜をごくごくと平らげた。
窓から差し込む朝の光の中、賑やかな笑い声がボロ屋敷を満たしていく。
外の世界がどれほど大騒ぎになっていようと、俺たちの現場には、今日も確かな日常と温かい食卓があった。
【幕間:冒険者ギルド本部の震撼】
冒険者ギルド王都本部。
ギルドマスターが、偵察部隊の報告書を凝視して絶句していた。
「裏山に出現した危険度Aランクの『鋼鉄猪小隊』が……全滅しただと?」
「はい! 討伐されたのではありません……畑の土を耕すための動力として利用され、エネルギーを搾り取られた後に、美しく精肉梱包されておりました!」
「な……何だと!? あの鋼鉄の突進を、耕作の動力に変換したというのか!?」
ギルドマスターの額から冷や汗が吹き出した。
「『在庫管理者』レン……! 自然の猛威すら手駒として飼い慣らし、自らの領地開墾の資材とする男……! もはや王国のいかなる軍隊も、あの男の足元には及ばんぞ……!」
一方その頃、王都中枢の諜報機関では、緊急の特別機密文書が机の上に叩きつけられていた。
「報告します! 煙突屋敷周辺の魔力潮流および物資移動の解析が完了しました!」
「……どうだったのだ? あの『在庫管理者』レンの真の狙いは……!」
「驚くべきことに、敵のあらゆる行動、自然環境の変動、そして王都の経済網の隙間まで、すべてが彼の計算尺の上で完璧にコントロールされておりました……!」
司令官の背筋に、氷のような冷たい汗が流れ落ちた。
「馬鹿な……天候や魔獣の習性、果ては王宮の動きまでを自らの『在庫』として管理し、意のままに動かしているというのか……!?」
「はい! 彼にとって、この王都そのものが巨大な倉庫に過ぎないのです! 逆らう者は、帳簿の赤字として処理され、痕跡すら残さず抹消されるでしょう……!」
「恐ろしい男だ……! 全部隊に厳命せよ! 煙突屋敷の領域には絶対に足を踏み入れるな! あの男の日常を乱した瞬間、王国は滅びるぞ……!」
ボロ屋敷でレンがスープのおかわりを配っていることなど露知らず、王都の闇は底知れぬ怪物の影に怯え続けるのだった。




