第9話 ライブクッキング
セーフエリアの一角に突如として現れた巨大な幌馬車を、周囲の冒険者たちは未だ理解しきれないものを見るような顔で眺めていた。
「……馬車、だよな?」
「いや、それは分かる。俺が聞きたいのは、なんであれがマジックバッグから出てきたのかってことだ」
「知らねぇよ……」
先ほどまでは《銀帝》だのレイスだので騒いでいたというのに、今度は常識外れの大きさをした幌馬車である。
本来なら身体を休めるためのセーフエリアだというのに、冒険者たちの意識はすっかりジャレッドたちへ奪われてしまっていた。
もっとも、当の本人はそんな視線をまるで気にしていない。
幌馬車の扉を開けるなり、ジャレッドはさっさと中へ入っていく。
「こなた、早く作ろう」
「そんな急かさなくてもカレーは逃げませんよ?」
「でも、お腹は空いてる」
「それはさっきから嫌というほど伝わってます」
苦笑しながら、こなたも後に続いた。
ジャレッドは迷うことなく調理場へ向かい、袖を軽く捲りながら周囲を見渡す。
そして――ふと動きを止めた。
「……こなた」
「どうしました?」
「一つ、大事なこと忘れてない?」
「大事なこと?」
ジャレッドは食材庫の方へ顔を向けた。
その意味を察したこなたの表情が、僅かに固まる。
「食材、ほとんど残ってなかったよね?」
「…………」
もっともな指摘だった。
以前確認した通り、食材庫に残っていたのは僅かな米くらいのものだ。
玉ねぎも、じゃがいもも、にんじんも、肉もない。
当然ながら、カレーを作るには到底足りない。
「……気づいてしまいましたか」
「気づくよ。食材もないのにどうやって調理するの?」
「いやぁ、ジャレッドさんがあまりにも嬉しそうだったので、言い出すタイミングを逃したというか」
「じゃあ、カレーは作れない?」
その声が先ほどより僅かに沈んでいるのを聞いて、こなたは思わず吹き出しそうになった。
強大な竜種を一人で狩る《銀帝》が、食材がないというだけで分かりやすく落ち込んでいる。
「あるものがあれば、ちゃんと作れますから」
「……あるもの?」
「はい、一つ確認したいんですけど。ジャレッドさんって魔宝石は持ってます?」
「魔宝石?」
「魔物の体内に魔力が凝縮してできる宝石らしいんですけど」
「ああ、それなら」
ジャレッドは腰のマジックバッグへ手を入れ、中を探り始めた。
何がどこに入っているのか本人には分かっているらしく、少しもしないうちに小さな宝石を数個取り出す。
掌の上には、指先ほどの大きさをした魔宝石が転がっていた。
濁った青や緑の光が、石の内部でぼんやりと揺らめいている。
「魔道具用の魔宝石なら何個かあるけど」
「魔道具用?」
「ランプだね。夜営や薄暗い迷宮に便利」
「魔道具のランプなんてあるんですね。異世界だぁ~」
こなたが魔宝石を覗き込むと小さく頷く。
「うん、それで十分ですね。それを持ってついてきてください」
「どこに?」
「見せたいものがあります」
調理場の奥には短い廊下があり、その先に三つの扉が並んでいる。
食材庫については、すでにジャレッドも知っていた。
だが残る二つには、まだ足を踏み入れていない。
こなたは食材庫とは別の扉の前で止まると、指で示した。
「ここです。開けてみてください」
言われるまま、ジャレッドが取っ手を握る。
扉の向こうにあったのは、四畳ほどの小さな部屋だった。
装飾らしいものは何もなく、壁際には簡素な机が一つ置かれているだけ。
その机の中央に、場違いなほど滑らかな黒い板がぽつんと置かれていた。
「……これは?」
ジャレッドが近づき、興味深そうに覗き込む。
「タブレットです」
「たぶれっと」
「そうです」
長方形の薄い板。
黒い表面は鏡のように滑らかで、この世界の技術ではまず見かけない素材でできている。
ジャレッドは側面を覗き、裏返しこそしなかったものの、珍しい魔道具でも調べるようにしばらく眺めていた。
「どう見ても黒い板だけど」
「見る人が見れば文明の結晶なんです」
「へぇ」
「その反応、たぶん何も分かってませんよね?」
「うん」
「潔い!」
こなたは呆れながらも、どこか懐かしそうに端末を眺めた。
「これは食材を買うための道具です」
「……これで?」
「その顔になるのは分かります。でも、本当です」
「店員はいないの?」
「いません」
「品物も見当たらないけど」
「まず魔宝石を入れないと始まらないんですよ」
ジャレッドの眉が僅かに動く。
どうやら、ますます意味が分からなくなってきたらしい。
「一個だけ、その魔宝石を画面の上に置いてみてください」
「画面って、この黒いところ?」
「そうです。真ん中辺りにお願いします」
ジャレッドが魔宝石を一つ摘まみ、そっと端末の上へ置いた。
直後。
魔宝石の輪郭が淡い光に包まれた。
「……お」
表面から少しずつ光の粒子が剥がれ落ちるように、魔宝石そのものが崩れていく。
やがて完全に姿を失うと、その光は吸い込まれるように黒い板の中へ消えていった。
次の瞬間、何も映っていなかった画面に明かりが灯る。
ずらりと文字が並び、無機質だった板が一変した。
「…………」
ジャレッドが珍しく長いこと黙り込む。
「どうしました?」
「いや……」
少し顔を近づけて画面を覗き込み、首を傾げた。
「一文字も読めないなって」
「ジャレッドさんが読めたらビックリします」
「これ全部、文字?」
「はい、わたしの母国の文字。日本語です」
そこには、かつて彼女が何度も見た食材購入用の一覧が文字で並んでいた。
米や小麦粉。
玉ねぎやじゃがいもといった野菜。
肉類、乳製品、卵。
さらに調味料や加工食品まで、料理に必要となる基本的な品々が項目ごとに整理されている。
「じゃあ、カレーに必要なものを選んでいきましょう」
「僕がやるの?」
「私は触れられませんからね」
「そうだった」
「たまにわたしが幽霊だって忘れますよね」
「こなたが普通に喋ってるから」
何気なく返された言葉に、こなたは一瞬だけ目を瞬かせた。
「……それ、ちょっと嬉しいかもしれません」
「そう?」
「はい。まあ、それはそれとして――まず玉ねぎです。この文字ですね」
「これ?」
ジャレッドが画面へ指を伸ばす。
ぽち。
小さな音とともに表示が切り替わった。
「おぉ」
「押せましたね」
「これ、触るだけで動くんだ」
「そういう道具です」
もう一度、ぽち。
さらに別の項目を開く。
ジャレッドの目に、僅かな興味が宿った。
「……面白い」
「でしょ?」
「これも押していい?」
「今は遊ばないでください。カレーが遠のきますよ」
「それは困るね」
「でしょう?」
その一言で素直に指を引っ込める辺り、本当に食べ物には弱い。
こなたは画面を読みながら、必要な食材を順番に指示していった。
「次はじゃがいも。その隣がにんじんです」
「これかな?」
「そうです。あと、お肉はどうしようかな……豚バラでいいかな。で、最後にカレールウを――」
「カレールウ?」
「それが味の決め手になるものです」
「一番偉い食材?」
「食材っていうか調味料寄りですけど……まあ、初心者がカレーを作る時の救世主ですね」
「じゃあ大事だ」
「ものすごく大事です」
必要なものを選んでいくうちに、最初に吸収させた魔宝石の分では足りなくなった。
追加でもう何個か投入すると、同じように魔宝石が光へ変わり、端末の中へ取り込まれていく。
「魔宝石って、こんな使い方もできるんだね」
「この馬車限定だと思いますよ」
「便利」
「便利なんですけど、万能ではないんですよね」
必要な品をすべて選び終えたところで、こなたが画面下部を示す。
「最後に、その大きいところを押してください」
「ここ?」
「はい」
ぽん。
軽い電子音が鳴り、画面の表示が切り替わる。
「何て書いてあるの?」
「購入完了です」
ジャレッドは周囲を見渡した。
「……何も出てこないけど」
「ここには出ませんよ。食材庫に購入したものが納品されてるので、行ってみましょう」
言われるまま部屋を出て、すぐ隣の食材庫へ向かう。
扉を開いた瞬間。
「…………」
今度こそ、ジャレッドは完全に言葉を失った。
前に覗いたときは空だった棚の一画に、箱詰めにされた大量の食材が置かれていた。
箱の中には、玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、豚バラ肉、その脇には見慣れない箱に入ったカレールウまで置かれていた。
「……すごい」
ジャレッドは、棚から玉ねぎを一つ手に取った。
外皮を眺め、軽く重さを確かめる。
「初めてみる食材」
「それは、玉ねぎって野菜です。生のままでは辛い野菜なんですけど、加熱すると甘みが出て凄くおいしいんですよ」
「辛いのが甘くなる? 不思議な食材だね」
そう言いながらジャレッドの視線が、大量の食材の並ぶ棚を一巡する。
五十人前は作れるほどの量だ。
「でも、食材の量が少し多くない? 僕一人でこんなに食べれないよ?」
「大量に作っておかないと、ジャレッドさんが後悔する事になるかもですよ?」
心配するジャレッドをよそに、こなたはいたずらっ子のように口元を緩ませた。
「ささ、食材の準備は整いました。さっそく調理に取り掛かりましょう」
「う、うん」
意味深な言葉に引っ掛かりを覚えながらも必要な材料を抱え、二人は再び調理場へ戻った。
◇
調理台の上へ野菜と肉を並べると、ジャレッドは待ちきれないとばかりに袖を捲った。
「じゃあ、今度こそ始めよう」
「まだです」
「……え、まだ何かあるの?」
さすがに少し意外だったのか、ジャレッドが手を止める。
「せっかくですから、今日はこの馬車を本来の使い方で動かしてみたくて」
「本来の使い方?」
「はい。そこの壁、見てください」
こなたが示した先には、調理場の壁へ取り付けられた鉄製のハンドルがあった。
ジャレッドは近寄り、その取っ手へ手を掛ける。
「これ?」
「そうです。右に回してみてください」
「分かった」
ぐるり。
重そうに見えたハンドルは、意外なほど滑らかに回った。
直後、幌馬車の奥からカチンと硬い音が響く。
「何か動いた」
「そのまま回してください」
ジャレッドがさらに力を加える。
ぐるぐるとハンドルが回るたび、今度は壁の向こうから歯車が噛み合うような低い駆動音が聞こえてきた。
ギギギギギ――。
「……大丈夫?」
「大丈夫です」
「壊れそうな音してるけど」
「そういう音なんです!」
「本当に?」
「私が七十年使ってて壊れなかったんですから信用してください!」
「それなら信用する」
妙なところで素直だった。
ハンドルが回り続ける中、調理台に面した側壁の上部が、ゆっくりと外側へ持ち上がり始める。
閉ざされていた壁が開くにつれ、セーフエリアの淡い水晶光が調理場の中へ差し込んでくる。
やがて側板は大きくせり上がり、水平より僅かに傾いた位置で止まった。
幌馬車の側面から張り出す、立派な庇。
雨や強い日差しを防ぎながら、外へ向けて料理を提供するための屋根だ。
それだけでは終わらない。
今度は開口部の下側に組み込まれていた板が外へ向かってゆっくりと倒れ、腰ほどの高さで水平に固定される。
内側から細い支柱が伸び、その板を下からしっかりと支えた。
調理場と外を隔てていた壁には、大きな販売口が生まれていた。
頭上には庇。
正面には料理や商品を受け渡すための木製カウンター。
閉ざされていた幌馬車の一面が、ものの数十秒で小さな店舗のような姿へ変わっていく。
「……なるほど」
ジャレッドが感心したように辺りを見渡す。
「これなら中で料理しながら、外の人に渡せるんだ」
「正解です」
こなたはどこか誇らしげに胸を張った。
「これが、この馬車の販売形態です」
「販売形態」
「まあ、私は勝手に『お店モード』って呼んでましたけど」
「そっちの方が分かりやすいね」
「ですよね!」
旅をしながら料理を作り、それを客へ売る。
こなたが遠い昔に夢見たキッチンカーの役割を、この魔法の幌馬車はきちんと備えていた。
ただし。
かつてのこなたは、この機能を本来使いたかった場所では一度も使えなかった。
外の世界を旅することも。
見知らぬ土地で店を開くことも。
旅先で出会った人々へ料理を振る舞うこともできなかった。
だからこそ。
外へ向かって大きく開いた販売口を目にした瞬間、こなたの胸には僅かに懐かしいものが込み上げた。
そして同時に――。
「…………」
「…………」
「…………」
外にいた冒険者たちと、ばっちり目が合った。
セーフエリアにいたほぼ全員が、こちらを見ている。
いや。
正確には、理解不能なものを前にしたような顔で凝視していた。
マジックバッグから巨大な馬車が現れただけでも十分に常識外だった。
その馬車が今度は音を立てて形を変え、目の前で店のような姿になったのだから、無理もない。
「……店になったぞ」
「馬車だったよな?」
「さっきまで普通の壁だったぞ……」
「馬車の中、えらく広くみえねぇか……」
遠巻きに聞こえてくる困惑の声。
ジャレッドも外を眺めたあと、こなたへ顔を向ける。
「すごく見られてるね」
「へへ、ですねぇ」
「閉じる?」
「まさか」
即答だった。
こなたの口元が、ゆっくりと持ち上がる。
先ほどまで自分を恐れていた冒険者たち。
レイスだと知った瞬間、武器を向けた者たち。
けれど今、その視線に混じっているのは敵意だけではない。
困惑。
好奇心。
そして、これから何が始まるのかという興味。
こなたはそれを眺めながら、胸の奥が高鳴るような、懐かしい感覚を覚えた。
「ジャレッドさん」
「なに?」
「せっかく、こんなにギャラリーがいるんです」
「ぎゃらりー?」
「見物人って意味です」
「ああ」
こなたは調理台の上に並んだ食材へ意識を向け、それから外の冒険者たちを見た。
七十年間。
この馬車の中で何度も料理を作った。
けれど、自分の店を外の誰かへ向けて開くのは、これが初めてだった。
ならば。
ただ料理を作るだけでは、少しもったいない。
「せっかくですから――」
こなたは満面の笑みを浮かべた。
「ライブクッキングといきましょう!」
「……ライブクッキング?」
「まあ、見ててください。絶対面白いですから」
何をするつもりなのか分からないまま、ジャレッドは僅かに首を傾げる。
その向こうでは、冒険者たちが未だ警戒と好奇心の入り混じった目で、幌馬車を眺めていた。
何十年もの間、一度として旅先の客へ向けて開かれることのなかった販売口。
それが今。
初めて、異世界の人々へ向かって大きく開かれていた。




