第38話 王都アルヴェリア
翌日の昼を少し回った頃。
緩やかな丘陵を越えたところで、街道の先を眺めていたこなたが、不意に言葉を失った。
「…………」
白雪の背中から少し浮かんだまま、前方を凝視している。
その反応に気づいたジャレッドが、幌馬車の御者台から声をかけた。
「見えてきたね」
返事をする余裕もなかった。
遥か彼方まで続く穀倉地帯の向こうに、一つの巨大な都市が横たわっている。
最初に目へ飛び込んできたのは、都市の中央にそびえる白亜の城だった。
幾本もの尖塔を備えた壮麗な城郭は小高い丘の上に築かれ、その周囲を幾重もの城壁が取り囲んでいる。そこから外側へ向かって街が段階的に広がり、赤や青の屋根が整然と並ぶ様子は、巨大な円環を幾つも重ねたようだった。
遠くから眺めているだけでも、その規模が尋常ではないと分かる。
「……でっか」
ようやく出てきた感想は、それだけだった。
日本で見た大都市とはまるで違う。
高層ビルが密集しているわけでも、無数の道路が縦横に走っているわけでもない。それなのに、一つの都市が持つ圧倒的な存在感では少しも劣っていなかった。
「これ、本当に一つの街なんですか?」
「王都だからね。この大陸でもかなり大きい方だよ」
「かなりって……」
近づけば近づくほど、城壁の向こうに建物が増えていく。
都市の外側にも宿場や倉庫、商会の施設らしき大きな建物が点在しており、その間を何本もの街道が王都へ向かって伸びていた。
昨日までとは、明らかに人の流れも違う。
荷を満載した馬車。
家畜を連れた商人。
徒歩で王都を目指す旅人や冒険者。
地方から農作物を運んできたらしい農民の姿まであり、幅広く整備された石畳の街道を絶えず人々が行き交っている。
「すごい……」
七十年以上、水晶宮の奥底に閉じ込められていた頃には、想像することしかできなかった景色だった。
これほど多くの人が暮らす街へ、自分がやってきた。
幽霊になってしまった今でも、その事実には胸を震わせるだけのものがある。
そんなこなたの横顔を見て、ジャレッドが静かに笑った。
「ようこそ。クレバリス王国の王都――アルヴェリアへ」
「……はい!」
こなたも笑顔を返した。
もっとも、その感動は長くは続かなかった。
「お、おい……あれ」
「白い魔獣……?」
「違う、ただの魔獣じゃないぞ……なんだ、あの神々しさは」
街道ですれ違う人々が、次々に足を止め始めたからだ。
原因は考えるまでもない。
三メートル近い巨体を持ち、全身から淡い光を漂わせる白雪である。
しかも、その白雪が見慣れない幌馬車を引き、背中の上には半透明の少女まで浮かんでいる。
注目されない方がおかしい。
「あれって、噂の……」
「食を司る大精霊様?」
「ウッドロードから来たっていう……!」
「えっ」
嫌な単語が耳に入り、こなたの頬が引きつった。
さらに前方から歩いてきた老夫婦が白雪を見るなり道端へ寄ると、その場で膝を折った。
「大精霊様……どうか今年も豊かな実りを……」
「ちょっ、待ってください! 違いますから! 私は農業関係ないですから!」
慌てて否定するものの、当然ながら老夫婦には届いていないらしい。
むしろ必死に何かを訴えている姿が、ありがたい託宣か何かに見えたのか、二人はさらに深く頭を下げてしまった。
「ジャレッドさん!」
「人気者だね」
「他人事みたいに言わないでください! この噂の半分くらいジャレッドさんのせいでしょう!」
「半分で済むかな」
白雪が楽しそうに「きゅう」と鳴く。
沿道から歓声まで上がり始めた。
どうやら王都へ入る前から、噂だけは随分先行してしまったらしい。
こなたが頭を抱えている間にも、一行は街道を進んでいった。
やがて王都を取り囲む城壁が、見上げるほどの高さで迫ってきた。
中央には、馬車が何台も並んで通れそうな巨大な外門が開いている。その奥には分厚い城壁を貫く門楼通路が続き、さらに向こうには王都側の入城広場が見えていた。
「大きい……」
こなたがその規模に圧倒されていると、御者台のジャレッドが小さく呟いた。
「……妙だな」
「え?」
「人が少なすぎる」
街道には大勢の人がいる。
ところが門へ近づくにつれ、その数は不自然なほど減っていた。普段なら入都を待つ商人の馬車が列を作っているはずなのに、検問所も妙に空いている。
「たまたまじゃないんですか?」
「それならいいんだけど……門番も変だ」
「門番?」
「白雪を見ても、誰も確認に来ない」
こなたもそこで違和感に気づいた。
三メートル近い巨大な白狐に、見慣れない幌馬車。その背には半透明の少女まで浮かんでいる。
何も訊かれず通れる方がおかしい。
「じゃあ、止まります?」
「ここまで準備して待ってるなら、引き返しても出てくると思う」
「やっぱり何かある前提なんですね……」
「嫌な予感しかしないけどね」
そう言いながらも、ジャレッドは白雪を止めなかった。
一行は外門をくぐり、石造りの門楼通路へ入る。
左右には門兵が立っているものの、誰一人として声を掛けてこない。
やがて通路を抜けると、広い入城広場へ出た。
そこには数台の荷馬車と、商人や旅人らしき男女がまばらに散っている。
ジャレッドはその姿を一瞥し、短く息を吐いた。
「……やっぱり」
「何がです?」
「荷馬車の荷が少なすぎる。あの男も商人の格好をしてるけど、立ち方が違う。それに――」
広場を見渡す。
「ばらばらに立ってるように見えるけど、配置が綺麗すぎる」
言われて初めて、こなたにも分かった。
ばらばらに立っているようで、彼らは広場の中央へ入った自分たちを囲む位置にいる。
「ジャレッドさん……」
「……囲まれてるね」
その直後、幌馬車の最後尾が門楼を抜けた。
轟音が響く。
「えっ!?」
振り返ると、巨大な門扉が地響きを立てながら閉ざされていく。
白雪が足を止め、耳を立てた。
同時に、広場にいた商人や旅人たちが一斉に外套の内側から杖を取り出す。
石畳に幾つもの魔法陣が浮かび上がり、そこから伸びた光が頭上で結び合わさった。
次の瞬間、巨大な半球状の結界が広場一帯を覆う。
「完全に閉じ込められてません!?」
「そうみたい」
「落ち着きすぎですよ!」
ジャレッドは答えず、広場の奥へ顔を向けた。
術師たちが左右へ退き、道を開ける。
その向こうから、二人の女性が姿を現した。
一人は銀色の鎧を纏った長身の女性。
腰まで届く灰銀色の髪を高い位置で束ね、整った顔には獲物を前にした肉食獣のような笑みを浮かべている。
隣には、濃紺の魔術衣と大きな三角帽子を身につけた小柄な女性。
同じ灰銀色の髪に、眠そうな青い瞳。
その顔を見たこなたは、思わずジャレッドと見比べた。
(……すごく似てる)
特に目元が驚くほどよく似ていた。
長身の女性がジャレッドを見つけると、笑みをさらに深くする。
「ようやく帰ってきたな、ジャーレ!」
よく通る声が、閉ざされた入城広場へ響き渡った。
「悪いが、ここから先は自由行動禁止だ。大人しく投降しろ! お前はすでに包囲されている!」
「……僕、犯罪者になった覚えはないんだけど?」
「安心しろ。逮捕ではない」
「じゃあ何なの?」
「家族会議だ!」
「家族会議で都市結界級の術を展開する人は初めて見たよ」
ジャレッドが呆れたように言うと、小柄な魔術師が眠そうな声で付け加えた。
「私も普通じゃないと思う。結界術師、二十四人いるし」
「メイガス、お前はどっちの味方だ!」
「姉さんたちの味方。でも事実は事実」
長身の女性が豪快に笑う。
こなたは二人を見てから、恐る恐るジャレッドへ顔を向けた。
「あの……ジャレッドさん?」
「なに?」
「あの人たちって、もしかして……」
ジャレッドの顔には、明らかな苦さが浮かんでいた。
「僕の姉さんたちだよ」
「やっぱり!?」
昨夜、彼が王族だと知ったばかりだというのに、今度は王子の姉たちが完全武装で待ち伏せしている。
情報量が多すぎる。
「鎧を着てる方が二番目の姉のユーステル。王国軍を預かってる」
「よろしくな、大精霊殿!」
「は、はい……」
「隣が三番目の姉のメイガス。僕と双子で宮廷魔術師の長をしてる」
「どうも」
メイガスは片手を軽く上げたものの、その視線はすでにこなたではなく、白雪や幌馬車へ向いていた。
「……すごく興味深い」
「え?」
「その子、神獣に近いし、その馬車も変。魔力だけじゃなくて、もっと上位の何かが混じってる。それに、あなた……レイスなのに自我が崩れてない」
ぼんやりしていた青い瞳に、初めて明確な興味が灯る。
こなたは反射的に白雪の背後へ隠れようとした。
「メイガス姉さん」
ジャレッドが低い声で名を呼ぶ。
「勝手に調べないでよ?」
「調べない。アイビス姉から、この子たちには手を出すなって言われてるから」
そう答えると、メイガスは再び普段の眠そうな顔へ戻った。
一方、ジャレッドは姉たちを正面から見据える。
「それで、これはどういうつもり?」
「見て分からんか?」
「分かりたくないから訊いてる」
ユーステルは胸を張った。
「アイビス姉からのお達しだ。まず城へ戻れ。少なくとも、ここからまた国外へ出るのは無しだ」
その言葉に、こなたの表情が変わる。
昨夜聞いたばかりの話が、早くも現実になって現れた。
「待って」
ジャレッドの声から、先ほどまでの軽さが消える。
「期限はまだ来てないよ」
「知っている」
「だったら――」
「文句があるならアイビス姉に言え。私はお前を城まで連れていく役だ」
「期限までは僕の自由だって約束だったはずだけど」
「そういう話は、宰相殿と存分にやってくれ」
「姉さんも当事者でしょう」
「私は難しい話が嫌いなんだ」
「知ってるよ……」
ジャレッドが頭痛を堪えるような顔をする。
ユーステルはむしろ楽しそうだった。
「第一、お前が素直に戻れば何の問題もない。これから王になる男が、いつまでも国中をほっつき歩いてどうする」
ジャレッドの目がこなたへ向くと、声を落とした。
「こなた」
「は、はい」
「たぶん話し合いじゃ済まない。準備を――」
「遅いよ」
聞き覚えのある眠そうな声が、すぐ上から降ってきた。
「え?」
こなたが顔を上げると、いつ移動したのか幌馬車の屋根の上に、メイガスが立っていた。
ぶかぶかの帽子を片手で押さえながら、足元の幌馬車を興味深そうに見下ろしている。
「メイガス姉さん!」
「ジャーレの考えなんて丸わかり。逃がさない」
「降りて」
「嫌」
即答だった。
メイガスは白雪へ視線を移し、続いてこなたを見る。
「あなたたちは、先に退避してもらう」
「退避?」
「ここにいると巻き込まれる」
ユーステルが眉を吊り上げた。
「おい。誰が巻き込むと言った」
「姉さん、昔ジャーレと喧嘩した時に城壁壊した」
「あれは楽しすぎて、力加減を間違えただけだ!」
「だから危ない」
「一回だけだろう!」
「三回」
「数えるな!」
こなたは姉妹のやり取りについていけず、口を開けたまま固まった。
そんな彼女へ、メイガスがのんびりと告げる。
「アイビス姉さんからも、あなたと会話がしたいと言われてる。だから安全なところへ送るね」
「えっ、ちょっと待――」
幌馬車と白雪を囲むように、巨大な魔法陣が浮かび上がった。
「……対象を補足。いくよ」
白雪が警戒したように身を低くする。
「メイガス姉さん、やめて!」
メイガスを止めようとジャレッドが御者台から飛び降りる。
だが、その手が届くより早く、幌馬車を中心として青白い光が一気に膨れ上がった。
「ジャレッドさん!」
「こなた!」
一瞬。
視界が真っ白に染まる。
次の瞬間には、白雪も、幌馬車も、その上にいたメイガスも、そしてこなたの姿も消えていた。
石畳の上には何も残っていない。
「…………」
ジャレッドは珍しく、完全に言葉を失った。
その背後から、金属の擦れる音が近づいてくる。
「さて」
ユーステルが腰の剣へ手を掛けた。
振り返ったジャレッドと目が合う。
獰猛な笑みを浮かべる姉を前に、ジャレッドの顔から普段の穏やかさが消えていった。
「こなたたちをどこへやったの?」
「安心しろ。客人として城へ送っただけだ」
「……最初からそのつもりだったの?」
「お前と私がここでやり合えば、巻き込むかもしれんからな」
「だったら最初から普通に説明してよ」
「説明して素直に従う弟なら、こんな人数を集めていない」
返す言葉が一瞬遅れた。
その隙を見逃さず、ユーステルが楽しげに剣を抜く。
「邪魔をする者はいなくなった。大人しく私についてこい、ジャーレ」
銀色の刃が陽光を弾いた。
周囲では二十四人の術師が結界を維持したまま、一斉に杖を構え直す。
退路はない。
それでもジャレッドは、姉を前にして静かに腰の剣へ手を伸ばした。
「……嫌だって言ったら?」
ユーステルの笑みが、待っていたとばかりに深くなる。
「決まっているだろう」
次の瞬間、その全身から凄まじい闘気が噴き上がった。
「力ずくだ」




