第39話 家族会議の始まり
王都アルヴェリアの入城広場を覆う魔法結界の内側で、二人の剣士が互いを見据えていた。
片や、クレバリス王国軍を束ねる第二王女ユーステル。
片や、S級冒険者《銀帝》ジャレッド――この国の王位を継ぐはずの第四王子、ジャーレ・クレバリス。
二人の間には十数歩ほどの距離がある。
それでも周囲を取り囲む魔術師たちは、誰一人として気を緩めていなかった。
ユーステルは剣を右手に下げたまま、いつでも踏み込めるよう腰を落としている。対するジャレッドは剣先をわずかに斜め下へ向け、普段と変わらない眠たげな表情で姉の様子を窺っていた。
どちらも動かない。
だが、何も起きていないわけではなかった。
一歩。
ユーステルが進めば、ジャレッドも同じだけ間合いを調整する。
また一歩。
互いに相手の呼吸、重心、指先のわずかな動きまで探りながら、剣が届く距離へ少しずつ近づいていく。
結界を維持している魔術師の一人が、ごくりと唾を飲み込んだ。
彼らの多くも軍属である。
高位の魔物や盗賊団を相手にした経験なら珍しくない。それでも、目の前の二人から放たれる圧力は、戦場で感じるそれとは種類が違っていた。
「……来るぞ」
誰かが呟いた直後だった。
最初に動いたのはユーステルだった。
石畳が鳴る。
踏み込んだ足元から細かな破片が弾け、銀色の鎧が一息のうちに十数歩の距離を食い潰す。その勢いのまま振り下ろされた長剣は、まるで相手だけでなく、その背後にある城門までまとめて断ち切ろうとするかのようだった。
ジャレッドは正面から受けなかった。
剣を斜めに添え、身体を半歩ずらす。
刃と刃がぶつかった瞬間、甲高い金属音とともに火花が散り、ユーステルの斬撃はわずかに軌道を逸らされて石畳へ落ちた。
轟音。
石畳が大きく砕けた。
「相変わらず、素直に受けてくれないな!」
楽しそうに笑うユーステルへ、ジャレッドは返事の代わりに剣を返した。
首筋へ吸い込まれるような鋭い横薙ぎ。
ユーステルはそれを剣の腹で弾き、返す勢いで下段から斬り上げる。
一撃ごとの重さなら、明らかにユーステルが上だった。
だが、ジャレッドはまともに力をぶつけない。
刃を合わせる位置をわずかにずらし、踏み込みを外し、相手の力が最も強くなる瞬間だけを避けていく。柳が強風を受け流すように剣撃を躱しながら、その合間へ針を差し込むような反撃を放つ。
柔のジャレッド。
剛のユーステル。
対照的な剣筋だった。
もっとも、ユーステルの剣が単なる力任せというわけではない。
一見すると豪快な斬撃の一つ一つが、ジャレッドの逃げ道を狙って塞いでいる。受け流されることを最初から計算に入れ、崩された姿勢から次の一撃へ繋げ、さらにその次で相手を追い込む。
正確な剣技を、常人離れした膂力と速度で叩き込んでいるからこそ、荒々しく見えるのだ。
「ははっ!」
ユーステルの笑い声と、剣の衝突音が重なった。
右から振り抜かれた斬撃をジャレッドが流し、懐へ滑り込む。
切っ先が鎧の継ぎ目を狙う。
しかしユーステルは身体を捻って紙一重で避けると、そのまま肩をぶつけるように間合いを詰めた。
ジャレッドが後方へ跳ぶ。
追うユーステル。
再び火花が散った。
「結界出力を上げろ!」
周囲の魔術師たちへ指示が飛ぶ。
二人の剣そのものは結界へ届いていない。
それにもかかわらず、激突の余波だけで半透明の壁が波打ち、空気を震わせていた。
「……これ、本当に家族会議なんだよな!?」
「口を動かす余裕があるなら術式を維持しろ!」
叱責された魔術師が慌てて杖へ魔力を込め直す。
その間にも、姉弟の打ち合いは速度を増していった。
剣が見えない。
いや、かろうじて人影は追えても、どこから斬撃が飛んでいるのかまでは判断できない。
銀の閃きが交差するたび火花が弾け、遅れて金属音が耳へ届く。
ユーステルは心底楽しそうだった。
対するジャレッドはいつもの涼しい顔を崩さないまま、必要最低限の動きで斬撃を処理し、わずかな隙を見つけては鋭く切り返していく。
やがて、激しい打ち合いの末に二人の剣が強く噛み合った。
互いに押し込まず、ほぼ同時に力を抜く。
ユーステルが後方へ跳び、ジャレッドも反対方向へ距離を取った。
短い静寂が戻る。
砕けた石畳の向こうで、ユーステルが大きく肩を揺らした。
「いいな、ジャーレ!」
疲労ではない。
完全に機嫌が良くなっている。
「外へ出て少しは鈍ったかと思っていたが、前よりずっといい。剣の入りも速くなったし、鋭さも増してる」
「僕は褒められても嬉しくないよ」
「私は嬉しいぞ。お前が冒険者などというものになってから、まともに相手をしてくれる奴がいなくて退屈だったんだ」
「軍には強い人がいっぱいいるでしょ」
「私が稽古に誘うと、何故か部下どもは逃げるからな」
「……当然だね。僕も逃げたい」
「駄目だ。私が満足するまで絶対逃さない」
あまりにも迷いのない言い方に、ジャレッドの顔が露骨に嫌そうなものへ変わった。
ユーステルはそんな弟の反応にも構わず、剣を肩へ担ぐ。
「これを機に冒険者など辞めろ。王になれば遠出することも減るだろうし、毎朝私が稽古をつけてやる」
「嫌だ」
「昼も空いていれば付き合うぞ?」
「もっと嫌だ」
「夜なら――」
「絶対嫌だ」
「何故だ!?」
結界の外から見守る魔術師たちの何人かが、ほんのわずかに表情を緩めた。
その直後、ユーステルの雰囲気が変わった。
笑みそのものは消えていない。
けれど、弟を見る目だけが少し細くなる。
「しかし……意外ではあるな」
「何が?」
「あの大精霊……いやレイス殿か」
ジャレッドの返事が途切れた。
「お前が、あの娘との旅にそこまで拘るとは思わなかった」
「…………」
「昔のお前なら、私と対立してまで、他人に拘ろうとはしなかっただろう?」
ジャレッドは否定しなかった。
ユーステルにとって、それだけで十分だった。
弟は昔からそうだった。
剣や魔法、学問の才に秀で、王族としての振る舞いも完璧、私生活でも困らせることはない。
だが、自分から何かを欲しがることだけはほとんどなかった。
冒険者になると言い出した時は驚いたものだが、今回は少し違う。
残りの自由を守りたいだけではない。
あの半透明の少女との旅をまだ続けたいのだ。
「なるほどな」
ユーステルの口元が吊り上がる。
「なら、なおさら通すわけにはいかん」
「……どういう意味?」
「そのままだ。私に勝てないなら、お前の自由な旅はここで終わりという事だ」
ジャレッドの眠たげだった目が、わずかに細くなった。
「旅は終わらせない。残された時間まで僕はこなたと旅を続けるよ」
ユーステルは剣を肩から下ろし、切っ先を弟へ向ける。
「お前たちが何を目的に旅を続けようとしているのか詳細は知らんが、私を倒さん限りあの娘はお前抜きの旅を続けることになるだろうな」
「……勝手なこと言わないで」
「なら、私を止めればいい」
「本当に話し合う気ないよね」
「剣でなら、いくらでも付き合うぞ」
ユーステルはそこで一度言葉を切ると、試すように弟を見つめた。
「どうした? 嫌なら本気で私を倒してみろ。お前があの娘との旅を続けたいというなら、それくらいできるだろう?」
風が止んだように、周囲が静かになった。
ジャレッドの表情から、先ほどまで残っていた呆れが消える。
それを見たユーステルの胸が高鳴った。
ようやく。
ようやく弟が、本気で自分から何かを守ろうとしている。
「……姉さん」
「なんだ?」
「こなたとの旅を、勝手に終わらせるような言葉はやめて」
「ふふ、嫌だと言ったら?」
ジャレッドは答えなかった。
代わりに、握っていた剣をゆっくりと構え直す。
次いで、その唇が静かに動いた。
「――リミットリリース」
空気が軋んだ。
◇
「こ、ここ……どこですか?」
こなたが目を開けた時、目の前に広がっていたのは見知らぬ庭園だった。
整えられた芝生に、色とりどりの花が咲く花壇。白い石畳が幾筋も伸び、その向こうには王城らしい巨大な建物の一部が見えている。
すぐ近くには白雪もいた。
突然の転移に驚いたらしく、巨体を低くして周囲を警戒している。
幌馬車も無事だった。
その横では、先ほどまで城門前にいた小柄な少女――第三王女メイガスが、巨大な帽子のつばを片手で押さえながら、何事もなかったように立っている。
「ここは、王城の庭」
「庭なのは見ればなんとなく分かりますけど……」
こなたは声を上げ、慌てて周囲を見回した。
「そ、それより、ジャレッドさんは!?」
「ユーステル姉と遊んでる」
「遊んでる?」
「剣のどつき合い? かな」
「剣のどつき合いってなんですか!? 過激すぎる家族ですね!?」
メイガスは少しだけ首を傾げたが、特に否定はしなかった。
「心配しなくていい。ジャーレは頑丈だから」
「そういう心配をしてるんじゃないんですけど!」
言い返しながら、こなたは先ほど自分たちが現れた場所へ目を向ける。
そこには、人の背丈を優に超える青白い魔晶石が二本、門柱のように立っていた。
表面には細かな魔法文字が幾重にも刻まれ、その間を淡い光がゆっくり巡っている。
「これは?」
「私が作った転移標。ここを転移先として固定してる」
「つまり、さっきここへ飛んできたのは……」
「これが目印になった」
メイガスの返答はあっさりしている。
「おぉ、すごいファンタジー……」
「私の自信作」
眠そうな顔のままドヤ顔で言われると、どこまで本気なのか分からない。
白雪が警戒を解かず、低く鼻を鳴らした。
メイガスはその様子を見上げたものの、近づこうとはしなかった。
「大丈夫。あなたたちに危害は加えない」
「……ほ、本当ですか?」
「アイビス姉からも、絶対に傷つけるなって言われてる。さっき移したのも、あそこにいるとユーステル姉が色々壊すから」
「色々って何ですか」
「壁とか、道とか、人が大事にしてる物とか」
「余計に心配になりましたよ!」
「ユーステル姉は脳筋だから」
こなたの声に白雪の耳が動く。
メイガスは気にした様子もなく、庭園の奥へ歩き始めた。
「こっちきて」
「どこへ行くんですか?」
「アイビス姉が待ってる」
こなたはすぐには動かなかった。
今のところ、自分たちを傷つけるつもりがないという言葉に嘘はなさそうに思える。
だが、ジャレッドから突然引き離され、事情も分からないまま王城へ連れてこられたのだ。警戒するなという方が無理だった。
それでも、ここで立ち止まっていても状況は変わらない。
「……白雪、行きましょう」
「キュン」
こなたは白雪と幌馬車を伴い、メイガスの後を追った。
庭園の中ほどまで進んだところで、ようやく目的の場所が見えてくる。
白い石造りの東屋。
その中央に置かれたテーブルで、一人の女性が優雅に紅茶を飲んでいた。
長い灰銀色の髪を後ろでまとめ、薄い銀縁の眼鏡を掛けている。
傍らには、黒髪に銀を混ぜた端正な顔立ちの女性――クォリアが静かに控えていた。
問題は、その周囲だった。
東屋を囲むように、揃いの鎧をまとった近衛騎士たちがずらりと並んでいる。
槍を持つ者。
剣を帯びる者。
その数を見たこなたは、思わず足を止めた。
(……全然、穏やかにお茶する雰囲気じゃないんですけど)
白雪も周囲の騎士たちを見回し、大きな尾をゆっくり揺らしている。
すると、テーブルにいた女性がティーカップを受け皿へ戻した。
澄んだ小さな音が庭園へ響く。
銀縁眼鏡の奥から向けられた眼差しは柔らかい。
それでも、こちらを観察していることは嫌でも分かった。
「初めまして」
女性が微笑む。
「柊こなたさん」
自分の名前が出たことで、こなたの表情が固まった。
「……私の名前まで知ってるんですか?」
「ええ。弟がお世話になっているそうね」
そう言って、クレバリス王国宰相アイビス・クレバリスは向かいの席を手で示した。
「少し、お話をしましょうか」




