第34話 幕間4 シンボル
椿原要、竜胆大河、秋桜夕の三人が、ジャレッドと出会ってから一月ほどが過ぎていた。
その間、一行は東へ向かいながら、街道沿いの村や小さな町をいくつも巡ってきた。
宿へ泊まるたびに、異国風の黒髪の少女を見かけなかったかと尋ね、冒険者ギルドがあれば足を運び、行商人や旅人からも話を聞いた。
特徴を伝え、似た人物の噂を聞けば寄り道もしたが、未だに柊こなたへ繋がる確かな手掛かりは得られていない。
それでも三人は、探すことを諦めなかった。
この世界のどこかへ自分たちと同じように飛ばされたのなら、きっと生きている。
その思いを支えに、歩き続けていた。
旅を始めた頃に比べれば、三人自身も随分とこの世界へ馴染んできている。
要は神狐から授かった魔法の書を扱えるようになり、大河は盾を展開する腕輪で仲間を守る。
元々剣道をしていた夕は、光の刃を生み出す柄にも三人の中で最も早く順応した。
もちろん、まだ三人だけで旅ができるほどではない。
野営から魔物への対処、見知らぬ土地での情報収集まで、同行するジャレッドから教わることは多かった。
そんな旅を一月ほど続けたところで、一行は方針を変えることになった。
小さな集落を一つずつ回っていても、得られる情報には限界がある。
ならば人と物が集まる大都市へ行き、より広い範囲から話を集めた方がいい。
そこで目指したのが、現在地から最も近い位置にある五大国の一つ――エルフの国だった。
そして数日の旅を経て。
「……すご」
城門を抜けた夕の口から、思わずそんな声が漏れた。
大河も要も、言葉を失っている。
三人の前に広がっていたのは、これまで訪れたどの町とも異なる景色だった。
石造りの建物が並んでいるのではない。
巨大な樹木の幹へ寄り添うように家々が建ち、枝の上にまで回廊や住居が延びている。場所によっては木そのものが建物の一部となり、窓や扉が幹の中へ自然に溶け込んでいた。
無理に木を切り倒して町を造ったのではない。
森そのものへ人の暮らしを編み込んだような都市だった。
さらに、その遥か奥。
三人の視線を否応なく奪うものがある。
「……あれが、ユグドラ?」
要が眼鏡の位置を直しながら、呆然と見上げる。
都市の中央にそびえる一本の巨木。
周囲の木々が幼木にさえ思えるほど巨大で、幹は何十人が手を広げても囲めそうになく、空を覆う枝葉は雲へ届くのではないかと思えるほど高くまで延びている。
神木。
ルシエンという国の象徴であり、エルフたちが何世代にもわたって守ってきた大樹だった。
その根元を取り囲むように、澄み切った湖が広がっている。
水底の白い石まで見通せるほど透明な湖面にはユグドラの緑が映り、風が吹くたび光を砕きながら静かな波紋を作っていた。
「ゲームとか映画なら見たことあるけど……実物は反則だろ、これ」
大河が首を限界まで反らしながら呟く。
「分かる。画面越しで見るのとは全然違うね」
「写真撮れないのが残念ね」
夕が制服のポケットへ無意識に手をやり、すぐに苦笑した。
当然ながら、こちらへ来てからスマートフォンはまともに使えない。
ジャレッドはそんな三人の様子が面白いのか、少しだけ口元を緩めた。
「初めて来た奴は大体そんな顔になる。俺も最初はしばらく眺めてたからな」
「ジャレッドさんでもですか?」
「そりゃ驚くだろ。ユグドラと《鏡水湖》を一緒に見られる景色は、この世界を回ってもそう多くない。ルシエンへ来たなら一度は見ておく価値がある」
「へぇ……」
感心した大河がもう一度神木を見上げる。
その直後だった。
ぐううぅぅ……。
幻想的な景色には到底似つかわしくない音が、四人の間に響いた。
要が横を見る。
夕も見る。
ジャレッドまで見る。
三人の視線が集まった先で、大河が腹を押さえていた。
「……悪い」
「せっかくの雰囲気が台無しだね」
「仕方ねえだろ。朝からまともに食ってねえんだから」
「確かに私もお腹は空いたかも」
夕も苦笑しながら同意する。
今朝はルシエンへ早く着くため、保存食を軽く口にしただけだった。
ジャレッドは少し考えたあと、街路の先を顎で示した。
「だったら先に飯にするか。情報集めは腹を満たしてからでもできる」
「賛成。できれば肉が食いてぇ」
「ルシエンに着いて最初の希望が肉なの?」
「エルフの国だからって葉っぱだけ食うわけじゃねえだろ」
「誰もそんなこと言ってないけど」
二人のやり取りを聞き流しながら、ジャレッドが歩き始める。
「ちょうどいい店がある。ここまで来たなら、一回は食っておいた方がいい」
「肉あります?」
「ある」
「じゃあ行きましょう!」
「決断早いね、大河」
人々が行き交う大通りを進むこと十数分。
ジャレッドに案内されて辿り着いた先で、大河は少し困惑した。
「……パン屋?」
「おう」
そこには一軒の大きな店があった。
木造を基調としたルシエンの街並みに合わせながらも、他の建物とはどこか雰囲気が違う。入口の上には立派な看板が掲げられ、店の前からは十人以上の列が伸びている。
漂ってくる焼きたてのパンの匂いに混じり、油で何かを揚げたらしい香ばしさまで鼻をくすぐった。
看板には、この世界の文字で店名が刻まれている。
《ウッドパルベーカリー》
「結構並んでるね」
要が列の先を覗き込む。
「有名店だからな」
ジャレッドは当然のように最後尾へ並んだ。
他の三人もその後へ続く。
「有名って、どれくらい?」
「この辺じゃ知らない奴を探す方が難しい。ウッドパルはクレバリス王国発祥の老舗で、今は五大国それぞれの首都に一店舗ずつ店を構えてる」
「五店舗しかないんですか?」
「ああ。無闇に店を増やさないことで有名なんだ。技術と味を守るためらしい」
「へぇ……」
要が感心して店を眺める一方、大河の関心は別のところに向いていた。
「それよりジャレッドさん」
「何だ?」
「肉」
「あるって言っただろ」
「何がおすすめなんです?」
待ちきれない様子の大河に、ジャレッドが少しだけ得意そうな顔をする。
「初めてならコロッケパンかカツパンだな。俺はカツパンをすすめる」
「カツパン?」
夕が聞き返した。
「ああ。柔らかいパンに、衣をつけて揚げた肉を挟んで、専用のソースをかけてある。肉が厚いから結構腹に溜まるぞ」
「それにします!」
「まだ見てもいないでしょう」
「肉が厚いって聞いた。俺にはそれだけで十分だ」
即決した大河に夕が呆れる。
だが、その隣では要が別の単語へ引っかかっていた。
「コロッケパン……?」
「どうした?」
「いや、その名前、僕たちのいた世界にも同じものがあったから」
要がそう言うと、夕も頷いた。
「カツパンもあったわね。完全に同じものかは分からないけど、この世界にも似た料理があるんだ」
「珍しいのか?」
「私たちにとっては、逆の意味で馴染みがありますね」
夕は少し懐かしそうに答えた。
世界が変わって一月。
醤油に似た調味料や、米に近い穀物など、元いた世界を思い出させる食材を目にすることは何度かあった。
だから今回も、この世界で偶然似た料理が生まれたのだろうと、それ以上深く考えなかった。
「ちなみに、その二つはウッドパルを有名にした看板商品だ」
ジャレッドの声が少し弾む。
要が嫌な予感を覚えたように眼鏡越しの目を細めた。
「……まさか、その話にも《銀帝》が出てきたりします?」
「おぉ、よく分かったな」
「ああ、やっぱり……」
要の肩が落ちる。
「だってジャレッドさん、そういう顔してますもん」
「どういう顔だよ!」
「《銀帝》の話をしたくて仕方ない顔」
「俺はいつもこんな顔だ!!」
「……否定しないんですね」
ジャレッドと出会ってから一月。
彼らは既に、この男が歴史上の英雄《銀帝》をどれほど敬愛しているのか嫌というほど知っていた。
本人の名前までその英雄に由来しているらしく、《銀帝》に関係する土地や逸話へ話が及ぶと、普段のぶっきらぼうな態度が嘘のように饒舌になる。
「まあ聞け。ウッドパルの歴史は面白いぞ」
「始まった……」
大河がぼそりと呟く。
ジャレッドは聞こえなかったふりをした。
「創業は何百年も前のクレバリス王国。元になったのは、ウッドロードにあった小さなパン屋だったと言われてる。当時その店は経営が傾いて、閉店寸前まで追い込まれてた」
「それを《銀帝》が救ったんですか?」
夕が先回りする。
「その通り!」
ジャレッドが満足そうに頷いた。
「当時《銀帝》は、旅の途中でその店と関わって、店主を救うために力を貸した。その時に生まれたのが、今も看板商品になってるコロッケパンとカツパンだと言われてる」
「魔物を倒したとか国を救ったとかなら分かりますけど……パン屋まで?」
要が尋ねる。
「そこが《銀帝》の凄いところなんだ! パン屋だけじゃないぞ。《銀帝》が各地に残した食の逸話も山ほどある。魔物討伐や救国の記録ばかり有名だが、食文化への影響を指摘する研究者も――」
「ジャレッドさん」
夕が穏やかな声で遮った。
「列、進んでます」
「……分かってる」
一行は空いた分だけ前へ詰める。
大河が肩を揺らして笑い、要も困ったように口元を緩めた。
そんな三人から少し離れた位置で、夕は何気なく店の看板を見上げた。
《ウッドパルベーカリー》の文字の横に、一つのシンボルが刻まれている。
「……あれ?」
夕の声に、要が顔を向けた。
「どうしたの?」
「この店のマーク」
看板の端には、一本の長い尾をたなびかせた白い狐が描かれていた。
狐が引いているのは、一台の幌馬車。
さらに荷台の上には、人の姿を簡略化したような小さな影が浮かんでいる。
細かな顔立ちまでは分からない。ただ、翼や角といった特徴はなく、長い髪をなびかせた人影が狐と幌馬車に寄り添うように配置されていた。
「ああ、それか」
ジャレッドがすぐに反応した。
「ウッドパルのシンボルだな。《銀帝》と旅をした大精霊と、その眷属だった神獣を表してると言われてる」
「大精霊と神獣?」
夕が聞き返す。
「詳しい記録はほとんど残ってない。名前さえ史料によってまちまちだ。ただ、《銀帝》の旅には大精霊と巨大な神獣が同行していたって伝承がある」
「へぇ……」
要も看板を見上げる。
そして、何気なく言った。
「なんか、こなたが好きそうだね」
「え?」
「ほら。神獣が幌馬車を引いてるところとか。こなた、そういうの見たら絶対喜びそうじゃない?」
「ああ……」
夕はもう一度シンボルへ目を向けた。
確かに、こなたなら好きそうだ。
料理をしながら世界中を旅したいと、昔から何度も話していた。
それができるなら車でも馬車でも構わないと笑っていた少女の姿が、ふと記憶の中に浮かぶ。
けれど、それだけだ。
ここは自分たちの知らない異世界で、目の前にある店は何百年も続いている老舗だという。
たった一月前に一緒にこちらへ飛ばされた幼馴染と、このシンボルに何か関係があるはずもない。
「……偶然よね」
夕が小さく呟く。
「何か言った?」
「ううん。何でもない」
ちょうどその時、店内から明るい声が飛んできた。
「次の四名様、どうぞー!」
「やっとだ!」
大河が嬉々として店へ向かう。
「俺、カツパン二つでいいかな」
「初めてなんだから一個にしたら?」
「一個食って足りなかったら、また並ぶことになるだろ」
「食べる前から足りない前提なんだ……」
要が呆れながら後を追う。
ジャレッドも当然のようにカツパンを注文する気らしく、すでに財布を取り出していた。
夕は三人に続こうとして、ふと足を止める。
振り返った先には、木製の看板。
神獣と幌馬車。
そして、その上に浮かぶ小さな人影。
胸の奥に残ったわずかな引っかかりの正体は、自分でも分からない。
「……まさかね」
誰に聞かせるでもなくそう零すと、夕は今度こそ仲間たちの後を追い、ウッドパルベーカリーの中へ入っていった。




