第32話 味が呼んだ行列
ウッドベーカリーの前には、朝早くから途切れることなく人が押し寄せていた。
店先から通りへ伸びた列には、武器を背負った冒険者だけでなく、仕事へ向かう途中らしい職人や商人、買い物籠を提げた女性、親に手を引かれた子供の姿まで混じっている。
いつもなら静かな古いパン屋の前が、今日は祭りでも始まったかのような賑わいだった。
「はい、次の方どうぞー! コロッケパン二つですね!」
幌馬車のカウンター脇に浮かびながら、こなたが元気よく声を張り上げる。
「パルさん、コロッケパン二つお願いします!」
「はい!」
返事と同時に、パルの手が動く。
焼き上げておいた細長い白パンへ切れ目を入れ、揚げたてのコロッケに茶褐色のソースをかけて挟み込む。仕上げに紙で包んで客へ渡すまで、その手に迷いはない。
最初の試作では少し硬さの残っていたパンも、この一週間で何度も焼き方を調整した。
水分量と発酵時間を見直したことで、今では指で軽く押せばふわりと戻るほど柔らかく、コロッケを挟んでもパンだけが口に残らない。
その隣では、ジャレッドが休む間もなく複数の鉄鍋で揚げ物を仕上げていた。
衣をまとったコロッケを油へ入れ、頃合いを見て引き上げる。
さらに空いた場所へ次のタネを滑り込ませ、揚がったものから次々と引き上げていく。複数の鉄鍋を同時に扱いながらも、その手順が乱れることはない。
ただし、さすがのジャレッドも額にはうっすら汗が浮かび、普段なら眠そうに細められている青い瞳も、揚げ加減を見極めるために幾分鋭くなっていた。
そんな姿に、うっとりと見惚れる女性客もちらほら。
「ジャレッドさん!」
「うん?」
「大繁盛ですね!」
こなたが弾んだ声を投げる。
ジャレッドは揚げ網を動かしたまま、店先にできた列へちらりと目を向けた。
「そうだね。まだ増えてる」
「朝からずっとですよ。これなら――」
「精霊様! カツパン三つお願い!」
「はーい!」
客の声に返事をし、こなたは慌てて注文へ意識を戻す。
「ジャレッドさん、そっち三つ追加です!」
「分かった」
黄金色に揚がった大きな肉のカツが、次々と油から引き上げられていく。
コロッケパンと並んで今日初めて店頭へ出した、もう一つの商品。
冒険者向けに用意した隠し玉――カツサンドならぬカツパンだった。
「でも、本当にすごいです……」
客へ商品を渡しながら、パルが信じられないものを見るように列を見渡す。
「朝からこんなに忙しくなったのも、ジャレッドさんの作戦のおかげですね」
「僕は少しきっかけを作っただけだよ」
ジャレッドは淡々と答えた。
「売れてるのは、ちゃんと美味しいものを作ったからだよ」
その言葉にパルが一瞬だけ目を丸くし、それから嬉しそうに口元を緩める。
「……はい」
それは、昨日までの彼女にはまだ想像できなかった光景だった。
売上勝負を翌日に控えた夜。
ウッドベーカリーの裏庭へ置かれた魔法の幌馬車では、最後の試作を終えた三人が調理台を囲んでいた。
◇
「これで、やり残したことは……ないですよね」
パルは調理台に両手をつき、少しだけ不安そうに呟いた。
コロッケパンの改良は終わっている。
パンは以前より柔らかくなり、コロッケとソースとの馴染みもよくなった。
さらに、冒険者からの需要を意識した別の商品についても試作を終えている。
「こっちもいい出来だと思います」
こなたが、調理台に並ぶもう一つの試作品へ目を向けた。
柔らかなパンの間へ挟まれているのは、厚めに切った肉へ衣をつけて揚げたものだ。
衣の表面には、コロッケパンにも使っている茶褐色のソースがかかり、キャベツに似た葉野菜の千切りを挟み込んでいる。
肉そのものの満足感を前面へ押し出した、冒険者向けの商品。
ジャレッドの「もっと肉が欲しい」という感想から考えた隠し玉だった。
「パルさん」
「はい」
「できることはやりましたよ」
こなたは彼女の正面へ回り込む。
触れることはできないため肩を叩いて励ますこともできないが、その代わりに、なるべく明るい表情を向けた。
「パンもソースも何度も調整して作り直しました。コロッケだって、最初よりずっとよくなったし、カツパンも納得できるものを用意できました。あとは明日、自信を持って売るだけですよ!」
「……そうですよね」
「うん。大丈夫」
ジャレッドも、残っていた試作品を一口食べながら頷く。
「このパンなら絶対に売れると思う」
「ジャレッドさん、それ何個目ですか?」
「五個目」
「さっき確認は終わりましたよね?」
「念のため」
「便利な言葉ですね、念のためって」
こなたのジト目に、ジャレッドはどこ吹く風だった。
そんな二人を見て、パルも少しだけ肩の力を抜く。
それでも、完全に不安が消えたわけではないらしい。
「でも……本当にやり残したことはないんでしょうか」
パルは小さく息を吐いた。
「ヴィオレッタさんのお店には、毎朝たくさんの常連さんが来ます。うちのパンを美味しくできても、それだけで皆さんがこっちへ来てくれるのかって考えると……」
その不安は、もっともだった。
勝負の噂そのものは、すでに町の冒険者たちの間でかなり広まっている。
あの日、ヴィオレッタの店には大勢の客がいた。
《銀帝》と食の大精霊がウッドベーカリー側につき、一日限りの売上勝負をする――そんな話が酒場や宿へ広がらないはずもない。
けれど、勝負を知っていることと、実際に朝から足を運ぶことは別だ。
面白そうだと思っても、普段利用している店を変えるほどではない者もいるだろう。
「最初に人が来てくれればいいんですけどねぇ」
こなたも考え込む。
そこへ、店の方から野太い男の声が聞こえてきた。
「おーい! 誰かいねえのかー!」
三人は顔を見合わせた。
「……こんな時間に誰でしょう?」
パルを先頭に幌馬車を出て、裏口から店内へ向かう。
既に営業を終えたウッドベーカリーの店内には、四人の冒険者が立っていた。
いずれも旅慣れた装備を身につけ、武器を背負っている。
その中心にいる大柄な男を目にした瞬間、こなたが声を上げた。
「あ!」
「いた!」
向こうも同時にこちらへ気づいた。
「やっぱりあんたらだったか!」
「ルードさん!」
そこにいたのは、以前セーフエリアで出会った冒険者、ルードとその仲間たちだった。
大柄な身体を揺らすように歩み寄ってきたルードは、ジャレッドとこなたを交互に見たあと、満足そうに頷く。
「町で噂を聞いてな。《銀帝》と食の大精霊、それにでかい神獣が一緒にいるって言うだろ?」
「……食の大精霊と神獣」
こなたが盛大に頬を引きつらせる。
「ああ。そこは俺たちも何の話だって思ったんだが、《銀帝》と一緒にいる半透明の嬢ちゃんって聞いて、あんたらのことじゃねえかと思ってよ」
「やっぱりそこからなんですね……」
こなたが何とも言えない顔をしていると、ルードは突然一歩下がった。
次の瞬間。
「頼む!」
「え!?」
大男が床へ膝をつき、そのまま勢いよく頭を下げた。
「カレーをもう一回食わせてくれ!」
「……はい?」
あまりに予想外の頼みに、こなたは目を瞬かせる。
ルードの仲間たちまで揃って頭を下げた。
「俺からも頼む!」
「あの味が忘れられなくて、夜も眠れねぇんだ!」
「金なら払う! 多少高くても構わねえ!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
こなたが慌てて両手を振る。
「そんな土下座しなくても!」
「じゃ、じゃあ作ってくれるのか!?」
「作るのは別にいいんですけど……」
そこまで答えたところで、こなたは自分の半透明な両手へ視線を落とす。
「見ての通り、私は料理できないですよ?」
「……そういや、そうだったな」
当然、幽霊のこなたには、食材へ触れることも鍋を持つこともできない。
そこで自然と視線が一人へ集まった。
「…………」
ジャレッドは眠たげな目でルードたちを眺め、少し考えるように首を傾けた。
「作ってもいいよ」
「本当か!?」
「ただし、一つ頼みがある」
その瞬間、ルードたちの喜色が消えた。
「……《銀帝》の、頼み?」
ルードが恐る恐る聞き返す。
仲間たちも先ほどまでの勢いが嘘のように黙り込んだ。
S級冒険者がわざわざ自分たちへ持ちかける頼み事。
そう聞けば、ドラゴン討伐の手伝いだの、危険地帯への同行だの、命がいくつあっても足りなさそうな内容を想像してしまうのも無理はない。
「……一応聞くが」
ルードが慎重に口を開く。
「俺たちは、何をすればいい?」
「明日の朝、仲間を連れてここへ来てほしい」
「……ここにか?」
「うん」
ジャレッドはウッドベーカリーの店内を指した。
「明日、新しいパンを売るから。依頼へ行く前に食べに来てくれると助かる」
「…………」
「それと、いまから新作パンを試食してもらうから、知り合いにその感想を話をしてほしい」
ルードはしばらく瞬きを繰り返した。
「それだけか?」
「それだけ」
「魔物を百匹狩ってこいとかじゃなくて?」
「魔物百匹なんていらない」
「ドラゴンの巣に行けとか……」
「何でパンを売るのにドラゴンが必要なの?」
「そりゃそうだが……」
ルードは胸を撫で下ろした。
「何だよ、脅かすなよ。銀帝から頼みなんて言われたら、死ぬ覚悟がいるのかと思ったぞ」
「僕、そんな無茶ばっかり言わないけど」
「あんたの基準で無茶じゃないことが怖えんだよ」
仲間たちも揃って頷く。
こなたは思わず吹き出した。
「でも、ルードさんたちに試食してもらって宣伝してもらうっていい案ですね」
「そういえば、あんたらヴィオレッタの店と勝負するんだったな」
「知ってるんですか?」
「ああ、酒場でもその話ばっかりだ。食の大精霊と銀帝が、店を賭けた勝負するって持ちきりだぜ」
ジャレッドは淡々と続ける。
「君たちには、試食したパンを実際に食べた人として、正直な感想をそのまま話してほしいだけ」
「……なるほどな」
「君たちの感想に興味を持った人だけ連れてきてくれればいい」
嘘をついて客を呼ぶ必要はない。
大げさに話を盛る必要もない。
実際に食べた人間が、自分の感じたことを伝えるだけ。
それでも、「食の大精霊が料理を作るらしい」という噂しか知らない者にとって、実際にその料理を食べた冒険者の言葉は十分な後押しになる。
「そんなことでカレーを作ってくれるなら安いもんだ!」
ルードが勢いよく立ち上がった。
「任せろ。俺たち、顔だけは広いからな」
「顔だけって自分で言うなよ」
「明日の朝、冒険者の連中を連れてくるぜ!」
「宿とか酒場にも話しておくか?」
「押しつけるのは駄目ですよ」
こなたが念を押す。
「美味しかったって思ってくれてるなら、その感想だけでお願いします」
「分かってるって!」
「あとカレーは約束が終わってからですよ?」
「もちろんだ!」
迷いのない返事だった。
こうしてその晩、ルードたちは新作パンを一足先に試食し、その足で宿や酒場、冒険者ギルドへ向かった。
――明日の朝、ウッドベーカリーで、食の大精霊が考えた新しいパンが売られるらしい。
しかも、その新作を一足先に試食した冒険者たちが、口を揃えて「絶対に食っておけ」と言っている。
その噂は、想像以上の速さで広がっていった。
◇
「うっま!」
現在。
一人の冒険者が、コロッケパンへ豪快に齧りついた。
柔らかなパンと、揚げたての衣が一緒に沈み込む。
さくりと砕けた衣の中から、ほくほくとしたトテポと肉の旨味が広がり、茶褐色のソースがほどよい酸味と甘みを加える。
「何だこれ。トテポってこんなにうまかったのか?」
「だろ? 俺も最初驚いた」
隣の男も、自分のコロッケパンを頬張りながら頷いた。
「朝飯にはちょうどいいな。腹にも溜まるし」
「ただ、依頼前に食うなら、俺はもうちょっと肉が欲しいな」
そう漏らした二人の横から、得意げな声が割り込んだ。
「だから俺はこっちにしたんだよ」
「ん?」
見ると、別の冒険者が手にしていたのはコロッケパンとは違う商品だった。
柔らかなパンの間に挟まれているのは、衣をまとった厚切りの肉と葉野菜の千切り。
揚げたてのカツへたっぷりとかけられたソースが、衣へじんわり染み込んでいる。
「何だそれ!?」
「カツパン。冒険者向けだとよ」
男は見せつけるように大きく齧った。
衣が軽い音を立てて割れ、その内側から肉汁が滲み出す。
肉そのものの濃い旨味へ、果実酢を使ったソースの酸味と香辛料が加わることで、見た目ほど重たくはない。
「肉食ってるって感じがして最高だぞ」
「おい、それ先に言えよ!」
「ちゃんと二種類あるって書いてあっただろ?」
「俺、もう一回並んでくる!」
コロッケパンを持っていた男が踵を返そうとする。
だが、仲間がすかさず首根っこを掴んだ。
「やめろ! もう出発しないと依頼に遅れる!」
「カツパン食ってからでも――」
「帰ってきてからにしろ!」
「売り切れてたらどうすんだよ!」
「知らん!」
引きずられるように去っていく二人を見て、周囲の客から笑い声が上がった。
「じゃあ私はコロッケの方もう一つ!」
「俺は次、肉のやつにする!」
「母ちゃん、これ今日の昼にも買っていい?」
「食べすぎないならね」
あちらこちらで感想が飛び交い、それを聞いた別の客が追加で注文する。
コロッケパンは子供や町の人にも受け入れられ、カツパンは特に冒険者や肉体労働をする客から好評だった。
どちらか一方だけでは拾えなかった客を、二つの商品がそれぞれ呼び込んでいる。
「……すごい」
パルはほんの一瞬だけ手を止め、店先の光景を見渡した。
かつて常連だった顔もいる。
初めて見る客もいる。
ウッドベーカリーのパンを手に取り、食べて、笑っている。
父が亡くなってから、こんな光景を見たことはなかった。
「パルさん!」
「あっ、はい!」
「ぼーっとしてる暇ないですよ! 次、コロッケパン三つです!」
「すみません!」
慌てて作業へ戻ったパルの横で、こなたは楽しそうに笑った。
ジャレッドも揚げ物を引き上げながら、賑わう客たちへ目を向ける。
「大成功だね」
その声には、普段よりわずかに柔らかな響きがあった。
「はい!」
パルが力強く頷く。
「まだ勝負は終わってませんけどね」
そう言いながらも、こなたの顔にも満足げな笑みが浮かんでいる。
商品を作り、誰に食べてほしいのかを考え、来てもらうきっかけまで用意した。
そして最後に客をつなぎ止めたのは、パルが焼いたパンと、自分たちが考えた料理の味だった。
朝の時点では、これ以上ない滑り出しだった。
そんな三人の前へ、人垣を割るように一人の女性が進み出てくる。
艶やかな髪に整った顔立ち。
そして、普段の余裕をわずかに失った表情。
その姿に気づいたパルの手が止まった。
「……ヴィオレッタさん」
こなたとジャレッドも、同じ方向へ目を向ける。
大繁盛するウッドベーカリーの前に、ヴィオレッタが立っていた。




