第30話 コロッケパン
夜はすっかり更け、ウッドベーカリーの裏庭には、見慣れた魔法の幌馬車が明かりを灯していた。
店の厨房でも作業はできるものの、今回はこなたの知る料理を一から試すことになる。調理器具も設備も揃っている幌馬車を使った方が都合がいいということで、ジャレッドがマジックバッグから取り出したのである。
白雪は裏庭の端で伏せ、大きな尾を身体へ巻きつけながら、これから何が始まるのか興味深そうに幌馬車を眺めていた。
「……これが、精霊様の馬車……?」
幌馬車へ足を踏み入れたパルは、扉の前で動きを止めた。
外観とは明らかに釣り合わない内部の広さに、磨き上げられた調理台、金属製の流し台、壁際へ整然と並ぶ収納棚。見慣れない調理器具も多く、水を汲みに行かずとも蛇口を捻れば使える設備など、彼女の知る厨房とは何もかもが違っている。
「この銀色のところは何なんですか? それに、この丸いのは火を使う場所ですか? でも薪を入れるところが――」
「パルさん」
「あっちの扉の向こうにも部屋があるんですよね? 外から見たら絶対そんな広さ――」
「パルさん!」
「は、はいっ!」
ようやく振り返ったパルへ、こなたは腰へ手を当てる真似をしてみせた。
「見学会はあとです。今日はコロッケパンを作るんですよ」
「あ……すみません」
「まあ、気持ちは分かりますけどね」
初めて中へ入れば、こうなるのも無理はない。
こなた自身、この幌馬車が普通ではないことくらい十分理解している。
「まずはコロッケから作りましょう。材料は揃えましたし、トテポもありますから」
「分かった」
ジャレッドが食材庫から、コッポルたちにもらったトテポをいくつか取り出して調理台へ並べる。
一本だけでも腕ほどの長さがある淡褐色の塊根がごろりと置かれ、パルが感心したように声を漏らした。
「立派なトテポですね……」
「コッポルさんたち、いっぱいくれましたからね」
「これ、全部使うの?」
「全部は多すぎます!」
ジャレッドが本気で手を伸ばしかけたため、こなたが慌てて止めた。
「今日は試作なんですから、三本くらいで十分ですよ。まず皮を剥きましょう」
「分かった」
言われるがまま三本を手元へ寄せると、ジャレッドは包丁を取った。
次の瞬間。
「速っ!?」
刃先が表面を滑るたび、薄い皮だけが途切れることなく細長く剥がれていく。実を余計に削ることもなく、わずかな凹凸へ器用に刃を沿わせ、あっという間に一本目の白い中身が露わになった。
パルも思わず身を乗り出す。
「ジャレッドさん、すごく包丁の扱いが上手ですね」
「僕、剣術は得意だから」
「包丁捌きと剣術って関係あるんですね」
「私は関係ないと思うけどな……」
納得しかねるこなたをよそに、ジャレッドは残りの皮も手早く剥き、適当な大きさへ切り分けて水を張った鍋へ入れていく。
「火にかけて柔らかくなるまで茹でましょう。その間に、中へ混ぜる具を作ります」
市場で買ってきた、玉ねぎによく似た香味野菜を細かく刻み、油を引いたフライパンへ移す。
しばらく炒めて甘い香りが立ってきたところで、肉屋で挽いてもらった肉を加えた。
脂が熱される音とともに食欲を刺激する匂いが立ち上り、厨房へ広がっていく。
「……これだけでもおいしそうですね」
パルが思わず漏らす。
「まだ完成じゃないですよ」
「分かってます」
ほどよく火が通ったところで、炒めた具材はいったん皿へ移して休ませた。
その間に鍋の中のトテポも芯まで柔らかくなっていたため、ざるへ上げてしっかり水気を切る。
大きなボウルへ移したトテポを、今度は木べらで押し潰していった。
「全部なめらかにしないで、少しだけ粒を残してください」
「どうしてですか?」
「食べた時に、トテポのほくほくした感じが残る方が好きなんです。うちではそうしてました」
「家で?」
「はい。柊流です」
こなたが少し得意げに胸を張る。
「フライドチキンの時も柊流が出たね。剣術みたいに流派があるんだ」
「そんな流派はありません」
「自分で言ったのに?」
「そこ拾わなくていいです!」
ジャレッドに突っ込まれ、こなたがむくれる。
パルは二人のやり取りに笑いながら、粗さを残すよう丁寧にトテポを潰していった。
そこへ先ほど炒めた肉と香味野菜を加え、塩で味を整える。
全体を混ぜれば、淡い色のトテポの中へ細かな肉と香味野菜が均等に散り、コロッケの中身らしい形が出来上がった。
「意外と簡単なんだね」
ジャレッドがボウルを覗き込む。
「コロッケ自体は、それほど難しい料理じゃないですよ。ただ、おいしくしようと思えばいくらでも工夫できますけど」
「次はどうするんですか?」
「少し冷ましてから、平たい楕円形にします」
粗熱が取れるのを待ち、成形へ移る。
当然、こなたは触れられないため、実際に手を動かすのはジャレッドとパルだ。
「こんな感じですか?」
パルが手のひらほどの大きさへ整えたものを見せる。
「それくらいです。厚くしすぎない方が揚げやすいですよ」
「じゃあ僕も」
隣でジャレッドが作ったものを見た瞬間、こなたは眉を吊り上げた。
「大きいです!」
「そう?」
「そうですよ! 何ですかそれ!」
彼の手の上には、パルのものより二回り近く大きな塊が載っている。
「たくさん食べられるかなって」
「今日は大食い大会じゃありません!」
「冒険者なら、このくらい欲しいと思うけど」
「商品にするなら原価も考えてください!」
言われて、ジャレッドは少し残念そうに半分ほど戻した。
「料理って細かいね」
「商売用なんですから当たり前です」
形を揃えたタネへ薄く小麦粉をまとわせ、溶いた卵へ潜らせる。
最後に使うのは、パルが焼いた白パンを乾燥させ、細かく砕いたものだった。
こなたが知るパン粉ほど粒は均一ではなく、やや粗さも残っている。
「これも私のパンが使えるんですね」
「はい。むしろ少し粗いくらいの方が、揚げた時に食感が出るかもしれません」
衣をまとったコロッケを、熱した油へそっと落とす。
じゅわっ、と勢いよく泡が立ち上がり、厨房へ香ばしい匂いが広がった。
白かった衣は見る間にきつね色へ変わり、表面が軽やかに波打ちながら揚がっていく。
「うわぁ……おいしそうな色ですね」
「そろそろ上げて大丈夫だと思います」
網を使って油から引き上げ、余分な油を切る。
皿へ並んだコロッケからは細い湯気が立ち上り、粗めの衣が光を受けてかすかに艶めいていた。
「できました」
こなたの言葉に、ジャレッドとパルの目が一斉に皿へ向く。
「まずは、そのまま食べてみてください」
二人がそれぞれ一つ手に取り、熱さに気をつけながら齧りついた。
さくりと衣が砕け、その内側からトテポの柔らかな甘みと肉の旨味が広がる。
完全になめらかにはせず、あえて残した粒がほくほくとした食感を生み、香味野菜の甘みも後から加わっていく。
「おいしい……!」
パルが目を輝かせた。
「うん。これだけでも売れそう」
ジャレッドはすでに二口目へ進んでいる。
「トテポって、こんな料理にもできるんですね」
「揚げたては特においしいんですよ」
こなたは嬉しそうに答えながら、二人の手にあるコロッケへ目を向けた。
「…………」
「どうしたの?」
「別に」
「食べたい?」
「食べたいですよ!」
我慢できずに叫んだ。
「自分で作り方を教えておいて、一口も食べられないって酷くないですか!?」
「僕の分、取っておく?」
「取っておいてどうするんですか!」
実体がない以上、何年待っても食べられない。
恨めしそうに皿を見つめるこなたへ、パルが申し訳なさそうな顔をする。
「ご、ごめんなさい……」
「パルさんは悪くないです! むしろ感想をたくさん聞かせてください!」
「は、はい!」
気を取り直し、いよいよパンとの組み合わせを試す。
パルが用意していた楕円形の白パンへ横から切れ目を入れ、揚げたてのコロッケを挟む。その上から魔族国の商人から買った茶褐色のソースをかければ、こなたの記憶にあるものとは少し姿が違うものの、十分にコロッケパンらしい形へ仕上がった。
「これが……コロッケパン」
パルが完成した一つを持ち上げる。
ふっくら焼かれた白パンの間から黄金色のコロッケが顔を覗かせ、その表面を濃いソースが艶やかに濡らしている。
「じゃあ、今度はパンごと食べてみてください」
二人は迷うことなく齧りついた。
柔らかな白パンのあとに衣が軽く砕け、内側からトテポと肉の旨味が広がる。
そこへ加わったのが、魔族国のソースだった。
果実由来の酸味と穏やかな甘さ、幾種類もの香辛料が持つ複雑な刺激が油の濃さを引き締め、コロッケ単体で食べる時とはまた違った味へ変えていく。
ウスターソースそのものではない。
けれど、この世界の食材で作ったコロッケには、むしろこちらの方が馴染んでいるようにも思えた。
「…………おいしい」
パルが感心したように呟く。
「パンと、全然違う料理を組み合わせてるのに……こんなに合うんですね」
「パンって、中に何かを挟むだけでも色んな商品にできますから」
「今まで考えたこともありませんでした。父さんも私も、新しいパンを作るって言ったら、生地へ何か混ぜることばかり考えてて……」
手元のコロッケパンを見つめながら、パルは噛み締めるように続けた。
「パン自体を変えなくても、新しい商品って作れるんですね」
こなたは返事の代わりに、穏やかに微笑んだ。
まさに、それを伝えたかった。
ところが、パルはもう一口食べたところで不意に動きを止めた。
「……でも」
「どうしました?」
「このままじゃ駄目です」
「え?」
先ほどまで絶賛していた相手からの言葉に、こなたが瞬きをする。
パルは手元のコロッケパンを軽く押し、今度はパン職人としての目で確かめていた。
「コロッケが柔らかくて衣も軽いのに、このパンだと少し硬いです。噛んだ時にコロッケよりパンの方が口に残るというか……もう少し柔らかくして、一緒にほどけるような食感の方が合うと思います」
声からは、さっきまでの驚きが消えていた。
代わりに宿っているのは、より美味しいものを作ろうとする職人の真剣さだ。
「できますか?」
「やってみます」
返事に迷いはなかった。
「生地の水分を変えて、発酵の取り方も少し調整してみます。焼き方も変えれば、もっと柔らかくできると思います」
「じゃあ、パンの方はパルさんに任せますね」
「はい!」
そこで一つ、役割が決まった。
こなたが料理の形を考え、パルがそれに合わせてパンを仕上げる。
そんな二人の横で、ジャレッドは残ったコロッケパンを食べながら何やら考えていた。
「ジャレッドさんはどうです?」
「おいしいよ」
「それは良かったです」
「でも、依頼の前に食べるなら、僕はもう少し肉が欲しいかな」
「肉?」
「これでも十分お腹には溜まると思う。でも、冒険者が朝とか昼に食べるなら、もっとがっつりした物も欲しくなると思う」
こなたはその言葉に、少し考え込んだ。
コロッケにも挽肉は入っているし、腹持ちだって決して悪くない。
それでも、肉体を酷使する冒険者が「食べた」という満足感を求めるなら、ジャレッドの意見にも一理ある。
「なるほど……冒険者さん向けには、もう一品あってもいいかもしれませんね」
「まだ増やすんですか?」
パルが驚く。
「勝負するなら、客層は広い方がいいですから。それに惣菜パンって、色んな料理と組み合わせられるんですよ」
こなたは調理台の上に残された試作品へ目を向ける。
最初に作ったものとしては十分おいしい。
だからこそ、ここから先はそれぞれの得意分野で磨いていけばいい。
「パンはパルさんが改良する。コロッケとソースの味の調整も、もう少し試してみましょう。それから私は、冒険者さん向けにもっと肉を使った商品を考えてみます」
「まだ一週間ありますもんね」
「はい。何回でも作って、食べてもらって、直していけばいいんです」
「まかせて」
ジャレッドがすぐに返事をする。
「ジャレッドさんは、そこだけやけに嬉しそうですね」
「大事な役目だからね」
「ただ食べたいだけじゃないですか?」
「それもある」
「正直!」
呆れた声を上げながらも、こなたの表情は明るかった。
今日できたのは、最初の一歩にすぎない。
それでも、自分の知っている料理と、この世界の食材、そしてパルのパンが一つの商品として形になった。
さらに、パルからはパン職人としての改善点が出て、ジャレッドからは冒険者としての要望も加わった。
試作を始める前より、進むべき方向はずっとはっきりしている。
「よし。それじゃあ、ここからもっと良くしていきましょう」
こなたの言葉に、パルが力強く頷いた。
勝負へ持っていく商品作りは、ようやく本格的に動き始めたばかりだった。




