第29話 市場の味
「ジャレッドさんのせいですからね」
「うん」
「分かってます?」
「多分」
「絶対分かってないですよね!?」
中央通りを歩きながら、こなたは先ほどから何度目になるか分からない抗議を繰り返していた。
その身体は白雪の背へ触れないぎりぎりの高さに浮かび、傍から見れば巨大な神獣に付き従う精霊そのものに見える。
当然、目立たないはずがない。
通りを行き交う人々は一定の距離を保ちながら、巨大な白狐と半透明の少女、そしてその隣を何事もないように歩く灰銀髪の青年へ興味深そうな視線を向けていた。
「食の大精霊様だってさ」
「朝、門から入ってきたっていう?」
「隣の男、《銀帝》じゃないか?」
「近づくなよ。神獣様がいるんだぞ」
ひそひそと交わされる声が、嫌でもこなたの耳へ届いてくる。
大精霊らしく穏やかに微笑んでいなければならない立場さえなければ、今すぐ頭を抱えてしゃがみ込みたいところだった。
「まだ勝負を受けたわけじゃないよ」
そんな彼女の苦労など気にしていない様子で、ジャレッドが言った。
「それは分かってます。でも、あそこであんなこと言ったら、受ける前から町中に広まりそうじゃないですか」
「もう広まってると思う」
「誰のせいですか!」
「僕?」
「他に誰がいるんです!」
こなたが睨んでも、ジャレッドは悪びれない。
それどころか、いつもの眠たげな目元をわずかに和らげた。
「でも、もし勝負することになっても大丈夫だと思うよ」
「……何を根拠に?」
「こなたがいるから」
あまりにも迷いのない返答に、こなたは一瞬だけ言葉を失った。
「…………」
「違った?」
「いや、そういう問題じゃないです」
信頼されるのは嬉しい。
少なくとも、自分の料理に期待してもらえること自体は嫌ではなかった。
しかし、店一軒の未来と金貨五十枚が懸かった勝負で、「こなたがいるから大丈夫」と無条件に信じられるのは話が違う。
「信頼してくれるのはありがたいですけど……重いんですよ、その期待が」
「そう?」
「そうです。私、食の神様じゃないんですからね?」
「今は大精霊様だけど?」
「設定の話をしてるんじゃありません!」
こなたが大きく息を吐くと、白雪が何事かと耳をぴくりと動かした。
「ごめんね、白雪。あなたに怒ってるんじゃないですから」
「キュン」
宥めるように声をかけると、白雪は理解したのか、ふさふさとした大きな尾を揺らした。
触れられないのがつくづく惜しい。
こなたはその尾へ伸ばしかけた手を途中で引っ込めると、気持ちを切り替えて周囲へ目を向けた。
「……まあ、まずは材料ですよね」
中央通りには、先ほどライバル店を覗いていた時以上に多種多様な商品が並んでいた。
赤や黄色の実を山のように積んだ青果店。軒先へ巨大な肉の塊を吊るした精肉店。木箱いっぱいに香草や、袋から色鮮やかな香辛料を覗かせる露店。
見覚えのあるものもあれば、どう調理すればいいのか想像すらできない奇妙な形の野菜もある。
「あれ、何でしょう。カボチャみたいですけど、青いですよ」
「食べると甘いよ。煮込むことが多いかな」
「じゃあ、あっちの紫色の細長いやつは?」
「多分、野菜」
「それは見れば分かります」
こなたの目は楽しそうに次々と商品を追いかけていく。
料理好きだった頃の癖なのだろう。
食べられない身体になった今でも、知らない食材を見つければ、どんな味なのか、どう調理するのかが気になって仕方がない。
「思ってたより、ずっと食材が豊富ですね」
「クレバリスは豊かな国だから」
「そうなんですか?」
「土地が広いし、肥沃な場所も多い。小麦だけじゃなくて野菜や果物を作ってる地域もあるし、畜産も盛んだよ」
ジャレッドは露店を眺めながら続ける。
「それに、大陸のだいたい中央にあるからね。東西南北の国を行き来する商人の多くがクレバリスを通る」
「なるほど。交易の中継地点なんですね」
「うん。だから自分たちの国で作れない物も割と入ってくる。王都に近い町なら特に」
ウッドロードは水晶宮へ向かう冒険者が集まる町であると同時に、王都へ続く街道にも面している。
冒険者向けの商品を運ぶ商人だけでなく、王都を目指す隊商も立ち寄るため、小さな町の規模に反して品揃えはかなり豊富なのだという。
「いい町ですね、ここ」
「気に入った?」
「食材を見るだけで一日いられそうです」
「今日は材料を買いに来たんだよ」
「分かってますって」
危うく目的を見失いかけながら、こなたたちは市場を順番に回っていった。
まず見つけたのは、玉ねぎによく似た丸い香味野菜だった。
皮は薄い赤紫色だが、切ると中は白く、ほのかな甘みがあるらしい。
続いて精肉店では、コロッケへ混ぜ込む肉として使えそうな挽肉を購入する。
卵も問題なく手に入り、揚げ油として使える植物油もこの地域では一般的な品だった。小麦粉は言うまでもなく豊富で、衣に使うパンについても、パルに余った白パンを乾燥させて細かく砕いてもらえば代用できそうだった。
もちろん、肝心のトテポはコッポルたちから大量にもらっている。
「思ったより何とかなりそうですね」
「ほとんど揃った?」
「はい。あとは試してみないと分かりませんけど、コロッケ自体は問題なく作れると思います」
購入した品々はジャレッドがマジックバッグへ収めていく。
その途中、魔道具や魔宝石を扱う商人を見つけたため、こなたはそちらにも立ち寄った。
「魔宝石も買うの?」
「買える時に買っておきましょう。幌馬車で食材を取り寄せるのに必要ですから」
「今回は使わないんだよね?」
「今回の商品には、できるだけ使いません。でも、旅はこれからも続くんですよ?」
今回はパルが自分たちのいなくなった後も作り続けられるよう、現地で手に入る材料を使う必要がある。
だが、こなたたち自身が旅の途中で食べる料理まで、わざわざ幌馬車を封印する理由はなかった。
「幌馬車の食材を買えるの、私たちにとっては大事なんですから」
「分かった。じゃあ多めに買っておく」
ジャレッドはそう言うと、相場を確認することもなく商人へ代金を支払おうとする。
「待ってください。一応、値段くらい確認しましょう」
「必要?」
「必要です!」
金持ちの金銭感覚というものは、やはり信用ならない。
こなたが横から口を出しながら必要な分を買い揃え、再び市場を歩き始める頃には、コロッケに必要な材料はほぼ揃っていた。
それでも、彼女の顔からは先ほどまでの楽しげな色が少しずつ消えていく。
「…………」
「どうしたの?」
変化に気づいたジャレッドが声をかける。
「材料、何か足りなかった?」
「材料というより……最後に一つ、困ったものがあるんですよね」
「何?」
「ウスターソースです」
「うすたー? ソース?」
聞き慣れない言葉だったらしく、ジャレッドが首を傾げた。
「コロッケパンって、揚げたコロッケをパンに挟むだけでも美味しいんですけど、やっぱりソースがあった方が数段美味しくなるんです」
「どんな味?」
「説明が難しいですね……」
こなたは記憶の中にある味を思い返した。
「酸味があって、少し甘くて、塩気もあって、それにいろんな香辛料の風味もします。野菜とか果物を使って作る調味料で、揚げ物によく合うんです」
「幌馬車から買えば?」
「それだと意味がないじゃないですか」
予想していた問いに、こなたは苦笑する。
「私たちが食べるだけなら、それでいいです。でも、これはパルさんがお店で売り続ける商品ですよ?」
端末からウスターソースを購入すること自体は、おそらく難しくない。
けれど、こなたたちがウッドロードを離れれば、パルは同じ物を手に入れられなくなる。
「だからって、一から作るのも無理があって……」
「難しいの?」
「かなり。私も細かい作り方までは知りませんし、作れたとしても熟成させたり、色々必要だったと思います」
試作期間は一週間しかない。
現代日本で当たり前に売られていた調味料を、記憶だけを頼りに完全再現するなど無謀もいいところだった。
「なら、こっちにある調味料で近い物を探すしかないんじゃない?」
「ですよねぇ……」
こなたは腕を組み、周囲へ目を巡らせる。
「酸味が強くて、果物とか野菜とか香辛料を使ってて、肉料理にも合うような……そんな都合のいい調味料があればいいんですけど」
「……失礼」
不意に背後から声を掛けられ、こなたとジャレッドが振り返った。
少し離れた場所に、見慣れない風貌の男が立っている。
年齢は四十前後だろうか。青白い肌に、横へ細長く伸びた尖った耳。袖や裾のゆったりとした砂色の衣服をまとい、肩には鮮やかな刺繍の入った布を掛けている。
その背後の露店には、色とりどりの香辛料や乾燥果実、大小さまざまな瓶が所狭しと並んでいた。
男はすぐには近づかず、白雪の巨体へ一度目をやったあと、半透明のこなたを見上げた。
「そちらの御方は……今朝から噂になっている、食を司る大精霊様で間違いありませんか?」
「そういうことになってるよ」
「そういうことに、って何ですか!?」
こなたが小声で抗議する。
男は一瞬だけ目を瞬かせたものの、すぐに商人らしい笑みへ戻った。
「なるほど。普通にお話ししてもよろしいので?」
「本人に聞けばいいと思う」
「ジャレッドさん、その説明だと私が珍しい生き物みたいじゃないですか」
「珍しくはあるよね」
「否定できないのが悔しい……」
こなたが肩を落とすと、男はそこでようやく緊張を解いたようだった。
胸元へ片手を添え、改めて丁寧に頭を下げる。
「失礼いたしました、大精霊様。少々お話が耳に入りましてね。酸味があって、果物や野菜、それに香辛料を使った調味料をお探しだとか」
「はい。もしかして、ご存じなんですか?」
「ええ。神獣様を伴った大精霊へこちらから声を掛けるのは少々勇気が要りましたが……欲しい物を探している客を見過ごすのも商人の性分でして」
男はそう言って、自分の露店を示した。
「私は魔族国から来た商人です。香辛料と加工食品を中心に扱っています」
「魔族国から?」
「うちの国は香辛料の産地が多いんですよ。暑い土地では保存のために香辛料を使う料理が昔から発達していましてね。その延長で、調味料や保存食品を作る技術も盛んなんです」
「へぇ……」
こなたの視線が露店へ吸い寄せられる。
男は並んだ瓶の中から一本を選び、二人の前へ持ってきた。
中には濃い茶褐色の液体が満たされている。
「肉料理に合わせる物なら、こちらはいかがでしょう」
栓を抜いた瞬間、果実の酸味と幾種類もの香辛料が混じった複雑な匂いが漂った。
こなたの目が僅かに見開かれる。
「これ……」
「野菜と果物を煮詰めたものに、果実酢、塩、甘味、それから何種類かの香辛料を加えて寝かせた調味料です。魔族国では焼いた肉や腸詰めなんかに使いますね」
「寝かせるんですか?」
「作りたてでも使えますが、樽に入れてしばらく置いた方が味が馴染むんです」
説明を聞けば聞くほど、こなたの記憶にあるウスターソースとの共通点が増えていく。
「ジャレッドさん、ちょっと味を見てもらえます?」
「僕?」
「私は食べられませんから」
「ああ、そうだった」
「そこ、たまに忘れますよね……」
商人から小さな匙を借りると、ジャレッドは僅かに液体を掬って口へ含んだ。
「酸味が強いね」
「他には?」
「少し甘い。あと、後から香辛料が来る。肉には合いそう」
こなたは瓶へ顔を近づけ、香りを確かめた。
当然、記憶の中にあるウスターソースとまったく同じではない。こちらの方が香辛料の主張は強く、果実由来らしい独特の香りもある。
それでも、求めていた方向から大きく外れてはいなかった。
「……これ、使えると思います」
「お探しの物と同じですかな?」
「同じものではないです。でも、これならコロッケには合うと思います」
日本のコロッケパンを寸分違わず再現する必要はない。
ここは日本ではなく、アルテリアなのだから。
パルがこれから作り続けていくのなら、この世界で安定して手に入り、現地の食材にも合う味へ仕上げた方がいい。
「これって、かなり珍しい品なんですか?」
「魔族国じゃ珍しくありませんよ。クレバリスにも交易商隊が定期的に運び込んでいますし、王都なら普通に扱う商会もあります」
「この町でも買い続けられます?」
「ええ。中央通りの調味料屋にも卸しているはずです。私自身がここまで来るのは年に何度かですが、品物は別の商隊や商会を通して入ってきますから」
その答えを聞いて、こなたの顔が明るくなる。
これなら、自分たちがウッドロードを離れた後もパルが仕入れ続けられる。
「それなら決まりです!」
「買うの?」
「はい。まずは一本ください!」
「毎度あり」
商人が満足そうに笑った。
「何に使うのかは存じませんが、面白い料理が完成したら、次にこの町へ来た時にはぜひ食べてみたいものです」
「お店の定番になってたら、ぜひ食べていってください!」
代金を支払い、茶褐色の調味料もマジックバッグへ収める。
これで、コロッケパンの試作に必要な物はひとまず揃った。
こなたがふと空を見上げると、町へ入った時にはまだ高かった太陽が、すでに西へ傾き始めていた。
「思ったより時間かかりましたね」
「こなたが食材を見るたび止まるから」
「市場調査です!」
「青い果物を十分くらい見てたけど」
「あれは純粋な興味です」
「やっぱり」
「さあ、戻りますよ!」
誤魔化すように声を上げ、こなたたちはウッドベーカリーへ戻ることにした。
◇
「売上勝負ぅぅぅぅ!?」
夕暮れのウッドベーカリーに、パルの悲鳴が響き渡った。
「そんな大きな声出さなくても聞こえるよ」
「出しますよ!」
作業台へ両手をついたパルは、信じられないものを見るようにジャレッドとこなたを交互に見た。
市場から戻った二人は、買ってきた材料を見せる前に、まずライバル店で起きた出来事を説明したのである。
「ど、どうしてパンを見に行っただけで、そんな話になってるんですか!?」
「僕が敵情視察だって言ったから」
「そこから説明するんですか!?」
「事実だから」
「ジャレッドさんはちょっと黙っててください!」
こなたが制すると、パルは額へ手を当てた。
「ヴィオレッタさんが……うちを二号店に……」
「まだ決まったわけじゃありませんよ」
こなたは念を押した。
「ジャレッドさんも、その場では受けてません。ウッドベーカリーはパルさんの店だから、決めるのはパルさんだって」
「そうなんですか?」
「うん」
ジャレッドが頷く。
「僕の店じゃないからね」
簡単な言葉だったが、パルはしばらく黙って彼を見つめていた。
「もし断るなら、それで終わり。ヴィオレッタには僕から伝えておく」
「…………」
「でも、受けるなら手伝うよ」
選択を迫る調子ではなかった。
決めるのはあくまでパル自身だと示すように、ジャレッドはそれ以上何も言わない。
こなたも急かさず、彼女が答えを出すのを待った。
やがてパルは作業台へ目を落としたまま、ぽつりと尋ねた。
「ヴィオレッタさん……父のこと、なんて言ってました?」
こなたは一瞬迷ったものの、誤魔化さずに答えることにした。
「パン職人としての腕は悪くなかったって。でも、お客さんが何を求めているのか分かっていなかった、って」
「……そうですか」
「それから、昔ながらのやり方にしがみついていたら淘汰される、とも」
パルの手が僅かに強く握られる。
けれど、すぐに言い返すことはなかった。
「……悔しいです」
絞り出された声には、怒りだけではない複雑な感情が滲んでいた。
「すごく悔しい。でも……多分、あの人が言ってること、全部が間違ってるわけじゃないんですよね」
「パルさん……」
「父さんも私も、お客さんが減ってから、新しいパンを作ることばっかり考えてました。どうして来なくなったのか、本当の理由をちゃんと考えてなかったのかもしれません」
父親を否定したいわけではない。
むしろ今でも尊敬しているからこそ、その失敗を認めることは苦しいのだろう。
それでも、パルは目を逸らさなかった。
「でも――」
ゆっくりと顔が上がる。
「だからって、この店がもう駄目だって決めつけられるのは嫌です」
そこに浮かんでいたのは、出会った時に見せた父親の夢を追うだけの表情とは少し違っていた。
「父さんが守ってきた店だから、っていうだけじゃありません」
パルは店内を見回す。
使い込まれた作業台。
煤けた石窯。
長い年月の中で何度も磨かれてきた木の床。
幼い頃から過ごし、今は自分一人で守っている場所。
「今は、私の店です」
その一言に、こなたは目を細めた。
「父さんが間違えたところがあったなら、今度は私が直したい。お客さんが何を欲しがってるのか、ちゃんと見て……もう一度、この店へ来てもらえるようにしたいです」
パルは胸の前で拳を握ると、ジャレッドへ真っ直ぐ顔を向けた。
「私、勝負します」
「本当にいいんですか?」
尋ねたのはこなただった。
「負けたら、この店を失うんですよ?」
「嫌に決まってます」
パルは正直に答えた。
「今のままなら、きっと負けます。でも――」
次にこなたを見る。
「精霊様が、一緒に頑張るって言ってくれたから」
「うっ」
思わぬところで自分の言葉を返され、こなたが詰まる。
「それに、父さんの店だから守るんじゃありません」
パルはもう一度、今度ははっきりと言った。
「私の店だから、私が取り戻したいんです」
夕日が差し込む店内で、その声だけは一度も揺れなかった。
「だから――勝負を受けます」




