第28話 売上勝負
「……聞いてた以上に、強敵ですね」
店先を埋め尽くす男性冒険者たちと、その間を笑顔で行き来する若い女性店員を眺めながら、こなたは頬を引きつらせた。
胸元の大きく開いた揃いのブラウスに、パン屋の仕事着としては随分と丈の短いスカート。名前を覚えて声をかけ、冒険話に相槌を打ち、時には腕へ軽く触れるほど距離の近い接客まで加わるのだから、男性冒険者が多いウッドロードで人気なのも頷ける。
昔ながらのパンを焼いて棚へ並べるだけのウッドベーカリーとは、商売の方向そのものが違っていた。
「とりあえず、中に入ってみましょう」
「敵情視察?」
「その言い方、絶対に店の人の前ではしないでくださいね?」
「分かった」
本当に分かったのだろうか。
一抹の不安を覚えながら、こなたはジャレッドとともに店へ向かった。
三メートル近い白雪は店内へ入れないため、入口脇で待ってもらう。神獣らしき巨大な白狐が大人しく伏せたことで、店先にいた冒険者たちが一斉に振り返った。
「……おい、あれ」
「朝に門から入ってきた神獣じゃないか?」
「じゃあ、浮いてるのが例の大精霊様……?」
囁き声が広がる中、ジャレッドは気にも留めず店内へ入っていく。
こなたも精霊らしい微笑を保ったまま後に続いた。
中へ入ると、ウッドベーカリーとの違いはさらに際立つ。
新しい建物には大きな窓から陽光が差し込み、棚や籠には焼きたてのパンが種類ごとに並べられている。それぞれに値札らしき木札も添えられ、女性店員たちの明るい声と客の笑い声が絶えない。
こなたは棚の前を進みながら、商品を確かめていった。
丸い白パンに、塩気のある小麦パン。木の実を練り込んだものや保存用の硬いパン、表面へ蜂蜜を塗った甘そうなものまである。
だが、どれもこの世界では珍しくない品ばかりだった。
「本当に、パン自体は普通なんですね」
「うん。普通のパン屋にあるものと、それほど変わらないかな」
「やっぱり、売ってる物じゃなくて売り方なんだ……」
パルから事情を聞いた時点で予想していたが、実際に見ればよりはっきりする。
ウッドベーカリーが客を奪われた最大の理由は、パンの味ではなかったのかもしれない。
その時、近くにいた冒険者がジャレッドを凝視した。
「待てよ。あの灰銀の髪……《銀帝》じゃないか?」
「は?」
「嘘だろ?」
「いや、見たことあるぞ! 間違いねぇ!」
その名が出た途端、店内がざわついた。
「《銀帝》って、あのS級の?」
「すご……本物?」
「というか、すごく格好よくない?」
接客していた女性店員たちまで頬を赤らめてジャレッドを見ている。
さらに、
「あの透けてる女の子って……」
「食の大精霊様じゃないのか?」
「神獣様まで外にいるぞ」
今度はこなたへも注目が集まった。
内心では逃げ出したくなりながら、どうにか大精霊らしい微笑を保っていると、店の奥から一人の女性が現れた。
「あら。随分と騒がしいと思ったら――」
艶のある声が、周囲の喧騒を自然と抑える。
二十代後半ほどだろうか。
長く艶やかな髪に、はっきりとした目鼻立ち。身体の線を美しく見せる衣装は若い店員たちほど露出していないのに、遥かに色気を感じさせる。
(……この人、自分が綺麗なの絶対分かってる)
そんな感想が真っ先に浮かんだ。
「ようこそ。この店の店主をしているヴィオレッタよ」
軽く頭を下げると、ヴィオレッタはジャレッドへ目を向けた。
「まさか、高名な《銀帝》様に来てもらえるなんて光栄ね」
「どうも」
素っ気ない返事にも構わず、ヴィオレッタは自然な仕草で彼の手を取る。
「ちょうど焼き上がったパンがあるの。せっかくだし、一つどう?」
僅かに身を寄せ、艶やかに微笑む。
ところが。
「いらない」
「……あら?」
即答だった。
ジャレッドには動揺も照れもなく、手を握られていることすら気にしていない。
「今日はパンを買いに来たわけじゃないから」
「じゃあ、何をしに?」
「ウッドベーカリーのために敵情視察」
「ジャ、ジャレッドさん!?」
こなたの声が店内へ響いた。
「だから本人の前で言わないでって言ったじゃないですか!」
「そうだっけ?」
「さっき言いました!」
一方、ヴィオレッタの笑みが僅かに薄れる。
「……ウッドベーカリー?」
「うん」
「驚いたわ。まだ続いていたのね、あの店」
再び笑みを浮かべたが、先ほどとは違ってどこか冷たい。
「パン職人として父親の腕は悪くなかった。でも、商売ってものを少し勘違いしていた人だったのよ」
「勘違い?」
「美味しいものを作っていれば、それだけで客が来ると思っていたの」
ヴィオレッタは賑わう店内を見渡した。
「ここはウッドロード。水晶宮へ向かう冒険者が大勢集まる町よ。誰が客で、その人たちが何を求めているのか。それくらい考えるのは当然でしょう?」
近くでは女性店員が冒険者の話へ楽しげに相槌を打っている。
「あの人たちは命を懸けて依頼へ向かうし、戻ってくれば疲れてる。だったら気分よく送り出して、帰ってきたら笑顔で労う」
ヴィオレッタは自信に満ちた様子で続けた。
「客は商品だけを買いに来るわけじゃない。ここで過ごす時間まで含めて、私は売ってるの」
言い方に棘はある。
けれど、商売について語っている内容そのものは間違っていない。
「古いやり方にしがみついているだけじゃ、いずれ淘汰される。それだけの話よ。もっとも、娘の方も父親から何も学ばなかったみたいだけど」
そこでヴィオレッタは小さく笑った。
「借金まで抱えて、店を差し押さえられそうになったとか。いっそ畳んだ方が、あの子のためかもしれないわね」
「それは大丈夫」
唐突にジャレッドが口を挟む。
「何が?」
「借金取りはもう来ないよ」
「……どういうこと?」
「僕が借金を買ったから」
周囲が再びざわついた。
ヴィオレッタも、今度ばかりは明らかに驚いた顔をする。
「あなたが?」
「うん。だから、少なくとも借金を理由に店を取り上げられることはないよ」
「随分と思い切ったことをするのね」
「そうかな」
「金貨五十枚でしょう?」
「そうだね」
まるで銅貨の枚数でも確認するような返事だった。
ヴィオレッタは一瞬だけ呆れたような顔をしたものの、すぐにこなたへ目を向ける。
「それで? 借金を肩代わりしたところで、客が戻るわけじゃないでしょう?」
「それはこれから考えるところ」
ジャレッドも隣へ顔を向けた。
「こなたが何か思いつきそうだから」
「ちょっと、勝手に期待値を上げないでください!」
「違うの?」
「まだ材料すら確認してないんですから!」
しかし周囲の冒険者たちには、そのやり取りが別の意味に聞こえたらしい。
「大精霊様が何か作るのか?」
「新しいパンか?」
「何だそれ、面白そうじゃねぇか!」
(まずい……)
こなたは頭を抱えたくなった。
まだコロッケパンなど影も形もない。
材料すら揃うか分からない段階で、期待だけが勝手に膨らんでいく。
一方、ヴィオレッタは周囲の反応を耳にしながら、改めてこなたを見つめた。
「……面白いわね」
「え?」
「そこまで期待されてるなら、勝負してみない?」
嫌な予感は、だいたい当たる。
「勝負?」
ジャレッドが首を傾げる。
「一週間後。同じ一日で、どちらの店がより多く売り上げられるかを競うの」
途端に冒険者たちが色めき立った。
「一日の売上勝負か!」
「面白ぇ!」
「そりゃこっちの店だろ!」
「でも向こうには大精霊様がいるぞ?」
ヴィオレッタは余裕のある笑みを浮かべた。
「朝の鐘から夕方の鐘まで。その時間に一般の客へ店頭で販売した商品の総売上で決めましょう。こっちも、普段通りの商品で勝負するわ」
「ちょっと待ってください。そもそも、私たちにはそんな勝負をする理由が――」
「あるわ」
ヴィオレッタが遮る。
「私、この店が少し手狭になってきたと思ってたの」
確かに店内は客で溢れ、入口の外にまで人がいる。
「いずれ二号店を出そうと思っていたのよ。ウッドベーカリーの場所は悪くない。古い建物を改装すれば、ちょうどいいでしょうね」
「まさか……」
「私が勝った場合、ウッドベーカリーを金貨五十枚で買い取らせてもらうわ」
「五十枚……」
「ちょうど、あの店が抱えていた借金と同額でしょう?」
ヴィオレッタはジャレッドへ一瞥を向けた。
「代金をそのままあなたへの返済に回せば借金はなくなる。パルが望むなら、その後は私の店で職人として雇ってあげる」
「つまり、負けたら借金はなくなる代わりに、パルさんは店を失うってことですか」
「そういうことね」
「こっちが勝ったら?」
ジャレッドが尋ねる。
「こちらから金貨五十枚を支払うわ。店はもちろんそのまま」
ヴィオレッタは挑発するように笑う。
「勝てれば、自分の店を残したまま借金を全部返せる。悪くない条件でしょう?」
こなたは黙って彼女を見つめた。
どうやら以前からウッドベーカリーへ目をつけていたらしい。
しかも、自分たちが負ける可能性などほとんど考えていない。
無理もなかった。
この店は今日も大勢の客で賑わい、対するウッドベーカリーは開店すらしていない。
普通に考えれば、勝負になるはずがない。
「分かった」
ジャレッドが答えた。
「ジャレッドさん!?」
「ただし、僕が決めることじゃないよ」
続いた言葉に、こなたは寸前で踏みとどまる。
「ウッドベーカリーはパルの店だから。勝負をするかどうかは本人に聞いてみる」
「あら。意外と律儀なのね」
「人の店を勝手に賭けるのは駄目でしょ?」
「そこはちゃんとしてるんですね……」
こなたが胸を撫で下ろした。
「じゃあ、店主本人が受けると言うなら?」
「やるよ」
途端、店内から歓声が上がった。
「決まりだ!」
「一週間後だな!」
「俺、絶対見に来るぞ!」
「ちょっと! まだパルさんが受けるって言ってませんからね!」
訂正しても、誰も聞いていない。
冒険者たちはどちらが勝つだの、新しいパンとは何だのと勝手な予想で盛り上がっていた。
「楽しみにしてるわ。もっとも――」
ヴィオレッタがこなたを見る。
「一週間程度で、うちに勝てる商品が作れるとは思わないけど」
「そう?」
返したのはジャレッドだった。
「僕たちは負けないと思うよ」
「随分と自信があるのね」
「うん」
ジャレッドは自然な仕草でこなたを示した。
「だって、こっちには食の大精霊様がいるから」
「ジャレッドさぁぁぁん!?」
とうとう大精霊らしい振る舞いも忘れ、こなたの絶叫が繁盛店の中へ響き渡った。
◇
同じ頃。
ウッドロードの中心部から少し離れた高台には、町を管理する代官の屋敷が建っていた。
その二階の執務室では、頭頂部がすっかり寂しくなった小太りの男が、何度目か分からないほど額の汗を拭っている。
原因は、つい先ほど部下から届いた一報だった。
――《銀帝》ジャレッドが、ウッドロードへ入った。
代官にとっては、それだけで町中をひっくり返しかねない大事件である。
しかも巨大な神獣と、大精霊らしき存在まで伴っているという。
だが男の関心は、ほとんどジャレッド一人へ向けられていた。
報告を受けるや否や、兵を集め、町の有力者を呼び、歓迎式典や宴席の準備を進めようとした。
ところが指示を出そうとした矢先、いつの間に入り込んだのか、一人の黒衣の女が執務室に立っていた。
彼女は自らを国家の番犬だと名乗ると、歓迎の準備をすべて取りやめるよう告げたのである。
「あ、あの……本当に何もしなくてよろしいのでしょうか?」
本来なら町の行政を預かる立場として、堂々と構えていて然るべき人物である。
しかし今は、完全に落ち着きを失っていた。
「ジャーレ様が、このウッドロードへいらしているのですよ?」
「存じています。あと、あの方は今はジャレッド様です。お間違いなきよう」
返事をしたのは、窓辺に立つ黒衣の女性だった。
以前、ジャレッドたちを遠くから見守っていた女である。
その瞳には淡い光が宿り、遥か離れた中央通りまで魔眼で捉えていた。
「でしたら、やはり歓待の準備をするべきでは!? 町の入口から兵を並べ、歓迎式典を開くとか! せめて晩餐会だけでも! いや、いっそ町を挙げてパレードを――」
「全部やめてください」
「全部!?」
「ジャレッド様は、そういう大袈裟な歓待を一番嫌がります」
「で、では私はどうすれば?」
「何もしないでください」
「代官なのに!?」
「何もしないことが、今できる最大限のおもてなしです」
「そんなおもてなしがありますか!?」
悲鳴に近い声が室内へ響く。
しかし黒衣の女性は気にも留めず、魔眼越しに中央通りを眺め続けていた。
その視界には、繁盛するパン屋から出てきたジャレッドとこなたの姿が映っている。
店の周囲では、大勢の冒険者たちが何やら興奮した様子で騒いでいた。
「……ふふ」
「な、何かありましたか!?」
代官がおそるおそる尋ねる。
黒衣の女性は僅かに口元を持ち上げた。
「いえ」
視線の先では、事情を説明しているらしいこなたが、ジャレッドへ必死に何か訴えている。
「また面白いことを始めようとしてるなぁ、と思いまして」




