第27話 敵情視察
「今朝焼いたばかりなんです。ぜひ食べてみてください!」
期待に満ちた笑顔で差し出された《健康薬草パン》を前に、ジャレッドの青い瞳がわずかに泳いだ。
水晶竜を相手にした時でさえ、これほど露骨に困った顔はしていなかった気がする。
皿の上に鎮座する丸パンは、焼き上がりだけを見れば悪くない。表面には均等に焼き色がつき、ふっくらと膨らんだ形も整っている。
しかし、その裂け目から覗く生地は鮮やかな深緑色で、鼻を近づけるまでもなく強烈な薬草の匂いが漂っていた。
「どうぞ!」
「…………」
パルの屈託のない笑顔が、ジャレッドへ容赦なく突き刺さる。
逃げ道がないと悟ったのか、ジャレッドはしばらくパンを眺めたあと、小さく息を吐いた。
「……いただきます」
意を決して手を伸ばし、薬草パンを持ち上げる。
こなたは少し離れたところから、その様子を固唾を呑んで見守った。
ジャレッドがパンへ齧りつく。
「…………」
咀嚼した直後だった。
それまで眠たげだった顔つきが、一変した。
薄く開いていた瞼が持ち上がり、青い瞳には鋭い光が宿る。背筋まで自然と伸び、整った顔立ちが凛々しく引き締まったことで、普段とはまるで別人のような雰囲気になっていた。
ただし、動かない。
パンを持ったまま、一切動かない。
妙な沈黙が部屋を満たした。
パルは最初こそ不安そうにしていたが、やがて別のところへ意識が向いたらしい。
「……わぁ」
「え?」
「ジャレッドさんって、ちゃんと目を開くと、ものすごく格好いい人ですね……」
頬を赤らめたパルが、思わずといった様子で呟く。
「いや、そこですか?」
こなたは呆れながらジャレッドの前まで移動すると、顔の前で手を左右に振った。
「ジャレッドさん?」
反応がない。
「聞こえてます?」
それでも微動だにしない。
こなたの表情に、徐々に不安が浮かんだ。
「……意識あります?」
「…………あ」
ようやくジャレッドが瞬きをする。
鋭く引き締まっていた目元から力が抜け、いつものどこか眠たげな顔へ戻っていった。
「ごめん」
「何だったんですか、今の?」
「一瞬、気絶してた」
「「パンで!?」」
こなたとパルの声が重なった。
当のジャレッドは、まだ手にした薬草パンを見つめている。
「そんなに……?」
パルの顔から先ほどまでの期待が消え、不安が滲み始めた。
「あの、お味はどうでしたか?」
「苦い。あと、まずい」
迷いのない即答だった。
ジャレッドの正直な感想に、パルが目に見えて項垂れた。
肩まで落ちている。
「お父さんが最後まで研究してたレシピを元に、いっぱい改良したのに……」
落ち込む姿を見ると、さすがのジャレッドも少し気まずそうだった。
「でも、パンを作る腕はちゃんとしてると思う」
「え?」
「これが普通のパンなら僕はおいしく食べれた。でも、この薬草が全部台無しにしてる」
「全部……」
「ゴブリンも避けるレベルだね」
「追い打ちかけないであげてください!」
こなたが間へ入るように口を挟む。
とはいえ、ジャレッドの感想で引っ掛かっていたものが一つ形になった。
父親もパルも、客を取り戻すためには「今までにないパン」を作らなければならないと思い込んでいる。
その結果、パン生地そのものへ珍しい材料を練り込み、従来の味からどんどん離れていった。
しかし。
パルの技術自体に問題がないのなら、変えるべきなのはそこではないのかもしれない。
「……パンは、パンのままでいいのかも」
「え?」
パルが顔を上げる。
「いえ、ちょっと考えてたんです」
こなたは顎へ指を添えながら、頭の中で食卓の記憶を探った。
パルにパンを焼く技術があるなら、生地そのものを奇抜にする必要はない。
そもそもパン作りについて、こなたは素人も同然だ。ならば無理にそこへ口を出すのではなく、自分の知っている料理と、パルのパンを組み合わせればいい。
そこまで考えたところで、一つの言葉が頭に浮かんだ。
「……惣菜パン」
「そうざい?」
「パン?」
二人が揃って首を傾げた。
パンに料理を挟む。
その発想から真っ先に思い浮かんだのは、少し前にコッポルたちから大量にもらったトテポだった。
見た目も味も、じゃがいもによく似ている。
あれなら――。
「コロッケパンを作ってみませんか?」
「ころっけぱん?」
今度はパルだけでなく、ジャレッドまで同じ調子で復唱する。
「はい。トテポを茹でて潰して、お肉や野菜と混ぜて丸めて、衣をつけて油で揚げるんです。それをパンに挟みます」
「パンの中に、料理を?」
「正確には、切ったパンに挟む感じですね」
パルはまだ想像できないらしく、何度か瞬きをしている。
「それって、本当にパンなんですか?」
「パンです。たぶん」
「たぶん?」
「私の世界ではちゃんとパン扱いでしたから」
「へぇ、精霊様の世界ではそんなパンがあるのですね」
勢いで押し切ると、こなたは両手で細長い形を作ってみせた。
「パルさん。こういう、楕円形で少し長めの白パンって作れます?」
「これくらいですか?」
「もう少し平べったくて長い方がいいですね。横に切れ目を入れて、具を挟めるくらいの柔らかいパンが理想です」
パルは少し考えたあと、頷いた。
「作れます。形を変えるだけなら難しくないですし、生地も白パンのものを少し調整すれば大丈夫だと思います」
「本当ですか!」
「でも、今から生地を仕込むので、すぐには焼けませんよ? 発酵させる時間も必要ですし」
「もちろんです。それなら、その間に私たちは市場へ行ってきます」
「市場へ?」
「コロッケに使えそうな材料を調べたいんです」
こなたの頭の中では、すでに必要なものが並び始めている。
トテポはある。
しかし、玉ねぎに近い野菜や挽肉、卵、揚げ油、小麦粉、衣に使うパンなど、他にも確認しなければならないものは多い。
しかも、一度だけ作れればいいわけではない。
ウッドベーカリーの商品として売るなら、パルが継続して仕入れられる価格と量でなければ意味がなかった。
「この町で普通に手に入るものだけで作れるようにしたいんです」
「市場なら中央通りにありますよ。肉も野菜も、大体あそこで揃うと思います」
「じゃあ決まりですね」
こなたが嬉しそうに笑うと、パルは少し言いにくそうに続けた。
「あと……さっき話したパン屋も、中央通りにあります」
「ライバルのお店ですか?」
「はい」
こなたの目がわずかに光った。
「それなら、ちょうどいいですね」
「何が?」
ジャレッドが尋ねる。
「敵情視察です」
「……戦うの?」
「商売の話です!」
◇
ウッドベーカリーを出る前に、ジャレッドは幌馬車をマジックバッグへ収納した。
こなたは幌馬車に結びついた存在であるため、本来ならそこから大きく離れることはできない。しかし幌馬車そのものがジャレッドの持つ魔法の袋へ入っていれば、彼の近くにいる限り問題なく移動できる。
白雪も今日は幌馬車を牽く必要がないため、身軽な姿で二人についてくることになった。
もっとも、三メートル近い巨大な白狐が町中を歩けば、身軽だからといって目立たないはずもない。
「神獣様だ……」
「朝、門から入ってきたって噂の?」
「上にいるのが食の大精霊様か?」
道行く人々からひそひそと声が上がる。
こなたは白雪の背すれすれへ浮かびながら、できるだけ大精霊らしい穏やかな表情を保っていた。
「……いつまで続けるんですか、これ」
「町を出るまでじゃない?」
「結構長いですね……」
小声で愚痴をこぼしながら進んでいると、ジャレッドがふと思い出したように尋ねた。
「こなた」
「はい?」
「材料なら、幌馬車から買えば早いんじゃない?」
「ああ、それは駄目です」
即答だった。
「どうして?」
「私たちがいる間しか作れないものになったら、意味がないからです」
こなたは前を向いたまま説明を続ける。
「今回作るのは、私たちが食べる料理じゃありません。パルさんがこれからお店で売っていく商品なんです」
幌馬車の端末を使えば、日本の食材をある程度取り寄せることはできる。
けれど、魔宝石が必要なうえ、あの能力には一日に購入できる量にも限界があった。
何より、こなたたちが町を離れれば、パルには使えなくなる。
「だから、この町で手に入る材料だけで作れないと駄目なんです。値段も、毎日仕入れられるくらいじゃないと」
「なるほど」
ジャレッドは素直に頷いた。
「ちゃんと先のことまで考えてるんだね」
「最後まで面倒を見るって言いましたから」
「偉い」
「子供みたいに褒めないでください!」
そう返しながらも、こなたの声は少し嬉しそうだった。
やがて道幅が広くなり、建物の向こうから人々の喧騒が聞こえてくる。
中央通りへ出た途端、景色は一変した。
「わぁ……!」
こなたが思わず感嘆の声を漏らす。
広い通りの両側には店や露店が隙間なく並び、野菜や果物を山積みにした籠、吊り下げられた燻製肉、色とりどりの布や武具まで、様々な商品が所狭しと並べられていた。
行き交う人種も様々である。
革鎧を着込んだ冒険者。
荷車を押す商人。
町の住人であろう親子。
威勢のいい呼び込みの声と値段交渉のやり取りが絶えず飛び交い、初めて見る異世界の市場に、こなたの視線は忙しく動いた。
「すごい……! 野菜だけでも見たことないのがいっぱいありますよ!」
「敵情視察は?」
「それとこれは別です!」
危うく市場そのものへ吸い込まれそうになるこなたをジャレッドが指摘した、その時だった。
通りの少し先に、ひときわ大きな人だかりが見えた。
「あそこだけ、すごい数の人ですね」
「多分……あれじゃない?」
ジャレッドが顎で示す。
近づくにつれ、店の看板が見えてきた。
確かにパン屋だった。
入口近くの棚には白パンや丸パンなどが並べられている。どれも特別変わった品には見えず、遠目に見る限りでは、パルが話していた通り、この世界の一般的なパンばかりだった。
しかし。
「…………」
こなたの足が止まった。
店の前を埋め尽くしている客のほとんどが、男性冒険者だった。
しかもパンを選んでいる者より、若い女性店員たちとの会話を楽しんでいる男の方が明らかに多い。
「お兄さん、今日も討伐帰り?」
「ああ! 聞いてくれよ、今日は森でオーガが三体も出やがってさ!」
「えーっ、三体も!? すごいじゃないですか!」
「いやぁ、それほどでも!」
どう見ても「それほどでも」と思っていない冒険者が、盛大に鼻の下を伸ばしている。
別の場所では、
「今日も水晶宮ですか?」
「おう!」
「絶対、無事に帰ってきてくださいね?」
「あ、当たり前だ! 俺くらいになれば、水晶宮なんて散歩みたいなもんよ!」
胸を張った男を、女性店員が満面の笑顔で送り出していた。
そして何より、こなたの目を奪ったのは彼女たちの服装だった。
「……うわぁ」
思わず、精霊様らしからぬ声が漏れる。
若い女性店員たちは全員、揃いの制服を着ていた。
白を基調としたブラウスは胸元が大きく開き、その上から申し訳程度の小さなエプロンをつけている。スカートもパン屋の仕事着とは到底思えないほど丈が短く、動くたびにこなたの方が余計な心配をしてしまいそうになる。
しかも、ただ露出が多いだけではない。
店員たちは客の顔や名前をよく覚えているらしく、来店した冒険者へすぐに話しかけ、昨日の依頼や今日の目的地まで自然に聞き出している。
距離も近い。
話が盛り上がれば身を乗り出し、笑いながら腕へ軽く触れる者までいた。
「…………」
こなたはしばらく、その光景を無言で眺めた。
パルから話を聞いた段階で、ライバル店が接客を武器にしていることは理解したつもりだった。
だが、実物は想像をかなり上回っている。
男性冒険者が多い町で、若い女性を揃え、名前を覚え、冒険話を聞き、依頼へ向かう時には笑顔で見送る。
そこへ、この制服まで加わる。
なるほど。
これは確かに、昔ながらのパン屋が何も知らず正面から競えば苦戦するはずだった。
隣では、ジャレッドも店を眺めている。
「……人気なんだね。パンは普通に見えるけど」
「多分、みんなパンだけを買いに来てないんですよ」
「そうなの?」
「ジャレッドさん、本当にこういうの疎いですね……」
呆れ半分に息を吐きながら、こなたは改めて店先を見る。
目の前では、また一人の男性冒険者が女性店員に手を振られ、満面の笑みで財布を開いていた。
こなたの頬が、わずかに引きつる。
「……聞いてた以上に、強敵ですね」




