第3話 幽霊少女と魔法の幌馬車
「……もうちょっと驚いてくれてもよくないですか!?」
長いあいだ静けさに沈んでいた空間へ、少女の声が盛大に響き渡った。
「…………」
ジャレッドは、目の前に立つ少女を改めて観察する。
紺色の上着。
膝上までしかない短いスカート。
これまで旅先でも一度として見たことのない、奇妙な服装。
そして何より――その身体は向こう側の景色が透けて見えるほど淡く、輪郭そのものがどこか頼りない。
どう見ても、生きた人間ではなかった。
「……怖くないんですか?」
少女が不満そうに頬を膨らませる。
「うん、別に」
「別に!?」
「低級のレイスくらいなら、いつでも滅ぼせるから」
「怖くない理由が物騒すぎません!?」
こなたが反射的に一歩退いた。
ジャレッドはそんな彼女の反応が不思議だったのか、眠たげなまま小さく首を傾ける。
「でも、君から悪意は感じないし」
「……それは、まあ」
「だったら特に問題ないかな」
「問題ないんだ……」
こなたは何とも言えない顔になった。
危険視されないのはありがたい。
けれど幽霊としてここまで警戒されないのも、それはそれで複雑だった。
ジャレッドはこなたから意識を外し、花々の中心に横たわる白骨へ顔を向けた。
「それより」
「はい?」
「どうして、こんなところでレイスになったの?」
「……どうして?」
「レイスって、この世に強い未練を残した人がなるものだから」
ジャレッドは花の中に横たわる白骨へ目を落とした。
「普通はもっと理性を失ってる。君みたいに自我を保ったままなのは、かなり珍しいよ」
「…………」
「君は何を想い残したの?」
その問いを受けた瞬間、こなたの表情から笑みが薄れた。
すぐには答えない。
何十年も胸の奥へ置いたままにしていたものを、改めて言葉にするような間があった。
「……友達と旅……ですかね」
「友達と旅?」
「はい」
こなたの眼差しが、傍らにある幌馬車へ流れる。
「私、この馬車で友達と世界中を旅してみたかったんです」
その言葉に、ジャレッドは茶化すことも、気の利いた言葉を返すこともしなかった。
ただ、続きを待っている。
少女――柊こなたは、記憶を辿るようにぽつりぽつりと、自分の身に起きたことを語り始めた。
自分が、この世界の人間ではないこと。
元いた世界で、三人の幼馴染と共に不思議な鳥居をくぐってしまったこと。
世界と世界の狭間へ迷い込み、そこで狐の女性と出会ったこと。
元の世界へ戻るには、この世界の西の果てにある次元門を目指さなければならなかったこと。
そして――。
「狐さんが、私たちをこの世界に送ってくれたんですけど」
「うん」
「私だけ、なぜかここに飛ばされちゃったんですよね」
こなたは困ったように笑った。
何十年も前の出来事だというのに、その時の戸惑いは今もはっきり覚えている。
「……それで?」
「出ようとはしたんですよ? 何度も」
こなたはジャレッドが通ってきた亀裂の先を示す。
「でも、あの先にいたでしょう?」
「水晶竜?」
「そうです。あれです」
「ああ」
「ああ、じゃないですよ!」
こなたが勢いよく振り返る。
「あんなの、普通の女子高生がどうやって倒すんですか!?」
「……女子高生?」
「私みたいな年頃の学生です!」
「なるほど」
「絶対分かってないですよね!?」
ジャレッドは少し考え込むような仕草をした。
「つまり、水晶竜を倒せなくて外に出られなかった?」
「そういうことです」
迷宮の最奥から上へ続く道は、守護者である水晶竜を倒さなければ開かない。
剣も使えない。
魔法も使えない。
戦うための知識も経験もない。
ごく普通の女子高校生だったこなたにとって、あの巨大な竜は壁という言葉では生易しい、どうしようもない存在だった。
ジャレッドは再び白骨へ意識を戻し、わずかに目を伏せる。
「……それで、ここで死んだんだ」
「はい」
「辛かっただろうね……水も食料もなかっただろうに」
「…………」
「まだ若いのに、ずっと一人で――」
「あ、八十七歳まで生きました」
「…………ん?」
ジャレッドの顔が、ゆっくりこなたへ向いた。
「八十七?」
「はい」
「……八十七?」
「二回言いましたね?」
こなたは得意げに胸を張る。
「八十七歳まで、ちゃーんと生きました。大往生です!」
「…………」
ジャレッドは、花に包まれた白骨を確認する。
次に、制服姿の少女。
もう一度、白骨。
そして再びこなた。
どう見比べても、目の前の少女と八十七歳という数字が結びつかない。
「エルフ?」
「違います! この姿で死んだわけじゃありませんからね!?」
「じゃあ、どうして若い姿なの?」
「知りません!」
即答だった。
「死んで気がついたら、この姿になってたんです」
「へぇ」
「多分……」
こなたは制服の袖口を指先で摘まむような仕草をする。
「この頃の私が、一番世界を旅することを夢見てたからじゃないですかね」
十七歳の頃。
まだ何も始まっていなかった頃。
幼馴染たちと幌馬車に乗って世界を巡れるのだと、本気で信じていた頃。
その姿だけが、死後の彼女に残った。
「まあ、幽霊になるなら若い姿の方が得ですし!」
沈みかけた空気を払うように、こなたはいつもの調子で笑う。
ジャレッドは、その明るさの奥に何があるのか探るように、しばらく彼女を眺めていた。
「じゃあ、食べ物は?」
「ありましたよ」
「ここに?」
「はい。あの幌馬車のおかげで、生活には困りませんでした」
こなたが幌馬車を指し示す。
「それに、ここで友達もできましたし」
「友達?」
「はい」
その言葉を口にしたこなたの顔が、今度は本当に柔らかくなる。
「だから、思ってるほど寂しい人生じゃなかったんですよ」
「…………」
「料理もいっぱい作ったし、楽しいことだってたくさんありました」
「……そう」
ジャレッドの返事は短い。
けれど、先ほどまでよりわずかに声が穏やかだった。
「ただ――」
こなたの意識が、再び幌馬車へ向かう。
長い年月、同じ場所に留まり続けた白い車体。
「これ、一度も走らせられなかったんです」
「…………」
「友達と、あの幌馬車で料理を売りながら世界中を旅したかったのに……」
声がわずかに沈む。
七十年という歳月の中で、料理はできた。
友達もできた。
笑った日も、楽しかった日も確かにあった。
だから、自分の人生そのものを不幸だったとは思っていない。
けれど――。
「結局、世界の景色は何一つ見られませんでした」
こなたの視線が、届かない遠くを見るように揺れる。
「みんなも、あの後どうなったか分からずじまいで……」
元の世界へ帰れたのか。
この世界のどこかで生き続けたのか。
自分を探してくれたのか。
何一つ、分からないまま。
それが――。
死してなお彼女をこの場所へ繋ぎ止めている、たった一つの未練だった。
ジャレッドが何かを言おうと唇を開きかけた、その時。
ぐぅぅぅぅぅぅぅ……。
「…………」
「…………」
情緒も余韻も何もかも台無しにするような腹の音が、二人の間へ割り込んだ。
ジャレッドが腹を押さえる。
「……おなか減った」
「お腹が減っているんですか?」
「うん。三日前から何も食べてないからね」
「ええっ!?」
こなたの目が大きく見開かれる。
「何してるんですか!?」
「食料を与え過ぎちゃった」
「誰に!?」
「可愛い子たち」
「理由が分からない!」
「可愛かったから」
「それで死にかけてるんですか!?」
「後悔はしてないよ?」
「そこはしてください!」
こなたは額を押さえたくなる衝動に駆られた。
実体がないので実際には押さえられないが、気分としては盛大な頭痛だった。
「まったく……」
呆れながら息を吐く。
そこで、ふと思いついた。
「……じゃあ、ご飯食べます?」
「あるの?」
「たぶん!」
「たぶん?」
「最後に倉庫を整理してから結構経ってるので……」
こなたは幌馬車へ向かって進み始めた。
「まあ、とりあえず見てみましょう!」
空腹に勝てるものはなかったのか、ジャレッドも素直に後を追う。
近くまで来て改めて眺めると、幌馬車はやはり奇妙だった。
白を基調とした車体には凝った装飾が施されているものの、外見そのものは少し大きめの馬車程度。
ところが。
「…………」
ジャレッドの青い瞳が、わずかに鋭さを帯びた。
「どうしました?」
「この馬車」
「はい」
「神気を帯びてる」
「分かるんですか?」
「少しだけ」
ただの魔道具から感じる魔力とは、性質そのものが違う。
人の手によって術式を組まれた品ではない。
もっと根源的で、清澄な力。
人より遥か上位にある存在が、直接形を与えたもの。
そんな気配が車体から滲んでいた。
「神さまっぽい狐さんから貰った物ですからね」
「……なるほど」
それだけでジャレッドは納得したらしい。
「とりあえず入ってみてください」
幌馬車の側面には、一枚の扉が設けられている。
ジャレッドが取っ手を握り、そのまま開いた。
「…………?」
途端。
彼の動きが止まった。
「どうです?」
「……広い」
「でしょう?」
外から見た大きさと、内部の広さがまるで噛み合っていなかった。
扉の向こうには、十畳ほどはありそうな空間が広がっている。
中央には大きな調理台。
壁際には銀色に輝く流し台。
いくつもの棚には鍋や皿、見慣れない調理器具が整然と収められている。
冒険者として様々な魔道具を見てきたジャレッドでも、さすがにこれは珍しいらしい。
「……中の方が大きい」
「空間拡張ってやつらしいですよ」
「へぇ……」
普段は何を見ても反応の薄いジャレッドが、珍しく室内を興味深そうに確認している。
やがて、調理台の一角にある器具を指した。
「これは?」
「コンロです」
「こんろ?」
「火を使って料理する道具ですね」
「火がないけど」
「そこを押せばつきます」
言われた通り、ジャレッドが指先で操作する。
ぼっ。
小さな音と共に、青みがかった炎が灯った。
「…………」
ジャレッドの瞳が僅かに開く。
「おお」
「ちょっと楽しそうですね?」
「……少し」
「初めて表情変わった気がする」
「そう?」
「そうですよ!」
こなたは思わず笑った。
幽霊になってからどれほど時間が経ったのか分からないが、こうして誰かに幌馬車を案内するのも久しぶりだった。
「さてと……何か残ってたかなぁ」
「食材?」
「はい。倉庫がありますから」
「……倉庫?」
「こっちです」
こなたがキッチンの奥へ進む。
そこには、さらに一枚の扉があった。
開けると、向こうには短い廊下。
左右に一枚ずつ。
その先、突き当たりにも一枚。
合計三つの扉が並んでいる。
「…………」
ジャレッドは先ほど外から見た幌馬車の大きさを思い返す。
どう計算しても、内部空間が車体へ収まるはずがない。
「……やっぱり大きさがおかしい」
「魔法ですから」
「便利だね」
「でしょう?」
自分が作ったわけでもないのに、こなたはどこか誇らしげだった。
「右の扉を開けてください」
「これ?」
「はい」
ジャレッドが指示された扉を開く。
途端、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
その先には、幾つもの棚が整然と並ぶ広い部屋がある。
「ここが食材庫です」
「……冷たい」
「この部屋に入れた食材は、ずっと新鮮な状態を保てるんですよ!」
「ずっと?」
「少なくとも、私が生きてた間は腐ったことありませんでした」
「それは凄いね」
そんな会話を交わしながら、ジャレッドは部屋の奥まで一巡させた。
棚。
棚。
さらに棚。
整然としている。
その代わり――。
何もない。
「……空っぽだね」
「死ぬ前に整理しましたから」
七十年生きて、死ぬ前に食材庫まで片づけたらしい。
妙なところで几帳面な幽霊だった。
ジャレッドは念のため、一つずつ棚の奥まで確かめていく。
「……本当に何も――」
「あっ」
こなたが突然声を上げた。
「やっぱり残してました!」
「どこ?」
「そこの下!」
指し示されたのは、棚の最下段。
そのさらに奥。
覗き込んでみると、確かに小さな袋が一つだけ取り残されている。
ジャレッドが屈み込み、それを引っ張り出した。
袋の口を縛っている紐を解く。
「…………」
中に入っていたのは、白く小さな粒だった。
一粒一粒は硬く、彼が知る穀物とはどこか違って見える。
「これ、食べ物?」
「はい!」
こなたの顔が一気に明るくなった。
「これはお米です」
「……コメ?」
「よし!」
何かを決めたように、こなたが拳を握る。
「おにぎりを作りましょう! えーと……」
「…………」
勢いよく言ったところで、こなたがはたと止まった。
目の前の男のことを、何も知らないことに今さら気づいたらしい。
「そういえば、あなたの名前聞いてませんでした」
「ああ」
ジャレッドも初めて気づいたように瞬きをする。
「そういえば名乗ってなかったね。僕はジャレッド」
「あ、わたしこなたです。柊こなた」
「ふーん、こなたね」
ジャレッドは一度その名前を口の中で転がすように呟いた。
だが、すぐに興味は袋の中身へ戻っていく。
「それより……おにぎりってなに?」
「私の世界の料理です!」
ジャレッドは白い粒を見る。
「……美味しい?」
「もちろん!」
こなたは自信たっぷりに笑い胸を叩いた。
「任せてください! とびっきりおいしいおにぎりを作りましょう!」




