第25話 助けるなら最後まで
「払えねぇなら、この店は今日から俺たちのもんだ!」
「そ、それだけは……!」
通りの向こうから聞こえてくる怒声に、こなたは足を止めたまま店先を見つめていた。
古びた木造の店を背に、一人の少女が四人の男たちと向かい合っている。
白い粉のついた前掛けの裾を両手で握りしめ、店の入口を庇うように立っている少女は、どう見ても平静ではなかった。
泣くまいと耐えているのか、目元には薄く涙が滲んでいる。
その前では、腹の出た中年男が一枚の紙を突きつけながら声を荒らげていた。
「こっちは何度も待ってやったんだぞ! 返済期限が過ぎてんだから、文句を言われる筋合いはねぇ!」
「あと少しだけ……本当に、もう少しだけ待ってください! 必ず返しますから!」
「その『もう少し』で何日待たされたと思ってやがる!」
往来には、騒ぎを遠巻きに眺めている人間が何人もいる。
けれど、誰も近づこうとはしない。
気の毒そうに少女を見る者はいても、わざわざ面倒事へ首を突っ込む気はないのだろう。
こなたはしばらくその光景を見つめたあと、傍らにいるジャレッドへ顔を向けた。
「……ジャレッドさん」
「うん」
「どうしましょう」
ジャレッドは少女と男たちを一度眺めただけで、特に表情を変えなかった。
「行こうか」
「え?」
あまりにも自然に返された言葉に、こなたは一瞬意味を理解できなかった。
ジャレッドは白雪へ歩き出すよう促しながら、その場を離れようとする。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
こなたが慌てて追いかけた。
「助けないんですか?」
「何を?」
「あの子ですよ!」
声を抑えながら店先を指すと、ジャレッドはもう一度そちらを見る。
少女は必死に何かを訴えていたが、男たちの態度は変わっていない。
「命を狙われてるわけじゃないよ」
「でも……」
「借金の取り立てみたいだし、ああいう揉め事なら町では珍しくない。どっちに非があるのかも、今見ただけじゃ分からないでしょ」
口調は穏やかだった。
だからこそ、こなたには意外だった。
これまでのジャレッドなら、困っている誰かを見れば迷わず手を差し伸べるような気がしていたからだ。
「冷たいと思った?」
心を読まれたような問いに、こなたは言葉を詰まらせる。
「……少しだけ」
「そうかもね」
ジャレッドは否定しなかった。
「でも、町を歩いてれば似たような話はいくらでも出てくるよ。商売に失敗した人、借金を返せない人、仕事を失った人、家族と揉めてる人。その全部に首を突っ込んでたら、キリがなくなるよ?」
「…………」
「助けるって、目の前の嫌な奴を追い払って終わりじゃないからね」
静かな言葉だった。
それでも、こなたの胸には重く残った。
言っていることは分かる。
むしろ正しいのだと思う。
少女の事情も知らないのに、こちらの感情だけで割って入れば、かえって問題を拗らせる可能性だってある。
こなたは一度だけ店先を振り返り、それからジャレッドの後について歩き出した。
全ての人を救うことなんてできない。
そんなことは分かっていたつもりだった。けれど、頭で理解していることと、目の前で助けを求めている誰かを置いていくことは、どうやらまるで別の話らしい。
「お願いします! 店だけは取らないでください!」
背後から少女の悲痛な声が聞こえた。
思わず足が止まる。
振り返れば、少女は今にも泣き出しそうな顔で、それでも店の前から退こうとしていなかった。
自分より遥かに大柄な男たちの前で、悲痛な表情で立ちはだかっている。
こなたは唇を噛んだ。
「……ジャレッドさん」
もう一度呼ぶ。
今度は先ほどより声が小さかった。
ジャレッドが立ち止まり、振り返る。
「分かってます」
こなたは自分に言い聞かせるように続けた。
「事情も知らないし、余計なお世話かもしれません。ジャレッドさんの言ってることが正しいのも分かります」
それでも店先から目を逸らさなかった。
「綺麗事なのも分かってます。でも……あの子、助けられませんか?」
ジャレッドはすぐには答えなかった。
眠たげだった青い瞳が、まっすぐこなたへ向けられる。
いつもの掴みどころのない雰囲気は消えていた。
「こなた」
「はい」
「助けるなら、最後まで面倒を見る覚悟はあるの?」
「……最後まで?」
「今、男たちを追い払うだけなら簡単だよ。でも借金が本当にあるなら、明日にはまた取り立てに来る。仮に店の経営が苦しいなら、そっちの問題も残る」
淡々とした言葉が続く。
「今日だけ助けた気になって、明日から知らないっていうのが一番無責任だと僕は思う」
こなたは返事をできなかった。
そこまで考えていたわけではない。
ただ、泣きそうな少女を放っておけなかっただけだ。
「それでも関わりたい?」
問いかけに迷いが生まれる。
けれど、店の前で震えている少女をもう一度見ると、その迷いも長くは続かなかった。
「……はい」
こなたは力強く頷いた。
「私に何ができるかは、まだ分かりません。でも、見なかったことにして後悔するよりは……ちゃんと関わりたいです」
「そっか……」
ジャレッドの表情が少しだけ緩む。
「なら僕も、こなたの覚悟に付き合うよ」
そう言って、踵を返した。
◇
その頃、店先では男たちの苛立ちが限界に達していた。
「いつまで同じこと言わせんだ!」
「きゃっ!」
中年男が少女の肩を乱暴に押す。
少女はよろめきながらも、店の入口から退かなかった。
「この店は、お父さんが残してくれたものなんです! だから――」
「知るか、そんなもん!」
男が苛立ち任せに腕を振り上げた。
大きな手のひらが、少女の頬へ向けて振り下ろされる。
しかし。
「……あ?」
途中で止まった。
男の手首を、一人の青年が掴んでいた。
「女の子を殴るのは違うと思うよ」
灰銀色の髪。
眠たげな青い瞳。
ジャレッドは大した力を入れているようにも見えないまま、男の腕を掴んでいた。
「て、てめぇ、何しやが――」
怒鳴りかけた男の目が、ジャレッドの背後を捉える。
そこには白雪。
その背へ優雅に浮かび、咎めるような視線を送るこなた。
「…………」
男の勢いが目に見えて弱まった。
「な、なんだ……あれ」
後ろにいた仲間も顔を引きつらせる。
「し、神獣……?」
「上の女、透けてるぞ……」
一方、手首を掴まれている男は、それどころではなかった。
「離せ!」
腕を引くが、ピクリとも動かない。
もう一度、今度は身体ごと力を込めて振りほどこうとするが、それでもジャレッドの手は微動だにしなかった。
「なっ……!」
「暴れない方がいいよ」
「うるせぇ!」
男がさらに力任せに腕を引いたことで、ジャレッドの指がほんの少しだけ締まった。
「いだだだだだっ!?」
男の膝が折れる。
「痛ぇ! 折れる! 腕が折れるって!」
「まだ折れてないよ?」
「折れる前に離せぇぇぇっ!」
「ジャレッドさん」
後ろからこなたに呼ばれ、ジャレッドは素直に手を離した。
男は解放された途端に数歩後退し、真っ赤になった手首を押さえる。
「ほ、骨が折れたかと思った……!」
「軽く握っただけなんだけど……」
「お前の軽くはどうなってんだよ!」
仲間たちは威勢よく前へ出ようとしたものの、誰一人としてジャレッドとの距離を詰めようとはしなかった。
少女は突然始まった出来事を理解できず、店の前で呆然としている。
「な、何なんだ、てめぇ!」
「いきなり首突っ込みやがって!」
「こっちは正当に仕事してるだけだぞ!」
「仕事?」
ジャレッドが問い返す。
腹の出た男が、まだ痛む手首を擦りながら紙を突き出した。
「このガキの親が残した借金を回収してるだけだ! 期限はとっくに過ぎてる。契約書もあるし、払えなきゃ店を差し押さえるって話も最初から決まってる!」
「……本当?」
ジャレッドが少女へ聞く。
少女は迷ったあと、俯きながら頷いた。
「……はい」
「借金自体はあるんだ」
「父が亡くなる前に……店を立て直すためのお金を借りていて……」
「ほらみろ!」
男が勢いを取り戻す。
「こっちは何も悪いことしちゃいねぇ! 邪魔するってんなら警邏を呼ぶぞ。困るのはそっちだ!」
「それは別に構わないけど」
ジャレッドは平然としていた。
「借金を返せって言うこと自体は間違ってないと思うよ」
「当たり前だ!」
「でも、仕事だからって女の子を殴っていい理由にはならない」
「ぐっ……」
一瞬だけ男が黙る。
ジャレッドは差し出された紙へ目を向けた。
「それ、借用書?」
「ああ」
「見せて」
「なんでだよ」
「話に関わるなら、内容くらい確認しておきたいから」
「……ちっ」
男は警戒しながらも、借用書をジャレッドへ差し出した。
受け取ったジャレッドは、借り入れた金額や返済期限、利息などが記された内容へ一通り目を走らせる。
「利息まで含めて、今いくら?」
「き、金貨五十枚だ」
「そう」
もう一度書面を確かめたあと、ジャレッドは借用書を男へ返した。
「じゃあ、その借金を僕が買うよ」
「…………は?」
男だけでなく、少女とこなたまで同時に目を瞬いた。
「金貨五十枚を払う。その代わり、その借用書を僕に譲って」
「お、おい。旦那、本気で言ってんのか?」
「うん」
「五十枚だぞ?」
「聞いたよ」
「……あんたが払うなら、俺たちは別に構わねぇけどよ」
「なら決まりだね」
あまりにも淡々と話を進めるものだから、少女は口を挟む隙すらない。
「ジャ、ジャレッドさん?」
こなたも困惑気味に呼びかけたが、本人は気にした様子もなく腰に下げていたマジックバッグへ手を入れた。
次の瞬間、ずしりと重そうな革袋が男の胸元へ飛んでいく。
「うおっ!?」
慌てて受け止めた男が、中身を覗き込む。
袋の中には金貨がぎっしりと詰まっていた。
「……なっ」
周囲にいた仲間たちまで集まり、目を丸くする。
「金貨……」
「全部、本物だ……!」
「五十枚どころじゃねぇぞ!?」
男は慌てて数え始め、やがて興奮した顔を上げた。
「ろ、六十枚ある!」
「五十枚が借金分。残りは、その手首の治療費」
「じゅ、十枚も!?」
「足りない?」
「い、いやいやいや! 十分でさぁ!」
チンピラたちの態度が一瞬で変わった。
「へへっ、いやぁ旦那! 話が分かるお方で!」
「最初からこういう話なら、俺たちだって荒っぽい真似なんぞするつもりはなかったんですよ!」
先ほどまで少女を怒鳴りつけていた面影はどこにもない。
こなたが呆れたように眺めている前で、男たちは金貨の入った袋を大切そうに抱えた。
「じゃあ、これで俺たちは失礼しやす!」
「今後とも何かありましたら、ぜひヤゴチエ商会を――」
「借用書」
踵を返しかけた男たちの動きが、ぴたりと止まった。
「……へ?」
ジャレッドが手を差し出す。
「さっきの約束。金貨五十枚と引き換えに、僕へ譲るんでしょ?」
「あ、ああ! もちろんでさぁ!」
男は慌てて懐から借用書を取り出し、ジャレッドへ差し出した。
受け取った書面を軽く確認すると、ジャレッドは折り畳んで自分のポーチへしまう。
「これで取引成立だね」
「へ、へい!」
「それじゃあ、毎度あり!」
「またのご利用をお待ちしておりやす、旦那!」
「多分もう利用しないと思う」
「ははは! ご冗談を!」
何が冗談なのかは分からない。
男たちは上機嫌なまま、金貨の入った袋を抱えて通りの向こうへ消えていった。
残された少女は、まだ何が起きたのか理解できていないらしい。
男たちが消えた方向。
ジャレッドと、その手元へ消えた借用書。
そして、白雪とその背のすぐ上に浮かぶこなた。
順番に見たあと、ようやく我に返る。
「あ、あの……」
「大丈夫ですか?」
こなたが心配そうに声をかける。
少女はびくりと肩を揺らした。
先ほどまで遠目に見ていた神々しい少女が、今は自分を気遣っている。
「せ、精霊様……!」
「えっ」
「た、助けていただいて、本当にありがとうございます!」
勢いよく頭を下げられ、こなたが困ったように笑う。
「そんな、頭を上げてください。私は何もしてないですから」
「そんなこと……!」
少女の目には再び涙が浮かんでいた。
「お金まで払っていただいて……どうお礼をすればいいのか……」
「ああ、それなんだけど」
ジャレッドが何気なく口を挟む。
少女が涙を拭いながら顔を上げようとした。
「君、少し勘違いしてるよ」
「……え?」
ジャレッドは先ほど受け取った借用書をポーチから取り出し、少女に見えるよう軽く掲げた。
「君の借金、なくなったわけじゃないから」
「…………はい?」
「債権者が変わっただけ」
少女の表情が固まる。
こなたも嫌な予感がしたのか、ジャレッドを見る。
そんな二人を前に、ジャレッドは眠たげな青い瞳を細めた。
「金貨五十枚」
そして、何でもないことのように続ける。
「今度は僕が、きっちり回収するから」




