第24話 食の大精霊様
町の正門へ近づくにつれ、街道を行き交う人々の視線がますますジャレッドたちへ集まっていった。
巨大な白狐に牽かれた見慣れぬ幌馬車。
その白狐の背には、淡く透ける黒髪の少女が、まるで宙へ腰掛けるようにして微笑んでいる。
さらに、その傍らを灰銀色の髪をした青年が平然と歩いているのだから、目立たない方が無理というものだった。
やがて一行が門前まで辿り着くと、先ほどまで眠そうにしていた若い門番が、ひどくぎこちない動きで一歩前へ出た。
「あ、あの……」
槍を持つ手に妙な力が入っている。
視線はジャレッドではなく、ほとんど白雪とこなたへ釘づけになっていた。
「入町、ですよね?」
「そのつもりだけど」
「そ、そうですよね……」
何を確認しているのか自分でも分かっていないらしい。
隣に立つ年嵩の門番が小さく咳払いすると、若者はようやく本来の仕事を思い出した。
「では、身分証をお願いします」
「これでいい?」
ジャレッドが腰のポーチから一枚のカードを取り出す。
若い門番は受け取ると、まず名前を確認しようとして――手を止めた。
「…………え?」
カードは黒。
陽光を受けても色を返さない、磨き上げられた石のような光沢を持っている。
冒険者に発行されるギルドカードは、等級ごとに材質と色が異なるのだが、黒はその頂点に位置する者だけが持つことを許されたものだった。
「これ……黒……?」
「うん」
「えっ、でも、黒って……」
「S級だね」
「なんで本人がそんな軽いんですか!?」
門番の声が思わず裏返った。
周囲にいた冒険者たちが一斉にこちらを向く。
「S級?」
「今、黒って言ったか?」
「そんなの滅多に見ねぇぞ」
ざわめきが広がっていく中、一人の冒険者がジャレッドの顔を凝視した。
灰銀色の髪。
青い瞳。
腰に下げた剣。
何かを思い出したように、男の顔色が変わる。
「ちょっと待て……あいつ、《銀帝》じゃないか?」
その一言で、空気が変わった。
「《銀帝》!?」
「竜種すら単独で狩るっていう!?」
「王都の冒険者ギルドでも滅多に姿を見せないって聞いたぞ」
「本物なのか?」
今度は商人たちまで首を伸ばし始める。
冒険者たちが純粋な驚きや畏敬を向けるのに対し、商人の何人かは別の意味で目の色を変えていた。
S級冒険者ともなれば、一度の依頼で動く金額も桁が違う。
それだけの人物が何を求め、どこへ向かうのか。
商売人にとっては、それだけでも興味をそそられる情報なのだろう。
当の本人は、急に騒がしくなった周囲など気にも留めず、門番へ視線を戻した。
「確認できた?」
「は、はい! できました!」
「じゃあ入っていい?」
「あっ、その前に!」
若い門番が慌てて白雪とこなたを見る。
ここまではS級冒険者の入町審査で済む。
問題は、その同行者だった。
「そ、その……後ろの方々は?」
「後ろ?」
ジャレッドが何のことだろうという顔で振り返る。
その先では、こなたが慈愛に満ちた――ように見える微笑みを必死に維持していた。
白雪も隣で大人しく佇んでいる。
「その、白い大きな……お方と、その背にいらっしゃる女性です」
「ああ」
ジャレッドは納得したように頷いた。
「依頼の途中で友誼を結んだんだ」
「友誼……?」
「うん。それで旅を一緒にすることになった」
そこまではまだいい。
若い門番が問題なのはその先だという顔をしていると、ジャレッドは至って自然な調子で続けた。
「食を司る大精霊様と、神獣様だよ」
「…………」
こなたの微笑みが一瞬だけ固まった。
「……はい?」
「食の大精霊様と神獣様」
もう一度、今度は少し丁寧に言い直す。
若い門番は口を半開きにしたまま、しばらく動かなかった。
「食の……大精霊……?」
「そう」
「そんな精霊、初めて聞いたんですが……」
「僕も会うまでは知らなかった」
「そういうものなんですか!?」
「多分」
何一つ確証のない返事だった。
(ジャレッドさん! なんで“大”まで付けたんですか! それに食の精霊ってなに!?)
こなたは笑顔を崩せないまま、心の中で盛大に叫ぶ。
しかも「食を司る」などという設定まで勝手に追加されている。
この場で訂正すれば全てが台無しになるため、今は精霊らしく微笑み続けるしかなかった。
若い門番は明らかに処理能力を超えたらしく、救いを求めるように隣を見る。
年嵩の兵士も呆気に取られていたが、長く仕事を続けてきただけあって立ち直るのは早かった。
「ジャレッド殿」
「うん?」
「そちらのお二方については、あなたが身元を保証する、という認識でよろしいですかな?」
「構わないよ。何かあったら僕が全ての責任を取る」
年嵩の門番は一度ギルドカードへ目を落とし、それから白雪を慎重に見上げた。
「S級冒険者が保証人なら、規則上は問題ありません。ただ……」
言いにくそうに言葉を切る。
「その神獣様には、町の中でできるだけ大人しくしていただきたい」
「キュン?」
名前を呼ばれたと思ったのか、白雪が首を傾げる。
大きな尾がふわりと揺れ、銀白の光が辺りへ散った。
「おお……」
周囲から小さなどよめきが上がった。
門番は頬を引きつらせながらも、どうにか職務を続ける。
「これほどの大きさですからな。万が一暴れられれば、こちらとしても対処のしようがありません」
「白雪は大人しいから大丈夫だよ」
「しらゆき……」
「この子の名前」
「な、なるほど……」
神獣に妙に可愛らしい名前がついていることには触れなかった。
年嵩の門番は咳払いし、最後にこなたへ一礼する。
「では、入町を許可します」
そして、門の向こうへ片手を差し出した。
「ようこそ、ウッドロードへ」
その言葉に、こなたの胸が高鳴った。
ようやく。
迷宮でも森でもない、人の暮らす場所へ入れる。
喜びを顔に出したくなるのを必死に堪えながら、精霊らしくゆっくりと会釈した。
「……どうも」
「お、おお……!」
ただ頭を下げただけなのに、門番は妙に感激した顔になった。
(し、喋ってよかったんでしょうか……!?)
今さら不安になるこなたを背のすぐ上に漂わせたまま、白雪が歩き出す。
ジャレッドもその隣を進み、魔法の幌馬車はついにウッドロードの門をくぐっていった。
その後ろ姿が十分に遠ざかったところで。
「…………」
若い門番は魂が抜けたような顔で立ち尽くしていた。
「先輩」
「なんだ」
「俺、今日の仕事、もう十分した気がするんですけど」
「まだ昼にもなってないぞ」
「S級冒険者が神獣と大精霊を連れてきたんですよ?」
「らしいな」
「夢じゃないですよね?」
「残念ながら現実だ」
年嵩の門番は深く息を吐くと、詰所の方角へ顔を向けた。
「俺は上へ報告してくる」
「報告するんですか?」
若者がきょとんとする。
年嵩の門番は、心底呆れたような視線を返した。
「当たり前だろう」
「でも、入町に問題はなかったんですよね?」
「問題があるかどうかと、報告するかどうかは別だ」
男は顎で、すでに見えなくなった一行の方角を示した。
「考えてみろ。S級冒険者《銀帝》が、正体の分からん大精霊様と神獣様を連れて町に入ったんだぞ」
「……改めて聞くと、すごいですね」
「その連中が町で何かしでかしてみろ。『なぜ報告しなかった』と真っ先に責められるのは、門を通した俺たちだ」
「なるほど……」
「だから先に上へ投げる」
「投げるって言っちゃった」
「責任を一人で抱える奴から潰れていくんだ。覚えとけ」
長年職務を続けてきた男の言葉には、妙な説得力があった。
「じゃあ、俺も一緒に――」
「お前は残れ」
「え?」
「入町審査を続けろ」
「一人で!?」
「さっきまで暇だって言ってたろ」
「こういう時だけ覚えてるんですか!?」
若い門番の悲鳴を背に、年嵩の兵士はさっさと詰所へ向かっていった。
◇
一方、その頃。
「はぁぁぁ……」
町へ入ってしばらくしたところで、こなたは大きく息を吐いた。
「疲れた……」
「上手くいったね」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
思わず声を上げそうになり、慌てて口元を押さえるような仕草をする。
まだ周囲には人が多い。
ウッドロードは水晶宮と王都を繋ぐ中継地だけあって、規模こそ大都市には及ばないものの、街道沿いはかなり活気があった。
建物は石造りよりも木造が中心で、二階建ての宿屋や酒場、冒険者向けの武具店などが道の両側へ並んでいる。
中には、こなたの目にはログハウスを思わせるような建物がいくつもあった。
行き交う人々も多種多様だ。
大きな荷物を背負った人間の商人。
腰に短剣を差した獣人。
ずんぐりとした体格のドワーフ。
耳の長いエルフらしき女性。
その誰もが、自分たちの生活を送るため忙しそうに行き交っている。
「すごい……!」
こなたの視線が右へ左へ忙しく動く。
「本当に異世界の町だ……!」
「こなた」
「はい?」
「まだ終わってないよ」
「何がです?」
ジャレッドが目だけで周囲を示す。
こなたもそちらへ目を向けた。
「…………」
冒険者たちが見ていた。
店先にいた商人も。
通りを歩いていた親子も。
立ち止まり、遠巻きにこちらを眺めている。
「……まだ見られてる」
「門を通ったら終わりだと思ってました……」
「神獣と大精霊が町の中を歩いてるんだから、むしろここからじゃない?」
「そもそも、誰が勝手に格上げしたんでしたっけ?」
笑顔のまま、こなたの目だけが冷たくなる。
ジャレッドは聞こえなかったことにしたらしい。
前を向いた。
「…………」
「今、無視しました?」
「せっかくだから手でも振ったら?」
「絶対面白がってますよね!?」
しかし周囲の視線は増える一方だった。
ここで急に普段通りの態度へ戻れば、それはそれで不自然だろう。
こなたは観念し、背筋を伸ばす。
近くで見ていた冒険者たちへ、精一杯の慈愛を込めた微笑みを向け、ゆったりと手を振った。
「……!」
冒険者たちの身体が固まった。
ちょうどその時、白雪も機嫌よさそうに尾を大きく振る。
銀白の光がふわりと舞い上がり、こなたの半透明な身体の周囲へ降り注いだ。
「お、おお……」
「本当に精霊様だ……」
「神獣様も……」
誰かが感嘆の声を漏らす。
中には胸元で祈るように手を組む者までいた。
「…………」
ジャレッドが満足そうに頷くと、その横顔をこなたがじっと見つめる。
「ジャレッドさん」
「なに?」
「やっぱり楽しんでません?」
「そんなことないよ」
「じゃあ、なんでちょっと嬉しそうなんですか?」
「上手くいってるから」
「絶対それだけじゃないですよね?」
ジャレッドはまた答えなかった。
「もう……」
こなたは呆れながらも、町並みへ目を戻す。
腹立たしさよりも、好奇心の方が勝っていた。
ずっと迷宮の奥で生きてきた自分にとって、人々が当たり前のように暮らす異世界の町そのものが、何より珍しい。
「それで」
ジャレッドが問いかける。
「この町で何かしたいことある?」
「あります!」
返事は即答だった。
「観光したいです!」
「観光?」
「はい! お店も見たいし、この世界でどんなものが売られてるのか知りたいです。市場とかあったら絶対行きたいですし、食材も見たいし……あと料理屋さんも!」
次々と出てくる希望に、ジャレッドが小さく笑う。
「分かった。じゃあ王都へ向かう前に、少し見て回ろうか」
「本当ですか!?」
「急ぐ旅でもないからね」
こなたの顔が一気に明るくなった。
「やった!」
思わず両手を上げかけ、途中で現在の自分が“大精霊様”であることを思い出して、何事もなかったように手を下ろす。
「危なかった……」
「今のは精霊様っぽくなかったね」
「誰のせいですか!」
口調だけは小さく抑えながら抗議し、二人が再び歩き始めようとした、その時だった。
「ふざけるな!」
突然、通りの先から男の怒鳴り声が飛んできた。
賑やかだった通りの一角で、何人かの人々が足を止める。
こなたも反射的にそちらを向いた。
「なんでしょう?」
少し先にある、一軒の店。
古びた看板を掲げた木造の店先で、一人の少女が数人の男たちに囲まれていた。
年齢は十五、六歳ほどだろうか。
白い粉がついた前掛けの裾を握りしめながら、少女は店の入口を庇うように立っていた。
対する男たちは四人。
揃いの服ではないものの、冒険者には見えない。
先頭にいる腹の出た中年男が、一枚の紙を少女の眼前へ突きつけた。
「期日はとっくに過ぎてんだ! こっちだって慈善で金を貸したわけじゃねぇ!」
「もう少しだけ待ってください! 必ず返しますから!」
「その台詞を何回聞いたと思ってる!」
男の怒声に、少女の肩が震える。
「払えねぇなら、この店は今日から俺たちのもんだ!」
「そ、それだけは……!」
こなたの表情から、浮かれていた色が消えた。
隣ではジャレッドも足を止め、静かに騒ぎの方へ目を向けていた。




