第23話 神獣様と精霊様
ソロール大森林に朝の光が差し込み始めた頃。
昨夜まで賑やかな宴会場となっていた野営地では、ジャレッドたちが王都へ向けて出発する準備を進めていた。
焚き火はすでに消され、周囲に残った食器も片づけられている。
そんな幌馬車の前には、ボンバイエを筆頭に大勢のコッポルたちが集まっていた。
「わふ!」
「わふわふ!」
「ばっふ!」
「すごいですね……こんなに」
こなたが思わず目を丸くする。
コッポルたちは昨夜の礼のつもりなのか、それぞれが森で採れた品を持ち寄っていた。
木の実。
干した果実。
束ねられた香草。
見たことのない色鮮やかなキノコまである。
そして、その中でもひと際量が多かったのが、地面へ山のように積み上げられた奇妙な芋だった。
「これ、なんですか?」
こなたが興味深そうに近づいていく。
一つ一つが腕ほどの長さを持ち、形は太い棒のように細長い。淡い茶色の表面には、ごつごつとした節がいくつも浮き出ていた。
「トテポだね」
ジャレッドが一本を拾い上げ、表面についた土を軽く払う。
「トテポ?」
「この辺りじゃよく食べられてる芋だよ。焼いても煮ても食べられる」
「へぇ……変わった形ですね」
当然ながら手に取ることはできないため、こなたはジャレッドの持つトテポへ顔を寄せ、あちらこちらから観察した。
「味はどんな感じなんです?」
「そうだねぇ……」
ジャレッドが手の中の芋を眺めながら少し考える。
「前に食べたカレーに入ってた、あの丸い芋にかなり近いかな。味も食感も似てる」
「じゃがいもですか?」
「名前は覚えてないけど、多分それ」
その一言で、こなたの顔がぱっと明るくなった。
「それなら色々できますよ!」
「色々?」
「はい。ふかして塩を振るだけでも美味しいし、潰してポテトサラダにもできます。細く切って揚げればフライドポテトですし、コロッケにしてもいいですね。ポトフとか……あ、肉じゃがもいいなぁ」
「また知らない料理が一気に増えた」
「じゃがいもって万能なんですよ」
こなたが次々と料理名を並べるたび、ジャレッドの関心も目に見えて高まっていく。
その様子を眺めていたボンバイエは、二人が贈り物を気に入ったと判断したのか、満足そうに何度も頷いていた。
「ばっふ、ばっふ!」
「ありがとうございます。大事に食べますね!」
言葉が通じているわけではないものの、こなたが笑顔で頭を下げると、周囲のコッポルたちから嬉しそうな鳴き声が返ってくる。
贈られた品々は、ジャレッドが順番に幌馬車の食材庫へ運び込んでいった。
トテポだけでもかなりの量があったが、空間の拡張された食材庫なら保管場所には困らない。
最後の荷物を収め、準備を終えたところで、ジャレッドが御者台へ上がった。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「はい!」
「キュン!」
白雪が元気よく鳴き、ゆっくりと歩き始める。
「わふぅー!」
「わふわふ!」
「ばっふー!」
後方からいくつもの声が重なる。
こなたが振り返ると、コッポルたちは道の端へ並び、小さな腕を懸命に振っていた。
「みんな、元気でねー!」
こなたも大きく手を振り返す。
やがて彼らの姿が木々の向こうへ見えなくなるまで、別れの声は長く森の中へ響いていた。
◇
それからしばらく。
魔法の幌馬車は、白雪に牽かれながら王都へ続く森の道を進んでいた。
御者台の隣を漂っていたこなたは、先ほど食材庫へしまった大量のトテポを思い出す。
「さっきのトテポですけど、本当にじゃがいもみたいな味なんですよね?」
「かなり近いと思うよ」
「だったら、やっぱり色々試したいなぁ」
こなたはすでに頭の中でいくつもの料理を思い描いていた。
その中でも、ふと昔を懐かしむように声を柔らかくする。
「でも私、じゃがバターが特に好きだったんですよね」
「じゃがばたー?」
初めて聞く響きに、ジャレッドが振り返る。
前を歩いていた白雪も、耳だけをぴくりと後ろへ向けた。
「すごく簡単ですよ。じゃがいもを丸ごと蒸すか焼くかして、熱々のところを半分に割るんです」
こなたは身振りを交えながら説明を続ける。
「そこにバターを乗せると、熱でじわぁっと溶けて、中まで染み込んでいくんですよ。最後に塩をちょっと振って……ほくほくのじゃがいもに、バターのコクと塩気が合わさると、それだけで十分美味しいんです」
「…………」
ジャレッドから返事がない。
こなたが横を見ると、彼は何とも切なそうな表情でこちらを眺めていた。
さらに前方では、白雪まで歩みを止めることこそしないものの、耳を伏せながら何度も後ろを気にしている。
「なんですか、その顔」
「食べたい」
「キュゥ……」
「白雪まで……」
どうやら説明だけで味を想像してしまったらしい。
一人と一匹から揃って物欲しそうな視線を向けられ、こなたは堪えきれずに笑った。
「分かりました。じゃあ今日のお昼は、じゃがバターにしましょうか」
「本当?」
「キュン!」
途端にジャレッドの顔が明るくなり、白雪も大きな尾を嬉しそうに揺らし始めた。
「そんなに喜ぶような料理じゃないんですけどねぇ」
「こなたが美味しいって言うなら、美味しいと思う」
「そこまで信用されると失敗できませんね」
「大丈夫。失敗しても食べるよ」
「それはそれでプレッシャーなんですけど」
白雪は森の道を軽やかに進んでいく。
他愛ない言葉を交わしているうちに、周囲の景色が少しずつ変化し始めた。
これまで頭上を覆い尽くしていた木々の間隔が広がり、差し込む陽光も次第に強くなっていく。
獣道同然だった地面も踏み固められ、人の手が入った道へと変わっていた。
時折、荷物を背負った冒険者たちとすれ違う。
水晶宮へ向かうのだろう。
白雪の姿を見た者たちは例外なく足を止め、遠巻きにこちらを見送っていた。
「相変わらず目立ちますね、白雪」
「可愛いから仕方ないよ」
「だから多分、それだけじゃないですって」
こなたが苦笑していると、前方から急に光が差し込んだ。
森が終わった。
「わぁ……!」
視界が一気に開ける。
なだらかな平原の向こうに、人の住む町が見えた。
水晶宮と王都を結ぶ街道の途中に造られた、小規模な中継都市である。
周囲は高い木製の防壁で囲まれ、等間隔に設けられた見張り台では兵士が周囲を警戒している。
門の前には何台もの荷馬車が並び、剣や槍を背負った冒険者、商品を積んだ商人、旅装姿の人々が列を作っていた。
壁の向こうからは人々の喧騒まで聞こえてくる。
こなたは思わず幌馬車の前方まで飛び出した。
「町だ……!」
「町だね」
「本物の町ですよ!」
「偽物の町はあんまりないと思うけど」
「そういう意味じゃありません!」
こなたはまるで遠足に来た子供のように身を乗り出す。
人が行き交い、商人が荷物を運び、冒険者が談笑する。
ただそれだけの光景が、今のこなたには何もかも新鮮だった。
「早く行きましょう! どんなお店があるのか見てみたいです!」
「待って」
珍しくジャレッドがすぐに制止した。
「なんですか、ジャレッドさん?」
「あのまま入ったら、多分また騒ぎになるよ」
こなたの勢いが止まる。
「……あ」
脳裏に浮かんだのは、水晶宮のセーフエリアだった。
冒険者たちの前へ何も考えずに姿を現し、レイスだと判断された途端に大騒ぎになった。
「確かに……」
あの場ではジャレッドがいたから何とか収まったものの、町となれば人数も桁違いだ。
一人が騒げば、たちまち大勢に囲まれかねない。
「でも、どうしましょう」
こなたは自分の半透明な身体を見下ろす。
「隠れるっていっても、ずっと馬車の中にいるのは嫌ですし……」
「それだと町へ来た意味がないね」
「ですよねぇ」
腕を組むような仕草をして考える。
姿を隠す。
布を被る。
幽霊ではないと説明する。
どれも今ひとつだった。
そんなこなたを横目に、ジャレッドは何気なく白雪へ視線を向ける。
巨大な白狐は何も知らず、街道脇に生えた草へ鼻を近づけていた。
「……一つ、方法があるかも」
「本当ですか?」
「うん。ただし」
ジャレッドがこなたへ向き直る。
「こなたの演技力が試される」
「……嫌な予感しかしないんですけど」
◇
「ふぁぁぁぁ……」
町の正門。
大きな欠伸をした若い門番に、隣に立っていた年嵩の兵士が肘を入れた。
「勤務中だぞ」
「分かってますって」
「分かっている奴は、そんな大口開けて欠伸なんぞせん」
「昨日遅番だったんですよ……」
ぼやきながら、若い門番は次の旅人へ視線を向ける。
街道沿いに存在するこの町には、水晶宮へ向かう冒険者や、その相手を目当てにした商人が毎日のように出入りする。
入町証を確認し、怪しい荷物がないかを見る。
必要なら身分を尋ね、問題がなければ通す。
その繰り返しだ。
「次」
商人らしい男の証明書を確認する。
「はい、通っていいぞ」
次は冒険者三人組。
特に問題なし。
その後ろには荷馬車が続き、積み荷を簡単に確認して通す。
変わり映えのしない仕事だった。
「今日も平和ですねぇ」
「平和なのはいいことだろ」
「でも、こう毎日同じだと――」
若い門番がまた欠伸を噛み殺そうとした時だった。
門の外で、妙なざわめきが起こった。
「なんだ?」
列に並んでいた冒険者たちが、次々に後ろを振り返っている。
商人まで荷馬車から顔を出し、何かを指差していた。
次第に人の波が左右へ分かれていく。
「何か来るぞ」
年嵩の門番が眉を寄せた。
若い兵士も目を凝らす。
最初に見えたのは、白だった。
「……なんだ、あれ」
遠くから、一頭の巨大な白狐が悠然と歩いてくる。
三メートル近い身体を覆う毛並みは陽光を受けて銀白に輝き、尾が揺れるたび、細かな光の粒が空気へ舞っていた。
その後ろには、見たこともない形の大きな幌馬車。
さらに白狐の隣を、灰銀色の髪をした青年が静かに歩いている。
「魔物……か?」
「いや……」
隣の門番が小さく首を振った。
魔物にしては、あまりにも神々しい。
凶暴さより先に、不思議な畏怖を覚える姿だった。
「お、おい……上」
「上?」
言われて白狐の背へ目を向ける。
「…………」
そこに少女がいた。
十代半ばほどに見える、変わった衣服を身にまとった黒髪の少女。
白狐の背中へ優雅に腰掛けている――ように見える。
実際には、身体が触れる寸前の位置で僅かに浮いているのだが、遠目にはそんなことまで分からない。
半透明の身体に陽光が透け、白狐の周囲を舞う光が少女の輪郭へ重なっている。
少女は背筋を伸ばし、柔らかな微笑を浮かべていた。
騒ぎ立てることも、物珍しそうに辺りを見回すこともなく、ただ穏やかな微笑を浮かべて町へ近づいてくる。
「マジかよ……」
若い門番の喉が鳴る。
街道にいた誰かが、震えた声を漏らした。
「神獣様だ……」
別の声が続く。
「じゃ、じゃあ、あの方は……精霊様か?」
ざわめきが一気に広がった。
「精霊……」
「神獣の背に乗ってるぞ……」
「まさか、高位精霊?」
若い門番は完全に固まっていた。
ついさっきまで眠気と戦っていたことなど、とうに忘れている。
一方、そんな人々から崇敬に近い視線を一身に浴びているこなたは。
(うわぁぁぁ……! めちゃくちゃ見られてるんですけど!?)
内心では盛大に悲鳴を上げていた。
(慈愛! 慈愛の笑顔ってどんな顔!? これで合ってる!? 歯は出さない方がいい!?)
それでも表面上は、必死に微笑みを維持している。
少しでも姿勢を崩せば、白雪の背へ座っているように見せるための位置がずれてしまう。
横を歩くジャレッドが、小声で囁いた。
「上手だよ」
「今話しかけないでください……!」
微笑んだまま、歯の間から返す。
「集中切れます……!」
「精霊様っぽい」
「あとで覚えててくださいね……!」
門の前では、年嵩の兵士がようやく我に返り、隣の若者の肩を叩いた。
「おい」
「…………」
「おい!」
「はっ!?」
「仕事だ!」
「えっ、俺が対応するんですか!?」
「門番なんだから当たり前だろ!」
若い門番の顔から、みるみる血の気が引いていく。
その間にも、神獣らしき白狐と、その背に佇む精霊らしき少女は、ゆっくりと正門へ近づいてくる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ……」
若い兵士は顔を引きつらせ、震える手で槍を握り直した。
今日は退屈な一日になるはずだった。
少なくとも、ほんの少し前までは。
「……俺、神獣様の入町審査なんて習ってないんですけど」




