第22話 幕間3 過去の英雄
廃墟と化した都市から数キロほど離れた草原に、小さな焚き火が揺れていた。
すでに夜は深く、頭上には日本で見るものより遥かに多くの星が散らばっている。
周囲には背の低い草原がどこまでも続き、風が吹くたびに草の波が闇の中でざわめいた。
焚き火を囲んでいるのは四人。
椿原要、竜胆大河、秋桜夕。
そして、廃墟で三人を救った、自称《銀帝》ジャレッドだった。
「いっ……てぇ……」
大河が顔をしかめながら、右肩をゆっくり回す。
デュラハンの突進を盾で受け止めた際、身体ごと吹き飛ばされ、石壁へ叩きつけられた。
気を失っている間に簡単な治療は受けたものの、身体のあちこちにはまだ鈍い痛みが残っている。
「大丈夫、大河?」
隣に座る夕が心配そうに声をかけた。
「無理して動かさない方がいいんじゃない?」
要も眼鏡の奥から不安げに様子を窺う。
「だ、大丈夫だって。骨は折れてねぇみたいだし」
「カッカッカ。壁にぶつかったくらいで大げさだろ」
鍋をかき混ぜていたジャレッドが豪快に笑った。
「いや、あなた基準で言わないでくださいよ!」
「そうですよ! 大河、あれだけ派手に吹き飛ばされたんですよ!」
要と夕が揃って抗議する。
ジャレッドは悪びれた様子もなく肩をすくめると、火にかけていた鍋を覗き込んだ。
「まあ、死んでねぇなら上等だ。冒険者やってりゃ、そのうちもっと酷い目にも遭う」
「励ましてるように聞こえないんだけど……」
大河がげんなりした顔で呟く。
そんな三人の反応を面白がるように笑いながら、ジャレッドは木製の椀を四つ並べ、鍋の中身を順番によそっていった。
「ほら。腹減ってんだろ。とりあえず食え」
差し出された椀を受け取り、三人は揃って中身を見た。
「…………」
「…………」
「…………」
なんとも形容しがたい料理だった。
薄茶色の汁の中には、原形が分からなくなるほど煮崩れた灰色の塊が沈んでいる。その間から細かく刻まれた干し肉らしきものが浮かび、ところどころに野草らしき緑が混じっていた。
食欲を刺激する見た目とは、到底言い難い。
「……これ、なんですか?」
要がおそるおそる訊ねる。
「携帯食を煮たやつだ。固いままだと食いづらいから、砕いて鍋に放り込んである。干し肉も入ってるし、腹持ちはいいぞ」
「料理名は?」
「そんな上等なもんに見えるか?」
即答された。
三人は再び椀へ目を落とす。
焚き火の向こうでは、ジャレッドが何の迷いもなく同じものを口へ運んでいた。
「……食べられる物ではあるみたいだな」
「大河。それ、ものすごく失礼な確認だと思う」
「でも要、お前も同じこと考えてただろ」
「否定はできないけど……」
ここまで助けてもらった相手の好意を無下にするわけにもいかない。
三人は覚悟を決めた。
まず大河が椀へ口をつける。
続いて要。
最後に夕も、湯気の立つ汁を少量含んだ。
「ぶっ!?」
最初に耐えきれなくなったのは大河だった。
「まっず! なんだこれ!?」
「ごほっ……! く、臭い……というか、味が……!」
要も咳き込み、慌てて椀を離す。
夕だけは目元を震わせながらも、何とか飲み込んだ。
「……た、食べられなくは、ない、かな」
「夕、顔が完全に無理してるよ?」
「大河よりはまし」
「俺を基準にするなよ!」
三人の様子を見ていたジャレッドが、腹を抱えて笑い出した。
「ははははっ! やっぱり駄目か。お前ら、見るからに育ち良さそうだもんな」
「これが普通なんですか?」
夕が訊ねると、ジャレッドは笑いを収めながら頷いた。
「旅人や駆け出しの冒険者なら珍しくねぇよ。腹に入って、腐らなくて、持ち運べりゃ十分って飯だ。毎日美味いもん食えると思って旅に出たら、一週間もたねぇぞ」
三人から笑顔が消えた。
今の言葉が、単なる冗談ではないと分かったからだ。
ジャレッドは椀を手にしたまま、焚き火の向こうから三人を順番に見た。
「で。話を戻すけどよ」
火の粉が夜風に舞い上がる。
「お前ら、これからどうするつもりだ?」
誰もすぐには答えなかった。
三人は、この世界へ来てからの出来事をジャレッドへ一通り話していた。
日本でのこと。
見知らぬ鳥居をくぐったこと。
白い空間で神狐と出会ったこと。
幼馴染の一人である柊こなたが、なぜか自分たちと一緒に現れなかったこと。
そして、こなたを探すために旅を始める決意をしたこと。
だが。
ほんの数時間前、三人は死にかけた。
神狐から授けられた魔法の道具があったにもかかわらず。
大河の盾はデュラハンの突進を防ぎ切れず、本人ごと吹き飛ばされた。
要は魔法を放つことこそできたものの、一度使った後にどうすれば再び発動できるのかさえ分からなかった。
夕も剣道の経験はあったが、命のやり取りをする実戦では、それまで身につけてきた技術だけでは通用しないことを思い知らされた。
ジャレッドが現れなければ、あの場で三人とも死んでいた。
こなたを探すどころではない。
この世界で今日を生き延びることさえ、自分たちには難しい。
その現実だけが、焚き火の熱とは関係なく胸の内へ重く沈んでいた。
「……分かりません」
要が小さく答えた。
「こなたを探したいって気持ちは変わらないです。でも……あの廃墟を出てから、自分たちがこの世界で何も知らないことばかり思い知らされて」
大河が拳を握る。
「今日だって、あんたが来てくれなきゃ終わってた」
夕は何も言わなかった。
膝の上に置いた椀を見つめている。
ジャレッドは三人の沈んだ様子を眺めると、気負った調子もなく自分のスープを口へ運んだ。
「まあ、食えよ」
「いや、今かなり真面目な話をしてるんですけど」
「腹減らしたまま考えたって、ろくな答えなんか出ねぇよ」
大河にそう返し、ジャレッドは椀を指で示した。
「不味くても腹には入る。腹が膨れりゃ、さっきよりは頭も動くだろ」
「不味いって認めるんですね……」
要がげんなりする。
「美味いとは言ってねぇだろ」
「開き直った!」
少しだけ空気が緩んだ。
けれど、三人の抱えている問題が消えたわけではない。
夕はもう一度スープを口にした。
やはり美味しくない。
妙に粉っぽく、塩気も薄く、干し肉だけが強い味を残す。
それでも今度は顔をしかめずに飲み込んだ。
この程度で音を上げている場合ではない。
そう思った。
夕は椀を地面へ置くと、焚き火の向こうに座る男へ真っ直ぐ顔を向けた。
「ジャレッドさん」
「あん?」
「お願いがあります」
その声音に何かを感じたのか、ジャレッドの表情から笑みが消えた。
夕は一度だけ息を整える。
「私たちに、この世界で生き残る方法を教えてくれませんか?」
大河と要が驚いて横を見る。
夕は二人へは目を向けなかった。
「戦い方だけじゃありません。野宿の仕方も、食べ物の探し方も、魔物のことも、街でどう振る舞えばいいのかも……私たちは何一つ知りません」
言葉を重ねるほど、自分たちの未熟さがはっきりしていく。
それでも夕は目を逸らさなかった。
「こなたを探したいんです。でも今の私たちじゃ、探しに行く途中で死んでしまいます。だから――少しの間だけでも構いません。私たちを鍛えてください」
「夕……」
要が小さく名前を呼ぶ。
大河も何も言わず、やがてジャレッドへ向き直った。
「俺からもお願いします!」
「ぼ、僕もです!」
三人が揃って頭を下げる。
草原を渡る風の音だけが聞こえた。
焚き火の炎が薪を舐め、ぱちりと小さく爆ぜる。
ジャレッドはしばらく何も答えなかった。
先ほどまでの豪快な雰囲気とは違い、三人の顔を一人ずつ確かめるように見ている。
夕も黙って待った。
直感だった。
この男は信用できる。
初対面から派手な名乗りをし、食事は壊滅的で、細かいところはかなり大雑把。
それでも、危険な状況で迷わず自分たちを助けた。
見返りも求めていない。
何より、戦いが終わった後、気絶していた大河を真っ先に確認し、大きな怪我がないと分かるまで傍についていた。
悪人には見えなかった。
やがて。
「……はっ」
ジャレッドの口元が持ち上がった。
「そんな改まって頼まなくても、最初からそのつもりだったよ」
「……え?」
夕が目を瞬く。
「俺が助けなきゃ死んでたようなガキ三人を、そのへんに放り出して『じゃあ達者でな』なんてできるかよ」
そう言って胸を張る。
「一度助けたなら最後まで面倒見る。困ってる奴を途中で見捨てたら、寝覚めが悪いからな」
「じゃ、じゃあ……」
「ああ。しばらく俺と来い」
三人の顔が一斉に明るくなる。
「本当ですか!?」
「ただし、甘やかす気はねぇぞ。朝は早いし、歩けねぇなら置いていく。野営も覚えてもらうし、自分の飯くらい自分で確保できるようになってもらう」
「それでもお願いします!」
夕が深く頭を下げる。
「ありがとうございます!」
要も続き、大河まで勢いよく頭を下げた。
「マジで助かります!」
「お、おう……」
真っ直ぐな感謝を三方向から向けられたことで、今度はジャレッドの方が居心地悪そうに頭を掻いた。
「そんな大したことじゃねぇって。どうせ俺も旅の途中だし、お前らの友達を探すくらいなら――」
そこで言葉を止める。
「……まあ、ついでみてぇなもんだ」
「ついで?」
要が訊き返す。
ジャレッドは手元の枝を一本拾い、焚き火へ放り込んだ。
「俺には俺で、旅してる理由があるんだよ」
「依頼とかですか?」
「いや。完全に趣味だな」
大河が眉をひそめる。
「趣味で世界中歩いてるんすか?」
「悪いか?」
「いや……すげぇなって」
「俺はな、昔の英雄の足跡を追ってんだ」
その言葉に、三人が揃って顔を上げた。
「英雄?」
夕が聞くと、ジャレッドは頷いた。
「今じゃ伝説みたいになってる男でな。あちこち旅して、色んな場所に話が残ってる。それを実際に見て回るのが俺の趣味だ」
「歴史好きなんですか?」
要の問いに、ジャレッドは一瞬考えた。
「歴史そのものってより、その人が好きなんだよ」
「どんな人なんです?」
今度は大河が身を乗り出した。
その瞬間。
ジャレッドの顔が分かりやすく嬉しそうになった。
「お、興味あるか?」
「いや、そこまで目ぇ輝かせます?」
「しょうがねぇだろ。俺の憧れなんだから」
三人は顔を見合わせる。
ジャレッドは胸を張り、どこか誇らしげに口を開いた。
「俺が追ってるのはな――《銀帝》ジャレッドって英雄だ」
「…………」
「…………」
「…………」
三人の間に妙な沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのは要だった。
「……え、あなたのことですよね?」
「そうだな」
「廃墟で言ってたじゃないですか。『《銀帝》ジャレッドとは俺のことよ!』って」
「言ったな」
「じゃあ自分の足跡追ってるんですか?」
「んなわけあるか!」
ジャレッドが声を上げる。
「俺が本物の《銀帝》なわけねぇだろ!」
「だったらなんで、あんな堂々と名乗ったんですか!?」
夕まで思わず突っ込んだ。
「《銀帝》は自称だよ! 憧れてんだから仕方ねぇだろ!」
「仕方なくないですよ!」
要も珍しく声を張る。
三人から一斉に責められ、ジャレッドは不満そうに腕を組んだ。
「実際、俺の名前だって、その英雄からもらったもんなんだぞ。親父とお袋が大の銀帝好きでな。男が生まれたら絶対ジャレッドにするって決めてたらしい」
「……つまり、あなたの本名は本当にジャレッドなんですね」
「当たり前だろ。そこまで嘘だったらただの変な奴じゃねぇか」
「十分変わってると思いますけど……」
「要、意外と容赦ねぇな」
しばらく笑い声が続いた。
その後、夕が改めて問いかける。
「その《銀帝》ジャレッドって、どんな人だったんですか?」
ふざけていたジャレッドの表情が、ほんの少しだけ変わった。
焚き火の炎を眺めながら、遠い誰かを思い出すように目を細める。
「そうだなぁ……」
薪が崩れ、橙色の火の粉が夜空へ舞い上がる。
「どこから話すか迷うけど――」
やがて男は、子供の頃から何度も繰り返してきた物語を語るように笑った。
「まずは、《銀帝》ジャレッドって男が何者だったのか。その辺から話してやるよ」




