第21話 刃を向けた代償
「ここらにコッポル共の住処があるって噂通り……こいつは大漁じゃねぇか」
男の声が、先ほどまで笑い声に満ちていた野営地へ冷たく落ちた。
焚き火を囲んでいたコッポルたちは、一斉に牙を剥く。
つい少し前までフライドチキンを両手に踊っていた姿からは想像もできないほど鋭い唸り声が重なり、子供たちは親の後ろへ身を隠した。
だが、誰一匹として飛びかかろうとはしない。
男たちの先頭に立つ大柄な男が、一匹のコッポルを太い腕で抱え込み、その喉元へ短剣を押し当てていたからだ。
「おっと。妙な真似はするなよ」
刃がわずかに動く。
「こいつの首がどうなってもいいなら、好きにすりゃいいがな」
「ばっふ……!」
少し離れた場所で、ボンバイエが低く唸った。
他のコッポルたちも今にも飛びかかりそうな様子ではあるものの、仲間を傷つけられる恐れがある以上、動くことができない。
こなたは不安げに男たちを見たあと、すぐ傍にいるジャレッドへ振り返った。
「ジャレッドさん……」
「うん」
「気づいてました?」
問いかけると、ジャレッドはほんの少しだけ考えた。
「コッポルたちの踊りがあまりに可愛くて」
「……はい?」
「そっちに気を取られ過ぎて気付けなかった」
極めて真面目な顔だった。
「こんな時に何を告白してるんですか!?」
「僕の悪い癖。反省してる」
「そこじゃなくて!」
こなたが思わず声を上げる。
とはいえ、ジャレッドの様子に切迫したものはなかった。
人質を取られている以上、迂闊に動けない状況のはずなのに、彼は普段と変わらない穏やかな顔で男たちを眺めている。
一方、白雪は明らかに違った。
巨体を低く伏せ、前脚へ力を込める。
雪のような毛が僅かに逆立ち、喉の奥から獣らしい低い音が漏れ始めた。
「キュゥゥゥゥ……」
その声だけで、武装した男たちの何人かが顔を引きつらせた。
「な、なんだ、あの獣……」
「知らねぇよ。見たことねぇ魔物だ」
「だが、あの毛皮は上等だな。相当な値になるんじゃねぇか?」
別の男が、白雪から幌馬車へ視線を移す。
闇の森に浮かぶ明るい店。
見たこともない造りの馬車に、奇妙な調理器具。
そして周囲には、彼らが捕獲対象としているらしいコッポルの群れ。
先頭の男は、目の前に転がり込んできた獲物を数えるように舌なめずりした。
「ついてるじゃねぇか。チビどもだけでもかなりの稼ぎになるってのに、あの白いのと馬車まで売れりゃ――」
そこで、ようやくジャレッドの存在に気づいたらしい。
「……ん?」
灰銀色の髪に細身の体つき。
腰に剣を装備しているが、見た目だけなら強者には見えない。
男はジャレッドを値踏みするように眺めたあと、鼻で笑った。
「おい、そこのお前! この馬車の持ち主か?」
「違うよ」
「そうか、まぁ運が悪かったと思って死んでくれや! 目撃者を生かしておくわけにもいかねぇからよ!」
続いて半透明のこなたへ目を移した男が、眉をひそめる。
「何故、レイスまでいやがるんだ……」
後ろにいた仲間が目を凝らし、すぐに肩をすくめた。
「大した魔力じゃねぇ。低級だろ。放っとけ」
「…………」
こなたの眉がぴくりと動いた。
「ジャレッドさん」
「なに?」
「今、私ものすごく雑に扱われませんでした?」
「そうだね」
「否定してくださいよ」
緊迫した場面だというのに、そこだけ妙に締まらない。
男たちも怪訝そうな表情を浮かべている。
「おい、ごちゃごちゃ何話してやがる!」
リーダー格の男が苛立たしげに怒鳴り、人質の喉へ再び刃を近づけた。
「こいつが死んでも――」
言葉は、最後まで続かなかった。
ドゴンッ!!
鈍い衝撃音が響いた次の瞬間、男の身体が勢いよく宙を舞った。
「ぐべっ!?」
何が起きたのか理解する暇もなく、二メートルほど吹き飛ばされ、背中から地面へ叩きつけられる。
握っていた短剣は、すでに手元から消えていた。
「……え?」
こなたが目を瞬く。
つい今しがたまで隣にいたはずのジャレッドがいない。
視線を動かすと少し離れた場所に、右拳を振り抜いた姿勢のジャレッドが立っていた。
その左腕には、先ほどまで人質にされていたコッポルが抱かれている。
「わ、わふ……?」
助けられた本人すら、何が起きたのか分かっていないらしい。
ジャレッドはゆっくりと腕を下ろすと、抱えていたコッポルを地面へ降ろした。
「怪我は?」
「わ、わふっ!」
「大丈夫そうだね」
「いやいやいやいや!?」
こなたが思わずキッチンから飛び出す。
「今どうやったんですか!?」
ジャレッドは少し考えてから答えた。
「頑張って、ものすごく速く動いた」
「説明になってません!」
「なってねぇよ!」
「わふっ!」
こなた。
盗賊らしき男。
助けられたコッポル。
三方向から同時に突っ込まれ、ジャレッドは僅かに首を傾げた。
「でも、それ以外に説明が難しい」
「せめてもう少し頑張って説明してください!」
その間に、殴り飛ばされた男が地面から起き上がった。
「て、てめぇ……!」
鼻から血を流し、怒りで顔を真っ赤にしている。
「殺せ! この野郎から先にやれ!」
号令と同時に、残った男たちが一斉に武器へ手をかけた。
それぞれが得物を抜き放ち、ジャレッドへ向ける。
「ジャレッドさん!」
こなたが声を上げた瞬間。
シャリン――。
どこか場違いなほど澄んだ金属音が、一度だけ響いた。
こなたには、ジャレッドが腰の剣へ手を伸ばしたことまでは分かった。
だが、その先が見えない。
剣を抜いた瞬間も。
振った軌道も。
鞘へ戻した動きさえ認識できなかった。
次に目へ入った時には、ジャレッドの右手はすでに柄から離れている。
「……は?」
男の一人が声を漏らした。
その手にあった長剣が、根元から細かな破片へ分かれ、ぱらぱらと地面へ落ち始める。
「なっ……!」
別の男の槍も、穂先から柄まで幾つにも切断された。
手斧。
弓。
短剣。
残る男たちが手にしていた武器が次々と形を失っていく。
しかし、それだけでは終わらなかった。
「……は?」
一人の革鎧が左右へずれ落ちる。
「え?」
隣の男の上着も、まるで最初から何枚もの布を重ねていただけのように分解されて地面へ落ちた。
ベルトが切れ、ズボンが落ちる。
ほんの数秒前まで武装した六人組だった男たちは、誰一人傷を負っていないにもかかわらず、いつの間にかほとんど身につける物を失っていた。
夜の森に沈黙が落ちる。
「…………」
「…………」
「…………」
コッポルたちまで唖然としている。
男たちは自分たちの姿を見下ろし、ゆっくりと顔を青くしていった。
「う、嘘だろ……」
「今……剣、抜いたか?」
「見えなかった……」
その中の一人が、ジャレッドの灰銀色の髪を凝視した。
やがて何かを思い出したのか、全身を震わせる。
「ぎ、銀髪に神速の剣捌き……まさか……」
喉が鳴る。
「《銀帝》……?」
その呼び名が出た瞬間、ジャレッドの眉が僅かに下がった。
「僕、その二つ名好きじゃない」
一方、他の男たちの反応は劇的だった。
「はぁ!?」
「銀帝って、あの!?」
「ド、ドラゴンスレイヤー!?」
「や、やばい! 逃げろぉぉぉぉっ!!」
誰が最初だったのか分からない。
ほぼ同時に踵を返し、男たちは衣服の残骸を抱えながら森の奥へ走り出した。
殴り飛ばされたリーダー格も、鼻血を拭う余裕すらなく後を追う。
「お、覚えてやがれぇぇぇっ!」
「それ、言わない方がいいと思うけど」
ジャレッドの忠告が届いたかどうかは分からない。
男たちの姿は、そのまま暗闇の向こうへ消えていった。
静けさが戻り、そして次の瞬間。
「わふぅぅぅっ!」
「ばっふ!」
「わふわふ!」
歓声が弾けた。
コッポルたちが一斉にジャレッドへ殺到する。
「わっ!」
一匹が脚へ抱きつく。
二匹目が腰。
三匹目は背中へよじ登り、子供たちまで腕や肩へしがみついてきた。
ほんの数秒で、ジャレッドの姿が茶色い毛玉に埋もれていく。
「……もふもふ」
声だけは、とても幸せそうだった。
「さっきまでの格好良さ、全部消えましたね」
こなたが呆れ半分、安堵半分の顔で近づく。
コッポルの山に埋もれたジャレッドは、特に困っている様子もなく、手の届く範囲から順番に頭を撫でていた。
「怪我した子はいません?」
「人質になってた子も大丈夫。刃は当たってないよ」
「良かったぁ……」
こなたは胸元へ手を当てる。
直接触れることのできない身では、人質を取られたところで何もできなかった。
ジャレッドがあっという間に助け出してくれたからこそ笑っていられるが、ほんの少し間違えば、先ほどまで一緒に料理を囲んでいた誰かが傷ついていたかもしれない。
「でも……これに懲りて、あの人たちも二度と来なければいいですね」
「そうだね」
ジャレッドは、逃げていった方角へ一度だけ視線を送る。
「少なくとも、しばらくは戻って来られないと思うよ」
「全裸ですしね」
「それもある」
「それ以外もあるんです?」
「さあ?」
いつもの掴みどころのない返事だった。
こなたは首を傾げたものの、コッポルたちが再びジャレッドへ群がり始めたため、それ以上追及することはなかった。
◇
「くそっ……くそっ……!」
夜の森を、男たちが裸同然の姿で走っていた。
木の枝が皮膚へ当たり、草が脚へ絡みつく。
だが、そんなものを気にしている余裕はない。
「銀帝がいるなんて聞いてねぇぞ!」
「知るか! 俺だって知らねぇよ!」
「武器も全部やられた! 装備だって!」
先ほど殴り飛ばされた男が、腫れ始めた頬を押さえながら歯ぎしりする。
「このまま終われるかよ……!」
「何言ってんだ?」
「次だ! 次はもっと人数を集める! 銀帝だろうがなんだろうが、数さえ揃えば――」
ヒュッ。
乾いた風切り音。
「ひっ!?」
一本の細いナイフが、男の頬を掠めて背後の木へ突き刺さった。
男たちの足が止まる。
「だ、誰だ!」
「出てこい!」
武器はない。
それでも虚勢だけは張りながら、暗い森を見回す。
返事はなかった。
代わりに。
木々の間から、一人の女が音もなく姿を現した。
全身を黒い衣服で包み、顔の下半分も布で覆っている。
見覚えのない女だった。
だが、その立ち姿を見ただけで、先ほどまでの勢いが消える。
普通ではない。
そう感じさせる何かがあった。
「こんばんは」
女は淡々と言った。
「突然ですが、これからあなた達を王都まで移送させてもらいます」
「は?」
「移送だと?」
リーダー格の男が眉を吊り上げる。
「てめぇ、誰に断って――」
「抵抗はお勧めしません。あぁ、それと」
女が人差し指を立てる。
「あなた達は、わたしが相手で運が良かったですよ」
「……何?」
「もし先輩が、ジャレッド様へ刃を向けるところを見ていたら……」
感情らしいものの薄い声だったが、その言葉だけは妙に重かった。
「生き地獄を味わされるところでしたから」
女は少しだけ考える。
「ゾッとしますね。少なくとも、今のように自分の足で歩けてはいなかったでしょう」
「な、なんだよ、それ……」
「私より、かなり情熱的な方ですから」
先輩がこの場にいたなら、自分が止めなければ何をしでかしていたか分からない。
そう想像したのか、女はわずかに眉を寄せる。
「本当にいなくて良かったですね。私だけなら、必要以上に痛めつけたりはしません」
「だったら退け!」
男の一人が怒鳴る。
「こっちはもう散々なんだよ! 見逃せ!」
「それは無理な話です」
即答だった。
「ジャレッド様へ刃を向けたことについては別としても、希少種族の違法捕獲、脅迫、武装襲撃。確認しただけでも、いくつか聞きたいことがあります」
女が、おもむろに腰の小袋へ手を入れた。
「コッポル族は愛玩用として貴族に人気がありますからね。裏で誰が糸を引いているのか……詳しい事情は、王都でゆっくり話してください」
そこから取り出されたのは、細い金属製の輪が幾つも連なった拘束具だった。
男たちの表情が一変する。
「ふざけんな!」
「逃げるぞ!」
一斉に背を向けた。
だが。
数歩も進まないうちに、全員の脚が絡まったように地面へ転がった。
「ぐあっ!」
「ひぃ!? な、なんだこれ!?」
いつの間に巻きついたのか。
地面から黒い腕が無数に伸び、男たちの足首を掴んで離さない。
「できれば大人しくしていただきたかったのですが」
「て、てめぇ……何者だ……!」
地面へ転がった男が、恐怖に引きつった声で尋ねる。
女はしばらく黙っていたが、やがて目元だけで薄く笑った。
「国家に飼われた犬ですよ」
男たちの顔から血の気が引いていく。
女は拘束具を手にしたまま、一歩ずつ近づいた。
「では皆さん――王都までご同行ください」
「ま、待て!」
「話せば分かる!」
「俺たちはただ――」
「詳しいお話は向こうで伺います」
やがて。
夜のソロール大森林に、男たちの情けない悲鳴がいつまでも響き渡った。




