第19話 長老ボンバイエの決死行
わしの名はボンバイエ。
気高き獣人、コッポル族を束ねる長じゃ。
長として最も大切な務めは、皆が腹いっぱい飯を食い、安心して眠れる場所を守ることにある。
どれほど立派な牙を持とうと、どれほど勇ましく吠えようと、住む場所を失えば一族は弱る。ゆえに我らは、人間の町から離れた森の奥でひっそりと暮らしてきた。
それが我らの掟であり、生き延びるための知恵でもあった。
ところが数日前。
「……なんじゃ、それは」
集落の外れで、若い者たちが見慣れぬ物を頬張っていた。
白く、硬そうな四角い何か。
茶色く乾いた肉。
鼻を近づけてみれば、我らが普段食べる木の実や獣肉とはまるで違う香りがする。
しかも。
「長! 見てくだせぇ!」
「なかなか、いけますよ!」
五匹揃って、実に美味そうに食っておる。
嫌な予感がした。
「それをどこで手に入れた?」
わしが訊ねた瞬間、五匹の耳がぴたりと止まった。
その反応で、おおよその見当はついた。
問い詰めてみれば、案の定じゃ。
森で見つけた人間へ襲いかかり、まんまと食料を奪い取ったと、本人たちは得意げに語りおった。
「大馬鹿者どもがぁぁぁぁっ!」
「ひぃぃっ!?」
久しぶりに腹の底から怒鳴った。
五匹が揃って地面へ伏せ、尻尾を腹の下へ隠す。
「何度言えば分かる! 人間には無闇に関わるなと、あれほど教えておるじゃろうが!」
「で、でも、腹が減ってたんで……」
「でも、ではない! 盗賊まがいのことをしでかしおって!!」
まったく。
近頃の若い者は食い意地ばかり一人前になりおって。
もっとも、こやつらはまだ若いとはいえ、腕だけなら集落でも五本の指に入る。
狩りでは誰より獲物を仕留め、並の魔物なら五匹だけで追い払ってしまう。
……だからこそ、余計に始末が悪い。
少し力があるから、人間相手にもどうにかなると思い込んだのじゃろう。
人間を甘く見てはならん。
奴らは強い。
狡猾で、執念深く、おまけに数が多い。
かつて我らコッポル族が森の外で暮らしていた時代、人間どもは我らの美しく気高い毛皮に目をつけた。
捕らえようと追い回され、村から連れ去られた仲間も少なくない。
恐らく、我らが誇るこの柔らかく上質な毛皮を我が物にしようとしたのだろう。
なんと卑劣な。
そのため我らは住処を捨て、人間の手が届かぬ場所を求めて何度も森を移った。
ようやく見つけたのが、今の集落なのだ。
水場もある。
木の実も実る。
小さな獲物も多い。
子を育てるのにも悪くない。
この平穏を、たった一度の軽率な行動で失うわけにはいかん。
人間が報復に来る可能性は十分にある。
最悪の場合、集落そのものを捨てる必要さえあった。
わしは数日ほど悩んだ。
皆を連れて今すぐ移動すべきか。
それとも様子を見るべきか。
だが、その答えを出すより早く、狩りに出ていた若衆が息を切らして駆け込んできた。
「長っ! 人間です! 近くに人間が現れました!!」
「……な、何じゃと!?」
血の気が引いた。
とうとう来たのだ。
報復に。
◇
逃げるだけでは駄目だと判断した。
集落の位置を知られている可能性がある以上、中途半端に移動すれば追跡されるかもしれない。
ならば先に話をつけるしかない。
わしは一族でも特に腕の立つ五匹を選び、護衛として連れていくことにした。
それは数日前に人間から食料を手に入れてきた五匹だった。
何より、自分たちが招いた問題なのだ。
少しくらい責任を取らせねばなるまい。
「よいか。相手が何を言おうと勝手に飛びかかるな。交渉を最優先する」
「うっす!」
「もし話し合いが通じぬ時は――」
わしは一度言葉を切った。
最悪の場合。
人間を森から帰すわけにはいかなくなる。
五匹もその意味を理解したのだろう。
先ほどまでぴんと立っていた耳が少し下がる。
「……わしら六匹で仕留める」
勝てる保証などない。
だが、一族を守るためなら命を懸けるのが長というものじゃ。
そのための切り札も持ってきた。
首に掛けた細い紐へ触れる。
先端には、淡い緑色に輝く魔宝石。
集落で長く大切に保管してきた品の一つであり、人間社会でも価値があると聞いている。
これを渡し、手打ちにしてもらう。
それでも駄目なら。
戦うしかない。
そう覚悟して、人間がいるという場所へ向かった。
――そして。
到着した瞬間、わしは己の判断を心底後悔した。
(なんで神獣様がおるんじゃぁぁぁぁぁっ!?)
巨大な白き獣。
三メートルはあろうかという身体を雪のような毛で覆い、額には見たこともない紋様を宿している。
あれはただの魔物ではない。
我らのような獣人なら、理屈より先に分かる。
格が違う。
存在そのものが違うのだ。
連れてきた五匹も同じらしい。
先ほどまで威勢よく歩いていた精鋭どもが、揃って尻尾を股の間へ挟み、わしの後ろへ隠れようとしている。
(おぬしらが前に出んか! 護衛じゃろうが!)
しかも、神獣様だけではない。
半透明の少女までいる。
(レ、レイスまで従えておる……!)
神獣。
レイス。
そして、その中央にいる灰銀色の髪をした人間。
わしの頭の中で、一つの結論が導き出された。
(……か、帰りたい)
だが、帰れん。
ここまで来て逃げれば、人間に敵意があると思われかねない。
わしは震える五匹を少しずつ前へ押し出した。
「ほ、ほれ、はよう行け」
「長、押さないでください!?」
「最強の戦士じゃろう」
「この爺、俺たちを生贄にするつもりだっ!?」
情けない声を出すな。
わしだって怖いんじゃ。
そうして少しずつ距離を詰めていた時。
五匹の様子が変わった。
「……んん?」
「あれは……」
揃って鼻を動かしている。
視線の先にあったのは、人間の手元。
そこには大量の肉があった。
(ブラストバード……!)
わしまで思わず喉を鳴らしかけた。
森に暮らす我らにとっても、ブラストバードは御馳走じゃ。
肉は柔らかく、臭みも少ない。
ただし簡単に捕まる鳥ではない。
あれほどの量を用意するなら、それなりに苦労したはず。
……のはずなのだが。
五匹はすでに神獣様への恐怖を忘れ、肉へ釘付けになっていた。
(お前ら何しに来たんじゃ!)
腹が鳴った個体までおる。
殺し合いになるかもしれぬと覚悟して来たというのに、こやつらの頭にはもう飯のことしか残っておらんのか。
やがて灰銀色の人間が、肉を指差してこちらへ何か話しかけてきた。
言葉の細かな意味までは分からない。
だが声に敵意はない。
半透明の少女もこちらへ笑顔を向けている。
◇
――どういうわけか。
話は「我らにも肉を食わせてくれる」という方向へ進んでいった。
(……なぜじゃ?)
分からん。
本当に分からん。
殺される覚悟で来た相手から、なぜ夕食へ誘われておる?
五匹は喜んで跳ねているし。
(落ち着け、ボンバイエ。ここで目的を忘れるでない)
相手が友好的なら、なおさら今が好機だ。
わしは浮かれる五匹を一喝して黙らせ、人間の前まで進んだ。
首から魔宝石を外す。
本来ならこれは、集落へ危害を加えないでもらうための手打ちの品として差し出すつもりだった。
だが。
何故か、ブラストバードを馳走してくれると言う。
ならばその礼で渡せば良い。
友好の証というやつじゃ。
魔宝石を差し出すと、人間が目を細めた。
「……魔宝石?」
どうやら何か言っている。
恐らく。
食事の礼か、と訊いているのだろう。
(……半分はそうじゃな)
「その通りじゃ!」
大きく頷いておいた。
嘘ではない。
決して嘘ではないぞ。
すると人間は半透明の少女と顔を見合わせ、どうやら受け取ることにしたらしい。
(よし……!)
これで交渉成立じゃ。
集落は救われた。
わしは胸を撫で下ろした。
――その直後。
神獣様の隣に置かれていた巨大な箱が変形した。
(な、なんじゃぁぁぁぁっ!?)
側面が開き、壁がせり出し、中から眩しいほど明るい部屋が現れる。
思わず飛び退きそうになったが、長としての威厳でどうにか耐えた。
五匹は普通に飛び退いた。
(こやつら……!)
しかし、人間とレイスは平然としている。
どうやら箱そのものが危険なわけではないようだ。
しばらく見ていると、二人はその中で先ほどの肉を扱い始めた。
人間が刃物でブラストバードを切り、レイスが横から指示を出す。
どうやらあの少女は物へ触れられないらしい。
人間が手を動かし、レイスが方法を教える。
奇妙な組み合わせだ。
そのうち肉へ白い粉をまぶし始めた。
(……あれは何じゃ)
粉。
赤い粉。
黒い粒。
次から次へと見たことのないものが加えられていく。
(まさか毒ではあるまいな……)
一瞬そう疑ったが、こちらへ御馳走すると約束しておいて毒を盛る意味もない。
……いや。
人間は狡猾じゃ。
安心させておいて毒殺するという可能性も。
そんなことを考えていた時。
「うわぁ、いい匂い……」
隣の一匹が鼻をひくつかせた。
別の一匹も。
そして、わしも。
(……なんじゃ、この匂いは)
腹の奥を直接くすぐられるような、不思議な香り。
肉はまだ焼かれてすらいない。
それなのに、鼻から入った香りだけで唾液が溢れてくる。
五匹はもう完全に警戒心を失っていた。
箱の縁へよじ登り、調理場を覗き込んでいる。
(こら! お前たちは精鋭じゃろうが!)
叱りつけたい。
しかし、わしも気になる。
非常に気になる。
長としての威厳を守るため、平静を装って座っていたものの、鼻だけはどうにも止められなかった。
ひく。
ひくひく。
(……これは仕方あるまい。匂いを確認するのも長の務めじゃ)
そういうことにしておく。
やがて人間は、巨大な鍋を用意した。
そして、そこへ大量の黄金色の液体を注ぎ始めた。
(…………何をしておる?)
あれほど大量の液体を一体何に使うのか。
飲むのか。
肉へかけるのか。
あるいは……。
火が入る。
黄金色の液体が熱せられていく。
レイスは真剣な顔で、指示をだし人間は白い粉をまとった肉を手に取り、慎重に
液体の中へ入れた。
ジュワアアアアアアッ!!
「「「「「ひぃぃぃぃっ!?」」」」」
聞いたこともない破裂音が森へ弾け、精鋭五匹が一斉に散った。
一匹は神獣様の腹の下へ。
二匹は巨大な尾の陰へ。
残り二匹はわしの背後。
(お前らぁぁぁっ! わしを盾にするでない!)
だが。
わしも逃げたい。
ものすごく逃げたい。
黄金色の液体から白い煙が昇り、鍋の中で激しく暴れている。
あれに落ちた肉がどうなっているかなど、想像したくもない。
半透明の少女がこちらへ身を乗り出し、笑顔で何かを叫んでいる。
(……わ、笑っておる)
まさか……肉の次は。
(わ、わしらをあの黄金色の液体へ突っ込む気ではあるまいな……!?)
背中を冷たいものが走った。
逃げるべきだ。
今すぐ五匹を連れて、この場所から離れるべきだ。
わしはそう判断した。
その時。
風向きが変わった。
「…………む」
香ばしい。
先ほどまでとは比べものにならないほど濃い肉の香りに、粉へ混ぜ込まれていた得体の知れぬ香辛料の匂いが重なる。
鼻孔から入ったそれが、腹の底まで一気に落ちていった。
きゅるるるるぅ。
「…………」
わしの腹が鳴った。
背後の二匹が、こちらを見る。
「見るでない」
「長?」
「見るでないと言っておる!」
もう一度、香りが漂ってくる。
黄金色の液体の中では、白かった衣が少しずつ色づき始めていた。
(……逃げるべきじゃ)
理性はそう告げている。
だが。
わしの鼻と腹は、まったく別の答えを出していた。
(…………もう少しだけ)
もう少しだけ、様子を見てからでも遅くはあるまい。
これは決して食欲に負けたわけではない。
長として、人間どもが何を企んでいるのか最後まで見極める必要があるだけじゃ。
断じて。
あの肉が完成するところを見たいわけではない。
……断じて、じゃ。




