第18話 森のフライドチキン
夜を迎えたソロール大森林は、昼間とはまるで別の顔を見せていた。
木々の間を満たしていた緑は闇の中へ沈み、遠くから聞こえてくるのは、正体の分からない獣の鳴き声や虫の音ばかり。それでも、野営地だけは暖かな光に包まれている。
地面では焚き火が橙色の炎を揺らし、その少し後ろでは、お店モードへ変形した幌馬車のキッチンから白い明かりが漏れていた。
暗い森の中にそこだけ小さな店が現れたようで、野営地だけが別世界のように明るかった。
「わふぅ……」
「わふ?」
集まったコッポルたちは揃って幌馬車を見上げていた。
巨大な箱の側面が開き、中から明るい調理場が現れたことがよほど不思議なのだろう。
恐る恐る近づいてはカウンターによじ登り中を覗き込む。
見慣れない調理器具を見つけるたびに耳を動かしている。
白雪への警戒もまだ完全には解けていないものの、先ほどよりは幾分ましになったらしい。
何匹かは一定の距離を保ちながら巨大な白狐の周りを歩き回り、白雪が尾を動かすたびに慌てて飛び退いていた。
「かわいいなぁ……」
こなたが頬を緩める。
「うん」
隣でジャレッドも同意した。
「でも今は料理です。あの子たちのお腹、だいぶ限界みたいですから」
見ると、一匹のコッポルが腹を両手で押さえながら、ブラストバードの肉を切なそうに見つめている。
こなたは思わず苦笑した。
「まずは材料を揃えましょうか」
そう言って向かったのは、食材購入用の端末が置かれている小部屋だった。
机の上には黒い板状の魔道具。
その横に、先ほど老コッポルから受け取った緑色の魔宝石が置かれている。
「せっかくご飯代をいただいたんですから、ちゃんと美味しいものにしないとですね」
「ご飯代なんだ」
「そういうことにします。タダでもらうより、その方が私も気が楽ですし」
老コッポルにとって大切な品であることは、首から下げていた様子を見れば分かる。
それでも本人が前回の礼として差し出した以上、無理に突き返すのも違うように思えた。
ならば、その価値に見合うだけの料理を返す。
それが一番気持ちのいい使い方だと、こなたは考えた。
ジャレッドが魔宝石を端末へ触れさせる。
緑色の石は淡い光へ変わり、吸い込まれるように消えていった。
ほどなく画面が立ち上がり、こなたが必要な材料を選んでいく。
「卵、牛乳、小麦粉……それから片栗粉と油。あとは使いたいスパイスも少し追加しましょう」
「結構いるんだね」
「料理って、意外と細かいものが必要なんですよ」
注文を終えると、購入した食材が保管庫へ現れる。
準備が整ったところで、二人は本格的に調理へ取りかかった。
まずはジャレッドが、解体済みのブラストバードを大きめの肉塊へ切り分けていく。
腿。
胸。
手羽。
一羽そのものが大きいだけあって、日本の鶏肉とは比べものにならない。
「もう少し大きめで大丈夫ですよ。せっかくですから、豪快にいきましょう。フライドチキンですし」
「分かった」
刃物の扱いには慣れているだけあって、ジャレッドの手元に迷いはない。
それを見ていたこなたは、次の工程を指示する。
「じゃあ、今度はフォークで何か所か刺してください」
「こう?」
「もっとザクザクいっちゃっていいです」
言われた通り、ジャレッドがフォークを肉へ差し込んでいく。
「穴を開けると、味が染み込みやすくなるんです。それと、このあと一工夫します」
「一工夫?」
「柊家流です」
こなたはどこか得意げだった。
調味料棚から取り出したのは、真っ白な砂糖。
「これを少しだけ揉み込んでください」
「これはなに?」
「砂糖です。ほんの少しでいいですよ。肉がパサつきにくくなって、仕上がりがしっとりするんです」
ジャレッドは瓶の中身を見る。
以前、塩を使った時にも感じたことだが、この馬車に備えられている調味料や食材はどれも異様なほど品質がいい。
砂糖も同じだった。
粒は細かく均一で、不純物らしい色すら混じっていない。
指先に少量取る。
そして何気なく、そのまま舐めた。
「…………」
こなたが見ている前で、ジャレッドの目尻が分かりやすく下がった。
「甘い」
「砂糖ですからね」
「おいしい」
「そのまま食べるものじゃないですよ?」
もう一度取ろうとする手を、こなたが慌てて止める。
正確には触れられないので、手を重ねるような仕草をしただけなのだが、意図は十分伝わった。
「ジャレッドさん、甘い物好きなんですか?」
「好きな方だと思う」
「意外ですね」
王都での生活がどういうものなのかは知らないが、少なくとも冒険者として旅をしている間は、保存食や簡単な料理が中心だったのだろう。
ジャレッドは惜しそうに砂糖の瓶を見ながら、ふと真面目な顔になる。
「でも、これもかなり価値がありそうだね」
「砂糖がです?」
「この純度なら。塩の時も思ったけど、これだけ白くて雑味のない砂糖は珍しいと思う。大量に売ったら、ひと財産作れるかも」
「売りませんよ」
こなたは即答した。
「料理に使うんですから」
「興味ないんだ」
「お金持ちになるために旅してるわけじゃないですし」
迷いのない返答だった。
ジャレッドはそれ以上勧めなかったものの、砂糖の瓶を棚へ戻しながら内心では別のことを考えていた。
この馬車が生みだす品々。
食材。
調味料。
保存能力。
それらの価値を正確に知る者が現れれば、放っておかれるとは思えない。
(……不用意に見せない方がいいかもしれない)
こなた本人がまるで警戒していない分、自分が気をつけた方がよさそうだった。
「ジャレッドさん?」
「何でもないよ」
「じゃあ続きをお願いします」
砂糖を薄く揉み込んだ肉をボウルへ移し、次は下味用の液を作っていく。
「卵を溶いて、牛乳を入れてください。そこに塩と黒胡椒。ガーリックパウダーに、パプリカパウダーも投入してください」
ジャレッドが指示された材料を次々と投入する。
「これをよく混ぜてください」
泡立て器を動かす。
こなたが横から状態を確認し、頃合いを見て頷いた。
「はい。それくらいで大丈夫です」
「次は?」
「お肉を全部入れます」
ブラストバードの肉がボウルへ沈んでいく。
「液を全体に馴染ませるように揉み込んでください。本当なら、この状態で一時間くらい置きたいんですよね」
「一時間?」
ジャレッドの手が止まった。
店先で様子を見守っていたコッポルたちも、意味までは分からないはずなのに、不穏な気配でも察したのか揃って首を傾げる。
「はい。一時間くらい漬け込むと味がしっかりと染み込むので」
「……長いね」
ジャレッドが残念そうに呟いた。
ちょうどその時、カウンターから小さな腹の音が聞こえた。
見ると、カウンターの上で、一匹のコッポルが腹を抱えながら、今にも泣き出しそうな顔で肉を見つめている。
別の一匹も涎を垂らし、老コッポルだけが落ち着いた様子で若い個体を窘めていた。
一方で待つことに飽きた二匹は、白雪の大きな尾へ近づいては逃げる遊びを始めている。
「……あの顔を見たら一時間は無理ですね」
こなたも苦笑した。
「今回はしっかり揉み込んで、少し馴染ませるくらいにしましょう。本格的に漬けるのは次回ということで」
「それがいいと思う」
ジャレッドの声に、露骨な安堵が混じった。
意味など理解していないはずのコッポルたちも、なぜかほっとしたように耳を持ち上げる。
「なんで通じてるんでしょうね……」
「お腹減ってる者同士だからじゃない?」
「そんな共通言語あるんですか?」
しばらく肉を馴染ませている間に、今度は衣の準備へ移る。
別の大きなボウルへ薄力粉を入れ、片栗粉を加えていく。
「小麦粉と違う粉を入れるの?」
「この粉は片栗粉と言って、衣が軽くザクッと仕上がりやすいんです。そこにオールスパイスと胡椒を入れて……塩も少し」
粉の中へ褐色のスパイスが混ざる。
ジャレッドが乾いた粉を混ぜるたび、胡椒やスパイスの芳しい香りがふわりと立ち上った。。
「いい匂いだね」
「この子たちも、そう思ってますね」
こなたが笑顔でカウンターへ目を向けると、コッポルたちが鼻をひくひく動かしていた。
カウンターの上に登る者やしがみついている者。
先ほどまで白雪と遊んでいた個体まで戻ってきて、今度は全員が店先へ集合している。
「視線がすごいですねぇ……」
「期待されてる」
「プレッシャーだなぁ」
こなたはそう言いながらも、どこか嬉しそうだった。
やがて下味を馴染ませた肉を取り出し、粉へ移していく。
「しっかり衣をつけてください。隙間がないように」
「押しつける感じ?」
「そうです。多少ごつごつしてる方が、揚げた時にザクザクになります」
ジャレッドは手早く粉をまとわせる。
大きな肉片が一つ、また一つと白い衣に包まれ、金属製のトレイへ並べられていった。
そして最後に用意するのが、サラダ油だった。
大きな鍋へ、惜しげもなく油を注いでいく。
「わふ……?」
店先のコッポルが一斉に首を傾けた。
どうやらこれほど大量の油を一度に使う調理法は、見たことがないらしい。
「わふふ?」
「大丈夫ですよー。これが美味しくなるんですから」
こなたが笑顔で手を振る。
もちろん言葉が通じているかは分からない。
それでも声の調子に安心したのか、コッポルたちはまた鍋の方へ興味深そうな視線を戻した。
火を入れる。
油が少しずつ温まり、表面にゆらりと熱の波が見え始める。
「最初は低めの温度でゆっくり揚げます」
「いきなり高温じゃ駄目なの?」
「これだけ肉が大きいと、外だけ焦げて中が生になる可能性がありますから。まず中まで火を通して、一度取り出して休ませるんです」
「それで終わり?」
「いいえ。そのあと今度は温度を上げて、もう一度揚げます」
「二回も?」
「二度揚げです。最後に高温で揚げると、外側はザクッとしてるのに、中は肉汁が残ってジューシーに仕上がるんですよ」
ジャレッドが油の鍋を見る。
次に衣をまとったブラストバード。
もう一度油。
「……早く入れよう」
「そんなに焦らなくても逃げませんよ」
こなたは笑いながら、油の状態を確かめる。
「そろそろいいと思います」
「入れるよ?」
「ゆっくりお願いします。油が跳ねますから気をつけて」
ジャレッドは衣をまとった肉を一つ手に取り、油の近くまで慎重に下ろしていく。
店先では、コッポルたちが揃って身を乗り出していた。
何をするのか理解していないからこそ、興味津々なのだろう。
ジャレッドが肉を鍋の上へ運ぶ。
衣の端が油へ触れた。
次の瞬間。
ジュワアアアアアアッ!!
夜の森に、今までの調理過程とは比較にならない激しい音が弾けた。
「わふぅぅぅぅっ!?」
コッポルたちが全員揃って飛び上がる。
一匹はその場で尻餅をつき、二匹は一目散に白雪の腹の下へ飛び込んだ。残った個体も老コッポルの背後へ隠れ、大きな耳だけを覗かせながら油鍋を凝視している。
「わふっ! わふふぅっ!」
「違います! 爆発してませんから!」
こなたが慌てて店先から身を乗り出した。
しかし、彼女の必死な説明を聞く余裕など、突然の音に驚いたコッポルたちにはまるでなかった。




