第17話 小さなお客さん
日が傾き始めたソロール大森林を、ジャレッドは一人で歩いていた。
昼間ならば木々の隙間から惜しみなく差し込んでいた陽光も、今では枝葉の向こうへ沈みかけている。
森の奥には早くも薄い闇が溜まり始め、昼行性の鳥たちに代わって、どこか遠くから低い獣の鳴き声が聞こえてくるようになっていた。
それでも、ジャレッドに焦りはない。
この程度の森林ならば、夜になったところで彼にとって大した危険にはならない。それよりも今は、空腹を訴え始めた腹を満たす方が重要だった。
「ブラストバード……」
足を止め、周囲へ意識を広げる。
羽音や葉擦れに耳を澄ませ、小動物が落ち葉を踏む微かな気配まで拾い上げていく。
それらを一つずつ拾い上げていく中で、少し離れた場所から規則的に土を啄む音が聞こえてきた。
ジャレッドはそちらへ向かって進み、やがて大きな樹木の陰から静かに覗き込んだ。
いた。
しかも、五羽。
灰褐色の羽毛に覆われた鳥型の魔物が、落ち葉の積もった地面を嘴で突いている。
鶏に似ていると言えば似ているが、大きさはまるで違う。
立った状態でも一メートル近くあり、太い脚には猛禽類を思わせる鋭い爪が生えていた。
翼の先には青白い魔力が薄く纏わりついており、危険を察知すれば、そこから風の刃を放ってくる。
冒険者になりたての者なら、五羽を同時に相手取るのは避けた方がいい魔物だ。
もっとも。
「少し多めの方がいいよね」
ジャレッドが気にしたのは、危険度ではなく夕食の量だった。
木陰から身体を出す。
一羽のブラストバードが顔を上げた。
侵入者に気づき、翼を大きく開こうとする。
その動作が終わるより先に、ジャレッドの姿が掻き消えた。
風が一度だけ森を抜ける。
次の瞬間には、彼は五羽の背後に立っていた。
長剣を鞘へ戻す小さな金属音がした直後、五羽の首がほとんど同時に地面へ落ちる。
「……うん」
肉を傷つけていないことを確認し、満足そうに頷いた。
狩るだけなら簡単だ。
しかし、食材にするならそこから先の処理も必要になる。
ジャレッドは小川の流れる手近な場所を選び、慣れた手つきで血を抜くと、羽根を処理し、内臓を取り除いていった。冒険者として長く旅をしていれば、倒した獲物を食べられる状態にする技術は嫌でも身につく。
料理そのものには縁が薄かったが、解体までなら何度こなしたか分からない。
可食部を丁寧に分け、五羽分の肉を布で包む。
骨や内臓のうち利用できるものも別にまとめ、残ったものは森の生態を荒らさないよう処理を済ませた。
顔を上げる頃には、空の色はすっかり濃くなっていた。
「思ったより暗くなったな」
こなたたちを待たせている。
そう考えると、ジャレッドは先ほどまでより幾分速い足取りで野営地へ戻ることにした。
◇
「白雪、こっちですよー!」
「キュン!」
野営地へ近づいたところで、聞き慣れた声が届いた。
ジャレッドは歩調を緩める。
木々の間から見えたのは、幌馬車の周囲を楽しそうに動き回るこなたと、それを追いかける白雪だった。
こなたが右へ移動すれば、白雪も右へ。
急に向きを変えて左へ回れば、巨大な白狐も豊かな尾を振りながら後を追う。
触れることのできないこなたなりに、白雪と遊ぶ方法を見つけたらしい。
辺りはすでにかなり暗くなっていたが、完全な闇ではなかった。
白雪の白銀の毛並みからは月明かりにも似た淡い光が滲んでおり、巨体の周囲だけがぼんやりと照らされている。
その中を制服姿のレイスが嬉しそうに逃げ回っている光景は、どこか幻想的だった。
「キュキュ!」
「おっと、近い近い!」
白雪が鼻先をこなたへ寄せる。
こなたは触れられないと分かっていながら、両手で受け止めるような仕草をして笑った。
「…………」
ジャレッドは無言でそれを眺めた。
自分が獲物を探し回っている間に、ずいぶん仲良くなったように見える。
少しだけ面白くない。
「ただいま」
「あ、ジャレッドさん!」
こなたがこちらを振り向いた。
白雪も耳をぴんと立て、すぐに大きな身体を反転させる。
「キュン!」
そのまま勢いよくジャレッドのところまで駆けてくると、巨大な鼻先を胸元へ押しつけてきた。
「……ただいま、白雪」
先ほどまで僅かに残っていた不満が、一瞬で消えた。
ジャレッドは白雪の頬へ両手を埋め、ふかふかの毛並みを堪能する。
そんな様子を見たこなたが、すぐに何かを察した。
「もしかして、ちょっと嫉妬してました?」
「してないよ」
「今、帰ってきた時だけちょっと顔が暗かったですよ?」
「周りが暗かったからじゃない?」
「日暮れのせいにしましたね?」
ジャレッドは答えず、白雪の首元へさらに手を埋めた。
分かりやすい逃げ方だった。
「まあいいですけど。ちゃんと獲れました?」
「五羽」
「おお! 素晴らしい!」
こなたの関心がすぐに夕食へ移った。
ジャレッドはマジックバッグから野営用の道具一式を取り出すと、まず地面をならして焚き火台を置いた。乾燥させておいた薪を組み、火打ち石を使って火を起こす。
やがて小さかった炎が薪へ燃え移り、橙色の光が周囲の闇を押し返していく。
その一連の作業を、こなたは目を輝かせながら見つめていた。
「わぁ……焚き火ですよ、ジャレッドさん!」
「うん、そうだね」
「森! 馬車! 焚き火! これぞキャンプですよ!」
「うん、野営だね」
「言い方の違いです!」
どうやら彼女にとっては大きな違いらしい。
ジャレッドにはよく分からなかったが、楽しそうなので訂正するのはやめておいた。
火が安定したところで、彼は先ほど解体した獲物を取り出す。
布を開いた途端、こなたが目を丸くした。
「でかっ!」
「そう?」
「大きいですよ! これ一羽分ですよね?」
「うん」
五羽ともすでに羽根や頭、内臓を処理してある。それでも、腿肉一つ取ってみても日本で見慣れた鶏とは比較にならないほど大きい。
「異世界の鳥、規格が違う……」
こなたは肉を様々な角度から観察する。
色合いは鶏肉に近い。
肉質も極端に硬そうには見えず、脂もほどよく乗っている。
「味はどんな感じです?」
「肉そのものは少し淡白かな」
「それなら……」
こなたの頭の中で、候補が次々と浮かび始めた。
丸焼き。
照り焼き。
唐揚げ。
煮込み。
「う~ん、仕込みの時間を考えると悩むなぁ。案外、早く出来るフライドチキンもありかな?」
「ふらいどちきん?」
ジャレッドが首を傾げる。
「衣をつけて、油でカリッと揚げるんです。外はザクザク、中は肉汁がじゅわっとしてて――」
「それにしよう」
「説明、最後まで聞きません?」
「もう美味しそうだから」
「判断が早い!」
すっかり食への反応だけは良くなっている。
「ただ、調味料関係は問題ないんですけど、卵とか小麦粉、あと油が必要なんですよね……」
こなたが馬車を見る。
基本的な調味料はいくらか残っているものの、まとまった量の油や衣に使う卵や小麦粉は購入しなければならない。
そして購入には魔宝石がいる。
「魔宝石があれば、すぐ買えるんですけどねぇ。やっぱり、今日はシンプルに塩と胡椒で焼いた――」
こなたの言葉が途中で止まった。
ジャレッドが口元で人差し指を立てていたからだ。
その意図を察したこなたは、ジャレッドの向ける視線の先、焚き火の向こう側へ移った。
「どうしました?」
「何か来る」
「魔物ですか?」
「……たぶん違う」
ジャレッドは剣へ手を伸ばさなかった。
代わりにじっと森の奥を見つめている。
白雪も気づいたらしく、大きな耳をそちらへ向けた。
少しして。
がさり。
茂みが揺れた。
そこから小さな影が一つ、恐る恐る姿を現す。
「……え?」
こなたが目を瞬かせた。
人間の子供よりずっと小さい。
丸みを帯びた身体には柔らかそうな茶色の毛が生え、頭の上には身体に対して大きすぎるほどの耳が二つ伸びている。
さらにその後ろから、もう一匹。
さらに一匹。
最終的には五匹ほどの小さな生き物たちが、互いに寄り添うようにして木陰から出てきた。
ただし、全員がひどく怯えている。
尻尾を股の間へ巻き込み、大きな耳を伏せながら、何度も白雪の方を気にしていた。
それでも逃げない。
なぜなら。
「…………」
全員の視線が、ジャレッドの手元に置かれたブラストバードの肉へ吸い寄せられていたからだ。
「…………かわいい」
最初に呟いたのは、こなただった。
「かわいいね」
ほぼ同時にジャレッドも頷く。
「耳! あの耳見ました!? あと尻尾!」
「うん、今すぐもふもふしたい」
「分かります!」
意見が完全に一致した。
当の小さな生き物たちは、自分たちが別の意味で狙われていることなど知る由もない。
一匹が勇気を振り絞ったように前へ出る。
「わふぅ……」
短い前脚のような手を上げ、ブラストバードの肉を指差した。
それから自分の腹を押さえる。
「わふふぅ……」
腹から、きゅるる、と可愛らしい音が鳴った。
「ああ」
ジャレッドが納得する。
「君たち、お腹減ってるんだね」
「分かりやすいですね」
こなたが微笑む。
すると、ジャレッドは小さな一団を改めて見回した。
「……ん?」
「どうしました?」
「この子たち、前にも会ったかもしれない」
「前にも?」
「水晶宮へ行く途中で、食料をあげたコッポル族」
こなたの顔が固まった。
「……もしかして」
「うん?」
「ジャレッドさんが持ってた食べ物をほとんど渡して、三日間何も食べられなくなる原因になった子たちですか?」
「原因って言い方は違うと思う」
「合ってますよ!」
こなたが呆れた声を上げる。
その声に驚いたコッポルたちが一斉に肩を跳ねさせたので、慌てて声量を落とした。
「ご、ごめんなさい。怒ってないですよ」
「わふ?」
意味が通じているのかは分からない。
ただ、敵意がないことだけは伝わったらしく、一匹が僅かに耳を持ち上げた。
ジャレッドは肉を一度見てから、こなたへ顔を向ける。
「こなた」
「はい?」
「この子たちにも、ご馳走していい?」
その問いに、こなたは迷わなかった。
「もちろんですよ」
むしろ嬉しそうに頷く。
「せっかく作るなら、大勢で食べた方が楽しいですしね」
「よかった」
ジャレッドはコッポルたちへ視線を戻した。
言葉がどこまで通じるかは分からないが、肉を指差してから焚き火を示す。
「今から、これでもっと美味しいものを作るよ」
「わふ?」
「ものすごく美味しいらしい」
「自分で食べたことないのにハードル上げないでください!」
こなたの抗議を気にすることなく、ジャレッドは続ける。
「君たちも食べていく?」
しばしの沈黙。
コッポルたちは顔を見合わせる。
一匹が小さく鳴くと、それが連鎖するように広がり、やがて全員の耳が勢いよく立った。
「わっふ!」
「わふふっ!」
「わふっ!」
先ほどまで怯えていたのが嘘のように、嬉しそうに跳ね始める。
「……かわいい」
「……かわいいですねぇ」
二人揃って見入ってしまった。
その時だった。
「ばふ、ばっふ!!」
集団の後方から、はしゃぐコッポルたちを嗜めるように吼えながら、一匹のコッポルがゆっくりと前へ出てきた。
コッポルは騒ぐ仲間たちを一瞥すると、そのまま迷うことなくジャレッドの前まで歩み寄った。
その目は肉ではなく、まっすぐジャレッドへ向けられている。
ほかの個体より毛並みが白っぽく、背中も僅かに丸まっている。大きな耳の片方には小さな欠けがあり、その姿からかなり年老いていることが分かった。
「ばっふ」
老いたコッポルはジャレッドの前まで来ると、おもむろに首に掛けていた細い紐へ手を伸ばした。
そこには、小さな石が一つ吊されている。
装飾品にしては歪な形だった。
それでも、焚き火の光を受けた石の内側では、淡い緑色の輝きが揺らめいていた。
「……これ」
ジャレッドが目を細める。
老コッポルは紐を首から外し、両手で大切そうに石を包んだ。
そのまま、ジャレッドへ差し出す。
「ばっふ!」
「僕に? この前のお礼?」
「ばっふっふ!」
老コッポルが嬉しそうに頷く。
こなたも横から覗き込み、石の中に宿る光を見た瞬間に息を呑んだ。
つい先ほどまで、ないものとして諦めていた。
けれど、その石を見間違えるはずがない。
「ジャレッドさん……それ」
「うん」
老コッポルの小さな掌の上で、緑色の石が静かに輝いていた。
それは紛れもなく――魔宝石だった。




