第11話 最初の客
俺の名前はルード。
冒険者としての等級はBランク。
自分で言うのもなんだが、この稼業じゃそれなりに長く飯を食ってきた。
剣士一人、魔術師一人、斥候一人。それに大斧を担ぐ俺を加えた四人で組み、普段は王国南西部にある迷宮《水晶宮》へ潜っている。
俺たちは数日かけて中層まで降り、予定していた素材を十分に確保したところだった。
あとは地上へ戻るだけ。
その前に中層のセーフエリアで身体を休めよう。
そう考えて横になったまではよかった。
「レイスだ!!」
若い冒険者の叫びで叩き起こされるまでは。
眠気を引きずったまま目を開ければ、案の定、広場の一角で揉め事が起きていた。
ったく。
こっちは久しぶりにまともな休息ができると思ってたのに。
何があったんだと身体を起こし――。
そこで、眠気が全部吹っ飛んだ。
「……嘘だろ」
灰銀の髪に眠たげな青い瞳。
細身の身体に一目で業物だと分かる一本の長剣。
見間違えるはずがなかった。
《銀帝》ジャレッド。
冒険者なら、その二つ名を知らないなんてのは、ルーキーかもぐりぐらいなもんだ。
冒険者になりたての頃から竜種を単独で狩り、王国が手を焼くような依頼まで幾度となく一人で片づけてきた男だ。
酒場で語られる逸話を挙げれば、それこそキリがない。
どこまでが本当で、どこからが酒場で膨らんだ噂なのかまでは知らない。
だが、一つだけ確かなことがある。
あの男に喧嘩を売って得をする冒険者はいない。
なのに。
「お前、本当にそのレイスを従えてるのか!」
若造が食ってかかっている。
(馬鹿野郎……!)
思わず頭を抱えたくなった。
よりにもよって、なんでそこへ行く。
実力だけの話ならまだいい。
いや、よくはないが。
問題は、《銀帝》の後ろにちらつく連中だ。
王都で長く仕事をしていれば、嫌でも耳に入る話がある。
どこの誰が、誰と繋がっているのか。
どの家へ迂闊に手を出してはいけないのか。
ジャレッドについてもそうだった。
確証なんぞない。
だが、あの男の後ろには、俺みたいな一介の冒険者が絶対に関わりたくない家が見え隠れしている。
下手に揉めれば、剣で斬られるだけじゃ済まない。
「おい、さっきからぐちぐちとうるせぇぞ! 仮眠もとれやしねぇ」
結局、俺は割って入った。
最初は単に黙らせるつもりだった。
だが、近くで顔を見れば見るほど間違いない。
相手が《銀帝》だと伝えた途端、広場の空気が変わった。
まあ、当然だ。
若造もさすがに青くなっていた。
これ以上余計なことを言わせる前に、俺はさっさと話を終わらせた。
その隣にいたレイスについては、正直よく分からない。
自我があり、普通に喋っている。
レイスと言えば怨念に取り憑かれ、まともな言葉すら通じないものだと思っていた。
それを《銀帝》本人が、
『僕がテイムしたレイスだから』
と言う。
……本当か? とは思った。
思ったが。
銀帝がそう言っているなら、それでいい。
世の中には、知らない方が長生きできることもある。
俺はそういう判断ができたからこそ、Bランクまで生き残ってきたんだ。
なんとか場を修め、とりあえずそこで騒ぎは終わった――はずだったんだが。
◇
今度は、馬車が出てきた。
正確には、《銀帝》が腰のマジックバッグから一台丸ごと取り出した。
「…………」
思わず二度見してしまった。
馬車だ。
どう見ても馬車一台。
しかも、旅商人が使う小型の荷車なんてものじゃない。
人が何人も寝泊まりできそうな、立派な幌馬車だった。
「おい、ルード」
隣にいた仲間の剣士が、小声で呼びかけてくる。
「なんだ」
「今の……見たか?」
「見た」
「マジックバッグって、あんなでかい馬車が入るもんなのか?」
「俺に聞くな」
俺が使っている収納袋なんぞ、予備の武器と食料を詰め込めばすぐに悲鳴を上げる。
大型のマジックバッグなら荷箱数個分は入ると聞いたことがあるが、馬車そのものを丸ごと収めるなんて話は初耳だし、あの大きさだと魔力も相当持っていかれるはずだ。
(どんだけ規格外なんだ。超一流は持ってる才能から道具まで違うのかよ……)
半ば呆れながら眺めていると、《銀帝》とレイスの少女はそのまま中へ入っていった。
当然、気になった。
いや。
別に野次馬根性じゃない。
相手は《銀帝》だ。
何をするか分からない奴をセーフエリアで放っておくのも、経験者としてどうかと思っただけだ。
そう自分へ言い訳しながら、俺は馬車を眺め続けた。
やがて。
ギギギギギ――。
中から妙な音が響き始める。
「……今度は何だ」
次の瞬間、馬車の側面が動いた。
上側が大きく持ち上がり、庇のようにせり出す。
下からは別の板が倒れ、支柱で固定された。
それまで閉じていた側面が大きく開き、中の様子が丸見えになる。
「店……か?」
誰かが呟いた。
確かに、そう見えた。
外へ料理を渡すための台。
その奥には調理場。
ただ――。
(広くないか?)
外から見た馬車の横幅と、中に見えている空間の広さがどうにも合わない。
奥には棚。
大きな調理台。
見たこともない器具。
(空間まで弄ってんのか……?)
馬車一つで、いったいどれだけ金が掛かっているのか。
もはや想像するのも馬鹿らしくなってきた。
そして。
そんなとんでもない馬車の中で、《銀帝》は料理を始めだした。
まるで意味が分からない。
「…………」
最初は俺も自分の目を疑った。
竜種を斬る男が、白い粒を水で洗っている。その傍らでは、例のレイスが何かを指示していた。
銀帝は文句を言うでもなく、それにただ従っている。
「あれ、何してるんだ?」
「知らん」
「銀帝だよな?」
「俺もさっきからそう思ってる」
周囲でも戸惑った声が飛び交っている。
俺にも訳が分からなかった。
ただ。
しばらくすると、そんな疑問はどうでもよくなった。
匂いがしたからだ。
◇
最初は、甘い香りだった。
銀帝が見慣れない黄色い塊を鍋へ落とす。
熱を受けたそれが溶け、続けて大量の玉ねぎが投入された。
ジュワァッ、と軽快な音が広場まで届く。
その直後。
「……ん?」
鼻の奥をくすぐる匂い。
思わず顔を上げた。
何だ、これは。
香ばしく、それでいて少し甘い。
腹が減っている時に嗅いではいけない類いの匂いだ。
(いやいや)
俺はさっき飯を食った。
硬いパンと干し肉だったが、腹には入っている。
だから料理に興味があるわけじゃない。
ただ、見慣れない調理法だから気になっただけだ。
少し近くで確認するくらいなら問題ない。
そう思って、俺は立ち上がった。
「ルード、どこ行くんだ?」
「様子を見てくる」
「何の?」
「……銀帝の」
「鍋じゃなくて?」
「うるせぇ」
二、三歩だけ。
本当に、それだけのつもりだった。
だが。
今度は肉が投入された。
じゅううううっ!
脂が弾ける音。
焼けた肉の力強い香りが、さっきの甘い匂いに重なる。
思わず喉が鳴った。
(……近くで見ないと危ないからな)
誰に言うでもなく、心の中で言い訳を重ねる。
気づけば販売口までの距離は、最初の半分ほどになっていた。
俺だけじゃない。
さっきまで離れて座っていた奴らも、何食わぬ顔で少しずつ馬車へ寄ってきている。
中には、あのレイスへ魔法を撃った若造までいた。
(お前も来てんじゃねぇか)
視線が合う。
向こうも気まずそうに目を逸らした。
誰も何も言わない。
ただ全員が、
――俺は別に料理目当てじゃない。ただ、物珍しさに気になっているだけだ。
そんな顔をしていた。
馬鹿馬鹿しい。
たぶん俺も同じ顔をしている。
肉と野菜が鍋へ入り、しばらく煮込まれる。
ここまではまだ耐えられた。
問題は、その後だった。
銀帝が、茶色い塊を鍋へ入れる。
何だ、あれ。
見たことがない。
レイスに言われるまま、木べらでゆっくり混ぜていく。
そして。
「――っ」
鍋の中から得も言われぬ芳香が爆発した。
鼻にではなく、腹を直接殴られたかと錯覚するほどの強烈な香り。
刺激的なのに嫌ではない。
何種類もの香辛料が混ざり合っているのだろう。
それまで漂っていた玉ねぎの甘さも、肉の脂も、その匂いに包み込まれて一つになっている。
思わず深く吸い込んでしまった。
「……やべぇ」
誰かが呟いた。
同感だ。
この匂いはダメだ。腹が鳴る。
気づいた時には、俺は販売口のすぐ前まで来ていた。
「近っ!」
レイスの少女がこちらを見て目を丸くする。
「あー……」
しまった。
何か言わないと格好がつかない。
「別に、何かしようってわけじゃないんだ。ただ、その……匂いがな」
我ながら苦しい。
周囲の連中も似たようなものだった。
「すげぇ匂いだな、それ」
「何の料理なんだ?」
さっきまでレイスだと警戒していた相手へ、普通に質問している。
人間というのは現金なものだ。
もっとも、俺も人のことは言えないが。
「もう少し待ってくださいね。そろそろ完成ですから」
少女が笑った。
その一言に、周囲の空気がざわめく。
「……俺たちも食えるのか?」
つい誰かが聞く。
少女はすぐに答えなかった。
何やら楽しそうな顔をして、鍋へ向き直る。
(食えるのか……?)
期待している自分に気づき、俺は口元を押さえた。
◇
白い粒は、いつの間にかふっくらと炊き上がっていた。
銀帝が皿へそれを盛り、その横へ茶色い煮込みをたっぷりとかける。
初めて見る料理だ。
だが。
旨そうかどうかなんて、見れば分かる。
暖かな湯気。
白い穀物と深い茶色の煮込みが鮮やかな対比を作り、表面には食欲をそそる艶が浮かんでいる。
腹を刺激する香りに、柔らかそうに煮込まれた肉と野菜が、濃い煮汁にたっぷりと絡んでいる様子だけで、口の中に唾液が溜まった。
「これが……カレー」
銀帝が小さく呟く。
カレー。
あの料理はそういう名前らしい。
レイスの少女が何か言い、銀帝が匙を取った。
「…………」
いつの間にか。
周りの全員が黙っていた。
何でだ。
銀帝が飯を食うだけだぞ。
それなのに、妙な緊張がある。
強大な魔物との戦いを見守っている時より静かなんじゃないか?
ついに匙が動いた。
銀帝は白い穀物と茶色い煮込みを一緒にすくい口へ入れた。
「…………」
銀帝は何も言わない。
一度、二度とゆっくり噛み締め、最後まで味を確かめるように飲み込んだ。
「…………」
まだ何も言わない。
おい。
何なんだ。
旨いのか。
不味いのか。
こっちは匂いだけで限界なんだぞ。
誰も口には出さない。
出せない。
その時だった。
銀帝の頬を、一筋の雫が流れた。
「…………は?」
見間違いかと思った。
だが違う。
涙だ。
あの《銀帝》が、竜種を一人で斬るようなデタラメな男が。
たった一皿の料理を食って――泣いている。
「……銀帝が涙を流した……だと」
思わず漏れた声が、やけに大きく響いた。
銀帝は頬へ触れ、濡れた指先を見つめている。
本人も気づいていなかったらしい。
そして。
「……美味しい」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
そこからは、カレーなるものを掬い、口へ運ぶ。
その動作を黙々と寸分たがわぬ美しい所作で繰り返している。
いや、食べるスピードが明らかに速くなっているな。
まさに一心不乱だ。あの料理に呪いでも掛けられているんじゃないかと勘繰ってしまうぐらいに銀帝の挙動がおかしい。
それほどに美味い料理なのか?
広場のあちこちから腹の鳴る音がした。
一つ。
二つ。
いや、もっとだ。
「…………」
俺は鍋を見る。
銀帝の皿を見る。
もう一度、鍋を見る。
駄目だ。耐えられん。
皆もさっきまでレイスへ敵意を向けていた手前、多少の気まずさがあるのか誰も声を上げない。
俺自身は攻撃していないとはいえ、あの少女からすれば俺たち全員似たようなものだろう。
だが、ここで黙っていれば、このまま一生あの匂いだけ覚えて帰る羽目になる。
それだけは嫌だ。
「……なあ」
俺は勇気を振り絞って声を掛け、レイスの少女がこちらを向いた。
「はい?」
妙に緊張した。
魔物を前にした時ですら、こんなに緊張した覚えはない。
俺は財布袋へ手を伸ばす。
「その……カレー、だったか」
「はい」
「俺たちにも食わせてもらえないか?」
少女が目を見開いた。
俺は慌てて付け加える。
「もちろん金は払う。タダで寄越せなんて言わねぇ」
「…………」
返事がない。
(やはり無理か?)
やはりさっきの騒ぎを気にしているのか?
そう思った直後。
少女の顔が、くしゃりと崩れた。
「……なっ!?」
泣くのかと思った。
けれど違う、笑っている。
心の底から嬉しそうな、そんな笑顔だった。
「もちろん! 喜んで!」
弾むような声だ。
その返事に、周囲の冒険者たちが一斉に沸き立つ。
「お、俺も頼む!」
「こっちもだ!」
「金なら出す!」
「おい、順番だろ!」
突然始まった騒ぎに、俺は目を丸くする。
ついさっきまでレイス一匹を巡って険悪になっていた連中が、今は我先にと料理を求めている。
少女も驚いているようだった。
それでも、すぐに表情を引き締めると、調理場の中へ顔を向けた。
「ジャレッドさん!」
「ん?」
「忙しくなりますよ!」
銀帝はちょうど二杯目のお代わりをしようとして、集まった俺たちを眺めた。
そして。
ほんの少しだけ、絶望した面持ちになった。
いや、あんたそんだけの量を一人で食うつもりかよ……。
「う、うん。頑張ろうか」
その日。
俺たちが中層のセーフエリアで口にしたものが、後にどれほど長く記憶へ残ることになるのか。
この時の俺は、まだ知る由もなかった。




