第5話「選択肢の向こう側」
1
九月の終わり、なつみは高校の同窓会の案内を受け取った。
案内状は郵送で届いた。封筒を開けると、大学ノートくらいの紙に、日時と場所が印刷されていた。ホテルの宴会場で、十月の第二土曜日。参加費は八千円。
なつみはその案内状を、三回くらい見た。
高校の同窓会。卒業してから十七年が経っていた。
「ソフィアンガールズ会議室」に送った。
なつみ「高校の同窓会の案内が来た」
みほ「行くの?」
なつみ「どうしようかな。行きたいような、行きたくないような」
麻衣「わかる。私も先月あったけど、行って後悔した」
なつみ「どういう後悔?」
麻衣「みんな結婚してて子供いて、『麻衣はどうなの?』って聞かれるの、地獄だった」
みほ「それは地獄だね」
なつみ「でも行かないと、なんか負けた気がする」
麻衣「それもわかる」
なつみ「どうしようかな」
みほ「行ってみたら? 帰りたくなったら帰ればいいし」
なつみ「それもそうだな」
なつみはその案内状を机の上に置いた。行くかどうかは、まだ決めていなかった。
2
十月になった。
なつみは結局、同窓会に行くことにした。みほの言う通り、帰りたくなったら帰ればいい。それだけのことだ。
同窓会の日、なつみは適当なワンピースを着て、ホテルの宴会場に向かった。会場にはすでに多くの同級生が集まっていた。なつみは受付で名前を書いて、中に入った。
「松本! 久しぶり!」
声をかけてきたのは、同じクラスだった女子の一人だった。名前は忘れていた。でも、顔は覚えていた。
「久しぶり」となつみは言った。
「元気にしてた?」
「まあね。あなたは?」
「私は結婚して、子供が二人いるの」
「そうなんだ。おめでとう」
「ありがとう。松本は? 結婚してる?」
「してないよ」
「そうなんだ」と彼女は言った。それ以上は何も聞かなかった。
なつみはその会話を早く終わらせたくて、適当に「お酒を取りに行くね」と言って、その場を離れた。
3
会場には五十人くらいの同級生が集まっていた。なつみはその中を歩きながら、知ってる顔を探した。見覚えのある顔もあったが、名前が思い出せない人も多かった。
「松本さん」
声をかけられて、振り返った。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。背が高くて、ショートカットの髪がよく似合っていた。顔は覚えていた。名前も覚えていた。
「佐藤……?」
「そう。佐藤彩。覚えてる?」
「覚えてるよ。高校の時、一緒に英語の授業を受けてた」
「そうそう!」と彩は笑った。「よく覚えてるね」
彩は高校の時、なつみと同じクラスだった。成績はいつもトップクラスで、英語も抜群にできた。東京外国語大学に進学したと聞いていた。
「元気にしてた?」と彩が聞いた。
「まあね。彩は?」
「うん、まあね」
彩の顔が、少しだけ曇ったように見えた。なつみはそれに気づいた。
「どうしたの?」
「いや、色々あってさ」
彩はそう言って、グラスを手に取った。中身はウーロン茶だった。
「仕事は?」となつみが聞いた。
「派遣。ずっと派遣。正社員になれなくてね」
「私も派遣だよ」
「そうなんだ」と彩は言った。「でも、松本は上智だったよね。英語もできたし、なんで派遣?」
「就職がなかったんだよ」
「私もだよ」と彩は言った。「東京外語出て、交換留学まで行ったのに。就職なんてなかった」
「交換留学?」
「モンゴル自治区。中国の。三年の時に、単位交換で行けるプログラムがあって、応募したら通ったんだ」
「モンゴルかあ、すごいね」
「すごくなかったよ」と彩は笑った。「ただの履歴書の一行だよ。それで就職できるわけじゃない」
4
彩はなつみの隣に座った。二人で飲み物を飲みながら、話を続けた。
「それでさ、派遣でずっとやってきたんだけど」と彩は言った。「つい最近、大きな手術をしたんだ」
「手術?」
「子宮筋腫。結構大きくなっちゃってて、手術したら取れたんだけど、その時に子宮も一緒に取ったんだよ」
なつみは言葉を失った。
「子宮全摘。もう子供は産めないんだ」
彩は笑った。笑いながら言った。
「もう子供も産めないし、結婚も無理だね」
「そんなこと……」
「いや、事実だよ。子供が産めない女が結婚できるわけないじゃん。それに派遣だし。年収も低いし。誰も相手にしてくれないよ」
彩はまだ笑っていた。なつみはその笑顔が、とても辛そうに見えた。
「彩……」
「別にいいんだよ。もう決まったことだし。そういうもんだって思ってる」
そういうもんだ。なつみがよく言う言葉だった。でも、彩の口から聞くと、なつみはその言葉が重く感じられた。
5
「そういえば」と彩が言った。「松本はマッチングアプリとかやってる?」
「やってるよ」
「どう? いい人いる?」
「いないよ。みんなゴーストするし、変な人ばっかり」
「だよね」と彩は笑った。「私もやってたけど、派遣って言った瞬間に連絡来なくなる人が多かった」
「わかる」
「三十代後半で派遣って、それだけで終わってるんだよね、世間的には」
なつみはその言葉に、心臓が少し痛んだ。
「でもさ」と彩が言った。「私たちが悪いわけじゃないよね。就活も頑張ったし、勉強もした。派遣だって、ちゃんと仕事してる。なのにどうしてこうなんだろうね」
なつみは答えられなかった。
「まあいいや」と彩は言った。「スコーンでも食べて忘れよう」
「それ、いいね」
「今度一緒に行かない?」
「行こう」
二人で笑った。
6
同窓会が終わって、なつみは家に帰った。
電車の中で、彩の言葉が頭の中をぐるぐる回っていた。
「もう子供も産めないし、結婚も無理だね」
彩は笑って言った。でも、あの笑顔は無理をしていた。なつみにはわかった。
彩は高校の時、将来の夢を語っていた。国際機関で働きたい、と。英語を使って、世界のどこかで。それが彼女の夢だった。
でも、夢は叶わなかった。派遣になって、子宮を取った。誰のせいでもない。ただ、そうなった。
なつみは窓の外を見た。電車の窓に映る自分の顔は、少し疲れていた。
7
家に帰って、なつみはベッドに横たわった。
スマホを開くと、マッチングアプリの通知が来ていた。新しいメッセージが届いている。誰からかはわからない。
なつみはその通知を開かなかった。代わりに、昔のことを思い出していた。
あの勤務医の言葉。
「三十五歳は小学生のママの年齢ですね」「三十五歳って高齢出産ですよね」
なつみはその時、何も感じなかった。でも今、彩の顔を思い出しながら、その言葉を反芻していた。
三十五歳。高齢出産。小学生のママ。
もし自分が子供を産めない体になったら、どう思うだろう。もし自分が彩のように、子宮を取ることになったら。
なつみは想像した。でも、想像できなかった。想像したくない、という方が正しかった。
8
翌日、なつみは彩にLINEを送った。
同窓会で交換したアドレスにメッセージを入れた。
なつみ「昨日はありがとう。また話そう」
彩「こちらこそ。また会おうね」
なつみ「今度なんか美味しいもの食べに行こう。
ゆっくり話せるから、アフタヌーンティーでいい?」
彩「うん。楽しみにしてる」
なつみはそのやり取りを見て、少しだけ安心した。
彩は元気そうだった。笑っていた。でも、あの笑顔の裏にあるものは、なつみにはわからなかった。
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その夜、なつみは「ソフィアンガールズ会議室」に送った。
なつみ「同窓会で高校の同級生に会った。東京外語出て派遣で、子宮全摘したって」
みほ「え……大丈夫? その子」
なつみ「本人は『もう子供も産めないし結婚も無理だね』って笑ってたけど」
麻衣「それ、笑い事じゃないよ……」
なつみ「うん。でも笑ってた。そういうもんだって」
みほ「なつみの口癖じゃん」
なつみ「そうだね。でも、あの子が言う『そういうもんだ』は重かった」
麻衣「なつみも気をつけてよ。体調管理大事だよ」
なつみ「うん。ありがとう」
みほ「元気出して! 次のアフタヌーンティー、私がおごる!」
なつみ「え、いいの?」
みほ「いいよ! なつみが元気ならそれで」
なつみ「ありがとう。次の週末、行こう」
麻衣「行こう行こう!」
10
十月の半ば、なつみはみほと麻衣とアフタヌーンティーに行った。
場所は京王プラザホテルだった。窓の外は秋の日差しが差し込んでいて、暖かかった。
「その友達、その後どうなの?」とみほが聞いた。
「また会う約束した。アフタヌーンティー一緒に行くって」
「それは良かった。友達がいるのは大事だよ」
「うん」
なつみはローストビーフのサンドイッチを食べながら、彩のことを考えた。
彩は笑っていた。でも、あの笑顔は何かを隠していた。なつみにはそれがわかった。でも、それを無理に引き出そうとは思わなかった。彩が話したい時に話せばいい。
「なつみ」と麻衣が言った。「あなたはどうしたいの?」
「どうしたいって?」
「結婚とか、子供とか」
なつみは少し考えた。
「わかんない」
「わかんない?」
「そう。わかんない。結婚したいかどうかもわかんないし、子供が欲しいかどうかもわかんない。ただ、選択肢がないって言われるのは嫌だなって思うだけ」
みほがうなずいた。「それ、わかる」
「自分で選びたいんだよ。できないからしょうがない、じゃなくて、自分で選んだって言いたい」
「でも、現実はそうじゃないよね」と麻衣が言った。
「うん」となつみは言った。「現実はそうじゃない」
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彩とアフタヌーンティーに行ったのは、十月の終わりだった。
場所は彩が選んだ、代官山のカフェだった。落ち着いた雰囲気で、スコーンも美味しかった。
「彩、仕事はどうなの?」となつみが聞いた。
「今の派遣先は悪くないよ。でも、いつ切られてもおかしくないけど」
「派遣はそうだよね」
「松本は?」
「六本木の外資系。英語使ってる」
「そうなんだ。いい職場に巡り合えるのは大事だよね」
「うん」
二人でスコーンを食べた。彩はスコーンにクロテッドクリームをたっぷり塗って、美味しそうに食べた。
「彩はさ」となつみが言った。「これからどうしたいの?」
彩は少し考えた。
「わかんない。どうしたいって選べる立場じゃないでしょう。学生時代は選べる側だと思ってたけどね。でも、とりあえずは派遣続けるよ。仕事はちゃんとやってるし。それでいいっていうか、他に何かあるまでそれしかないと思ってる」
「それでいいんだね」
「うん。例えば今から医学部行って医師国家試験通っても、この歳だと勤務医になるのが大変で、やっぱり派遣しかなさそうじゃん。だからそれでいいんだよ。よくないけど」
彩は笑った。今度の笑顔は、前より少しだけ自然に見えた。
12
十一月になった。
なつみは派遣先で、相変わらず仕事を続けていた。英語のメール対応も慣れたものだった。新しい上司も悪い人ではなかった。
でも、何かが変わった気がした。
彩と会ってから、なつみの心の中に、小さな変化があった。自分には選択肢があるのか、ということを、考えるようになった。
選択肢。
なつみはそれを考えた。
結婚するかしないか。子供を産むか産まないか。正社員になるか派遣のままか。
全部、自分で選べると思っていた。でも、現実は違う。選べないこともある。選べたとしても、結果がどうなるかはわからない。
それでも、なつみは思った。
選べないことを嘆くより、選べることを選びたい。
13
十一月の半ば、さやかがインスタを更新した。
写真は新生児だった。小さな手が、大きく開いていた。キャプションには「Welcome to the world」と書いてあった。
なつみはその写真を見て、何かを感じた。
おめでとう。心の中でそう言った。
「おめでとう」とコメントを書いた。
さやかからすぐに「ありがとう」が返ってきた。
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その夜、なつみは彩にLINEを送った。
なつみ「今日も元気?」
彩「元気だよ。スコーン食べたから」
なつみ「それだよね」
彩「そういうもんだよ」
なつみはそのメッセージを見て、笑った。
そういうもんだよ。彩もそう言えるようになった。それでいい、となつみは思った。
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十一月の終わり、なつみは派遣会社から連絡を受けた。
田中さんからだった。
「松本さん、お疲れ様です。来年の契約についてですが、先方から引き続き同じポジションでお願いしたいとのことです」
「ありがとうございます」
「それと、松本さん、一つお知らせがあります」
「何ですか?」
「先方から、松本さんのことを正社員として登用したいという話が出ています」
なつみは言葉を失った。
「正社員?」
「はい。まだ正式な決定ではありませんが、先方の評価が非常に高いようです」
「……わかりました」
「詳細はまた改めてご連絡します」
電話が切れた。
なつみはスマホを握りしめて、しばらく動けなかった。
正社員。
派遣から正社員。それは、なつみがずっと諦めていたものだった。
でも、今、その話が来ている。
なつみは窓の外を見た。十一月の空は、少しだけ冬の気配を帯びていた。
「ソフィアンガールズ会議室」に送った。
なつみ「派遣先から正社員の話が来た」
みほ「え!!!」
麻衣「マジで!!?」
なつみ「まだ正式じゃないけど、先方から話が出てるらしい」
みほ「やったじゃん!!!」
麻衣「おめでとう!!!」
なつみ「まだ決まったわけじゃないけど」
みほ「でも、話が出ただけですごいよ!」
麻衣「そうだよ! なつみが頑張ったからだよ!」
なつみはそのメッセージを見て、何かを感じた。
頑張ったから。そうかもしれない。でも、そうじゃないと思う。企業ってそんな論理で動いていない。正社員で雇う方がメリットがある、それだけだと思う。
ただ、選択肢が増えた。ちょっと安堵感がある。それだけのことだ。
16
十二月になった。
正社員の話は、まだ正式には決まっていなかった。でも、なつみはその話を待っていた。待てるようになった。派遣の時は、待てなかった。いつ切られてもおかしくなかったから。
今は違う。自分には選択肢がある。そう思えるだけで、なつみの気持ちは少し軽くなった。
クリスマスが近づくと、街はイルミネーションで彩られた。なつみはその光を見ながら、駅を歩いた。
今年は、一人だった。でも、一人でいいと思えた。
17
十二月二十四日、クリスマスイブ。
なつみはみほと麻衣と、渋谷のイタリアンに行った。三人で白ワインを飲んで、胡桃と松の実のパスタを食べて、話をした。
「正社員の話、どうなった?」とみほが聞いた。
「まだ正式じゃないけど、来年からって話が出てる」
「やったじゃん!」
「まだ決まってないよ」
「でも、決まりそうなんでしょ?」
「うん、まあ」
なつみはワインを一口飲んだ。白ワインは冷たくて、喉に心地よかった。
「なつみ」と麻衣が言った。「もし正社員になったら、何がしたい?」
なつみは少し考えた。
「とりあえず、派遣の時よりは安定するよね。突然切られるリスクは減る。収入は...減るかもねえ」
「他には?」
「わかんない。でも、選択肢が増えるのはいいことだと思う」
麻衣はうなずいた。「そうだね。選択肢が増えるのはいいことだ」
18
クリスマスが終わって、なつみは派遣先で仕事を続けた。
正社員の話は、年明けに正式に決まるらしかった。なつみはそれを待っていた。
でも、何かが変わったわけじゃなかった。
仕事は相変わらずだった。英語のメールを書いて、庶務をこなして、帰る。それが毎日だった。
それでいい、となつみは思った。
19
大晦日、なつみは実家に帰った。
母が煮物を作っていた。父はテレビを見ていた。弟は嫁と子供を連れて来ていた。姪はもう四歳になっていた。
「なつみ、仕事どうなの」と母が聞いた。
「来年から正社員になるかもしれない」
母は手を止めた。
「正社員?」
「うん。まだ決まってないけど」
母は何も言わなかった。でも、その顔は少しだけ明るくなっていた。
「頑張ったね」と母は言った。
なつみは「うん」と言った。
それだけだった。
20
正月の三が日が終わって、なつみは東京に戻った。
一月四日、派遣会社から連絡が来た。
「松本さん、お疲れ様です。正社員登用の件ですが、正式に決定しました。四月から正社員として勤務開始です」
なつみは「ありがとうございます」と言った。
それだけだった。
電話を切って、なつみは窓の外を見た。一月の空は、冬の青さがあった。
正社員。
それが何かを変えるのかどうかは、わからない。でも、選択肢が増えた。それだけのことだ。
なつみはスマホを開いて、「ソフィアンガールズ会議室」に送った。
なつみ「決まった。正社員」
みほ「おめでとう!!!!!」
麻衣「やったー!!!!!」
なつみ「ありがとう」
みほ「スコーン食べてお祝いしよう!」
なつみ「する!」
麻衣「どこにする?」
なつみ「任せる」
みほ「よし、探す!!」
なつみは笑った。
選択肢が増えた。それだけで、世界は少しだけ広がった気がした。




