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なつみ35歳•BBA  作者: はまゆう


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第5話「選択肢の向こう側」

1


九月の終わり、なつみは高校の同窓会の案内を受け取った。


案内状は郵送で届いた。封筒を開けると、大学ノートくらいの紙に、日時と場所が印刷されていた。ホテルの宴会場で、十月の第二土曜日。参加費は八千円。


なつみはその案内状を、三回くらい見た。


高校の同窓会。卒業してから十七年が経っていた。


「ソフィアンガールズ会議室」に送った。


なつみ「高校の同窓会の案内が来た」


みほ「行くの?」


なつみ「どうしようかな。行きたいような、行きたくないような」


麻衣「わかる。私も先月あったけど、行って後悔した」


なつみ「どういう後悔?」


麻衣「みんな結婚してて子供いて、『麻衣はどうなの?』って聞かれるの、地獄だった」


みほ「それは地獄だね」


なつみ「でも行かないと、なんか負けた気がする」


麻衣「それもわかる」


なつみ「どうしようかな」


みほ「行ってみたら? 帰りたくなったら帰ればいいし」


なつみ「それもそうだな」


なつみはその案内状を机の上に置いた。行くかどうかは、まだ決めていなかった。


2


十月になった。


なつみは結局、同窓会に行くことにした。みほの言う通り、帰りたくなったら帰ればいい。それだけのことだ。


同窓会の日、なつみは適当なワンピースを着て、ホテルの宴会場に向かった。会場にはすでに多くの同級生が集まっていた。なつみは受付で名前を書いて、中に入った。


「松本! 久しぶり!」


声をかけてきたのは、同じクラスだった女子の一人だった。名前は忘れていた。でも、顔は覚えていた。


「久しぶり」となつみは言った。


「元気にしてた?」


「まあね。あなたは?」


「私は結婚して、子供が二人いるの」


「そうなんだ。おめでとう」


「ありがとう。松本は? 結婚してる?」


「してないよ」


「そうなんだ」と彼女は言った。それ以上は何も聞かなかった。


なつみはその会話を早く終わらせたくて、適当に「お酒を取りに行くね」と言って、その場を離れた。


3


会場には五十人くらいの同級生が集まっていた。なつみはその中を歩きながら、知ってる顔を探した。見覚えのある顔もあったが、名前が思い出せない人も多かった。


「松本さん」


声をかけられて、振り返った。


そこに立っていたのは、一人の女性だった。背が高くて、ショートカットの髪がよく似合っていた。顔は覚えていた。名前も覚えていた。


「佐藤……?」


「そう。佐藤彩。覚えてる?」


「覚えてるよ。高校の時、一緒に英語の授業を受けてた」


「そうそう!」と彩は笑った。「よく覚えてるね」


彩は高校の時、なつみと同じクラスだった。成績はいつもトップクラスで、英語も抜群にできた。東京外国語大学に進学したと聞いていた。


「元気にしてた?」と彩が聞いた。


「まあね。彩は?」


「うん、まあね」


彩の顔が、少しだけ曇ったように見えた。なつみはそれに気づいた。


「どうしたの?」


「いや、色々あってさ」


彩はそう言って、グラスを手に取った。中身はウーロン茶だった。


「仕事は?」となつみが聞いた。


「派遣。ずっと派遣。正社員になれなくてね」


「私も派遣だよ」


「そうなんだ」と彩は言った。「でも、松本は上智だったよね。英語もできたし、なんで派遣?」


「就職がなかったんだよ」


「私もだよ」と彩は言った。「東京外語出て、交換留学まで行ったのに。就職なんてなかった」


「交換留学?」


「モンゴル自治区。中国の。三年の時に、単位交換で行けるプログラムがあって、応募したら通ったんだ」


「モンゴルかあ、すごいね」


「すごくなかったよ」と彩は笑った。「ただの履歴書の一行だよ。それで就職できるわけじゃない」


4


彩はなつみの隣に座った。二人で飲み物を飲みながら、話を続けた。


「それでさ、派遣でずっとやってきたんだけど」と彩は言った。「つい最近、大きな手術をしたんだ」


「手術?」


「子宮筋腫。結構大きくなっちゃってて、手術したら取れたんだけど、その時に子宮も一緒に取ったんだよ」


なつみは言葉を失った。


「子宮全摘。もう子供は産めないんだ」


彩は笑った。笑いながら言った。


「もう子供も産めないし、結婚も無理だね」


「そんなこと……」


「いや、事実だよ。子供が産めない女が結婚できるわけないじゃん。それに派遣だし。年収も低いし。誰も相手にしてくれないよ」


彩はまだ笑っていた。なつみはその笑顔が、とても辛そうに見えた。


「彩……」


「別にいいんだよ。もう決まったことだし。そういうもんだって思ってる」


そういうもんだ。なつみがよく言う言葉だった。でも、彩の口から聞くと、なつみはその言葉が重く感じられた。


5


「そういえば」と彩が言った。「松本はマッチングアプリとかやってる?」


「やってるよ」


「どう? いい人いる?」


「いないよ。みんなゴーストするし、変な人ばっかり」


「だよね」と彩は笑った。「私もやってたけど、派遣って言った瞬間に連絡来なくなる人が多かった」


「わかる」


「三十代後半で派遣って、それだけで終わってるんだよね、世間的には」


なつみはその言葉に、心臓が少し痛んだ。


「でもさ」と彩が言った。「私たちが悪いわけじゃないよね。就活も頑張ったし、勉強もした。派遣だって、ちゃんと仕事してる。なのにどうしてこうなんだろうね」


なつみは答えられなかった。


「まあいいや」と彩は言った。「スコーンでも食べて忘れよう」


「それ、いいね」


「今度一緒に行かない?」


「行こう」


二人で笑った。


6


同窓会が終わって、なつみは家に帰った。


電車の中で、彩の言葉が頭の中をぐるぐる回っていた。


「もう子供も産めないし、結婚も無理だね」


彩は笑って言った。でも、あの笑顔は無理をしていた。なつみにはわかった。


彩は高校の時、将来の夢を語っていた。国際機関で働きたい、と。英語を使って、世界のどこかで。それが彼女の夢だった。


でも、夢は叶わなかった。派遣になって、子宮を取った。誰のせいでもない。ただ、そうなった。


なつみは窓の外を見た。電車の窓に映る自分の顔は、少し疲れていた。


7


家に帰って、なつみはベッドに横たわった。


スマホを開くと、マッチングアプリの通知が来ていた。新しいメッセージが届いている。誰からかはわからない。


なつみはその通知を開かなかった。代わりに、昔のことを思い出していた。


あの勤務医の言葉。


「三十五歳は小学生のママの年齢ですね」「三十五歳って高齢出産ですよね」


なつみはその時、何も感じなかった。でも今、彩の顔を思い出しながら、その言葉を反芻していた。


三十五歳。高齢出産。小学生のママ。


もし自分が子供を産めない体になったら、どう思うだろう。もし自分が彩のように、子宮を取ることになったら。


なつみは想像した。でも、想像できなかった。想像したくない、という方が正しかった。


8


翌日、なつみは彩にLINEを送った。


同窓会で交換したアドレスにメッセージを入れた。


なつみ「昨日はありがとう。また話そう」


彩「こちらこそ。また会おうね」


なつみ「今度なんか美味しいもの食べに行こう。

ゆっくり話せるから、アフタヌーンティーでいい?」


彩「うん。楽しみにしてる」


なつみはそのやり取りを見て、少しだけ安心した。


彩は元気そうだった。笑っていた。でも、あの笑顔の裏にあるものは、なつみにはわからなかった。


9


その夜、なつみは「ソフィアンガールズ会議室」に送った。


なつみ「同窓会で高校の同級生に会った。東京外語出て派遣で、子宮全摘したって」


みほ「え……大丈夫? その子」


なつみ「本人は『もう子供も産めないし結婚も無理だね』って笑ってたけど」


麻衣「それ、笑い事じゃないよ……」


なつみ「うん。でも笑ってた。そういうもんだって」


みほ「なつみの口癖じゃん」


なつみ「そうだね。でも、あの子が言う『そういうもんだ』は重かった」


麻衣「なつみも気をつけてよ。体調管理大事だよ」


なつみ「うん。ありがとう」


みほ「元気出して! 次のアフタヌーンティー、私がおごる!」


なつみ「え、いいの?」


みほ「いいよ! なつみが元気ならそれで」


なつみ「ありがとう。次の週末、行こう」


麻衣「行こう行こう!」


10


十月の半ば、なつみはみほと麻衣とアフタヌーンティーに行った。


場所は京王プラザホテルだった。窓の外は秋の日差しが差し込んでいて、暖かかった。


「その友達、その後どうなの?」とみほが聞いた。


「また会う約束した。アフタヌーンティー一緒に行くって」


「それは良かった。友達がいるのは大事だよ」


「うん」


なつみはローストビーフのサンドイッチを食べながら、彩のことを考えた。


彩は笑っていた。でも、あの笑顔は何かを隠していた。なつみにはそれがわかった。でも、それを無理に引き出そうとは思わなかった。彩が話したい時に話せばいい。


「なつみ」と麻衣が言った。「あなたはどうしたいの?」


「どうしたいって?」


「結婚とか、子供とか」


なつみは少し考えた。


「わかんない」


「わかんない?」


「そう。わかんない。結婚したいかどうかもわかんないし、子供が欲しいかどうかもわかんない。ただ、選択肢がないって言われるのは嫌だなって思うだけ」


みほがうなずいた。「それ、わかる」


「自分で選びたいんだよ。できないからしょうがない、じゃなくて、自分で選んだって言いたい」


「でも、現実はそうじゃないよね」と麻衣が言った。


「うん」となつみは言った。「現実はそうじゃない」


11


彩とアフタヌーンティーに行ったのは、十月の終わりだった。


場所は彩が選んだ、代官山のカフェだった。落ち着いた雰囲気で、スコーンも美味しかった。


「彩、仕事はどうなの?」となつみが聞いた。


「今の派遣先は悪くないよ。でも、いつ切られてもおかしくないけど」


「派遣はそうだよね」


「松本は?」


「六本木の外資系。英語使ってる」


「そうなんだ。いい職場に巡り合えるのは大事だよね」


「うん」


二人でスコーンを食べた。彩はスコーンにクロテッドクリームをたっぷり塗って、美味しそうに食べた。


「彩はさ」となつみが言った。「これからどうしたいの?」


彩は少し考えた。


「わかんない。どうしたいって選べる立場じゃないでしょう。学生時代は選べる側だと思ってたけどね。でも、とりあえずは派遣続けるよ。仕事はちゃんとやってるし。それでいいっていうか、他に何かあるまでそれしかないと思ってる」


「それでいいんだね」


「うん。例えば今から医学部行って医師国家試験通っても、この歳だと勤務医になるのが大変で、やっぱり派遣しかなさそうじゃん。だからそれでいいんだよ。よくないけど」


彩は笑った。今度の笑顔は、前より少しだけ自然に見えた。


12


十一月になった。


なつみは派遣先で、相変わらず仕事を続けていた。英語のメール対応も慣れたものだった。新しい上司も悪い人ではなかった。


でも、何かが変わった気がした。


彩と会ってから、なつみの心の中に、小さな変化があった。自分には選択肢があるのか、ということを、考えるようになった。


選択肢。


なつみはそれを考えた。


結婚するかしないか。子供を産むか産まないか。正社員になるか派遣のままか。


全部、自分で選べると思っていた。でも、現実は違う。選べないこともある。選べたとしても、結果がどうなるかはわからない。


それでも、なつみは思った。


選べないことを嘆くより、選べることを選びたい。


13


十一月の半ば、さやかがインスタを更新した。


写真は新生児だった。小さな手が、大きく開いていた。キャプションには「Welcome to the world」と書いてあった。


なつみはその写真を見て、何かを感じた。


おめでとう。心の中でそう言った。


「おめでとう」とコメントを書いた。


さやかからすぐに「ありがとう」が返ってきた。


14


その夜、なつみは彩にLINEを送った。


なつみ「今日も元気?」


彩「元気だよ。スコーン食べたから」


なつみ「それだよね」


彩「そういうもんだよ」


なつみはそのメッセージを見て、笑った。


そういうもんだよ。彩もそう言えるようになった。それでいい、となつみは思った。


15


十一月の終わり、なつみは派遣会社から連絡を受けた。


田中さんからだった。


「松本さん、お疲れ様です。来年の契約についてですが、先方から引き続き同じポジションでお願いしたいとのことです」


「ありがとうございます」


「それと、松本さん、一つお知らせがあります」


「何ですか?」


「先方から、松本さんのことを正社員として登用したいという話が出ています」


なつみは言葉を失った。


「正社員?」


「はい。まだ正式な決定ではありませんが、先方の評価が非常に高いようです」


「……わかりました」


「詳細はまた改めてご連絡します」


電話が切れた。


なつみはスマホを握りしめて、しばらく動けなかった。


正社員。


派遣から正社員。それは、なつみがずっと諦めていたものだった。


でも、今、その話が来ている。


なつみは窓の外を見た。十一月の空は、少しだけ冬の気配を帯びていた。


「ソフィアンガールズ会議室」に送った。


なつみ「派遣先から正社員の話が来た」


みほ「え!!!」


麻衣「マジで!!?」


なつみ「まだ正式じゃないけど、先方から話が出てるらしい」


みほ「やったじゃん!!!」


麻衣「おめでとう!!!」


なつみ「まだ決まったわけじゃないけど」


みほ「でも、話が出ただけですごいよ!」


麻衣「そうだよ! なつみが頑張ったからだよ!」


なつみはそのメッセージを見て、何かを感じた。


頑張ったから。そうかもしれない。でも、そうじゃないと思う。企業ってそんな論理で動いていない。正社員で雇う方がメリットがある、それだけだと思う。


ただ、選択肢が増えた。ちょっと安堵感がある。それだけのことだ。


16


十二月になった。


正社員の話は、まだ正式には決まっていなかった。でも、なつみはその話を待っていた。待てるようになった。派遣の時は、待てなかった。いつ切られてもおかしくなかったから。


今は違う。自分には選択肢がある。そう思えるだけで、なつみの気持ちは少し軽くなった。


クリスマスが近づくと、街はイルミネーションで彩られた。なつみはその光を見ながら、駅を歩いた。


今年は、一人だった。でも、一人でいいと思えた。


17


十二月二十四日、クリスマスイブ。


なつみはみほと麻衣と、渋谷のイタリアンに行った。三人で白ワインを飲んで、胡桃と松の実のパスタを食べて、話をした。


「正社員の話、どうなった?」とみほが聞いた。


「まだ正式じゃないけど、来年からって話が出てる」


「やったじゃん!」


「まだ決まってないよ」


「でも、決まりそうなんでしょ?」


「うん、まあ」


なつみはワインを一口飲んだ。白ワインは冷たくて、喉に心地よかった。


「なつみ」と麻衣が言った。「もし正社員になったら、何がしたい?」


なつみは少し考えた。


「とりあえず、派遣の時よりは安定するよね。突然切られるリスクは減る。収入は...減るかもねえ」


「他には?」


「わかんない。でも、選択肢が増えるのはいいことだと思う」


麻衣はうなずいた。「そうだね。選択肢が増えるのはいいことだ」


18


クリスマスが終わって、なつみは派遣先で仕事を続けた。


正社員の話は、年明けに正式に決まるらしかった。なつみはそれを待っていた。


でも、何かが変わったわけじゃなかった。


仕事は相変わらずだった。英語のメールを書いて、庶務をこなして、帰る。それが毎日だった。


それでいい、となつみは思った。


19


大晦日、なつみは実家に帰った。


母が煮物を作っていた。父はテレビを見ていた。弟は嫁と子供を連れて来ていた。姪はもう四歳になっていた。


「なつみ、仕事どうなの」と母が聞いた。


「来年から正社員になるかもしれない」


母は手を止めた。


「正社員?」


「うん。まだ決まってないけど」


母は何も言わなかった。でも、その顔は少しだけ明るくなっていた。


「頑張ったね」と母は言った。


なつみは「うん」と言った。


それだけだった。


20


正月の三が日が終わって、なつみは東京に戻った。


一月四日、派遣会社から連絡が来た。


「松本さん、お疲れ様です。正社員登用の件ですが、正式に決定しました。四月から正社員として勤務開始です」


なつみは「ありがとうございます」と言った。


それだけだった。


電話を切って、なつみは窓の外を見た。一月の空は、冬の青さがあった。


正社員。


それが何かを変えるのかどうかは、わからない。でも、選択肢が増えた。それだけのことだ。


なつみはスマホを開いて、「ソフィアンガールズ会議室」に送った。


なつみ「決まった。正社員」


みほ「おめでとう!!!!!」


麻衣「やったー!!!!!」


なつみ「ありがとう」


みほ「スコーン食べてお祝いしよう!」


なつみ「する!」


麻衣「どこにする?」


なつみ「任せる」


みほ「よし、探す!!」


なつみは笑った。


選択肢が増えた。それだけで、世界は少しだけ広がった気がした。


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