第10話「堕ちたもん同士」
1
小学校の同窓会の案内が来たのは、七月の初めだった。
「小学校組で集まろうって話になって」と、幹事役の女性からLINEが来た。なつみの連絡先を誰かが知っていて、そこから回ってきたらしい。
学園全体の同窓会とは、雰囲気が違った。中学、高校からの同窓会は、なつみにとって「知り合い」の集まりだった。でも小学校組は違う。幼稚園の頃から一緒にいた子たちだった。親同士も知り合いだった子もいる。もっと近い距離の集まりだった。
卒業してから、一度も集まったことがなかった。今回が、初めてだった。
なつみは少し迷った。
みんな、いいところに嫁いで、いい暮らしをしているんだろうな、という予感があった。それを見せつけられるのは、正直、気が重かった。
でも、と思い直した。
幼稚園から、塾から、ずっと一緒だった友達の顔を見たい気持ちの方が、少しだけ勝った。
なつみは「参加します」と返信した。
2
同窓会は、麻布のレストランの個室だった。
集まったのは十五人ほどだった。なつみは会場に入って、懐かしい顔をいくつも見つけた。名前がすぐに出てくる子もいれば、顔は覚えているのに名前が出てこない子もいた。
「なつみちゃん、久しぶり!」
声をかけてきたのは、幹事の女性だった。なつみと同じ幼稚園から一緒だった子だった。
「久しぶり。元気だった?」
「元気元気! なつみちゃん、今何してるの?」
「派遣。今はちょっとお休み中」
「そうなんだ」と彼女は言った。それ以上は聞かなかった。
なつみは会場を見渡した。みんな、いい服を着ていた。ブランドもののバッグを持っている子もいた。子供の話をしている子が多かった。
そんな中で、なつみは一人の女性に目を留めた。
3
上原千香子だった。
小学校の頃、おとなしくて、目立たない生徒だった。授業中に手を挙げることもほとんどなかった。休み時間は、いつも決まった数人の友達とだけ静かに過ごしていた。
進学先は、なんとなく覚えていた。医学部や一流大学を目指す子が多い学年の中で、千香子は最初から併設の女子大に持ち上がり希望で、児童文化学科に進んでいた。それほど偏差値の高い学科じゃなかったことも、なんとなく覚えていた。
なつみは、千香子はきっと幼稚園の教諭にでもなって、すぐに結婚して、専業主婦になっているんだろうと思っていた。そういうタイプに見えたから。
「千香子ちゃん、久しぶり」となつみは声をかけた。
「なつみちゃん」と千香子は微笑んだ。「久しぶりだね」
昔と変わらない、おっとりした話し方だった。
4
「千香子ちゃん、今何してるの」となつみは聞いた。
「生保会社にいるの」と千香子は言った。「営業部長やってて」
なつみは、一瞬、聞き間違えたかと思った。
「営業部長?」
「うん」と千香子は、恥ずかしそうに笑った。「大手の生保会社。父の紹介で入って、そのままずっと」
「お父様が」
「うん、父が銀行の渋谷支店長やってて。生保の役員と知り合いだったから、それで」
なつみは、その言葉を、頭の中で反芻した。
父の紹介で入社。それから、エスカレーター式に部長になった。
5
「学生の頃、全然興味なかったんだよね、就職とか」と千香子は続けた。「パパのコネで腰掛けで入って、とっとと辞めて、子供を三人くらい産んで専業主婦になるつもりだったの」
「そうだったんだ」
「でも、結局辞めるタイミング逃しちゃって」と千香子は笑った。「気づいたら部長になってた。人生ってわからないね」
なつみは、その笑顔を見ながら、複雑な気持ちになった。
千香子の話し方も、雰囲気も、生保の営業部長には全く見えなかった。今でも幼稚園の先生みたいな、おっとりした喋り方だった。それなのに、部長という肩書きを持っていた。
「結婚は?」となつみは聞いた。
「職場結婚したの」と千香子は言った。「東大出の幹部候補の人と。今は共働きで、子供は作らないことにしてる」
「そうなんだ」
「専業主婦になるつもりだったのに、逆になっちゃった」と千香子は、また笑った。
6
家に帰る電車の中で、なつみは千香子との会話を、何度も思い返していた。
悔しい、という感情が、なつみの中にあった。
上智の英語学科、フランス語の弁論大会で三位。なつみはそれを積み上げてきた。でも、その努力は、千香子の「父が銀行の渋谷支店長」という一言に、簡単に負けた。
学歴より、資格より、縁故が強い。
なつみはふと、上智が「就職の上智」と呼ばれていたことを思い出した。学生の頃、それを聞いて、なつみも上智に来れば就職に強いんだと、なんとなく信じていた。
でも、と今は思う。
上智がいいところに就職に強いんじゃなくて、そういう就職ができる家庭の子が、そもそも上智に来ているだけだった。父親にコネがある子、家柄がしっかりしている子。そういう子たちが集まっているから、就職実績が良く見えるだけだった。
なつみの家は、普通の会社員の家だった。コネはなかった。あるのは、なつみ自身の努力だけだった。
その努力が、この社会では、思ったほど強くなかった。
7
「ソフィアンガールズ会議室」に送った。
なつみ「小学校の同窓会行ってきた」
みほ「どうだった?」
なつみ「同級生の千香子ちゃん、生保の営業部長になってた」
麻衣「え、すごいじゃん」
なつみ「お父さんのコネで入社して、そのままエスカレーター式に部長」
みほ「あー、そういうやつか」
なつみ「本人は昔から目立たない子で、幼稚園の先生になって専業主婦になると思ってた」
麻衣「人生わからないもんだね」
なつみ「悔しいけど、学歴とか資格とか、縁故の前だと弱いんだなって思った」
みほ「それは、なつみのせいじゃないよ」
なつみ「わかってるけど、ちょっと凹んだ」
麻衣「凹んでいいよ、そういう時は」
なつみ「うん。ちょっと凹む」
8
その週末、なつみはマッチングアプリで知り合った男性と会うことになっていた。
数回メッセージのやり取りをした、四十二歳の勤務医だった。プロフィールには、湘南高校出身、国立大学医学部卒、と書いてあった。
待ち合わせ場所は、恵比寿のバーだった。フォアグラの人と同じ街だったことに、なつみは少しだけ苦笑した。
彼は、写真通りの穏やかそうな男性だった。話し方も丁寧で、なつみの話をちゃんと聞いてくれた。
会話は、思ったより弾んだ。
「先週、同窓会があって」となつみは、なんとなく千香子の話をした。「同級生が、お父さんのコネで生保会社に入って、部長になってたんです」
彼は、その話を聞いて、急に真顔になった。
9
「すごくわかります」と彼は言った。
「わかります?」
「僕、田舎の公立中学だったんですけど」と彼は話し始めた。「クラスの中でも、正直、出来が悪い方だった奴がいたんですよ。九九もろくに言えなかった。そいつが、私立の高校行って、親父さんの貿易会社を継いで」
「そうなんですね」
「クラスのマドンナだった、可愛い女子と結婚したんです。しかも、夫婦それぞれ月給二百五十万って、風の噂で聞いて」
なつみは、なんと返せばいいかわからず、「へえ」とだけ言った。
「僕は、成績トップで、湘南高校から国立の医学部行ったんですよ」と彼は続けた。「それなのに、今の病院の年収、六百万くらいなんです」
「そうなんですか」
「でも」と彼は少し笑った。「世の中って、そういうものなんですよね」
10
「ま」と彼は言った。「せいぜい、堕ちたもん同士で仲良くしましょうよ」
その瞬間、なつみの中で、何かが止まった。
堕ちたもん同士。
彼は笑いながら言った。悪気があるようには見えなかった。むしろ、共感を込めたつもりの言葉だったんだと思う。同じような悔しさを味わった者同士、仲良くしましょう、という意味だったんだろう。
でも、なつみの中に、その言葉が、ゆっくりと沈んでいった。
途中まで、この人となら付き合ってもいいかもしれない、と思いかけていた。話も合うし、真面目そうだし、なつみの話をちゃんと聞いてくれる。悪くない相手だと思っていた。
でも、堕ちたもん同士、という言葉が、ずっと引っかかっていた。
11
本当は、そうかもしれない。
なつみも、彼も、それぞれの物差しで測れば、思っていた場所にはたどり着けなかった。それは、事実かもしれない。
でも、と、なつみは思った。
それでも、夢を見させてほしかった。
堕ちたもん同士じゃなくて、素敵ななつみさんと付き合う、素敵な男性でいてほしかった。誕生日には花束が欲しいし、ディナーに連れて行ってほしい。素敵な女性として、接してほしい。
こいつは堕ちたもんだ、という目で見られたくなかった。
一度、そういう目で見られたら、その関係はずっとそのままだろう。何をしても、「堕ちたもん同士だから」という前提の上でしか、二人の関係は成り立たなくなる。
なつみは、それを我慢できるかどうか、少し考えた。
考えたけれど、我慢したくないと思った。
12
「すみません」となつみは言った。「ちょっと、体調があまり良くなくて、今日は早めに失礼していいですか」
彼は少し驚いた顔をしたが、「わかりました、お大事に」と言った。
会計は割り勘だった。なつみは特に何も感じなかった。
店を出て、なつみはスマホを取り出した。
「ソフィアンガールズ会議室」に送った。
なつみ「今日の人、断ることにした」
みほ「え、良さそうだったのに、何かあった?」
なつみ「『堕ちたもん同士で仲良くしましょう』って言われた」
麻衣「は???」
みほ「それ、なんの話?」
なつみ「千香子ちゃんの話したら、自分も似たような話して、最後にそう言われた」
麻衣「それは無理だわ」
みほ「なつみ、それでいいと思う」
なつみ「うん。本当はそうかもしれないけど、それでも夢見させてほしいじゃん」
麻衣「わかる。堕ちたもん同士じゃなくて、素敵な人として見てほしいよね」
みほ「なつみ、花束とディナー、堕ちてない人からもらお」
なつみ「もらう」
麻衣「絶対もらお」
なつみ「フォアグラの人よりはマシだったけど、結局似たような感じだった」
みほ「男の人って、なんでそういうこと言っちゃうんだろうね」
なつみ「わかんない。悪気ないんだろうけど」
麻衣「悪気なくても、ダメなものはダメだよね」
なつみ「そうだね」
13
家に帰って、なつみはベッドに横になった。
千香子のことを、また思い出した。
コネで入社して、部長になった千香子。でも、千香子自身は、それを誇っているようには見えなかった。むしろ、少し戸惑っているようだった。人生ってわからないね、という言葉には、皮肉でも自慢でもない、素直な驚きがあった。
千香子も、なつみも、それぞれ違う場所で、思っていたのと違う人生を歩いている。
でも、その中で、どう見られたいかは、なつみ自身が選べることだった。
堕ちたもん同士、という言葉で片付けられることを、なつみは選ばなかった。それだけは、なつみが自分で決めたことだった。
なつみは目を閉じた。
明日は、何も予定のない、普通の一日だった。キッシュでも焼いて、ストロベリールイボスティーを淹れて、リルケを原書で読んで。素敵な一日を過ごそう。そう思った。




