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44.初齢の運命

私が溶かされるか、包含属が発動するか。

どちらも最悪でしかない。


──『構造支配』。

強硬手段だ。できる限りルレウを傷つけないようにやろう。


(早く!溶けちゃう!)


糸に巻かれた私は、四肢の隅々まで完全に固定され、振り向くことすら叶わない。

そして、背中から感じる体温は、ルレウのものだった。


膨らんだり萎んだりする呼吸の感触が背中に伝わる。

その感触は徐々に崩れ、代わりに湿った感覚が伝わってきた。


時間がない。


まずは姉セティを逃がすために、構造を綴った。

それは改変というより、除去。

自分の前頭部表面から外へ向けて、密度の低い紋で姉セティを吸い出す。


ブチブチィ


頭に痛みが走る。

私の髪も、何本かは引っ張られて抜けたようだった。


「逃げないで。行かないで…」


ルレウがまた糸を吹き出す。

しかし、先ほどの量はなく紋で開けた穴はふさがらなかった。


きっと、溶け始めている。


……繭を傷つけずに外に出るのは難しい。

溶けたルレウは、繭を壊されて死ぬかもしれない。

やらなければ、私の包含に食われて死ぬかもしれない。

くそ。なぜもっと早く気づけなかった…。


背中が熱くなっていく。

あの、ケースに閉じ込められて落とされた記憶が蘇る。

その鮮明さを増すほど、震えが止まらなくなった。


あそこへは、もう行きたくない。

……もう、どこへも行けないのかもしれない。


いやだ。


いやだよ…


一度死んだはずなのに、死がもっと怖い。



無意識。いや無意識と思い込みたかった。

私はルレウとの境を作るように、紋で薄い膜を描いていた。


それは、全てを分断する一枚の壁だった。

背中に侵食しかけていたルレウを完全に隔てるための。


それは私の後頭部にもたれかかっていたルレウの顔を、すれすれで押しのける。

そのまま垂直に下へ伸び、抱擁するルレウの両腕を分断して、私の背中を削りとった。


切断されたルレウの両腕はこちら側で溶けだすと、じんわりと私の身体を伝って下りていった。

下の方には、最初に溶けだしたと思われるルレウの一部が、少し溜まっている。


身体は、紋の反動で上手く動かせない。

溶けたルレウの一部を向こう側に返すことは、難しかった。


不意に、削られた私の背中から、黒い触手が伸びる。

それは溶けた組織を感知するように私の全身を這っていく。

触手は組織が付着した部分に重なると、それを吸い取っていった。


…じわりと、捕食を喜ぶあの感覚が走る。


私は、最悪だ。


心がヘドロに沈んでいく。

気だるさの中、デュナミスを使って繭を構成する糸を操作していた。

ただ、何かに集中したかった。

頑丈だった繭は、一本ずつならば徐々にほどけていく。


え…?

何本かの糸をほどいた時、急に糸は、チリチリと縮れだした。


目を疑った。

しかし、それはまた再現してしまう。

引斥で糸をほぐす時、強く摘まむようにすると、小さな煙が出たのだ。


……こんなデュナミス使えなかった。

考えたくなくても、現実は頭にこびれつき、次の思考を巡らせるよう強いてくる。


いま私は、ルレウの両腕を切断して、デュナミスを取り込んだ。


嗚咽が止まらない。

私は、こんな身近な人にさえ紋改変を使い、捕食する悦びを感じてしまった。

…守られるべき者が守られる世界は、あんなにも遠い。



しばらくすると、自分の泣き声の代わりに、背後から小さく聞こえた。


(……ごめんね。

 ……ごめんね)


そのルレウの声は、胸を刺すようだった。


目を開くと明るい視界が広がり、こわれかけの繭は、涙で滲んで見えた。

うつむいていた私は、何とか立って後ろに振り返ろうとした。


白い糸まみれの中、ルレウに身体を向ける。

そこには隙間があった。

私の形成した壁と繭の境目の少し欠けた隙間。そこからルレウの一部が見えた。


「ルレ…ウ…」


声を絞り出す。

…泣いている場合じゃない。


紋で観察すると、ルレウの輪郭がぼやけながら中で動いている。

生体としての流れもそこには存在する。


体温は…


恐る恐る、繭に触れる。

すると、少しあたたかい感触が伝わる。


(アテラ、ごめんね…)


声が聞こえて来た。

ルレウが干渉で話してきている。


(アテラの一部…

 本当に女の子だったなんて……)


(ぼくの方こそ、腕を…ごめんなさい…)


(それは治るから気にしないで。

 あの私、アテラが欲しくて…

 弟が戻ってきたみたいで)


(弟が、戻った?)


(…)


返事は来ない。

腕が治る。その言葉だけで随分救われた。

周囲を見ると、紫の玉も無事そうだ。


…ここまでしてきた理由を、明らかにしなければならない。


(ルレウ。理由を教えてくれませんか)


(それ言ったら、アテラ……もっと嫌いになるから……)


(聞いてから決めます。言わなければ、ぼく達の関係は終わるしかないです)


ルレウは黙った。

答えが来るまで、私は繭に触れ続ける。


削がれた背中が焼けるように痛い。

それでも、山羊や孔雀の混じった痛みがない部分の気味の悪さに比べたらましだった。

その痛みに浸っていると、ルレウの干渉から、まとまった感情がイメージを伴って私に流れ込んできた。



最初の感情は、『煩わしい』。

今より小さなルレウ、そしてそこにくっつく同じ虫族の小さな男の子。

年の離れた弟のようだ。物心がつく頃には、いつもルレウの側にいた。


感情は、変容した。

外では避けられているルレウは、弟から依存されることで満たされはじめた。

弟が五歳くらいの時、その気持ちがさらに強く波打つ。

ルレウ達の両親が、消えた。


弟には生きる力があった。

引斥の熱デュナミスを覚えてきて、食べられる野草や昆虫を採ってきて料理しだす。

「おねえちゃん安心して、ぼくがいるから」


弟は嬉しそうな顔をしていた。


しばらくして、ルレウの震える姿が飛び込んでくる。

そして強い恐怖の感情。

それは、寒波とともにやってきた。


ルレウ達は、ボロ小屋の中で繭を作り、一緒に冬眠していた。

そこで、静かに凍え死ぬ悪夢を見た。

毎冬増大する恐怖に耐えられず、二人は冬眠しない越冬を画策した。


食料を溜め込んで、熱デュナミスで冬を越す。

それは、途中まではうまくいっていたが、残酷な冬は、経験を超える寒さになって二人を襲った。


デュナミスが、追いついていない。

焦りの中、二人は急いで冬眠に入った。


…。

その繭の中には、越冬用の食べ物が残っていた。

キノコがそこから、二人に根を伸ばす。


冬が明ける前、弟がルレウを起こしてきた。

その時には、二人とも身体の大半をキノコに寄生されていた。


絶望。死の覚悟。

ルレウは、最期を受け入れようとしていた。


「虫族が寄生キノコに侵された時、蛹のプロセスで菌を分離できるんだ」


そう言った弟と、手を繋いだまま蛹になった。

蛹の中で、二人の身体の境界が崩れ、混ざり合っていく。


弟の干渉が語ってくる。

「お姉ちゃん安心して、ぼくがいる」


しかし、死の恐怖は和らぐことはなかった。

ルレウは喜ぶふりだけ。

…溶けた彼女は殆ど、寄生キノコで壊死していた。


その中で、弟の熱デュナミスは菌を全て焼き殺していく。


「これでずっと一緒だよ。おねえちゃん…」

その言葉と共に、弟は自身の中心部分まで自己破壊した。

弟の残った組織が行き場を失い、ルレウの方へ流れていく。

ルレウの壊死していた部分は、置き換わっていった。


悲しみと後悔が、巨大な渦になる。


先に目覚めた弟は、全部知っていたのだろう。

壊死した分が補完されたルレウは生き残った。

いくら泣き叫んでも、呼びかけても、返事は返ってこない。

ずっと一緒のはずなのに。


そして僅かな希望が落ちてくる。

デュナメイオンで、私を抱き上げたときだった。

そこで昔の弟と私が、重なって見えていた。


──やっと会えたね。




ルレウが私に執着したのは、男の子だからじゃない。弟を取り戻したかったんだ。


あのような言動も、少し理解できた気がした。

同情したい気持ちもある。

けれど、代わりとして見られていたのは事実だろう。


(意識を保ちながら一緒になれるならって…)


(ぼくは、ルレウの弟になる気はありません)


冷たいかもしれない。

ルレウに、そう伝えた。


(うん……)


ルレウは、小さく返してきた。


そもそもルレウがやったことは、弟の存在を上書くってことじゃないのか。

ルレウの心を串刺しにするみたいな言葉が浮かんだ。

けれど、言えなかった。


(でもなぜ、今になって融合を?)


(…ごめんなさい。あの、少し、読んじゃった。

 ノアテラさんからの手紙を)


そうか、やはりルレウが持っていた。

でも手紙が融合とどう関係があるのか。


(何て書いてあったの?)


(生きたければ戦っちゃだめ。

 強いデュナミスを持つ者は、中齢、終齢に潜む仕組まれた存在に奪われる。

 ノアテラさんは、スピリエさんがいたから助かった。って)


そんな…

仕組まれた存在。それこそ、デュナミスを奪うナズナの件の黒幕であるように聞こえた。


驚くべきことに、ノアテラの初齢は、遥か昔の話なのだ。

どうして今もそうだと言える?

しかも、スピリエがそれに抗った?

…手紙も気になる。


(ルレウ、手紙はどこにありますか?)


(私の服のポケットに。クローゼットだよ)


ドンドン!


部屋の扉が叩かれる音がした。

誰か、入ろうとしている。


ルレウ。奪われたくなくて、融合しようとしたのなら全くの見当外れだ。

けれどそれを上手に説明する時間はない。


(融合の件は、まだ許していません。

 ルレウは、いつまで繭の中にいなきゃならないのですか?)


(二日は戻れない。もし私のことを恨んでいるなら、このままここで…)


(何言ってるの。無事にもとに戻らないと許しません)


そう伝えて、立ち上がる。

紫の玉を拾い、急いで頭にそれを結ぶ。


(忘れてるかと思ったぁ)


姉セティのいつもの調子にほっとする。

続けてクローゼットを開けて、ポケットを探す。手紙はすぐに見つかった。


ドンドンドン!


そうこうしている間も、扉を叩く音は激しさを増す。


溶かそうとした事実を知られたら、ルレウを運営に委ねることになりかねない。

…この状況は、他人に見られちゃいけない。


(ルレウ、治ったら中齢に来てください。

 今度はちゃんと話しましょう)


私はルレウに触れて、そう一言伝えた。


全て許しあって仲良くしようという訳じゃない。

けれど、ルレウを理解して前に進まなきゃならないと思った。


強く叩かれる扉から、何か聞こえる。


「…なら、ぶっ壊す!」


それは悲鳴のような、怒号のようだった。

断片でもわかる。この張った声は、メイだ。


急いで取っ手に触れた時、ドアは破壊された。

メイは、勢いよく飛びこんでくる。


そして、押し倒される形でメイの下敷きになった。

メイの表情は、初めて見た時と同じ、怒りに満ちた顔つきをしていた。

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