35.誤嚥
セティの背中は、デュナミスを受容する入り口だった。
セティが怪力を発揮する度、背中から首元へ流れていたデュナミス。
あいつは恐らく、分析の過程で受容口に気づいたのだ。
そして、強引に黒い拒絶体を押し込むようにして侵入を果たした。
「すごい。一瞬で処理が終わる。
素晴らしいハード。これなら元の性能を取り戻す日も近い」
セティが発したことのない喋り方。
黒い構造が、体のところどころを移動する。
「こんなすごいもの、なぜ早く気づかなかったんだろう…!
ほんっっと最高。
何万人もの脳に匹敵するじゃない。
今すぐ自己複製だって…」
私は、無意識だった。
黒い影に焦点を定めていた。
その影が全身を往来して、中枢を抜けたその瞬間。
『構造支配』
そこへ紋を、食い込ませた。
溢れ出す破壊衝動のままに。
瞬間、セティの左脚から左脇腹にかけて、黒い影ごと消えた。
それが一撃の限界範囲だった。
影は破壊前の三分の一ほどになりながら残った。
残った影は、セティの身体を動き回り、二つに分かれる。
半分は、元いた孔雀羽の女の身体に移った。
逃げるな。まずはお前を仕留めてやる。
奴が孔雀女の右手から、頭部へ戻ろうとしたとき、
破壊の紋を再度刻む。
それは、座していた孔雀女の右肩とともにあいつを破壊した。
全身に激痛が走る。
孔雀女の右腕がちぎれ落ち、身体が倒れると、周囲の寄生軍も全員、その場に倒れた。
同時に、寄生軍に憑依した黒い影は、薄く霧散した。
少なくとも、拒絶体そのものは消えたようだった。
前回、山羊の意思決定AIを倒してトカゲ族が戻ったのも、恐らくこれだろう。
そして多分、分裂憑依させた僅かな拒絶体は、それを維持するために一定量の本体が必要なのだ。
つまり今、一定量を下回った。
「くそ……君があの時の『幸福』…
くそっ……」
セティの身体は腹ばいになり、こちらへ顔を向けた。
中の影は小さい。
「セティ!おきて!セティ!」
だめだ。あいつが中枢から離れない。
どうにかしてあれを…
「そうだ。
君。この子を、助けたいでしょ…?」
セティは、黒く濁った目でそう語りかけてくる。
「セティを解放しろ。
どちらにせよ、お前は殺す」
身体が熱く、胸が張り裂けそうだった。
大事な友達を汚した本人が何を言う。
このどす黒い思考体が。
「ううん、君は助けるはずだよ。私を生かしてでも。君自身が犠牲になってでも」
……寝言かな。
そうあってほしいと言葉に出すだけで、それが叶うかのように。
まるで人間の真似…
あぁ、そうか。
見せてやればいいのか。
こいつの見たい現実を。
「奪ってみろ。ぼくは、犠牲になってでもおまえを殺す」
「やってみなよ。ほらこっち…」
セティの身体をした意思決定AIが、仰向けになり両手を広げた。
内部の黒い拒絶体は、中枢に居座ったまま。
右足、左足と、私はゆっくり踏み出す。
思惑を気取られないように。怯えを隠すように睨みながら。
かがんで、セティに覆いかぶさった。
顔が、近くなる。
両手で支えて調節する距離感。
…抱き締められる距離だ。
こいつが私に侵入すれば、セティはセティに戻れる。
グシュッ
あ。れ…。
鈍い音。
セティの持つ孔雀女の右手が、私の胸を貫いた。
ドクッ、ドクッ、ドクッ…
血が滴り、セティを汚す。
「さぁ、食ってみなよ。大事な大事なセティちゃんを」
ググ…
続いてセティの手が、私の中に入ってくる。
セティを、食う。
体内深くまで刺さった孔雀とセティの手に、私の身体が反応しだす。
私を乗っ取るのではなく…
まって。
喰らいたくない。
挿し込まれた手を、私から出る黒い触手が包んだ。
全身の激痛と、血が抜けていくような感覚に、体が言うことを聞かない。
セティの手を抜かないと。
手は、私の中でグリグリとねじられる。
支えていた腕の力は抜け、身体が、セティと重なる。
やめて。やだ…
「おーすごいすごい。こうやって食らうんだね。
もっと食べて、ね」
ズズッ…
「ぐっ」
さらに、セティの手が奥にねじ込まれる。
痛むほどに包含が感応していく。
ゴゴゴッゴゴゴッ。
金属を砕く鈍い音。
「セティちゃんおいしいかなぁ?
じゃあこの中枢も、いってみよっかあ」
「ごぼっ…だめ…やめて…」
意思決定AIはセティの身体を押し込み、ついには頭部まで私の腹へ沈めてきた。
「止まれ…止ま…」
身体にも、心にも念じる。
どれだけ強く思っても、それは止まらない。
いっそ紋で、私自身を。
でもそれじゃセティはあいつに…
「さぁどうなる?私が勝つか。君が勝つか…
フフフフ…」
バリバリゴリッ
ゴリゴリゴリ…
体内で飲まれていく。
黒い影も、セティも…。
捕食を喜ぶような、意思とは無関係の快感が身体に走る。
それが何より屈辱だった。
私は目を凝らしてセティを示す紋を描き移すことを試みる。
何が人格で、何が記憶なのか分からない。だから全部だ。見えるものを、一つ残らず。
痛みと、焦りで思考が散る。
自分がどうなっているかも整理できず、とにかくそこにある形を真似る。
セティ…
この子は、守られるべき存在なんだ。
しかしそれは、音もなく起きた。
私だった右半身の構造は崩壊し、別の構造が生み出される。
紋は、進まなくなった。
間に合わ…ない…
黒い影は完全に消え、
セティだった構造も砕かれる。小さく、小さく。
その僅かな欠片だけが、私の中で漂った。
終わった。
…。
(おいアトリ。『包含返し』の結果どうなった?)
(…応答なし。死んだか)
声がする。声のパターンは孔雀のじゃない。
アトリが死んだと言った。
この時点で応答を失ったのなら、孔雀の意思決定AIだけ。ということは…
(ん?今、何か言ったか?)
不意に念話が通じたかのように、声は返ってくる。
そうだ。アトリは私が食ってやった。
食ってしまった。
…セティまで。
嗚咽がこみ上げる。
なんでこんなことに。私がセティを守らなきゃいけなかったのに。
この身体で。
私が、セティを食べた。
(あのオートマトンをセティと呼ぶということは、貴様が巨悪。幸福の少女だな。
我々をズタズタに分解するだけでは飽き足らず、ジャマダに続き、アトリも)
うそ…
私の声が、とどいている…の?
そして、前世さえ知っている。
アトリが逐次、干渉属で伝えていたというのか。
試しに、聞いてみるしかない。
…お前は何者だ?
(我が名はヤパ。人類を超越するという使命にかけて、必ず貴様を滅ぼそう。必ずだ)
ヤパ。
ならば今、早くこればいい。お前も消し去ってやる。
(ハッ、我々にとって最悪の天敵に、どうして正面からいくと思ったのか。
次に会う時まで、その下劣な性質をなんとかしておけ。この卑怯者が。)
胸内にセティの欠片を感じながら、
その煽り文句は、遥か遠く、他人のことのようだった。
私の身体の下にあったセティは消滅していた。
代わりにコードの右足と、孔雀のような色味の右腕が生えていた。
しかし、心は重く、胸は押しつぶされそうだった。
セティ…セティ…
右足をなでた。
山羊の手のように勝手に動いて、それで何か喋ってくれたら、どんなに救われるだろう。
セティ、私が、殺しちゃった…。
涙は身体中の水をポンプのように吸い上げてぼろぼろと流れ続けた。
それが土を濡らして、黒くなる。
私の中身は、こんなに黒い。
横たえてただ呆然と。真っ黒な土を滲む目でじっと。
その時、急に目の前が明るくなった。
おぼろげながら、見える。
金色の長髪、銀のマント。
「やっと桁違いの異常値を見れたと思ったら…
色々と混じりすぎだな」
…スピリエ。




