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2.犬と猫

連れてこられた家は、古い木造家屋だった。

軋む階段を上がり、私は二階の毛布へそっと下ろされる。


「それじゃ、行ってくる。」


「うん、いってらっしゃい」


「よおし、月に3,000コインは期待できるぞ」


犬男は呟きながら扉を閉じた。

遠ざかる足音は、警戒だった。



静けさが、漂い出す。


「…二人っきりになったね」


犬女は頬を赤らめて見つめてきた。

目がとろんとしている。


──なに。

異変を感じた。

すぐに両手を前へ、『構造支配』と念じた。


……発動しない。

犬女の顔が近づく。


でこに不意打ちのキス。


ひゃっ。


胸がどくんと鳴り、紋が犬女全体に広がった。


来た!


だが、紋模様は今までと違った。

あまりに緻密、複雑すぎて、理解が進まない。

範囲も、小さい。


一部分、犬女の頭の中が明々としていた。

光る箇所は本能か執着か、膨れ上がっていた。


…たぶん私の仕業だ。


その箇所を鎮めようと改変を試みる。

しかし、何も起きない。


…。

犬女の息が近い。体温が温かい。

腕がつつみ込んでくる。


そのぬくもりに、心は揺らいだ。


なんか、心地いい。

自分が自分でなくなるほどに。


そう言えば、こんなふうに抱かれのは、いつぶりだろう。

このまま甘えてしまいたい…


満たされる気持ち。でも…

感情に反して、腑に落ちない。


だから、心をつなぎとめた。

今もね。私のお母さんは一人だけなんだよ私。


……あ、もしかして。


胸の痛む記憶を意識して。

それで、光を消してみる。


すると一瞬、世界が止まったように感じた。


犬女の頭にあったそれが、光らなくなった。

顔を私に擦り付けていた犬女は、すっと顔を上げる。


「あれ、とってもかわいくみえたのに。

 うーん、猫族にしてはってところね」


犬女は私を見てそう言った。

瞳はどこか冷ややか。そのまま振り向いて部屋を出て行った。



…よ、良かった。

異常な母性のようなものは、消せた。


これは、人格が変わる禁忌(きんき)なんだ。

まごころには程遠い。それどころか、あいつ以下になる。

二度とやっちゃだめだ。


そして、身体の痛みに気づいた。

手足が動かなくなっている。


あの犬男が刃物を下した時の痛み。

関節、それも全身が動かない。

赤子の身体だから、耐えられないのだろうか。


じっと数分まつ。

そうすると、しょうの抜けた手は僅かに重力を逆らいだした。


紋は見えても理解できず、改変は精度が悪い。

そして反動は、身体を失うような脱力と痛み。


まずは、守られるように振る舞うんだ。

『紋』は、安易に使わない。




それから、犬男と犬女

……いや、お父様とお母様に引き取られて、数ヶ月が経った。


私は守られるために、手のかからぬ赤ん坊を演じ続けた。


反面教師は妹だ。

記憶によると、「私に構わなければ死にますよ」とでも言わんばかりの態度の赤ん坊だった。


命を大切にするまともな人間なら、放っておけないはずの、必死で弱々しい表情、仕草、声。

さらに、断末魔のような叫びを織り交ぜる。二十四時間どこでも。


そんな態度をしたらどうなるか。

お母様は、冷たい目で物を投げる。

お父様は、打算的に判断する。

いくら人間的な二人でも、人間性の高さを信じて捨てられたら私の失敗だ。


だから必死に演じてきた。

けれど…


「ナーク、あのね、…。」


お腹をさするお母様だった。

先ほどのことである。


私がここまで守られてきた最大の理由――愛情の独占。

それが、急速に崩れ去る未来が見えた。


配給に頼る、決して裕福とは言えない家庭。

実子ではないという立場。

これは、まずい。


お母様お父様と心中呼ぶようになったのは、

驕らずに生きるよう自己を律するためだ。


「ハイナ…。

 ありがとう!

 最っ高の気分だよ!」


「うん、本当の私たちの子。んと、

 まだ間に合うかな」


お父様の目線は、こちらに向く。


悪寒が渦巻いた。


何が「まだ間に合うかな」だ。

犬。いや、お母様。

守られたいという気持ちは、叶わなかったんだね。


「……」


流れる沈黙の時間だけ、私を遠くへ追いやっていくようだった。



それから、お母様は時々体調を崩し、課題であったお父様の方が、多く相手することになった。


「ナー、ナー」


ナーとはお父様のこと。

あれからは、名前を積極的に呼ぶことにした。


「エンニ、パンツかえよかね、あらあらいっぱい」


最初は本当に嫌だった。私を殺そうとしていたからか、身体が拒否したのだ。

エンニというのは、ここでつけられた名前だった。


でも『構造支配』で見たお父様の頭は正常。

育児の主導権が移り、内在していた子煩悩がより強く現れたのだろう。


そんな本気の育児のおかげか、あるいは、

捨てられる恐怖で順応したのかもしれない。

私の、嫌悪感は消えていったのだった。



お父様が、まだ慣れない頃。

私は追いやられるように、紋の訓練を始めた。


鏡を見ていた。

紋改変は、一度に二回まではできる。

一回目は身体が柔らかくなる。

二回目は自分の紋が全体にぼやけて、身体が痛み脱力する。


この範囲の紋で、自立する力を習得する。

それがきっと、生き抜くための最善手だと思った。


まず、排泄制御のため筋繊維の紋を強化した。しかし制御できない。

紋で観察を続ける。

見えた原因は、神経の伝達。動きは遅く、散漫だった。


それならば、全部やってやる。


とにかく、神経回路を丁寧に1つずつ更新していった。


何日経ったか分からない。

ある日、回路更新が脊髄から連続して抹消に至った。


やりきった達成感。

反動による身体の痛みなど、今日は全く気にならなかった。


そして。

お腹が……くる。

偶然にもこのタイミングで。


お父様を呼ばずに耐えよう。


それは、確かに感覚できた。

いつもと違う感覚で、なんとか抑えた。


……できる。止められる。自力でだ。


すごい。

私は、この力で、赤子を卒業したんだ。


感動もひとしおだった。すぐ異変に感付く。

力が、抜ける。


そうか…筋肉の持続力。それが足りない。


だが。

私は冷静。場所は、よく分かっている。筋肉の種類も分かっている。今日は、諦めない。


──勝てる。


一発の精緻を。この神の手で。

そう自分を鼓舞しながら、鮮やかに改変を決めた。


…完璧な施術だ。


自分の身体を支配したという満足感に酔う。



その時だった。


ない。

手指の先端。

少し生えてきたしっぽ。

私の身体の一部が、消えた。


冷や汗が垂れる。

緊張の鼓動。そして紋は示した。

自分を描く金の設計図は、先端が崩れている。


そうか、しまった。

三回目に踏み入れてしまった。

……二度と、戻らないかもしれない。


時間を置き、再構築を試みる。

指の肉はすぐにできた。しかし、爪として形成されるのは歯のような破片。


お父様には必死で隠し、何日もかけて試みる。

それでも黒い硬化物や、糸くずのようなものが爪に成り代わった。


何十回も試行した最後に、

虹色がかった透明の爪が生えてきた。理屈も分からない。


外観は、きっと戻らない。

それは、身体の制御を作り変える精緻に到達した代償なのだ。

私は失敗を、腑に落とした。


それから、めげずに改変を続けて直立を習得する。


そして、声帯。

拙いながら喋るところまで行けた。


紋の解禁からずいぶん要した。

ついに私は、赤ん坊卒業という自立を成し遂げた。


しばらくは、笑顔が止まらなかった。


ただし、お父様の子煩悩で生かされる今、

赤ん坊を装わないわけには行かない。


私は、新たなストレスを感じ始めていた。




……今日は、お父様お母様が留守の日である。

二日家にいて、三日目は外出する日。

その周期的な生活はこれまでの暮らしで分かっていた。


つまり、ほとんど働いていないのに生活できる社会があるということだ。

ただし、食事や家財を見る限り、裕福ではない。


お父様が、中央の配給と言っていた。


…この世界は、黒い枝の支配下。

それは、私の仮説でしかない。

なればこそ、『意思決定AI』に届くために次へ進むべきだ。


おもむろに、窓でつかまり立ちをした。

そして、拙い顔で大人ぶる。


世界を、覗こうじゃないか。


はじめて、窓の外をまじまじと見た。

…人型がいる。それもたくさん。

全部犬のような文明人だった。


やはり動物人間のいる世界なのか。

窓に反射する自分は、紛れもない赤ちゃん猫。


あれ。これって。


犬猫の差よりも、

私は、ずっと人間に近い見た目かもしれない。


ええとそうだ、この世界の人間は、どのような役割だろうか。


階段を丁寧に降りる。

そして今度は、玄関でつかまり立ちをした。


進め私よ。

この世界をしっかりと知らなければならない。

そのためにも外へ。



ガラガラと、木製の引き戸を空けた先。


「わ」


赤ん坊の声が漏れた。

外は、街でなく紅く色づいた木々が生い茂る山だった。


そして、目と鼻の先には、黒い塊が蠢いていた。

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