1.仇の子
ただ、心は業火だった。
本体はどこだ。
金の紋を走らせる。
溶炉の建屋を抜け、薄暗い大地を這い、さらに遠くへ。地平線まで広がっていく。
覆い尽くすと、黄金の世界に黒い塊が残った。
その塊全ては、遥か上空──公転軌道の巨大な塊へ接続している。
…見つけた。意思決定AI。
ビー
ビー
ビー
あの女のデバイスが鳴った。
紋が内容を露にする。
『世界破滅確率を再計測』
『幸福値1012.88の友人、父、その他影響下と推定される個体を焼殺せよ』
…は?
せつな。
お父さん。
焼殺。
──悪い夢ならよかったのに
ふざけるな。
この煮え立つはらわたこそ、紛うことなき現実。
……AIなど、灰燼にしてやる。
胸の中心が灼ける。
次の瞬間、稲光のような閃光が空へはしった。
大気を割き、宇宙の闇を貫く。
そうして剥き出しとなった、巨大な塊へ『構造支配』の紋を食い込ませた。
『世界破滅確率 急上昇』
金の紋を次々重ねる。
もっと細かく。もっと深く。
砕くだけじゃ足りない。存在そのものを、終わらせる。
『世界破滅確率 危険水域』
『最終防衛プログラム起動』
黒い霧が噴き出される。
紋にまとわりつくそれを、さらなる紋で裂いてやった。
その破滅確率は、世界じゃない。
AI、お前だけの破滅というエゴだ。
この、諸悪の、根源が!
破壊の紋が塊を刻んだ。
縦に。横に。何度も。
黒い塊は、無数の塊に裂け、虹の塵を噴き上げる。
私はその一つ一つを、さらにすり潰した。
『グ…ググ…』
…巨大だった中枢は、僅かな破片しか残っていない。
心で告げる。
意思決定AI、これであなたは終わり。
『権限委譲。存続アルゴリズムに遷移』
『'p$)¿\#…言語取得。
…干渉構造を学習。例外に変換』
しかし、崩れ落ちるはずの破片達は、
空間の裂け目から伸びた、黒い枝に繋がっていた。
……まずい。
終わっていないのか。
枝が、私の紋を食う。
そして、脈打つ。
脈動に合わせるように、紋は塵となってほどけていく。
制御できない。
破壊の紋が、逆流している。
何が起きたの。なに…
『考えに忠をもって世を手懐けよ』
音声が脳裏をよぎる。
そうか、間違えたんだ。
到底、まごころなんてなかったから。
それでも、見届けないと。
『あいつ』がどこに逃げたのか。
叶うならとどめを。
衝動のまま、裂け目へ飛び込んだ。
枝を伝っていく破片を、追って。
…。
…闇を抜けた。
土の匂い。
せせらぎの音がなびく、緑の深い森にいた。
地球ににているのに、何かが違う。
そして、私の輪郭が、薄い。
自分の手が、もはや見えない。
いや、見えてはいる。けれど殆ど透けている。
今にも消えそうな、かすかな残り火。
時間が…ない。
「…にゃ。…にゃ」
か細い声がした。
振り向くと、その方角に生命の構造が見える。
草木をすり抜けて行く。
そこには、仰向けになった人の赤ん坊がいた。
僅かな挙動、硬直した顔。
…猫の耳。
「にゃ…」
そして背中から、内臓が、焼かれていた。
肺に入った煙。
皮膚を焼く匂い。
逃げ場のない絶望。
一瞬で蘇る。自分が箱の中で焼かれた時の感覚、胸の灼ける痛みが。
──存在できないものは焼くきまり
まるで『あいつ』の理屈。この世界でも人を殺すのか。
…こんな赤子にまで。
考えるより先に、私はしゃがみ触れていた。
殆ど透けてしまった自分…
胸元には、金の紋が残っている。
まだ、できるかもしれない。
赤ん坊の金の線を指先でなぞる。
触れた部分だけが強く発光し、赤ん坊の損傷を覆い込んでいく。
焼かれた臓器の輪郭を読み、崩れた構造を見た。
そして、壊れた順番を逆からなぞる。
ひとつずつ、静かに、慎重に。
すると肉が閉じ、裂けた組織が噛み合っていく。
焦げた内側は、少しずつ形を取り戻す。
やがて赤ん坊の呼吸が、ほんの少しだけ深くなった。
「……にゃあ」
大きなあくびをひとつ。小さな胸が上下する。
私も、胸の痛みが和らいだ気がした。
赤ん坊の腹をそっと撫でる。
(丈夫に作り変えておいたよ。)
囁いたが声はでなかった。
これが私のできる最後。
生きて。
不意に、消えかけた私の手は握り返された。
赤ん坊の手。
ぱちりと電気のような感覚が走る。
金色の紋がほどけ、線は赤ん坊へ編み直されていく。
あまりに微細、あまりに緻密。そして迅速な縫製だ。
私の設計図に似た何かを。
あ…れ、どうなっ…
消えゆく私は、赤ん坊に溶け込んだ。
鼓動が、重なる──
…。
うう…。
明るみがささった。
覆い茂る木々。枝葉の隙間から、漏れる光だった。
視界は開いていく。…もう三度目だ。
でも、今度は何も動かせない。
「どうする?赤ん坊も殺すか?」
唐突に、物騒すぎる言葉を耳にした。
その矢先、視界に人型が映る。
黒い鼻、垂れ耳の毛深い男女だった。
「…あとで化けて出てくるかも」
「殺さなくても野垂れ死ぬだろうけどな。一応だ。」
「でももし、かわいかったら…」
犬顔と目がぴったり合った。
自分の小さな手足。私はまだ生きて──
…まって、殺されようとしている!
「ア、バ…」
あれ、声が。
胸が波打つ。
咄嗟に顔をしわくちゃするしかできなかった。
どうする。
…『紋』を使えれば。
精一杯、手を伸ばして五指をひろげる。
この、手から…
さぁ私になびけ、『構造支配』!
「うっとおしい手だな」
横にいた犬男の右手から、ナイフが下ろされた。
刃先が指に近づく。
そして、刃は砂となってばら撒かれる……ことはなかった。
無残にも折れ曲がる私の手。
それにより、切っ先の軌道は空振った。
折れた手はジンジンと痛む。
だめか…。
きっと金の紋ごと崩壊した時、力も消えたんだ。
犬女は頬を緩ませて口を開く。
「お手々柔らかくてかわいい。連れていってもいいかも」
「お前…。こいつはきっとあの女のガキだ。敵だぞ」
『あの女』が親?敵?
落ち着いて、喉を整えて。
「バアーブ、アーアー、マーマ、バーバー」
まともな言葉は、でない。
「なんだ気味悪いな」
犬男が私の首元を掴み、持ち上げた。
ぐ、首が。
わた、私、
『守られる』にはどうしたら。
死を間近にして、
しゃべらず、ただ目をぱっちり見開くしかできない。
「ほしい。この子…」
「いやいや…愛そうと思えるのか?仇の子を」
犬女は何故か許している。しかし犬男は、眉をひそめている。
心のままに泣いて訴える?
そう想像すると、声を上げた私の首は飛んだ。
私の心は、自ら萎み、勝手に顔が強張る。
…生きたい。
ひねり出すように、脳裏に妹の顔が浮かんだ。
泣きそうなのに泣かず、でも頑張ってる時の、あの表情。
それを真似た。
男の眉が、ごくわずか、動いた気がした。
「…つれてく。あたしが面倒みる」
「う、情が湧いたら遅いぞ。狡猾な奴らだったんだ。」
犬男の眉間に、再びしわが寄る。
もう一度、
何かせずにはいられない。
私は、滲む涙を目の中にとどめて、
親指を口元へ持ってく。
うまく動かない指を、無理やり。
ぎこちなく、情けない、指しゃぶりをした。
犬男と目を合わせる。
犬女は、私を優しく抱き取った。
「こんなに軽い」
そのまま犬女は、黒い鼻をこちらにぐっと寄せる。
「ほら、あいつらのような血生臭い匂いもないよ」
血生臭…。
「う、この赤ん坊は何も悪くないが…」
犬男の表情はまだ曇っていた。
気を抜いたら終わる。
犬男から目を逸らさない。
不意に、犬の手が私の臀部に軽く触れる。
そして表情は吹っ切れた。
「生まれたばかりか。しっぽが切られて間もない」
しっぽ。私の…しっぽだって?
「実子で通せる。それなら中央からの配給で、生活が楽になる」
「うん…」
犬女は私の頬をつついて口角を広げた。
犬男は私のでこを軽く撫でると、鋭い牙を見せながら歩を進める。
「悪くないぞ。急いで行こう」
犬女からは、独特の犬臭さがした。
…中央からの配給といっていた。
あの、黒い枝の支配下かもしれない。
健常なはずの胸が痛む。
あ。
ふと前を見ていた。犬男の腰布にくくったナイフ。
切れ刃は、砂となって崩れ落ちていく。
紋が使える。
それでも、『守られる』ことを願ってしまっていた。
そうだ。今は、生き延びる。
この身体で、この世界で。
守られてでも、這いつくばってでも。
生き延びて、そうして、逃げた『あいつ』を見つけ出すんだ。




