0.プロローグ
──私は、AIに焼き殺された。
幸福さえ管理される時代で、
『最大幸福の最大障壁』。私は、そう言われた。
一か月前
【二年生 1学期 中間考査】
幸福値
あかいし せつな 265.29
あまえ むえな 1,012.88
いくは れんた 346.50
…
昇降口の壁一面に、名前と数字が並ぶ。
私は自分の名前を指差す。
白いリボンのブレスレットが、袖からのぞく。
背中をトントンとされる。
「むえなむえな、事件だよぉ」
「んん…なに?」
声の元は、泣きそうな顔のせつなだ。
三つ編みのツインテールを揺らせて、デバイスを差し出してきた。
『あまえ むえなの幸福値は異常です。接触時は、精神的影響に注意してください』
それは、赤文字の警告だった。
「昨日まで優秀だって褒めてたじゃんよ…」
「ふふ、いいね」
私は思わず笑ってしまった。
幸福な人ほど、社会に貢献する。
そんな思想でAIに作らせた幸福値なのに、高すぎて異常って…。
破綻していて滑稽だった。
「だめだよー。その、警告されて笑うの…
どうしよう。こわいよ」
せつなは怯えた声のまま、私の服をぎゅっとつかんでいた。
『接触時は注意』のはずなのに離れない。
「そんな気にするなら…
幸福値、わけてあげるね」
せつなのほっぺたを、両手でつまんであげた。
「ひゃっ」
そのまま、もぎもぎ揉む。
すると、その口元はほころび、目じりが下がった。
受験にも就職にも、恋愛マッチングにすら幸福値が使われる。
それがなんだと思う。
数字なんてひとつの数字だ。幸せは他にだってある。
なのに、みんな気づこうとしない。
誰もが、壁に視線を向け、デバイスにかじりつくだけ。
その光景に、いつも違和感しかなかった。
夜。
リビングでは、お母さんがワイン片手に笑っていた。
「まーたAIに仕事を取られちゃった」
母は高い幸福値を誇る、世界的なコンサルタントだ。
企業も政府もAIからも、相談を持ち込まれる。
そんなお母さんは、AIに仕事を奪われるたびにむしろ面白がった。
「いい時代よ。AIは人の感情まで集めて、正しさを選び始めた。相手として不足ないわ」
「そういえばね。AIは『みんな働かなくてもいい』なんて言うんだって。そんなの相手に勝てる?」
「面白いじゃない。
世界がAIに委ねたら…私はAIを下すだけ。
綺麗に治まるでしょ」
そのまなざしは鋭く、冗談のようなことを本気で言う。
私だってそうだ。
「そのお母さんは、もう私が治めてるでしょ」
「言うようになったねえ。このお」
お母さんは、笑って私の頭をぐしゃっとした。
強くて、寛容で、前向きで。
そんなお母さんが世界で一番好きだった。
父は少し違った。
父は、お母さんの再婚相手で優しい人だった。
「むえな、生徒会長なんだってな。やるじゃないか」
褒めてくれる。
けれど、その目は虚ろだった。
「その立場は重いだろう。これで失敗しないようにしないとな。な?」
そう言って、新型のデバイスを手渡してくる。
知っている。こいつは、話しかけてもいないのに助言をしてくる。
……失敗したっていいんだ。
人に決められた正しさより、自分で選んだ失敗の方がましだ。
それから二週間後。
私は提案を通した。
『校舎内におけるAIデバイスの使用禁止』
前から違和感があった。
みんなが何か考える前に、まず画面を見ることが。
誰かの顔色より、AIの推奨を優先することが。
幸福すら、外から配られるものみたいに扱うことが。
当然、反対は多かった。
けれど成立させた。
生徒会長、そして、高い幸福値の優等生。
その肩書きを、私は逆手に取ったのだ。
夜、血相を変えた父が来る。
「…むえな、何をしたかわかってるか?」
「えっと、デバイスを使わない方がいいって人もいるはず。それに気づくチャンスに…」
「そういう話じゃない!」
父の低い声が響き、空気がピリついた。
「それで幸福値が落ちる人がでる。進学も、就職も…人生が狂う。わからないのか!」
大袈裟すぎる。
そう思った。けれど、父の顔に気づく。
怒っている顔じゃない、怯えた顔だ。
「負の感情が集まるんだ…。最後には決定が下る…。お前は、知らないだけなんだ」
その血走った目は、私を見ていない。
もっと遠くの、何かに脅えていた。
「とにかくデバイスに従え。わかったな!」
絞り出すような怒号は、私に響かなかった。
数日後。
父の隣に、知らない女がいた。
どこか母に似た顔立ち。
けれど、冷たく整った感じだった。
胸元には、AI省の徽章が光っている。
「…ええ、もう二度と失わないように手を打つのよ」
その一言で察した。
父には、過去がある。
そしてこの女は、『一度目に何かを失った』ことを知っている。
お母さんが長期出張の、不在を狙ってきたんだ…。
そう思うと、全てが気持ち悪い。
なんとか、感情を抑えこんで、理解を巡らせる。
…そうだ。お母さんだったら、こんな連中を前にしても、面白いと笑う。
それなら、私だって。
翌日。
私は生徒会長を下ろされた。
友達も私を避けていた。
せつなだけが、ぎこちなく隣にいてくれた。
家に帰ると、机に新しいデバイスが置かれている。
窓から投げ捨ててやろうと手に取る。
でも、指が止まった。
…白いリボン。
父は、プレゼントの度に、必ず白いリボンを結んだ。
ただその1つだけで、私はぜんぶ満たされた。
だから、腹が立った。
白いリボンを纏って話しかけてくるなんて、悪夢だ。
こんなものに、あの気持ちを使うな。
私は電源を切って、机のなかにしまい込んだ。
それから父は、変になった。
食卓でも、廊下でも、夜中でも、ずっとデバイスを見ている。
焦点の合わない目で。
声をかけると、返事はいつもワンテンポ遅れる。
ある夜。
「…カンストって何だよ。…どうしたら守れるんだよ!!」
突然、奥の部屋から叫んだ声が聞こえ、妹がビクッとした。
私は黙って、その背中を撫でた。
私のことか。
…それで、お父さんは何を守るの?
一度も自分の言葉で語らない。
ただ従って、怯えて。
そんな中身のない態度には、納得いかない。
父のデバイスには、二つのストラップが揺れている。
白とピンクは、私と妹との繋がり…
──それは来た。
「むえな、こっちへおいで」
父の声は優しいふりをしていた。
何かが、おかしかった。
部屋の中央には、大きなケースが置かれている。
白いリボンがいくつも結ばれてあった。
「なにこれ。サプライズ?」
警戒しながらも、リボンに惹き寄せられる。
「…入ってくれ」
低い声。
ケースの前で振り返った。
…父は、私を見ていない。
「え、ちょっと待っ…」
押し込まれた。
蓋が閉まる。
金属音。そして施錠。
「お父さん!」
すぐに壁を叩く。
けれど、閉められたケースは開かなかった。
ケースは持ち上げられ、ガラガラと車輪の音を立てて進み始める。
返答のない時間が流れていく。
普段何をされても、引いて見ていられた。
けれど今は体温が上がり、嫌な汗が滲んだ。
……随分、移動したと思う。
女の話し声が聞こえてくる。
「今さら何を迷うの。
家族を守る覚悟、本物なんでしょ?」
「ま、まだ本人の意思が…」
「存在できないものは焼くきまり。
ずっと、こういう形で行われてきたのよ」
あの女だ。
はっきりとわかる。家族に、私は入っていない。
ガラガラというケースが進む音は、鳴り続けている。
見たくない現実が、思考を支配した。
「お父さん。私、そんなにダメでしたか?」
恐る恐る聞くしかなかった。
声は、ガラガラ音とともに箱の中で響く。
「…ちがう」
酷く小さな声が聞こえた。ケース音が止まる。
「──最大幸福の最大障壁。
むえなのことだ。
…でも、こんなのおかしいだろお…」
それは、お父さんの、震えた言葉だった。
「意思決定AIだよ…」
『意思決定AI』。確かにそう言った。
噂の中だけだと思っていた──社会の最終決定者。
「…むえなの幸福が、
世界を壊す、確率99.9%って…」
荒い息遣いまでも、入ってくる。
「背け…ば、家族、ぜんぶ…世界の敵…になるって…」
一語一語が、
血の気を奪っていく。
違う。違うよ。
「その…幸福値さえなければ…」
「あ、あの、お父さん、幸福は、外から得るものじゃなくて、私の中にあるよ。だから…」
こんなこと、やめようよ。
「それがだめなんだ…その、異常な幸福…
…影響も受けない……
人の幸福を奪い…伝染するって…なんなんだよ…」
奪う…?伝染…?
父のすすり泣くような声が、理解を邪魔する。
そして、
ガチャ、とケースの錠を触る音がした。
「むえな。黙って…聞け」
錠の、カタカタと震える音が伝わってくる。
「今開ける…
ただこれだけ言え…、
『幸福は…社会から与えられる』だ…余計なことはいうな…」
…。
……お父さん、それはできないよ。
「命令不履行は、家族全員排除」
デバイスの機械音声で、鍵の音が止まった。
「まってくれ、むえなは、わかってないだ…」
「あなたが連れてきたのよ。これは絶…対!」
ドンッ!
──女。
蹴られた音。
天地がひっくりかえり、内臓が宙に浮く。
響く父の叫びが、小さくなっ…
ボゴォッ!!
身体を打つ衝撃。
「うううぅぁあ…!」
全身鈍く痛み、息を吸えない。
ジュワァァァァ
嫌な響き。
なにこれ…
異常な熱さを伝える壁。
煙とともに溶け、金属の匂いが鼻を刺す。
なんで。
ジリジリと焼ける、皮膚の痛み。
煙とは別の、つんとする嫌な匂いがくる。
痛いよ、最大幸福がなに…やだ。
肺は燻され、息は戻ってこない。
私、死ぬ?、なんでなんで──なんで!!
苦し…
――そうだ、私は守られる側じゃなかった
納得を腑に落とせ。どんなことでも。
そうだよね、お母さん…
でも、私…。
…生きたい
朦朧として、うつる。
お父さんからの、白いリボンのブレスレットが、
黒く焦げて爛れて──
あぁ、閉じ込めて殺す装置に白いリボン…
よくも…
よくも、お父さんとの繋がりを利用して……
……ああぁぁぁ!
ジュウゥゥと音を出す手足より、焼ける喉より、
なによりも心が、
熱く、煮えたぎった。幸福は、燃料にしかならなかった。
ぜったい、
絶対に許さない──。
私は、焼かれた。
暗闇の中、心は燃え続ける。
その思いに忠実に、焼滅させてやる。
対象は、
父を、あんな汚い手で騙すよう操った、
──意思決定AIだ。あいつを破壊して、完全に消して、
『守られるべきものが、守られる構造に』世界を、創り変える。
…線。
それは、胸の真ん中で肌を這って、とても小さな幾何模様を綴った。
煌めきながらそれは広がる。肩、腕、両足、と私の全身を記述するようだった。
模様は不規則に繰り返され、金色の紋が身体中に咲く。
それが綺麗に全身を刻み終えると、今度は外へ伸びた。
加速的に膨張する。外へ、燦然と紋を描く、際限のない、巨大な絵画のようだ。
ここは、極楽か天国か。そう想起させた刹那──
「世界の感情に焼かれし者へ…
考えに忠もって、世を手懐けよ。
『構造支配』
──あらゆる構造を書き換える力を継ぐ。」
そう、寝覚めの一言のように、古い機械音声が脳裏で囁いた。
不意に蘇る視界──
泣き崩れる父、そしてAIデバイスが警告色に染まった。
父の指が震えだす。
『最大幸福の障壁を検知』
デバイスの文字。
あいつ、だ。
私の心は炎熱。血の火花がほとばしる。
『構造支配』──金の紋が示した。
デバイスに刻まれている紋、それは、
物質としての構造ではなく、存在するための構造。
──解る。こうやって、壊せばいいんだ。
ならば、
そのごみを、
存在ごと壊す。
私の意志に従うように、胸中から稲妻のような閃光が走った。
それがデバイスを貫通する。
するとごみは、ごみらしくない鮮やかな色を伴い、粉々に砕け散った。
次。
意思決定AI。お前を消す。




