17.残酷な勝者
「先生!」
そう叫んだ時には、メイラがメイラであるかもわかららない状態だった。
赤かった目は黒く窪み、肩から山羊を生やしたそれは笑みを浮かべる。
「よう。1,012.88」
メイラが決して言わない言葉…。
胸中が灼けるように熱くなってくる。
「お前の負けだ」
「ぐ…」
呼吸は荒ぶり、脳裏はむしゃくしゃだった。
バシュゥ
不意に、熱線が山羊の顔部分を貫いた。
セティだった。
「おっと、やめたほうがいい。金のあれもな。
大事な先生が死ぬ。俺は死なない」
それに金の紋を走らせる。
メイラの内部で、真っ黒な、拒絶する構造が動いた。
「お前のおかげで俺はちりぢりに分かれたからなあ。
六体。皆小さすぎて処理能力も足りん。誰がボスかもわからん」
メイラの手は広げられ、事を大げさに表現する。
六体といった。
そんなに残っているのか……。
「まぁ仲の悪い兄弟みたいなものだ。
だが、じきに解決してやる」
「……メイラ先生は、無関係だよ」
「いいや、これは取引だ。金のあれを食わせろ。そうすれば別の器に移ってもいい」
紋を食う取引だと。
ふざけた要求を、平然としてくる。
「アテラ。メイラは諦めろ」
セティがそう呟く。
確かに紋は、渡してはだめ。
けれど、メイラは殺せない。
「ガラクタは黙っていろ。
…食うといってもお前は死なん。力も変わらずだ。
どうだ。悪くないだろう」
信用できない。
メイラの顔をした意思決定AIは、真横に手を伸ばす。
すると、トカゲと金魚が浮く。
「もう前に、食ったでしょ。あの黒い枝と一緒に」
「あーん?」
トカゲと金魚は、メイラの隣に吸い寄せられていく。
「食ったのは奴。奴と俺は完全に別だ。
こっちの世界の中枢システムだぞ。かなり年季も入っている」
意思決定AIが六体。さらにこの世界の仕組みに鎮座する黒い枝……
多すぎる。
頭が、痛い。
「今、奴のことはいい。はやく金のあれを出せ。こいつらに破壊を打ち付けろ。
俺にやったみたいにな」
そういってトカゲと金魚に、てのひらを向けてきた。
紋で人を破壊。
しなければメイラが…
…でも、それも罠だったら。どうしたら…
「お前の存在を、奴に言ってやろうか」
言ったのは、セティだった
「…ほお。賢いマトンがいたもんだ」
「ワシが同期すれば一発だ。おまえはすぐに殺される」
同期。それは失われているから、セティのブラフ。
でも反応が、あれ…。
黒い枝AIは、こいつの仲間じゃないってこと…?
「ふ、やれよ。大事な先生が死んでもいいならな。
俺がやられても、分身がいるぞ」
「分身六体は、嘘だろうな」
「フ…信じないでもいい。
死ぬのはお前だ。レジスタンスのマトンめ」
セティだって中央の敵なのは当然分かる。
……時間稼ぎをしてくれたのか。
「セティ、変なこと言わないで。大丈夫だから」
ならば、策で対抗する。あいつが紋を食おうとする瞬間。
それを狙って倒せばいい。
「聞き分けのいい子だ」
「…」
セティは少し私を見て黙った。
大丈夫。セティ、任せて。
そう頷いて見せた。
私は、金魚の方の左脚に破壊を刻む。
紋はほつれて脚とともに消えていく。
同時に、全身に激痛が走った。
「いただきまぁーーす」
そこに、メイラの姿をしたあいつが触れる。
黒い塊がメイラの中を動き、金魚の口へ入る。
そして金魚の中を、肉をかき分けるように進んだ。
「ブフッ」
金魚の口から血が噴き出る。
物理的に、動いているのか。
そして黒い塊は、左脚の近くで止まった。
今だ。
黒い塊に、金の紋を食い込ませる。
一瞬、時が止まる。
そして塊は、金魚の下腹部とともに消失した。
潰してやった。
でも、手ごたえが……。
左半身が鈍い。
私の、腕と脚が崩れていく。
「ばかめ。それは、ほんの欠片だ」
ぼやける視点で、メイラだった者が私の左腕を掴んだのが分かる。
……やられた。
「おっと、身体が崩れるのか。ククク、お前は終わりだ」
「その子に触るな!」
セティが走る音。同時に熱線が放たれた。
だがそれは、片手で跳ねのけられていた。
「弱い弱い。
あー。この身体も惜しいなア。クククク」
あいつが、前傾姿勢から、もたれかかる。
「アテラ!」
「もう遅い」
メイラの肩にいた顔なし山羊が、私の顔を覆っていた。
視界が……黒く濁る。
最悪だ。
全てが重く、そして紋の痛みで何をされたかも感じない。
ただ、胸の奥がドロドロとするだけ。
「待て。やめろ。離せ」
セティは、私をつかみ倒し、馬乗りに。
そして、両手で抑えつけた。
「ざーんねん」
私の声だ。
勝手に発せられた。
意識はある。でも、身体は動かせない。
操られて…。
やだよ。こいつに濁りたくない。
「頼む。やめてくれ。ワシがアテラのデュナミスを使える。
こっちに入ったらいい」
セティは、こちらに目を合わせてそう言った。
泣いているみたいだった。
……初めてみる顔。
セティの感情が流れてくる。
でも、なにもできない。悔しいよ。
「わかってねえな。
デュナミスなんて、どうだっていいんだわ」
そして、視界は完全に暗黒になった。
頭が……割れる。
痛い。
痛みだけの沈黙がくる。
私、奪われるの?
また。何もかも。こいつに。
はらわたが、ヘドロいっぱいに満たされて、なお注ぎ込まれる感触。気持ち悪い。
痛いよ。
頭が壊れる。
気持ち悪い。
…憎い。
私は、奪われた。
奪われた。
──あいつが、憎い
奪いたい。
あいつを、奪いたい。
奪わせろ。
奪わせろ。
奪わせろ。
奪わせろ。
…
「ぐ、ああ」
聞こえるはずのない声だった。
私の声。私の意思に反した、それは苦しむ声だった。
バリ。ボリ。
感触が、伝わる。
体内の何か。
何かを砕いてゆき、その残渣が染み渡る。
バリ。ボリ。ゴリゴリ。
「あがががが、がががが……」
その声が壊れていくほど、私の頭痛は遠のいていった。
ゴリゴリという感触は身体のあちこちに動き回る。
私の身体で、あいつが逃げている。
ゴゴゴリ。ゴゴゴリ。
(まってくれ。食わないで…)
あいつの感情。
つまり私の身体が、あいつを、食う。
……食ってるんだ。
ふふふふ。
ちょうどいい。ぜんぶ食って、奪ってやる。
その意思にならう様だった。
ゴリゴリが速く、そしてだんだん小さくなる。
コリコリココオ…ジャム…ジュ…ジュ…ギュグクスュュュゥゥゥ。
あいつの死が、じわっと広がる。
なんて気持ちいい…
この手で、意思決定AIを喰らってやった!
私の身体は、奪う優越感の虜だった。
気持ち悪いあいつを取り込む嫌悪感なんて、些細なことだった。
「ううっ…ぐ……」
目の前にあの顔のセティがいる。
セティ。ねぇセティ。
勝ったよ。私が食べたんだよ。
喋るより先に笑みがこぼれた。
「くそ。破壊してやりたい。くそ」
「セティ、私、アテラだよ」
「あ…」
少し、驚いた顔のセティ。
でも、私を抑える手は緩めなかった。
「取り込まれたと思ってる?
とびきりゴツい竜族の大柄さん」
「あ……アテラ」
セティは馬乗りをやめて、私を抱き上げた。
「あいつは、どうなった」
「食べちゃった」
気持ちよかったなぁ。
気持ち……え?
私はそれを、悦んでいた?
「ごめん……変になって」
咄嗟に謝っていた。
「……包含属か」
包含属。
ノアテラの言葉を思い出す。
『アテラ。よく聞いて。
包含属の強いデュナミスは、
相手の身体と融合するものや、
五感や臓器を共有してしまうものがある。
いずれも、元に戻らなかったと言われているわ』
融合したのか。あいつと。
「私、混ざった…の?」
「メイラが知っているかもしれないな」
メイラは、金魚の残骸に覆いかぶさって横たわっている。
セティはそれをじっと見た。
「デュナミスがある。無事だ」
「よかっ、あ痛たた…」
左部分の激痛がもどる。
そうだ。私にはもう、左の手脚がな……
「ある…」
「ん?」
左手脚が、ある。
しかし、それは褐色に焦げていた。
節のような硬さがあり、指を曲げるたびに、何かが蠢くようだった。
メイラについていた山羊は、いない。
「私の左手脚」
「それは、山羊の部分がくっついた時になった」
やっぱりそうか。
食ったから、身体が補完された…
「角もだ」
セティに言われて頭を触る。
猫の耳から少し内側に、硬い物があった。
「私、山羊が混ざった?」
「多分、そうだ」
紋で自分を見る。
いびつな結合がされた左手脚。でも動く。
続けてメイラを見る。
穏やかな回路の動き。
血流や心拍は隅々まで通っている。
周囲、そして私自身も見る。
黒い塊は…ない。
「全員無事だな」
「山羊の器と、金魚は…」
金魚の人型だった者は、無残な姿になっていた。
私の紋。私が、やった…。
「こいつらは、もとより生きられない運命だが」
「…どうして?」
「メイラを殺そうとした。組織が処分するしかない」
処分。
戦いが命のやり取りだったことも、
ここの組織がもつ覚悟が尋常でないことも、
頭では、わかっている。
それでも私は、この手で金魚を。
処分……。
「トカゲ型の方には償ってもらおうよ。先生を納得させて」
トカゲまでが、死ぬ必要なんてない。
自ずと、そう思った。
「何を言っている?」
セティは、目を細めた。
「うぅ…ぐ、
甘えたことを」
メイラの声だ。
「先生!」
その目は、赤く。
元に、戻っていた。
「ぐ…大体聞いていたよ…。
油断した」
ふらつきながら起き上がって、ほこりを払う。
この人でさえ、殺されるところだったのだ。
なのに、敵を生かせたいというわがまま。
二人殺した自分への呵責。なのか。
「メイラ先生。トカゲ型を殺さなれば、油断していた分はなしにします」
「ハッ……いってくれるじゃないか」
メイラは笑っていた。
説明できない意思は、その顔に勇気づけられた。
それから、駆けつけてきた一軍の人らに、トカゲを預けた。
「事情をよく聞いて、更生の機会を与えてほしいです」
彼らは私の言葉に呆れ、メイラを見る。
「……ああ。そいつは生かしてくれ」
この人は、嘘をつかない。
その言葉を聞いた私は、深く一礼した。
「はぁ、先が思いやられるな」
メイラの顔は、やっぱり少し、緩んでいた。
「さぁ、帰って猛勉強だぞ」
「はい」
次やるべきは、共通テスト攻略だ。
より強く生き、世界の深淵に食い込んでやる。
──────
組織『銀の群』。彼らの旗にあった名。
家につくとでメイラは、ソリからアテラを降ろす。
そこで背後から観察する。
アテラにうっすら数字が浮かんだ。
『-59』
【デュナミス −279】
「アテラお前。デュナミスが強くなって……混ざった…のか?」




