12.保護と契約
「これなに?」
私はメイラを見上げた。
主従契約、もしかすると隷属に近いかもしれない。
ゼロ歳へ向けたものとしては、あまりに容赦ない文章が並んでいた。
「アテラ。セティを治すにはサインするしかないよ。
文字は分かるでしょ。指先で名前をなぞるの」
「悪くはしない。これは身元不明であるアテラに保護措置として必要なことだ。
といっても、分からないか」
こわい。
あらゆる命令権って、人生が終わったかも…。
私はセティを見た。
「基本権の範囲内。まともな方だな」
まとも?そんなばかな。
…基本権、か。それって、基本的人権なのかな。
「奴隷みたいにならない?」
「あぁ、少なくともこの大陸内ではな」
「セティの言う通りだ」
メイラが淡々と付け足す。
この世界には、ポリティカル・スコアなんて制度がある。
だからこそ、『基本権』というものが捻じれて見える。
「わかりました。はやく、セティを直してください」
私はそう伝えて指先で『アッティラ・』までなぞった。
これは、偽名でもよいのだろうか。
そもそもエンニ・アーグスも偽名みたいなものだけれど…
「ラシュターナも書いてくれ。それで今日から君は、私の弟子だ」
「はい」
弟子。
私の知るその言葉の意味と、契約書の重さが釣り合っていない。
「セティ、お前もそう振る舞え。
ここに『所有するオートマトンも含む』と書いてあるからね」
メイラは契約書を指差す。
「わかっている。だが、ワシのボスはアテラだ」
「アテラの命令なら何でも従うか?」
「そうだ」
さっきからセティの声が弱々しい。
活動停止の期限までは、まだ大丈夫だと思うけれど…。
「三日以内にセティを治してください」
そういって残りをなぞる。
『ラシュターナ』
その瞬間、契約書は名を認証したかのようにふっと光り、紙そのものが消えた。
名前を変え、親を変え、
セティを救う他の道も、これで完全に消えた。
唯一、お父様につけてもらった、耳のリングだけが残っていた。
そのまま、私たちは自然とメイラ邸に泊まり込む流れになった。
入口は小さな祠みたいだったのに、地下には広い空間、たくさんの部屋がある。
私とセティには空き部屋が一つ与えられた。
他にも、炊事部屋、格納庫、リビング、瞑想部屋、運動部屋、浴場などがそれぞれ独立して存在しており、アーグス家やノアテラの家とは比べものにならない。
ここまで来ると、もう裕福とか貧しいとかではなく、1つの拠点だった。
私は最初、この地下空間にどこか陰険な印象を抱いていた。
だが、それはすぐに変わった。
書斎とは別に、図書館のような部屋を見つけたのだ。
立ち並ぶ本棚達。
禁書も、普通の書物も、ジャンルは様々。
見る棚全てにおいて美しく配列していた。
その数は…何千冊、いや一万冊以上はあるだろう。
なんてこと。
私は、契約だけの関係であるメイラ先生に、仮初めの敬意が芽生えた。
本は知識。多様な知識を得ようとする者が、完全な悪ではないんだ。
そんな、軽率さに基づく敬意だった。
「メイラ先生、今日のおべんきょう、おわりました」
やっぱり目上への態度は、大事だ。
言葉もきちんと学び、言葉ができるようになった子という体裁を整える。
「えらい。アテラはできる子だな。
本を読んで良し」
「わぁい。
えと、…デュナトスいましたか?」
「ああ。転送が必要だがね。
今、その構築が行われているところだ」
メイラ先生は私のノートを開いて、ぺらぺらとめくった。
「…明日には出発できる」
明日は、契約から約束通り三日目。
期限通りだった。
さらに意外だったのは、メイラ先生がよく褒めることだった。
前世では、皮肉混じりの称賛を浴びることも多く、
正直『褒め言葉』には飽きていた。
そのため私は前世に倣って、『わぁい』『やったぁ』『へへへ』という定型をローテーションしていた。
思慮深きメイラ先生は、この反応がローテーションということが分かったはずだ。
それでも毎回、本音と取れる褒めを崩さなかった。
ノアテラが昔から先生と呼ぶだけはある。
私の安売り天才とは違って、本当のカリスマなのかもしれない。
与えられた読書の時間。
禁書の方に行きたい気持ちをぐっとこらえ、
普通の文字で書かれたオートマトンの本を開いた。
目からビームが出る構造は、ここで出力調整できる。
外殻の耐久は、ここを強化すればいい。
記憶消去みたいな不都合な処理も、どこかに割り込み口があるかもしれない。
セティを、もっと壊れにくくしたい。
そして、もっと自由に、のびのびと動けるようにしたい。
活動コードについての記述はなさそうだが、セティの基本構造を知るには十分な書物だ。
足音が聞こえる。
ノアテラがお菓子を持ってきた。
「アテラ、今日は先生と何を勉強したの?ねえ。
…ねえ?」
「…星系をおぼえたー」
この世界では「一か月」という単位の代わりに、
「星系」と呼ばれることがある。
・一日は二十四時間
・一週期は三日
・十週期で一か星
・九か星は一年
星系の呼び方は種族にちなんでいる。
1:虫
2:軟
3:魚
4:蛇
5:獣
6:鳥
7:竜
8:両
9:無
九の星系で一年。
つまり一年は270日になる。
「今は、何の星系かわかる?」
「軟の星系。おもしろーい」
「ふふ。アテラがたくさん勉強して、
お話しできるのが嬉しいわ」
「うん」
…頼むから、本を読ませてくれ。
壁には張り紙があった。
『3魚の星系・5週期の3 共通テスト』
つまり3月の星の15日目、3月15日みたいなものだ。
これに受かってその先、中央へ潜入する。そして、何かをさせられる。
セティを直す代わりに私に課せられている任務だった。
次の朝。
「さぁ、出かけよう」
朝食の片付けを簡単に済ませた時、メイラがそう言った。
私達は、自然と集まる。
そして、メイラ先生の先導のもと、地上への階段を上っていった。
メイラ先生は、お母さん狐。
ノアテラは、おばあちゃん猫。
私とセティは子猫の、男の子と女の子。
異種族もいるけれど、こうして並ぶと家族みたいに見える。
そんな光景が、ほんの一瞬だけ楽しかった。
階段を上り終える前だった。
「これで行くか」
そう言ってメイラ先生は白い霧に包まれる。
そして、姿を変えた。
鱗に覆われた、蛇の人型だった。
「アテラは、魚族でいいかな」
続いて、ノアテラが私を変化させた。
ノアテラ自身も羽毛の生えた人になる。
そして、セティは、カエル人間になった。
おさげはしっかり残っていた。
「二人とも分かってると思うが、今の姿を自分だと思うように」
メイラ先生はそう言った。
自分の本来の姿でいられないということは、やましいということだ。
少しだけ感じていた家族のピクニックは、露と消えた。
「はい、水が大好きです」
でも、返事だけは快活に返した。
やましいとは言っても、反デューナメースが悪いと決まったわけではないんだ。
少し歩くと、車輪のついた椅子付きソリのような乗り物があった。
二かける二の座席と、後方スペースには網がまとめられていた。
順番に乗る。
すると、何の動力も見えないまま動きだした。
「これ、ガタガタしない」
馬車と違い、スムーズに動いていた。
「これはね、車輪が小さいから平地向きだよ」
ノアテラがそう説明する。
そうか。ここが、舗装されている平地だから使えるんだ。
「料金は払ってあるからこのまま行くよ」
メイラ先生の言葉とともにソリは加速した。
強い風が顔を叩く。
隣のおさげをしたカエルが、おかしかった。
「ついた」
唐突だった。
転移のお店すらなかった。
なのに、景色はガラリと変わっている。
「ここが、私達の拠点だ」
振りむいて周囲をみる。
後方には、工場のような無機質な建物がいくつかあった。
前方を向く過程で、右方に例の自動農園が見えた。
そして、前方先の方は、左右とも住宅地のような区画がある。
私達の左方には湖。
もっと遠くにみえる山々は、この地域を全方位を囲う様子だった。
閉じた土地だ。
その閉じ方は、実に拠点らしい。
「久しぶりに帰って来れた。みんな元気かな」
そう呟いたのはノアテラだった。
ソリは静かに進んで行く。
「メズ…つまり、エンジニアはあの奥の家に住んでいる。
話はついているから安心しろ」
メイラ先生の指す先に、ソリは向かっている。
大きな湖を望む景色は、とても優雅に感じた。
個性豊かな住宅地。
その中のログハウスのような家の前でソリは止まった。
「…残念だな、今出払っているようだ」
メイラ先生はそう言ってソリから下りた。
「びっくりさせようと思ったんだが」
そう言って、元の姿に戻る。
…ん?
「デュナミスの無駄遣いでしたね」
ノアテラも、そう言いながら私とセティを元に戻し、自分も戻った。
…えっと。
変身する必要、なかったの?
メイラめ。
……セティは、怒ったっていいんだよ。
そう思って見ていても、感情の動きは感じられない。
いつも通り無表情で、瞳は完全な青色になっていた。
「…すぐに帰ってきますか?」
「わからない。約束していたはずだから、何か任務が長引いているのだろう」
任務。
ゼロ歳の私にすら潜入スパイを課す組織だ。
いい予感はしない。
「私達に手伝えることはありますか」
ノアテラが聞く。
「そうだな、手伝える内容ならば手を借りようか。」
メイラがそう答え、目を閉じた。
それから、短い沈黙。
ノアテラは手近な草木を触り始める。
セティは、さっきから全く動いていない。
「セティ、大丈夫?」
「かなり思考が鈍い。あまり時間がないな」
私は息を呑んだ。
まって。早すぎる。
まだ五日はあるはずなのに。
久しぶりに、私は金の紋でセティを見た。
紋の動きが、ほんのわずかに遅い。
何かが引っかかっているみたいだった。
「今、何やった?」
…え。まさか。
メイラの言葉を聞き、すぐに紋を切る。
「ノア、気づいたか?デュナミス値が…あれ」
メイラが私を見ている。
私は首を傾げた。
「デュナミス値が、なんでしょう」
「いや、こいつのデュナミス値が異常に下振れしたきが」
「急に変わったということですか?」
「あぁ、気のせいかな。
連絡を取り合いながらで、集中していなかったが」
二人がこちらを見る。
「アテラ、何か隠してる?」
まずい。
メイラは多分、嘘を見抜く。
金の紋がばれたら、主従の契約で私ごと利用される。
どうしよう……
「活動限界が近いからいっておく」
セティが急に口を開く。
青い瞳が、わずかに揺れた気がした。
「ワシの中央同期システムを破った者を、先日思い出した」
「急だなセティ。それは誰だ?」
「センシア・ドルフォナ。中央が手を焼くおたずね者、レジスタンスだ」
場の空気が、私からセティへずれる。
助かった。
「チ…あっち側か。それでは仲間に引き込むのは難しいな」
メイラは、舌打ち交じりに言った。
セティの助け舟は、どこまでが誤魔化しなのだろう。
少なくとも、レジスタンスの存在は本当らしかった。
メイラ達も反デューナメース。
反体制がいくつもある言い様。
この世界の管理体制は、もうあちこちで綻び始めているのかもしれない。
「それはいい。メズの部隊が北東で怪異とやってる。戦況は厳しい」
メイラが唐突に言う。
「援護に行くぞ。乗れ」
メイラは、ノアテラの手を引く。
ノアテラは、遠慮気味にこちらを促してくる。
私達は再びソリにのった。
「怪異…大丈夫でしょうか」
「メズがやられたら、セティの活動コードは終わり。アテラは離反するのだろう。
ならば、巻き込むまでだ」
そういってメイラはソリを力強く握った。
ソリは宙に浮きながら前進する。
「それよりノア、三人をしっかり固定しておけ」
ソリについていた網のようなものがかぶさる。
すごい…これがメイラのデュナミス…。
物凄い速度だった。
「これで大半使い切る。
悪いが到着後の初動は、お前達が先行しろ」
風で声が聞こえづらい。
返事をしようにも、とても喋れる状況じゃない。
数十キロは、突っ走っただろうか。
突然、ソリが降下しだした。
「ひぃ」
…隕石のような角度になる。
ふわっと内臓が浮く。
「緩衝はする。死にはしない」
その言い方で、
安心できるわけ…ないじゃん。
ズウゥン……!
強い衝撃がきた。
「いたい」「いたっ」
ズン
ズン
軽くバウンドし、ソリは静止した。
体中が痛む。
「乱暴すぎるよ……」
ノアテラが最初に立ち上がる。
私も顔を上げる。
そして、痛みが飛ぶほどに体が固まった。
背後に、巨大な生物が、いる。
「まって、あれ…」
私がそちらを指さすと、ノアテラは振り向いた。
振りむいた瞬間、身体がビクッと動く。
「え、大きすぎる…」




